エピソード2 聡美
これまで隣にいたのは、いつだって年上の人ばかり。
同世代の男の子たちは、どこか子供っぽくて、話をしていても中身がない気がして退屈だったから。
前の彼も社会人で、余裕があって、将来のこともちゃんと見据えてくれるような人。私はそんな「大人の安心感」に寄りかかっていた。
けれど、現実はいつも残酷だった。
最後には決まって、私のほうが捨てられる。
「先のことを考えてくれる」はずの大人たちに、私はいつも、その先の未来から真っ先に切り捨てられてきた。
だから、同じ学生、しかも学校中で騒がしく目立っている「あのアホなお子ちゃま五人組」の一人と、自分が関わることになるなんて。最初は、想像することさえおぞましいと思っていた。
彼らはいつだって全力でふざけ合い、中身のない笑い声を廊下に響かせている。落ち着いた大人との時間を好んできた私からすれば、それは別世界の、もっと言えば低俗な景色にさえ見えていた。
その輪の中にいる彼――タカが、私の人生をかき乱すことになるなんて、その時の私はこれっぽっちも思っていなかった。
休み時間になると、校庭の一番目立つベンチは彼らの独壇場だった。
例の「アホアホ五人組」が、これ見よがしに騒いでいる。
聞こえてくるのは、低俗な女の子の話ばかり。
「毎日どこかでナンパしてるらしいよ」なんて、くだらない噂も耳に入っていた。
興味なんて、これっぽっちもなかった。本当に。
大人ぶった恋をして、最後にはいつも切り捨てられてきた私にとって、彼らの幼稚な乱痴気騒ぎは対極にあるものだったから。
けれど、ふとした瞬間に遠くから眺めてしまう。
あの青臭い、直球すぎる笑い声が、なぜか少しだけ「楽しそうだな」と、胸の片隅をかすめることがあった。
親友の智代が、唐突にその名前を口にしたのは、ある日のことだった。
「ねぇ、タカって知ってる?」
智代は可笑しくてたまらないといった風に、声を弾ませた。
「あの子、最近ひどい振られ方したらしいよ。もー、ほんま可哀想すぎて笑けるわ」
智代はこの学校の有名人で、誰もが認める華やかな存在。あの「アホアホ五人組」とも、壁を作らずに平気な顔をして遊ぶような子だった。
けれど、私にとっては別世界の出来事。
タカ、という名前を出されても、あのベンチに座っている五人のうち、一体誰が「ソレ」なのかさえ、私にはさっぱりわからなかった。
数日後、授業が休講になった午後のこと。
教室で、私は一人、ノートを整理していた。
「なー、誰か緑のマーカー持ってへん?」
静まり返った教室に、場違いな明るい声が響いた。
顔を上げると、そこに立っていたのはあの「五人組」の一人。
(ああ、この人がタカか……)智代の話が頭をよぎる。
私は反射的に答えていた。
「私、持ってるよ」
差し出したマーカーを受け取ると、彼は子供みたいにぱっと表情を輝かせた。
「ありがとう! ちょっと借りるで!」
それで話は終わりだと思っていた。なのに、彼はペンを握ったまま、信じられない言葉を続けた。
「それとさ、オレと付き合ってほしい。……可愛いし。名前、教えて」
意味が分からなすぎて、一瞬、思考が止まった。
軽い。あまりにも軽すぎる。
けれど、ふざけて茶化しているような雰囲気ではなかった。
口元はニコニコと笑っているのに、その瞳の奥には、しがみつくような必死さと、隠しきれない寂しさが透けて見えた。
そういえば、ひどい振られ方をしたばかりだって、智代が言ってたな……。
その場の勢いだけで埋めようとしている「穴」の深さが、伝わってくるようだった。
人間が好きで、一人きりでいるのが何より苦手。
恋をすればいつだって本気。
けれど、あまりに寂しがりすぎて、誰かが常に隣にいてくれないと、どこかへ消えてしまいそうなほど不安を募らせてしまう人。
「……ご飯、行かへん?」
タカのその誘いに、私はほんの数秒だけ迷った。
年上で、落ち着いていて、完璧なはずだった男たちに切り捨てられ続けてきた私。そんな私の前に現れたのは、計算もプライドもかなぐり捨てて、傷ついたまま誰かを求めている「おこちゃま」な同級生。
私は、少しだけ冒険してみることにした。
鏡の前で、いつもより念入りにメイクを仕上げた。
学校で見せている「大学生」の顔じゃない。夜、少し背伸びをしてバイトに向かうときの、どこか冷めていて鋭い顔。
自分でも「全然違うな」と苦笑するくらい、それは強がりの鎧のような顔だった。
待ち合わせ場所で私を見たタカは、一瞬、言葉を失ったように黙り込んだ。
驚いたのか、それとも見惚れたのか。その短い沈黙が、なぜか私の胸に妙な重みを持って残った。
けれど、いざ話し始めてみれば、彼は驚くほど「普通」だった。
どこまでも素朴な田舎の話。切実なバイト代やお金の話。そして、自分の将来がどうなるのか、本当はよく分からないという不安。
あんなに騒がしかった五人組の一人とは思えないほど、彼は等身大の、迷える一人の若者だった。
気づけば、そのまま一緒に夜を過ごしていた。
戸惑いや抵抗を感じる暇もないほど、それはあまりに自然な流れだった。
次の日も、その次の日も。
気づけば、私の荷物が少しずつタカの部屋を占領し始めていた。
「半同棲」
頭に浮かんだその言葉が、あのおこちゃま五人組の一人と自分にはあまりに不釣り合いで、私は鏡に向かって少しだけ笑ってしまった。
「半同棲」という甘い響きが日常になり始めた頃、私たちの間に小さなしこりが生まれ始めた。
タカは、私の夜のバイトを快く思わなくなっていた。
「クラブの仕事、やっぱり心配やねん」
彼が口にするのは、激しい束縛でも、突き放すような命令でもない。ただ、幼い子供が迷子を怖がるような、切実で真っ直ぐな不安だった。
ヤキモチを焼いているのも、私がいなくなるのが怖くてたまらないのも、隠しようがないほど透けて見えていた。
最初は、適当に聞き流して気にしないふりをしていた。
けれど、何度も繰り返されるその言葉に、だんだんと心が削られていくのを感じた。仕事の内容をいちいち説明するのも、そのたびに彼を安心させるために言葉を尽くすのも、正直に言えば面倒になっていた。
でも、何より怖かったのは、彼に嫌われること。
私は結局、夜のバイトを辞めた。
「生活のためには仕方ない」という理屈よりも、「もっとタカと一緒にいたい」という、自分でも驚くほど単純で、青くさい感情が勝ってしまったから。
夜のバイトという大きな収入源を失うと、生活のバランスは目に見えて崩れていった。
これまで当たり前に払えていたマンションの家賃が、鉛のように重くのしかかる。
悩んだ末に、私は自分の部屋を引き払う決心をした。
そして、そのままタカの住むアパートへと転がり込んだ。
お風呂もない、六畳一間。
そこは、若さと愛着だけでは埋めきれないほど狭くて、不便で、どこにも逃げ場のない空間だった。
四六時中、肩を寄せ合うようにして過ごす時間が増えるにつれ、お互いの「本性」が容赦なく剥き出しになっていった。
タカは、想像していた以上に寂しがり屋で、そして一度言い出したら聞かないほど頑固だった。
私は私で、自分が思っていた以上に彼に気を使い、言葉にできない感情を心の奥底に澱のように溜め込んでいく。
良いところも、目を背けたくなるような嫌なところも、その部屋ではもう隠し通せなかった。
それでも、私たちは互いのことがたまらなく大好きだった。
肌が触れると波が引くように心が落ち着き、少しでも離れると、暗闇に取り残されたような不安に襲われる。
けれど、確実に何かが削り取られていった。
「好き」という純粋な気持ちだけでは、どうしてもやり過ごせない瞬間が、波紋のように広がっていく。
幸せで、しんどくて。
息苦しいのに、離れられない。
間違いなく、あの一年が私の「大恋愛」だった。
少なくとも、あの時の私にとっては、タカが世界のすべてだった。
でも、別れは驚くほど静かにやってきた。
何かが決定打になったわけじゃない。
底をつきそうな貯金とか、ぼんやりした将来への不安とか。
狭い部屋で積み重なった、ちょっとした「疲れ」が限界だったんだと思う。
嫌いになったわけじゃない。
ただ、一緒にいればいるほど、私は確信してしまった。
「あぁ、私はやっぱり、年上の人に守られてるほうが楽なんだ」
背伸びしていた私と、子供のままのタカ。
私たちはまだ、ただ「好き」ってだけで現実と戦えるほど、強くはなかった。
生活っていう、なんてことない日常の重みに、二人して負けちゃったんだ。




