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僕はこうしてつくられた  作者: rion_so_so


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エピソード13 真子(番外編)


あの夜。お茶碗から溢れんばかりの**「マンガ盛り」**ライスを、みんなで箸をつつきながら笑い飛ばしたあの日から、私と美穂子の世界は一変した。


それまでの私たちの遊びなんて、今思えばただの「暇つぶし」だった。夜の街をあてもなく彷徨って、適当な男に声をかけさせて、適当に時間を潰すだけ。でも、たーくんたちのグループと過ごす時間は、次元が違っていた。


夏は伊勢の海で、朝日を浴びながら波に揉まれる。

冬は真っ白な雪山で、凍える風を切り裂きながらスノーボードで駆け抜ける。

週末になれば、手慣れた様子でキャンプやバーベキューの火を囲む。


彼らはただ遊んでいるんじゃない。仕事も遊びも、自分の足で立って全力で取り組む**「人生を楽しむプロ」**だった。その眩しさに触れるたび、私は自分の足元にある「現実」が、ひどく泥臭く、惨めなものに見えて仕方がなかった。


私はいつも隣にいる美穂子を見るたび、少しだけ羨ましくなる。


「自由でええなぁ……」


彼女はバイトで、何にも縛られていないように見えた。私は一応、専門学校に通っている。でも、学校なんてぶっちゃけ辞めたかった。周りのみんなは一生懸命で、いつも課題に追われている。「将来はどこに就職したい」とか「こんな仕事がしたい」とか……。私には、そんなやりたいことなんて一つも見つかっていない。ただ流されるまま、何となく通っているだけ。学校に友達もいない。相談できる相手なんて、もっといない。


それに、私の現実はもっと泥沼だった。


付き合っている彼氏。見た目はめっちゃカッコいいけれど、中身は最低だった。会えば身体を求められ、挙句の果てには「金貸して」と借金まで頼んでくる。


「あーあ、ウチ……変わりたいな……」


たーくんたちの眩しい笑顔を見るたび、自分の足元にあるドロドロした現実が嫌でたまらなくなった。あのキラキラした世界に、私はまだ、指先さえ触れられていない気がして。



そんな気分の中で迎えた冬。グループで行ったスノーボードツアーは、私の人生を根底から変えるような、最高の経験になった。


どんなにはしゃいでいても、ふとした瞬間にこぼれる私の「人生相談」に、みんなは笑いながら、でも驚くほど真剣に答えてくれた。


今まで私の周りにいた「大人」は、説教臭いか、適当にあしらうかのどちらかだった。でも、この人たちは違う。

波乗りもスノーボードも最高に上手くて、遊びに対してどこまでもストイック。それでいて、車内で流れる音楽のセンス一つとっても、思わず背伸びして盗みたくなるような格好良さがあった。


何より衝撃だったのは、目の前に広がる大自然の風景を見て、不意に涙を流す彼らの姿だった。


「うわ……めっちゃ綺麗やな」


そう言って静かに景色を眺める彼らを見て、私は息を呑んだ。

世の中に、自然の美しさに心を震わせる大人がどれだけいるだろう。少なくとも、これまでの私の世界には一人もいなかった。智代さんや昌さんの着こなすウェアも、街で見かける流行り物とは違う、自分のスタイルを確立したオシャレさがあって、一挙手一投足が眩しかった。


「世界って、こんなに綺麗に見えるんや……」


みんなといると、それが当たり前の景色になる。

私の人生で、これほどまでに心が洗われるような、キラキラした時間は他になかった。泥沼の現実を一時だけ忘れるための遊びじゃない。もっと広い世界があることを、彼らはその背中で教えてくれていた。



そういえば、たーくんがいつも腕に巻いている時計が、ずっと気になっていた。


「たーくん、その時計かわいいな」


ふとした拍子にそう尋ねると、彼は少し自慢げに手首を返して見せてくれた。


「これ? タイメックスのサファリ。ええやろ」


使い込まれた編み込みのレザーベルトに、どこか冒険心をくすぐるクラシックな文字盤。最新のハイテクウォッチでも、ギラギラした高級時計でもない。けれど、ラフなアウトドア格好をしたたーくんの腕には、その『サファリ』が驚くほど馴染んでいた。


その時計の針が刻む一分一秒は、なんだか不思議だった。

私が泥沼の現実の中で浪費してきた時間とは、まったく違う。私たちが過ごしている「今」というこの瞬間を、すごく特別で、贅沢なものに変えてくれている……そんな気がした。



そんなたーくんの周りにも、変化の波が押し寄せていた。

彼女ができたらしい、という噂。しかも、私たちと同じ年齢タメの子だという。結局、私たちは最後までその彼女に会うことはなかったけれど。


「たーくんの彼女、どんな子なんやろ? ウチらとタメらしいで」


「マジか! たーくん年下アリなんや。じゃあウチらにもチャンスあるってことやん!」


美穂子とそんな風に茶化して笑い合っていた。どこかで「たーくんは手が届かない大人」だと思っていたから、同じ歳の女の子が彼の隣に座った事実は、私たちの心に小さな波紋を広げた。


けれど、その関係は長くは続かなかったみたいで、気づけば「別れたらしい」という話が流れてきた。


「なんや、遊びやったんかな?」


集まりに来るたーくんはいつも通りで、落ち込んでいる様子なんて微塵も見せない。やっぱり大人だし、ライトな付き合いだったのかも……。そんな風に思っていた私に、智代さんがそれとなく教えてくれた。


「あいつ、実は結構落ち込んでるで。でも、ああいう性格やん? 自分の弱いとこ、絶対人に見せへんねん」


智代さんの言葉に、胸の奥がチクリとした。

いつも笑って、私たちを守って、スマートに遊んでいるたーくんの背中。その裏側に、誰にも見せない孤独や痛みが隠されているなんて、想像もしていなかった。


そして智代さんは、追い打ちをかけるようにこう続けた。


「あとな……タカ、来春から東京行くことになったわ」


東京…

その言葉が、今の私には「もう二度と会えなくなる場所」のように響いた。たーくんの時計が刻む贅沢な時間が、急激に砂時計のようにこぼれ落ちていく感覚に襲われた。



一方の私は、人生で最悪の局面を迎えていた。


私が将来を変えたくて、必死に、本当に必死に貯めていた海外留学の資金。それをどこで聞きつけたのか、彼氏はあろうことか「その金、貸してくれへん?」と平然と言い寄ってきたのだ。


自分の遊びや借金のために、私の夢を平気で踏み台にしようとするその姿。


「……もう、無理やわ」


心の底から、何かが音を立てて冷えていくのが分かった。

好きだった頃の思い出や、一人になる寂しさはもちろんあったけれど、それ以上に「このままじゃ私は一生、このドロドロした場所から抜け出せない」という恐怖が勝った。


ようやく、彼と別れる決心がついた。

泣いてすがられるのも、怒鳴られるのも、もうどうでもいい。

私は私の人生を取り戻すと、あの雪山の景色に誓ったんだ。



私がニュージーランドへ発つのは2月末。たーくんが東京へ行くのは3月末。


(たーくんと会えるのって、あと1ヶ月ちょいしかないじゃん……)


そう気づいた瞬間、私は自分でも驚くほどの行動力を発揮していた。押し入れから大きなスーツケースを引っ張り出し、お気に入りの服をギュウギュウに詰め込んだ。


たーくんを呼び出し、向かい合ってご飯を食べながら、私は唐突に告げた。


「ウチ、海外行くまでたーくんと一緒に暮らす」


「はぁ!? お前、何言うてんねん」


たーくんは口に含んだものを吹き出しそうになりながら目を丸くした。


「ええやん。一人で寂しいやろ?」


「いや、そういう問題ちゃうやろ……」


困ったような顔で頭をかくたーくんだったけれど、私はお構いなしに、そのまま強引に彼の部屋へと押し掛けた。


サーフボードやスノーボード、アウトドアグッズがひしめき合う、あの秘密基地のような部屋での共同生活。恋人という肩書きがあるわけでもない、でもただの友達でもない。互いの人生が大きく動こうとしている直前の、小さな奇跡のような一ヶ月。それは、神様がくれた「二人の人生の休憩時間」だった。


朝、コーヒーの芳ばしい匂いで目が覚める。

まだ眠い目をこすりながら起き上がると、たーくんはもうスーツに着替えていた。鏡の前でネクタイを締める背中は、あの波間で見せる無敵な横顔とも、雪山で笑い転げる無邪気な顔とも違う。なんだか少しだけ、知らない大人の男の人みたいで、私はそれをぼんやり眺めるのが好きだった。


「行ってらっしゃい」


「おう、鍵閉めて行けよ」


それだけ。でも、ドアが閉まったあとの部屋に残るコーヒーの匂いが、なんとなく温かくて、私はしばらくそのまま布団の中にいた。


夜、銭湯の帰り道。湯上がりの体がほんのり温かくて、冬の空気が頬に心地いい。たーくんはコンビニの袋をぶら下げながら、今日あった客の話をしてくれる。


気づいたら、いつも手をつないでた。


どちらからともなく、自然に。恋人みたいで、でも恋人じゃなくて。そのどっちでもない感じが、むしろ居心地よかった。


私は半歩後ろじゃなく、ちゃんと隣を歩きながら、その横顔をぼんやり見ていた。


こんな何でもない時間が、どうしてこんなに特別なんだろう。


帰ってご飯を作って、食べて、ベッドの中で今日の話をして、ゆっくりと愛し合う。


その繰り返しだけで、一ヶ月はあっという間に過ぎていった。


そこには、元彼との泥沼の関係には決してなかった「穏やかな体温」と「満たされる日々」があった。


こうして誰よりも近くで過ごしてみると、たーくんはびっくりするほど普通で、そしてびっくりするほど甘えん坊だった。強がって、誰にも弱いところを見せない彼が、私の腕の中でだけ見せる幼い顔。

私たちは、お互いの胸にある「もうすぐ離れ離れになる寂しさ」を埋めるように、残された時間のすべてを寄り添い、愛し合った。



そして、ついにその日が来た。


ニュージーランドへ旅立つ私を、たーくんは空港まで送ってくれた。


出発ゲートの前。大きなバックパックを背負い、さらに大きなスーツケースを引きずる私を見て、たーくんは少し照れくさそうに笑いながら、自分の左手首からあの時計を外した。


「これ、持っていけ。ニュージーランドでも時間、間違えんなよ」


そう言って、私の左腕に丁寧に巻き付けてくれたのは、あの**『タイメックス・サファリ』**だった。


使い込まれて柔らかくなったレザーベルトには、まだたーくんの確かな体温が残っていた。


「……いいの?」


「おう。お守り代わりや」


細い私の手首には少し重くて、サイズもあっていなかったけれど、その重みがなんだかすごく勇気をくれた。たーくんの『サファリ』の秒針が、私の腕の上で、新しい時間をチクタクと刻み始める。


「行ってくるな、たーくん」


「おう。元気でな」


振り返らずにゲートを潜る。


腕に感じるサファリの重み。この時計が刻む時間の先には、きっと今まで見たこともないような広い世界が待っている。


たーくん。ウチ、絶対にかっこいい大人になって帰ってくるからな。


私がいつか大阪に帰ってくる時、たーくんはもう東京にいて、別の空の下で頑張っているんだろう。


「いつか、またね」


心の中でそう呟いて、私は一歩、前へと踏み出した。




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