猫吸い
昼休み。
校舎の隅、ひと気の無い階段に二人の男子生徒がいた。
両方とも階段に腰かけている。
ぼんやりと天井を見上げているのはヒロト。
一方、スマートフォンを操作しているのが、イツキである。
「は~」
ヒロトはわざとらしいため息をついた。
イツキはスマートフォンから視線をそらさない。
「は~、は~、はぁ~」
するとヒロトは、再びわざとらしいため息をついた。三回も。
イツキは心底面倒くさそうにスマートフォンから顔を上げ、これまた心底面倒くさそうに尋ねる。
「何かあったのか?」
ヒロトは待ってましたとばかりに、イツキに顔を近づけ話はじめる。
「僕さ、ネコになりたい」
「は?」
「最近ね、妹がネコの動画にハマってて、毎日見てるんだ。でさ、ネコ吸いやってみたいって言いだして」
「ネコ吸いってあれだろ、ネコに顔うずめて匂い嗅ぐってヤツだろ。飼い主がよくやってる」
ヒロトははっきりとうなずく。
「そうそう。妹があれやってみたいって言いだしてさ、ネコになれば、妹に吸ってもらえるんだって気付いて」
イツキはゆっくりと視線を右に動かし、左に動かし、それからヒロトを見つめ、ゆっくりと口を開く。
「俺、一人っ子だから、兄の気持ちって正直わかんないんだけど、ヒロト……お前、たぶん、だいぶヤバいぞ」
その途端、ヒロトは身を乗り出して、イツキにくっつきそうなほど顔を近づける。
「いやいやいや。お兄ちゃんなら、誰だって妹に吸ってもらいたいと思ってるよ」
「キスは嫌なのに、ネコ吸いはやってほしいのかよ」
「猫吸いはキスじゃないもん!」
そのとき、呼び出しの放送が鳴った。
『二年三組、大岸ヒロトさん。職員室まで来てください』
イツキはヒロトの額を手で押し、顔を離れさせる。
「ほら、先生に呼ばれてるぞ。行ってこい」
イツキに促され、ヒロトはしぶしぶという雰囲気で立ち上がり「あー、ネコになりたい」と言いながら職員室へむかった。
「まだ言ってる」
イツキはつぶやきつつ、スマートフォンを操作する。
『猫吸い 画像』
検索バーにこの文字を入力すると、画面に表示されるネコ吸いの画像。
「もしヒロトがネコになったら……俺も吸ってみたいかも……」
そうつぶやくが、すぐに首をブンブンと横に振る。
「いやいやいや。俺は何を言ってるんだ」
十分後。
イツキは相変わらず階段に座り、スマートフォンを操作していた。
ふと、気配を感じて隣を見る。そこに一匹のネコがいた。頭のてっぺんから尻尾の先まで真っ黒で、金色の瞳が夜空の月のように輝いている。そんなネコだった。
「ネコ? なんで?」
イツキは驚きの表情を浮かべ、スマートフォンをポケットに入れる。
ネコは近寄ると、頬をイツキに擦り付けはじめる。
「なんだよ。ずいぶん人に慣れてるな。もしかしてヒロト、本当にネコになっちゃったのか?」
冗談のつもりだったのに、ネコは返事をするように「にゃっ」と鳴くと、イツキの膝に乗り、ペタンと座った。
「お、お前、本当にヒロトか? 本当にネコになっちゃったのか?」
真剣な口調で尋ねると、またしてもネコは返事をするように「にゃー」と鳴いた。
イツキはしばらく考えた後、ゆっくりと口を開く。
「な、なあ、ヒロト。吸っていいか? いや。その、お前を吸いたいとかじゃなくて……。ほら、お前、妹に吸われたいって言ってたろ。その……練習。そう、妹に吸われる練習だと思って。なっ」
イツキが抱き上げると、ネコは一切抵抗する様子を見せなかった。
イツキはそのまま、ネコのふかふかのお腹に顔をうずめる。
「あ~。ヒロトのお腹、ふかふかだ。お日様の匂いがする。心が安らぐよ。ヒロト~」
ネコのお腹を堪能するイツキ。そのときだ。
「呼んだ、イツキ?」
声がした。イツキは慌てて顔を上げる。
正面にヒロトが立っていた。ネコではなく、人間のヒロトである。
「ヒ……ヒロト……いつの間に……」
イツキは口をパクパクと動かす。
一方、ヒロトはイツキの様子を気にせず、横に座る。
「いや~。何で先生に呼ばれたのかと思ったら、昨日の宿題、ちゃんと提出したのに、先生が見落としてて、未提出だと思われてたんだ。まいったよー」
「そ、そうか……」
「それと今、野良ネコが校舎に入り込んでるんだって。見つけたら捕まえてって言おうとしたんだけど、もう捕まえてくれてたんだね。さすがイツキ」
イツキはネコを膝に乗せると、ヒロトから目をそらしてうつむく。
「イツキ、顔真っ赤だよ。大丈夫?」
「……見たか……さっきの……」
「猫吸いくらい、恥ずかしがることじゃないと思うよ」
その途端、階段にヒロトの声が響く。
「忘れろー!」
ヒロトの膝の上で、ネコは大きなあくびをした。
次の日の昼休み。
イツキとヒロトはいつもの階段ですごしていた。
「お父さんも、お母さんも、飼っていいって言ってくれたし、あのネコね、すごく人懐っこくて妹に懐いてた。上手くやっていけそうだよ」
ヒロトは、スマートフォンの画面を見つめるイツキに話しかける。
「そっか。よかったな」
イツキの口調はそっけない。
「イツキも久しぶりに家に遊びに来たら? 猫吸いできるよ」
「いや。いい」
「へ、でもヒロトもネコ好きなんでしょ? 隠さなくていいのに」
「嫌いじゃないけど、好きでもない。隠してない」
イツキのいつも以上にそっけない態度に、イツキは不思議そうな表情を浮かべた。




