悪役令嬢が多すぎる!〜転生先は婚約破棄がトレンドらしいですが、全員まとめて幸せにします〜
目が覚めたらファンタジー世界のお嬢様に転生していた、なんて驚くような展開が私にも起きてしまった。
いつも通り大学に行ってバイトに行って、帰って寝るだけ。
心躍るようなイベントに遭遇したりなんてまるでない、そんな単調な毎日に飽きていた。
とはいえ、いくらなんでも異世界転生は心躍るとかそういう次元じゃないだろう。
長い紫の髪に、特徴的なつり目。ちょっとキツい印象はあるけれどとても美人だ。
公爵家の令嬢で、名前はエヴェリーナちゃんらしい。
そして王太子殿下と婚約しているらしいが、王太子は親しい令嬢が他にもいるらしく絶賛浮気され中とのこと。
私はその浮気相手が原因で周囲にブチギレをかまし続けているらしく、お世話をしてくれているメイドさんがずっと怯えていた。
「お、お嬢様……一体今日はどうなされたのですか?」
「なんでもないの。自分の現状を確認したかったってだけ。気にしないで」
「く、口調まで変わってしまわれて……」
「あれ!? えーっと、なんでもないのですわ!おほほ!」
あまりにも苦しい演技だったが、メイドさんはすぐに退散してしまった。
いきなり自分の名前は何で、どういう性格で、といった基本的なプロフィールを尋ねてこられてさぞ驚いたことだろう。
どうも私が転生したこのエヴェリーナお嬢様は、日頃の行いがあまりよろしくないみたいだった。
そう、私は悪役令嬢というものに転生したようなのだが、この世界について何ひとつとしてしらないのだ。
とりあえずエヴェリーナの現状からして、ラノベかマンガか、ともかくよくあるWeb小説みたいな雰囲気が漂っていることは確かだった。
エヴェリーナは貴族の子女たちが通う魔法学院に通っていて、今日もこれから登校するらしいのだが、このあらすじだけでもうマンガアプリに何個あるんだよぐらいの定番中のド定番で、暇つぶしによく令嬢もののマンガを読む程度の私にはまるで見抜けそうもなかった。
服装だってファンタジー学園っぽい可愛い制服に、マントみたいな形の黒い外套付きだ。
コスプレみたいで恥ずかしいと思ったのもつかの間、みんな同じ格好をしているのだから、学年ごとに色の違うというネクタイの見分けの方が大変だった。
とりあえず同じ学年らしき女子生徒に声をかけてみる。
「お、おはようございますですわ」
「えっ、エヴェリーナ様!? お、おはようございます!」
即座に逃げられてしまった。周囲で見ていた生徒たちも、私とは目を合わせないように下を向いたり足早に去っていってしまう。
つらい。完全に嫌われているっぽい。
こういう時、取り巻きの令嬢とか友人役の子とかいてもいいんじゃないのとは思うけれど、そんな気配もなかった。
みんな私を見てヒソヒソ小声で話している。視線が痛かった。いや、これほんとにつらいわ。
涙をぐっと堪えて、諦めず情報収集を続ける。
とにかく授業が始まるまでに現状をなんとかしたい。
元の世界に戻る方法とか、私に死亡フラグとか立ってたりしないかとか、自分自身のことさえ分からないのだから内心ずっとパニック状態だ。
「あっ、あの子ならいいかも……」
学園の中庭のすみっこ、ベンチに座って読書に勤しんでいる男子生徒がいた。
長い前髪だけれど、その髪で文章ちゃんと読めるのかな。
とにかく、表情は見えないが大人しそうな雰囲気があるので顔を合わせるなり逃げられるようなことはならないだろう。
「あのう、すみません」
「これこれは、ヘルベリス公爵令嬢。今更謝罪のつもりで? 貴女のような方に話すことなど無いと伝えたはずだが」
「ひぇ……」
おっと……。
もう既にやらかし済みだったっぽい。
長い前髪の隙間から覗く目は、キッと私を睨んでいて強い敵意を感じる。
正直言ってめちゃめちゃ怖い。
「わ、私何やったわけ……」
私が震えていると、男子生徒は苛立ったように強い口調で責め立ててくる。
「はあ? 忘れたとは言わせないぞ。貴女は俺に精神干渉効果がある違法な魔法薬を精製しろと金を渡してきたというのに、今更しらばっくれる気か?」
「え!? 違法薬物を作らせようとしたってこと!? 犯罪者じゃん!」
「だからそうだが?」
とんでもない事実だ。
精神干渉ということは、惚れ薬見たいなら類のものなのだろうか。
怒らせて当然、というか訴えられてもおかしくない。
この国の法制度がどうなっているかは分からないが、教師たちに知られれば退学か停学処分にはなるだろう。
エヴェリーナちゃんは王子様の婚約者だというのに、不祥事を恐れないどころか悪の道にまっしぐら状態だとは。
王太子殿下の浮気のせいでおかしくなってしまったのか、はたまたもっと前から歪んでしまっていたのかは分からないが、私だったらこの顔とスタイルだけで一生鏡見て生きていけそうなんだけれど。
「えっと、とにかくごめんなさい。もう悪いこととか絶対しないから……」
違法薬物を作ってどうするつもりだったのかは分からないが、これ以上首を突っ込みたくはない。
とにかく謝って彼に怒りを鎮めてもらわねば。
「……待て、お前は誰だ」
「はい!?」
これまた予想外の返しに、私は驚いて後ずさる。
しかし男子生徒は逃がすものかとばかりにぐっと接近すると、私の右腕を掴んだ。
「色が違う」
「色? 色ってどういう」
「魔力の色だ。昨日までのヘルベリス公爵令嬢とまるで違う色をしているじゃないか」
なんだその設定は。
私には見えないのだが、彼はそういう能力を持っているということなのだろうか。
確かそんな設定のマンガがいくつかあった気がするんだけれど、エヴェリーナのようなキャラはいなかったはず。
しかし、立ち上がった彼はすごく背が高くて、接近されると見上げなければならない。
威圧感というか圧迫感が凄まじかった。
前髪のせいで表情がよく見えないが、下から覗くと赤い瞳がちらりと見えた。
「……そうか。さては貴様、体を乗っ取ったな。重罪だぞ」
「ええええ」
彼の容姿の観察に夢中になっていれば、またまた予想外の展開が転がってきた。
「他者と魂を入れ替えて体を乗っ取る魔法があるが、それはとうの昔に禁じられていたはず。それもよりによって公爵令嬢の体を奪うなど、極刑は免れないと思え」
「ちちち、違うんです! 朝目が覚めたらこの人になっていて、私にも何が何だかさっぱりなんですよ!」
「嘘をつくな!」
極刑という言葉に驚いて慌てて弁明しようとするが、全く信じて貰えない。
しかし、今のところ私がエヴェリーナではないことに気づいているのはこの人だけだ。
私を生かすも殺すも彼次第、となればもはやなりふり構っていられない。
「助けてください! うわぁぁぁーん!」
「ちょっ、大声で泣くな!」
ストレス値が限界に達し、ヤケになって縋り付く。
恥ずかしげもなく泣きわめけば男子生徒は困惑してしまった。
「どうしたらいいのぉ〜! 日本に帰りたいよぉ! 私なんとかリスじゃなくて村井だもん!」
「村? なんだかよか分からんが、貴様も被害者ということか……?」
「そうなの! とにかく元に戻りたいのに、ここがどこなのかも分からないんだって!」
「わ、分かった。とにかく話は聞いてやるから泣くな。落ち着け。頼むから本当に落ち着け」
中庭の隅とはいえ、大声で騒ぐと周囲に気づかれてしまう。
「なんだ? 誰かが泣いてるのか?」
「エヴェリーナ様の声に似ているような……いや、気のせいか」
通りがかりの生徒たちの話し声が聞こえる。
まずい、泣き顔を見られてしまう。
咄嗟に下を向いたが、目の前の彼が私を隠すようにぎゅっと抱き締めてくれた。
外套の中にすっぽりと収まり、私の姿は周りから見えなくなる。
生徒たちが通り過ぎて静かになると、ようやく彼は私を解放してくれた。
「ごめん鼻水付いた……」
慌ててハンカチを差し出すが、彼は気を悪くするわけでもなく私の正体の方に興味津々らしかった。
「後で洗うからいい。それより、あんたはどこから来たんだ?」
「日本っていう国……というか、違う世界から来たの。うちの世界だと異世界に転生する創作が流行ってて、私にもそれが起こったんだと思う」
「なるほど。ではこの世界や魔法については何も知らないと」
「そうだよ。メイドさんに色々聞いたんだけど、私というかエヴェリーナには婚約者さんがいて、その人が浮気してるんだよね? エヴェリーナが悪役令嬢になったのって、それのせいなの?」
「悪役かどうかは知らんが、確かに王太子殿下の不貞による悪影響はあっただろうな。昔は穏やかで品行方正として知られていたが、最近じゃ周りに怒鳴り散らして王太子殿下の浮気相手を陥れることばかりに夢中になっている」
男子生徒は疲弊したようにため息をついた。
「そんな……。浮気相手を陥れるより、王太子をボコボコにしちゃえばいいのに。エヴェリーナは本気で王太子のこと好きだったのかな」
「ああ。よほどあの男……王太子殿下に恋心を寄せていたらしい。政略結婚だというのもあって、王太子殿下からは冷遇されていたらしいが」
「なんだか可哀想……。でもこのままだとらもしかして浮気相手の子を陥れようとした罪で処刑とかされちゃったりする……?」
悪役令嬢もののセオリーでいったら、私はこのまま処刑とか追放とかされるはずだろう。
卒業パーティーで王太子殿下に宣言されて、無実を訴えるも誰からも信じて貰えず……いや、エヴェリーナの場合はガッツリ有罪なのでなんとも言えないが。
だが、怯える私に対して男子生徒は呆れたようにため息混じりに答えてくれた。
「いや、さすがにそこまでは無いだろう。いくら王族だとしても、公爵令嬢を私情で処刑することは出来ない。そんなことをすれば大問題になるからな。手本たる王族が率先して法を無視するような真似はできないだろう。まあ、これはあんた法を犯していなければ、の話だが」
「うわぁ、ギリギリってところかぁ……」
少なくとも、いきなり追放系エンドとかは無さそうなだけまだマシだろう。
しかし、彼が呆れているのは私だけが理由ではなさそうだった。
「最近も、どこかの貴族が痴情のもつれが理由で学園内で騒ぎを起こしたばかりだからな。しばらくは殿下の方も大人しくせざるを得ないだろう」
「え? そうなの?」
「ああ。先月の学園祭のパーティーで、公衆の面前で婚約破棄を宣言する輩がいたんだ。それ以外にも、婚約者を虐めただの言いがかりをつけて騒動になったり、真実の愛を見つけたとか言い出す輩がいたり、姉妹同士で婚約者を巡って争ったり……」
思わず苦笑いしそうだった。
テンプレートの盛り合わせみたいなことになっている。
こんなことが立て続けば、周りの生徒も学園の雰囲気に疲弊して当然だろう。
「えっと……婚約破棄流行ってるの?」
「そうかもしれんな……」
「嫌な学校……」
学生なんだから劇的な恋愛を求めるより勉強に集中した方がいいだろうに揃いも揃って。
「ほら、噂をすれば」
彼の視線の先には、中庭の中央で何やら話をしている男女が。
「マリア! 貴様のような悪女には愛想が尽きた! 俺はお前の妹のシンシアと婚約する!」
「そんな……!」
「ごめんなさいお姉様……でも、私たち、愛してあってしまったのよ!」
意地の悪そうな顔をした男子生徒が、涙目の女子生徒に婚約破棄を言い放っている。
男子生徒の隣には、婚約破棄された彼女に似た可愛らしい女子生徒がいて、わざとらしく演技かかった表情で騒ぎ立てていた。
数え切れないほど物語の冒頭で見るヤツだ。
「なにこれ?」
「崇高なお貴族様の遊びだな。うるさくなりそうだから場所を変えるか。行くぞ」
「いや……待って」
よく分からないが、泣いている彼女を放ってはおけない。
何せ私は、大学入りたての頃に初めて付き合っていた男に、私の親友を好きになったとかいうとんでもない理由で振られたことがあるのだ。
そして私の親友、いや親友だと思っていたあの子は実は私の彼氏が好きだったらしく、私の知らないところで二人で浮気をしていたらしい。
相談できる相手もおらず、慣れない下宿生活の疲れもあって泣き寝入りすることになり、周りからもあることないこと噂されてSNSに悪口を書かれることもあった。
私の場合は新しいサークルに入ったり環境を変えたりしてなんとか乗り越えたけれど、結婚が現代の日本人よりも重要な意味がある異世界の貴族令嬢が簡単に同じことが出来るだろうか。
エヴェリーナだって、王子との結婚という重圧を背負っていながら、肝心の王子が浮気男なおかげで苦しみから暴走してしまった。
泣いている令嬢を見ていると、まるでかつての自分と重なるようでとても放ってはおけなかった。
「そこのあなた!」
「なんだ……って、ヘルベリス公爵令嬢!?」
「詳しい事情は知らないけど、悪女なんてずいぶん酷いことを言うのね!」
「それはっ、この女が自分の妹を虐めているからで」
私の乱入に呆気にとられていた男子生徒は、気を取り直してへらへらと誤魔化すように笑っている。
「証拠は!」
「証拠!? シンシアの証言が……それに、昔からこいつは意地が悪くて気の利かない性格をしているんだ。調べるまでもないだろう」
「はあ? 決定的な証拠もないのに決めつけて公衆の面前で糾弾するわけ?」
反論できない男子生徒に変わって、シンシアと呼ばれていた令嬢がわざとらしく泣き始める。
「お姉様、私のことが妬ましいからってエヴェリーナ様を呼ぶなんて酷いわ! 私たちだけで話し合いたいってお願いしていたのに……どうしてそんな意地悪ばかりするのぉ」
「いや呼ばれてませんけど。あんたたちが公共の場を選ぶから悪いんじゃない! ずっと前から私たちここにいたんだからね!? あとそこのマリエさんとは初対面だし!」
「マリアだ」
「そう! マリアさん」
うっかり言い間違えて横から訂正される。
令嬢を泣かせていた二人はすっかり私たちの圧に押されている。
「えっと、エヴェリーナ様……?」
困惑したマリアが私を止めようとするが、ここで終わらせるわけにはいかない。
「しかも妹と浮気とかあんたたち何考えてるわけ? 被害者ぶってるのはどういう神経でやってるのかお聞きしてもいいかしら?」
「ひっ……」
エヴェリーナがクール系の美形で良かった。
ひと睨みしてみれば効果はてきめん。二人とも完全にビビっている。
「行くぞシンシア!」
「待ちなさいよ!」
逃がしてなるものかと追いかけようとすれば、マリアが私を止めた。
「エヴェリーナ様、もういいんです」
「でも……」
「ずっと心の中で思っていたことを面と向かって言ってもらえて、私はもうそれだけで十分なんです。両親はいつも私は愛想がないからいけないのだとそればかりで……私の代わりにこんなに怒ってくれる人がいるなんて、本当に嬉しかったです」
マリアは涙を流しながら微笑んでいる。
なんて健気なのだろうか。この子のこれまでの悲しみを思うと、心がきゅっと苦しくなる。
「泣かないで、マリアさん。あんなクソ男より、あなたを幸せにしてくれる人は世界中に溢れているわ」
「エヴェリーナ様も色々と大変ですのに、庇ってくださって本当に嬉しかったんです。このご恩は必ず……」
「いいっていいって! じゃなくて、気になさらないで。困った時は助け合い、でしょ」
エヴェリーナらしくはないかもしれないが、にかっと笑ってみせるとマリアは驚きながらようやく笑ってくれた。
「そろそろ講義が始まるぞ。行った方がいいんじゃないのか」
「あっ、そうですね……ありがとうございました。またお会いしましょう」
マリアは惜しみつつも手を振りながら去っていく。
これから先、あの子が幸せになれるよう祈りながら手を振り返した。
「って、私達も遅刻したらまずいんじゃ……」
「俺もあんたも遅刻常習犯だ。俺は実技で点数を稼いでいるし、あんたは多額の寄付金で点数を稼いでるから問題ないだろう」
「私の方だけ大問題な件」
このままではマズい。処刑じゃなくて留年エンドが待ち構えている。
「行くわよ! えーと、そういえば名前……」
「俺は……レイだ」
「レイね。なんだかあなたの方がよっぽど転生者っぽい名前だよ」
村井エヴェリーナより村井レイのほうが学校に一人ぐらいいそうな字面だ。
「そうなのか? じゃああんたの名前は?」
「リサよ、村井里紗。リサが名前ね」
「じゃあ、リサ。一応人前ではエヴェリーナと呼ばせてもらうが、無事に戻れるよう手は尽くすと約束しよう」
「ありがと!」
男子生徒もといレイと共に講義室へと向かう。
既に多くの生徒が着席していたが、何とか間に合ったみたいだ。
講義室は大学でもよく見るような大型の講堂タイプのもので、なんだか既視感のある光景にファンタジー前回な人たちが並んでいるものだからチグハグで面白い。
席は自由のようで、隅の方にこっそりレイと並んで座ることにした。
「あの人が先生なの? す、すごいイメケン……!」
少ししてから入室してきた白衣の男性は、凄まじい美形の教師だった。
さらさらの紺色の髪もセンター分けの前髪もアイドルみたいでかっこいい。
「イケメン?」
「カッコイイってこと! すごくタイプの顔してる、推せるわ……!」
「馬鹿馬鹿しいな」
小声で興奮する私をレイは鼻で笑う。
「なんでよ。そういうレイこそ全然顔見せてくれないじゃない。そんなに長い前髪じゃ、板書もできないんじゃない?」
「見えてるからいい」
「ちょっと顔見せてよ。ね、だめ? もしかしたら私の最推しはレイになるかもだし」
「ちゃんと授業を聞け」
「お願い、見せて!」
「……ちょっとだけだぞ」
私のウザ絡みに根負けしたレイが前髪を手でかき上げて顔を見せてくれる。
「わあっ……すっごいイケメン……」
顔立ちは整っていて涼し気な目元と赤い瞳が印象的だった。凛とした雰囲気があって、まさしく美青年といった様だった。
先生も素敵だけれど、レイも美しい。
いっその事二人でユニットを組んで欲しいぐらい。
「ミス・エヴェリーナ。先日の課題がまだ未提出だが」
「え?」
くだらないことを考えていれば、いきなり名指しされてしまった。
途端に周囲の生徒たちからの冷たい視線が突き刺さる。
「先週出されていたあんただけの特別課題だ……。鞄の中に無いのか」
レイに小声で言われ、大慌てで鞄の中を探る。
が、全くそれらしきものは見当たらない。
というより、異世界文字なのにどれもスっと頭に入ってくるのが意味がわからない。
なんで読めるんだ。 学んだ経験どころか初めてみる初見の言語が読めるなんて違和感が凄まじい。
形はアルファベットに似ているけれど全く違うし単語や文法すら分からないのに。
「おい、何してるんだ」
パニクりつつも懸命に探したが、教科書類とノートとペンケース、ポーチ、あとはよく分からない文庫本だけが入っていた。
つまり、無い。
「無いわ……終わった」
「ミス・エヴェリーナ?」
固まってしまった私を先生が追求してくる。
まずい。こうなれば下手に誤魔化すより、正直に謝るしかない。
「ごめんなさい、忘れてしまいました。明日中には必ず提出します」
背筋を伸ばして謝り、誠心誠意心を込めて綺麗な直角に頭を下げる。
すると、くすくす笑って私を小馬鹿にしていた生徒たちが一斉に黙った。
「えっ……」
「どういうこと……?」
まさかあのエヴェリーナが謝るとは思いもよらなかったのだろう。
「次は忘れないように。自己管理を怠らないことだな」
ただ、先生は私を一瞥するとそれだけ言って授業を開始した。
よかった、許して貰えたみたいだ。
「明日までに用意できるのか」
「何とかするしかないよ。このままだとエヴェリーナの単位が無くなっちゃうもん」
「はぁ……後で俺も手伝う。字は読めるのか?」
「読めるっぽい。変だよね、初めて見る文字なのに」
「便利だな。読めるのなら問題ない」
レイと小声でこそこそ話し合っていたが、大きい講堂というものはちょっとでも私語をすると声が響いてしまう。
「クライオラストを炎魔法で燃やす際、緑色に変色する理由は何か……ではミス・エヴェリーナ。今日はやる気に溢れているようだからな。回答してもらおうか」
先生にも気づかれてしまい、注意ではなく質問に当てられてしまう。
まずい。頭が真っ白になりそうだが、必死にどうにか回答を絞り出そうとする。
「クライオラストは魔石のことだ。元は赤色だが成分により炎が……」
まずそのなんちゃらラストの意味が分からない。
横からレイが教えてくれるが、石だと言うことぐらいしか分からなかった。
石というか化学物質を燃やしたらどうなるかの話をしていると思えば良いのだろうが……。
と、その時だ。
「これ、知ってるかも」
咄嗟に思い出したのは、理科の授業だった。
「それって、その石に銅が含まれているからですよね……? えっと、炎色反応!」
「その通りだ」
何とか正解したらしい。初歩的な問題、というか一般知識で良かった。
まだ授業は導入部分だったようで、そこから先生が深い専門的な話を展開している。
「クライオラストは見た目から気づかれにくいが、成分としては銅が含まれている。あまり知られていない為、これらが発火した際に毒素が発生したと誤認される事案が多数あるが、この場合はエヴェリーナ嬢の回答通りの現象が起きている。これと類似して魔石を扱う際――――――」
そこから先はさっぱり意味不明な単語の連続で、何の話をしているのか全くついていけそうもなかった。
「よく分かったな」
「魔石とかはよく分からないけど、炎色反応自体はうちの世界だと一般知識だよ。花火好きだし、受験の時とかすっごい覚えたからさ」
もしかして先生は簡単な問題だからあえて当ててくれたのだろうか。
「分からないところがあればメモしておけ。後で教える。今は黙って聞くぞ」
魔石科学という講義名らしいが、さては理科の知識だけでいけるかもと思っていたけれど無念かな。
やはり何を言っているのか理解不能でついていけなかった。
元の体に戻るまでは耐えるしかないだろう。
「ああ……全然分からなかった」
結局何が何だかさっぱりのまま授業は終わってしまった。
教室を出ていく先生のスラッとした長い手足と後ろ姿を見つめながら、苦痛の九十分を思い返す。
「課題は俺がなんとかしてやる。とりあえず、今は体を元に戻すことだけ……」
レイがそう言いかけてから、私の手を掴んだ。
「逃げるぞ」
「え?」
「王太子だ」
見ると、前の方からズンズンとすさまじい気迫で歩いてくる金髪の男子生徒がいた。
まさか同じ教室にいたとは思いもよらなかった。
最大の強敵を前に私はのうのうと目立つような真似をしてしまったということだ。
レイに引っ張られて講義室を出ていくと、校舎裏にたどり着いた。
このなら誰も来ないだろう。やっと一息つける。
「なんだか朝からずっと忙しかったわ……」
「マリア嬢の件は本当に驚いたんだからな。さっきの授業は悪くなかったが」
私の反応に皆が呆気にとられていたのがちょっと面白かった反面、日頃のエヴェリーナの態度が一体どれほど酷かったのか怖くなりそうだった。
そういえば、思い返せばシンシアとマリアという組み合わせにはなんだか聞き覚えがあった。
そうだ、確かそんな名前の妹に婚約者を奪われた令嬢が後に出会った貴族の青年に愛され幸せになるという恋愛小説があった気が……。
「なるほど!」
「何がだ」
もしかして、あの小説の世界の脇役に転生したのかもしれない!
急いで伝えて、覚えている限りの内容と照らし合わせなければと思ったが、なんと驚くことに校舎裏にも人がいた。
男女の話し声が聞こえてきて、私たちは咄嗟に身を隠す。
「場所選びのセンスないよ」
「うるさい。黙って隠れろ」
建物の影に二人して潜んでいると、やってきたのは男子生徒が二人と女子生徒が一人。
「ベンジャミン様。あなたが婚約破棄してくださったおかげで、私も新しい恋を見つけることが出来ましたわ」
「なっ、貴様はエルダー商会の跡取り息子ではないか……! 貴様らのせいで我が家の商売が大変なことになっているんだぞ!」
「俺たちのせい? 愚問だな。俺の愛するイリスを婚約者だからと言って無償で労働させ、素知らぬ顔で遊び呆けていた貴様のような男が後継であれば、傾くのも当然のことだろう」
今度は婚約破棄した男の方が、悔しそうな顔で膝を付いている。
彼らの話によれば、この人は元婚約者をぞんざいに扱っていたようだ。
この内容では人のいない場所でしか話せないだろう。
「ああ……あの令嬢はわがままで金遣いが荒いと元婚約者に噂されていたな。無理に派手な格好をさせられていたようで、別れてからずいぶん容姿が変わったんだ」
「プレゼントをあげるふりして、悪い噂を流してやろうと考えたってこと? なんのためにそんな酷いことを……」
「彼女の能力を独占するためだろうな。周囲から孤立させる気だったんだ」
レイの話も合わせると、どうやら彼女は悪意ある噂によって孤立させられ苦しんでいたが、大切にしてくれる新しい人と出会えたということか。
今は元婚約者との別れ話のようなものをしているようだ。
「ベンジャミン様、彼はあなたと違って私の能力を認め、私を個人として尊重してくれています。私をないがしろにし続けたあなたの手助けなんて、もう二度といたしません!」
……そういえばこんな展開のマンガを読んでいた気がする。
モラハラ婚約者と別れ、ヒロインは新しい居場所を見つけて幸せになるという結末だった。
元婚約者のせいで内気でいつも萎縮してしまっていたヒロインが、朗らかな笑顔で自由を謳歌する姿を見て勇気をもらった覚えがある。
「あれ? なんか混ざってない?」
さっきから物語の主役っぽいカップルが多すぎる。
二つの物語が混ざった世界とも考えられるが、先程の学園内の騒動の数々を聞く限り、混ざっているのは二つだけではない予感がする。
「割り込むなよ」
「割り込みませんて! さすがにもうやらないから!」
三人が去ったのを確認してからようやくレイと離れる。
「うーん、この世界がどこなのかも知りたかったけどなんだかまずい感じになってきたかも……」
「そうなのか!?」
「この学園、悪役令嬢多すぎ……」
てっきり私一人だけだと思っていたのに、このままじゃキリがない。
「だからその悪役令嬢とはなんなんだ」
「私っていうかエヴェリーナ様みたいなキャラ……登場人物ってこと。この先起きる出来事について、もしかしたら把握出来るかもと思ったけど、今後の展開が複数あって予想がつかない、みたいな……」
「なんだそんなことか。この先起きる出来事なんか俺だって分からないんだから安心しろ」
「あ、確かにこの世界の人にとってはそうか……」
となると、悪役令嬢がいっぱいいるようなファンタジー世界に来たっていう結論で一旦は良しとしよう。
「あんたたちには未来視の能力があったりするのか?」
声色がいつもと違って明るい。
未来を見るということについて、レイはずいぶんと興味津々なようだった。
「ううん。そういうわけじゃないよ。そもそも、私たちの世界に魔法はないからね。こっちの世界にはそういう能力を持ってる人がいるの?」
「残念ながら、この世界にもそんな能力者はいない。あんたも可哀想にな。こんなつまらない世界なんかに呼び出されて、早く帰りたいだろうに……」
「そう? 確かに帰りたいけれど、魔法とかファンタジー世界ってずっと憧れてたからそんなに悪くはないよ。とっても楽しそうだし、私も魔法とかかっこよく使ってみたいって子どもの頃はずっと思ってたもん」
ファンタジー恋愛モノを愛読するぐらいなんだから転生したのが悪女じゃなければ大喜びだったかもしれない。
肝心の魔法を使う機会もこれからだ。
内心ずっとワクワクしていた。
「レイは、この世界のことがあんまり好きじゃないの?」
「まあな……。俺は出自も複雑だし、昔は自由なんてなかったからな。今だって、気楽に生きてられるのはこの学園にいる間だけだ」
レイにも色々と事情があるようだ。
目元は見えないけれど、その声は明確に憂いを帯びていた。
「そんな。どうにもならないの?」
「ああ。別に、もうずっと前に俺は俺の運命を受け入れている。もし悲しく思ってくれるんだったら、俺の分まで自由に生きてくれ」
まるで、私には見えない重いものを背負わされているみたいだった。
運命を受け入れているなんて、そんなの嘘だ。
本当に受け入れているのだったら、そんな悲しい声はしない。
「実を言うと、あんたが王太子殿下に振り回される姿を見ていて悔しかったんだ。結局、俺はあんたの心を救ってやることが出来なかった」
驚いた。
レイはエヴェリーナ本人のことを大切に思ってくれていたらしい。
彼は何も悪くないだろうに、エヴェリーナのことを語るレイは、心の底から悔いているようだった。
だが、それなら尚更今ここで私が聞くべきではない。
「ストップ。それは私じゃなくてエヴェリーナに言ってあげて。絶対元に戻ってみせるから、その時エヴェリーナにちゃんと言ってあげるの。あなたを大切にしている人はすぐ近くにいるんだよ、って」
私の言葉にレイは驚いたように息を飲む。
きっとレイは昔のエヴェリーナが好きだったのかもしれない。
分厚い前髪の向こうは何を思っているかは分からないが、彼が思いを伝えるべき相手は少なくとも私ではないだろう。
「よし、エヴェリーナの分まで私が王太子殿下とやらにひと泡吹かせてやるわよ!」
「頼もしいことだな」
気合いを入れ直してがんばろうと決意をする。
そろそろ次の講義が始まるということで再び教室へ向かおうとするが、その道中またしても悪役令嬢に遭遇してしまった。
出鼻をくじかれるにしてもペースが早すぎるだろう。
「お黙りなさい! わたくしはそのようなこと、断じてしておりません!」
「でも、身分が低いからと言って馬鹿にしていたじゃありませんかぁ」
今度は一人の令嬢が複数人の女子生徒に囲まれている。
「わたくしはただ、教養のなさを理由に弁えない行動ばかりしてはならないと注意をしただけでそんなつもりは……、」
キツい口調で怒鳴っていた令嬢だったが、囲まれて笑われてしまい、次第に視線が下を向いてしまっている。
「それって貴族の方々と違って平民は馬鹿だからってことですよね? 第一、そんなに身分ばかり気にするのであれば学院じゃなくて家庭教師に習えばいいじゃないですか?」
「私たちと違って将来は侯爵様と結婚して幸せになるんですから、勉強なんてしなくていいですよねぇ」
「あの方は関係ないわ!」
侯爵という単語が出た途端、令嬢は顔を上げて怒鳴り返す。
しかし、生徒たちはますます馬鹿にしたように笑うだけで、見ていて気分が悪かった。
「なによこのテンプレートまみれの学校は!」
「違う。テンプライト学院だ」
「結局テンプレじゃん!」
ふざけた校名は置いておくとして。
何があったか知らないが、どうやら相手の過失を注意したのが理由で責められているらしい。
だからといって複数人で囲んで笑うような意地の悪いことをする必要があるだろうか。
「ちょっとそこのあなた方!」
「あっ、また勝手に……!」
レイが止めようとしたが、私の方が早かった。
「何があったのかは知りませんけれど、制服の着崩しは校則違反でしてよ!」
私が狙いを定めたのは、率先して令嬢を責めていた生徒だ。
彼女は制服のネクタイを外し、代わりに私物であろう飾り付きのリボンを結んでいる。
「べ、別にこのくらいいいじゃないですか! それに、あなたに注意される理由なんて……」
「よくありませんわ!ネクタイは学年の色によって決められているものです。どうしてもネクタイを付けられない理由でもあると?」
確かに可愛くてオシャレだし、制服だって着こなしのアレンジはしたいという気持ちは分かる。
けれど、そうやってルールを守らないでいるから非常識な行動を注意されてしまうのではないだろうか。
「身だしなみすら守れないようでは、学生として話になりませんわ。身分や出自を問わず、身だしなみは常識です。オシャレがしたいなら学外で自由にしたら良いではありませんか」
「そ、その通りですけど……」
「校則なんて簡単なルールも守れないくせに、他人を責める権利があなた方にありまして?」
私が言い放てば、分が悪いと感じたのか女子生徒たちは去っていった。
「あ、ありがとうございます……うぅ」
ちょっと強引かもしれなかったけれど、なんとしてでも彼女たちを追い払いたかった。
なぜなら、責められていた令嬢が堪えきれずに泣いていたからだ。
彼女はハンカチを取り出して一生懸命涙をぬぐっている。
「よっ、風紀委員長」
「違うから! 注意される理由がミエミエなのに逆ギレしてるのが腹立っただけだから!」
何か理由があったにしても、話し合うわけでもなく一方的に責め立てるのは間違っている。
ここで私刑を行ったところで、彼女たちにとっては何一つとして解決にはならないだろう。
「えっと、一体何があったのか聞いてもいいかな……?」
さっきまで気の強そうな表情をしていたのに、すっかり泣きじゃくってしまっている。
「それが、わたくしがクラスメイトの方を虐めていると知らない間に噂が広まっていまして……ぐすっ」
「あんたも悪役令嬢なんかい!」
思わずツッコミを入れてしまったが、咳払いで誤魔化して話の続きを促す。
「少し前からあの方々に私物を勝手に拝借されたり、失礼な態度を取られるようになって、我慢ならず注意したところこの有様で、高慢だとか意地悪だとか言われてしまい……どうしてこんなことに」
先程の怒鳴り声が同じ口から出ていたとは思えないくらい、か細くて震えていた。
人前では貴族として肩の力を張っているということなのだろう。
今の彼女はとても高慢には思えなかった。
「あなたは何も悪くないわ。大丈夫、今は好きなだけ泣いていいからね」
優しく諭すと、令嬢はさらに涙を大量の流す。
「じ、実は婚約者が年上の方でして、とても紳士的で優しい方なのですけれど、クラスメイトの皆様からは中年と無理やり結婚させるとか、親に売られたも同然だって見下されているんです……!」
「なんですって!?」
「そんなに歳が離れているわけじゃありませんし、とっても素敵な人なんです。それなのに、あんなことを言うなんて私は我慢できなくて……!」
そんなことを言うなんて、怒られて当然だろう。
彼女が望んでいる結婚ならば、他人があれこれ口出しする権利は無い。
それも、愛し合っているというのに相手を誹謗中傷するような真似をするなんて酷すぎる。
「どうして、こんな私を庇ってくださったのですか?」
「私も昔、人間関係にすごく悩んでいたからよ。だから、あなたのことが放っておけなくて」
私の時は誰にも頼れず、一人で抱え続けた期間が長かった。
誰かに悩みを聞いて欲しいと何度思ったことだろうか。
「時間が解決してくれる、なんて無責任なことは言わないわ。あなたは何も悪くないんだから、一人で抱え込まなくていいのよ。婚約者様も、きっとあなたの悩みを聞きたいと思っているんじゃないかしら」
うるんだ瞳で私を見つめる彼女に、にっこり笑ってみせる。
「大丈夫。私しか見ていないから、たくさん泣いていいのよ。後のことはそれから考えましょ! 一緒に付き合うわ!」
私がそういえば、レイがクルリと後ろを向いて見ないようにしてくれる。
ご令嬢は私に抱きつきながらわんわん泣いていた。
ようやく彼女の涙が落ち着いた頃は講義時間は終わっていた。
けれど、出席するよりはるかに有意義だったような気はする。
「然るべきところに相談するのが一番だろうな。適任の教師を知っているから、そっちは俺に任せろ」
「さすがレイ、頼りになる!」
人前では強気に振る舞う悪役令嬢だって、泣きたい時はあるものだ。
その後はなんとか黙って静かに授業に出席し続けたが、レイと一緒に行動しているのが珍しいのか、何もしていなくてもヒソヒソ言われることばかりでちょっと切なかった。
元に戻る方法を調べたいけれど、数時間で解決できるとは思えない。
それに、明日までに解決しなければならない課題だってある。
一度課題を取りに戻ってからまた図書室で合流しようと話し合っていれば。
「あら、エヴェリーナ様ではありませんか」
ふわふわのブロンドが可愛らしい女子生徒がニコニコの笑顔で話しかけてきた。
みんなから遠巻きにされている私にわざわざ話しかけてくるなんて一体何者だ。
「こんにちは」
もしかしてやっとお友達の登場か! と大喜びしかけたのもつかの間、レイが急いで私に囁く。
「馬鹿、王太子の浮気相手だ」
「うそぉ……」
「嘘じゃない」
お友達どころか最大の強敵だったようだ。
こんなに優しそうで素敵な笑顔なのに、残念すぎる。
「今日はレイモンド様とずいぶん親しくされているようですわね」
「偶然だ。俺が誰といようがあなたには関係ないだろう」
「ふふ、お二人にはあまり接点がないようでしたから、皆さん驚いていらっしゃるだけですわ」
レイが冷たく返しても、彼女はものともせずに微笑みを保っている。
というか、レイはレイモンドというのが本名だったらしい。こんなところで知るとは。
正直王太子を取り合う気はないのでさっさと話を終わらせたいのだが、そう簡単にはいかなさそうだった。
「こちらのお手紙、先日図書室で落とされていましたよね。殿下へのお手紙のようでしたからそのままお渡ししようと思ったのですけれど、殿下はどうしても読みたくないと仰られて……」
わざとらしく困りましたわぁ、なんていいながら、彼女の鞄から一通の封筒を取り出す。
エヴェリーナが本当に落としたかはともかく、人のラブレターを勝手に渡そうとして、あなたの手紙は受け取ってもらえなかったよ、と見せつけながら返却してくれているわけだ。
「見せな」
「なっ……」
面倒なことになりそうだったから、さっさと彼女の手から奪い取る。
まさか奪われるとは思っていなかったのか驚いていたが構うものか。
「もしかして、次のダンスパーティーでのパートナーはレイモンド様なのですか? まあっ、ごめんなさい。殿下が私の誕生日が近いから、どうしても私のパートナーをつとめたいと仰られてお断りできず……」
ごちゃごちゃ楽しそうに語っているが、そんなことより手紙の内容の方が大問題だった。
「違うこれ、私宛の手紙だ……」
王太子殿下への恋文ではない。
私……つまり、村井里紗宛の手紙だ。
『私と入れ替わってくださった方へ』
そんな一文で始まっている。
内容は私への謝罪と入れ替わりに使った魔法の詳細について。
どうやら入れ替わるためには双方の意思が必要らしく、私の場合代わり映えのない毎日に飽きていたことがそれに当たるのだろう。
元に戻るためにも同様だが……もし日本にいるエヴェリーナが戻りたいと思わなければ、私はこのままこの世界に居続けることになる。
「エヴェリーナは、戻ることを望んでいない……当然だよね」
学校じゃ誰も彼もがこっちを見て陰口を言って、将来を共にするはずの婚約者からはあんな怖い顔をされて、おまけに恋敵は敵意全開で意地悪してくるし。
どれだけ苦しくても、公爵令嬢という立場に縛られているため、王太子の婚約者という椅子からは簡単に降りられないだろう。
「エヴェリーナ様?」
反応のない私を見て、悔しさのあまり言い返せないと思ったのだろう。
ニヤニヤ笑っているが、全く話が聞こえてこなかった。
「レイ……行こう……」
レイの服の裾を引っ張って、この場を立ち去る。
後ろから何か言われていたがどうでもよかった。
「大丈夫か、リサ」
「だめ、全然だめ」
私が困っているのは、帰れないことじゃない。
そもそも、日常の変化を望んでいたのは他でもない私自身。
問題は、このままではエヴェリーナは二度とこの世界には戻って来ないことだ。
それでは、レイがエヴェリーナに思いを伝えることが出来なくなってしまう。
エヴェリーナのことを語るレイの苦しそうな表情を思い返すと、あのままにしておくことなんて絶対にできない。
それなのに、顔を合わせることすら叶わないままになってしまうなんてレイに申し訳なかった。
「なるほど……つまり一緒このままの可能性が高い、と」
話を聞いたレイは考え込んでから、やっと顔を上げた。
「異界とこちらの世界を繋げるという魔導具があったはずだ。だが、それは王家の秘宝として封じられている……」
「それじゃ、難しいかぁ……」
「いや。今の俺たちには難しい、というだけだ。俺も、変わる時が来たのかもしれない……」
なんだか意味深なことを言う。
レイの出自には深い事情があるようだがが、彼の抱えている秘密は一体何だろうか。
「レイ?」
聞きたいけれど、そこまで深入りすることが出来ない。
分厚い前髪の向こうで、レイはどんなことを思っているのだろう。
「……そういえば、レイってレイモンドっていう名前なんだね」
先程レイモンド様と呼ばれていた。
レイのフルネームを私は知らない。
聞くタイミングが特になかったが、聞いたところで貴族の家名なんてまるで知識はないから分からないだろう。
もしかして、なんだからすごい家の子だったらどうしよう。
「昔のようにエヴェリーナに呼んで欲しかったんだ。馬鹿だな、俺は。全然違ったよ、同じ顔でもリサはエヴェリーナじゃない」
レイは苦笑したようにそう言うが、なんだか胸の中がチクリとするようなそんな痛みを感じた。
レイに申し訳ないからだけじゃない。
レイの特別な感情が、私に向けられているようでいて私のことは見ていないのに、少し嫉妬したからだ。
「……ごめんね、あなたの好きなエヴェリーナを取り戻せなくて」
馬鹿みたいだ。親切にてもらっているからと言ったって、私のことを恋愛的に好きなわけじゃないのに。
彼が私を助けてくれるのは、ひとえにエヴェリーナへの思いがあるからこそだ。
過去の苦い恋愛の失敗から立ち直った気でいたが、実はまだ心のどこかではずっと引き摺っていたのを思い知らされるような気分になった。
だが、レイに頭を下げたところで不思議そうに首を傾げられてしまった。
「好きって、何言ってるんだ」
「恋してたんじゃないの?」
「違う。趣味の合う仲の良い友達だったんだ」
てっきり恋愛感情を抱いているものだとばかり思っていたのに、レイは困惑している。
恋心ではなくて友情だったなんて、そんなばかな。
「趣味って……」
「野鳥観察」
「うそぉ」
「嘘じゃない」
子どもの頃は二人とも野鳥観察が趣味だったと?
たしかに一緒に自然を楽しんでいたはずの友達が、大きくなって恋愛でおかしくなった挙句に違法薬物を作れと迫ってきたらショックだろう。
ていうかレイはその前髪で観察できるのか。
「恋という感情なら、エヴェリーナよりも……」
「レイ? 今なんて?」
「なんでもない。あんたは俺が守る。必ず解決してみせるからな」
また私がほかごとを考えている間に、レイからなかなか格好いいことを言われた。
「私もまだまだ諦めてないからね! 一緒に頑張ろう!」
拳を突き出せば、レイも笑いながら合わせてくれた。
「よしっ、しばらくはこっちの世界に居座らなきゃみたいだし、まずは明日の課題を終わらせるわよ!」
「一旦俺のノートを貸してやるから埋められる分は埋めてこい。明日早めに図書室に集合して完成させるぞ」
「おっけー! 任せて!」
「まあ、あの先生のことだから基礎的な問題を出してくれてはいるだろうが……心配だな」
無事に帰宅後、課題を発見しすぐさまとりかかる。
メイドでも執事でも誰でもいいから分からないことはなんでも聞いて回って、自力でできるところまでは進めた。
エヴェリーナのお父様が私にお小言を言おうとしていたらしいが、突然勉強熱心になった私を見て驚くあまり説教できなくなったらしい。
いつも塞ぎ込んでいたのにこんなに元気になられて……! と感激していたメイドさんから教えてもらった。
本物のエヴェリーナじゃないのにお邪魔しちゃって、美味しいご飯まで貰ってなんだか申し訳ないが、異世界のご飯はとっても美味しかった。
家族仲が悪いのか、公爵家の人々は全員バラバラで食事を摂るのだそうで、一人きりでの晩餐だった。
でもここで顔を合わせても誰が誰なのか分からないから、何をやらかすか分からないため、一人の方が気楽で助かった。
今頃エヴェリーナは、私が冷蔵庫に取っておいたプリンを食べていたりするのだろうか。
ちゃんと食べて欲しいな。あっちじゃ身の回りのお世話をしてくれる人なんかいないからね。
ステーキを頬張りながら、白米が欲しいと想像しつつ一人きりの晩餐を楽しませてもらった。
そして翌日、地名すらあやふやなのに魔石や化学用語ばかりに詳しくなった私は意気揚々と図書室に向かい、レイと完璧にやり遂げた後、先生の研究室に提出へ向かいそのまま新しい追加の課題を貰って帰ってきた。
「おかしい……課題をやったのに課題が増えた……」
昨日の頑張りはなんだったというのだ。
自信たっぷりに提出したら『ふむ』と一瞥されただけで、問題集がそのまま流れるように手渡され来週までに終わらせるようにと告げられたのだ。
あの時の私の気持ちはもはや言い表すことなどできない。
このままでは、クラスメイトの名前や一般用語も分からないくせに、魔石にだけやたら詳しい変人になってしまう!
「エヴェリーナがやる気になったのが嬉しいんだろうな。無関心なように見えて、教育には熱心で生徒一人一人を大切にしている人なんだ」
そう言われてみれば、金で無理やり進級しようとする問題児に根気よく付き合ってくれているとも言える。
あの先生以外の教師は、みんな私のことは諦めてしまったように見向きもされなかった。
「へぇ……なんだかレイみたいだね。私に熱心に教えてくれるし、私のことよく見てくれてる」
「変なことを言うな」
恥ずかしいのかそっぽを向いてしまった。可愛いヤツめ。
そうしてしばらくエヴェリーナとしての日常を謳歌していれば、次第に周囲の私を見る目が変わってきたことにも気づいた。
人目をはばからず怒鳴り散らすどころか、大人しく過ごすか元気に笑っているかで、あんなに執心していたはずの王太子に見向きもしなくなった。
最初は変なものを見るような目をしていたクラスメイトたちも、次第に頭を冷やしたんだなと納得してくれるようになった。
その上、友達なんていなかったのに、やたら悪役令嬢が溢れている学園なおかげでお節介を焼きまくっているうちに仲良くしてくれる令嬢たちも増えた。
ここに来て最初に手助けしたマリアちゃんを筆頭に、私を慕ってくれたり仲良くしてくれる令嬢がどんどん増え、いつの間にかエヴェリーナ軍団みたいなのができていた。
おかげで悪口を言われてもすぐに訂正してくれたり、これまでの悪評を覆すように皆が働きかけてくれているらしい。
実際エヴェリーナは悪行を重ねていたようだけれど、噂の中には誇張されていて全く荒唐無稽なものになっていたりもする。
今後のためにも、エヴェリーナは心を入れ替えたのだと強く主張するのは悪くなかった。
でもやっぱり、たくさんの人と仲良くなっても私の一番の仲良しはレイだ。
色んなことを覚えてこの世界にも慣れてきて、そろそろレイと学院の外に遊びに行くのもいいかもしれない。
……なんて、楽観的になっていたのが良くなかったのだろうか。
私とレイが仲良くすることに、腹を立てている人物がいた。
あんなにエヴェリーナを嫌っていたはずの、王太子だ。
「エヴェリーナ! 貴様、またクラリスに嫌がらせをしたのか!」
講義が終わってからも教室に残り黙々と勉強していれば、また王太子がやってきた。
クラリスは王太子の浮気相手の名前だ。
最初誰の話をされているのか分からず困惑したが、レイに教えて貰ってある程度の登場人物関係は頭に入れてある。
クラリスは、これまでは適当におちょくるだけでエヴェリーナが暴れるものだから上手く火に油を注いでいたのだろうけれど、私相手ではそうもいかない。
そもそも王太子に微塵も興味が無いからだ。
愛してすらいないのだから、勝手に浮気でも何でもすればいいだろう。
王太子は私が何をしても怒るばかりで何がしたいのかよく分からない。
よほどエヴェリーナが嫌いらしいが、それならそれで避ければいいのに自分から突っ込んでくるのはなんなんだ。
「嫌がらせとは、一体なんのことですの?」
最初は違和感だらけだったが、近頃はすっかりお嬢様口調にも慣れてきた。
嫌がらせ……そういえば、昨日わざわざ話しかけてきたと思ったら、殿下からのプレゼントがどうのこうのとごちゃごちゃ言ってきたので挑発に乗ったフリをして課題を手伝わせた。
クラリス嬢はなんで私が魔法式を書かないといけないの! とブチ切れていたが、人を呪わば穴二つという言葉のように、陥れたいのなら陥れられる覚悟を持ってやるべきだ。
これに懲りたらどうでもいいことでいちいち邪魔してこないで欲しい。
「しらを切るつもりか! 近頃のお前はどうかしているぞ! よりによってあの男と近づくなど、俺への挑発のつもりなんだろう!? いい加減にしろ!」
「さあ、どうでしょう?」
私は手元から顔を上げずに話を聞き流そうとする。
「申し訳ありませんが、私、どこかに課題を落としてしまいまして今日中に仕上げなければならないのです。殿下の話はまた後で……」
「ふざけるな!」
「ひゃっ!」
バンっと机を叩かれて思わず飛び上がる。
もう少し横にずれていたら私の手が叩かれていた。
やかましいが暴力的ではなかったはずなのに、今日の王太子はことさら機嫌が悪いのだろうか。
「レイモンドがどれだけ危険な人物なのか、忘れたとは言わせないぞ」
後ずさりする私を追い詰めるかのように、王太子は恐ろしい形相で迫ってくる。
レイが危険な人物……?
そんなはずはないだろう。
ちょっと髪型が変なだけで、親切で面白くて頼りになる大切な友達だ。
「レイがなんだと……」
「あいつが前国王の隠し子だと知られれば、俺の立場は全て奪われるんだぞ……!」
「え……」
衝撃的な真実に、私は言葉を失った。
どうやら王太子の口ぶりからしてエヴェリーナはこの事実を知っていたらしい。
王家の話はレイから教えてもらった。
前国王が若くして急逝した為後継者がおらず、急遽王弟であった現国王が即位したという話だ。
しかし、即位当時は現国王の政治に対しての不満が高かったため、王家は非常に危うい立場にあったという。
そのため、王族と高位貴族の婚姻などで力を強化しようということらしいが、もし前国王に子どもがいたとなれば話は変わってくる。
その者を擁立し、現王家を打倒すべきだと考える勢力は必ず出てくるだろう。
レイがあまり王家の話が好きそうではなかった理由がよく分かった。
『出自が複雑』……レイは今の王家にとって、生まれてはならない存在だった。レイの存在が明らかになってしまえば、レイも王家も無事では済まない。
それなのに、王太子の婚約者であるはずのエヴェリーナがレイと親しくし始めたのだ。
王太子が焦るのも当然だろう。
「俺たちの結婚は覆せないのだから、せめて学生のうちは自由な恋愛をと言ったのは俺だ。俺以外の男を知るべきだとお前に言ったのも俺だ。だが、あの男を選ぶとはそこまで浅はかだとは思わなかったぞ」
「待って、殿下……話を聞いて……」
襟元が掴まれて首が絞まる。息が苦しい。
「そうまでして俺の関心を引きたいのか。あまりにも愚かだな」
「……くっ、離して!」
無理やり暴れればやっと王太子の手が離れる。しかし、後ろは壁でもう逃げ場はない。
「これ以上は王家への反逆罪とみなす。明日から休学しろ。しばらく西の離宮でお前を軟禁する」
「そんな……!」
「お前自身が招いた結果だ。舌を切り落とされないだけ幸福だと思え」
王太子は私を冷たい視線で見下ろす。
王家の権力に逆らえるわけがない。このままでは、私はレイと引き離されて自由を奪われてしまう。
そんなこと、絶対にさせてたまるものか。
「なんでそんなことされなくちゃいけないのよ! あんただって、私と結婚したくないんでしょ!? だったら、私たちで協力して親を説得すれば……」
「馬鹿なことを。俺たちの将来は生まれた時から決められていた。俺も、お前も、この先自由になんてなれないんだよ」
王太子は先程まで怒り狂っていたというのに、その表情は感情が抜け落ちたかのようになってしまった。
その目には光がない。まるで、世界の全てに絶望しているかのようだ。
きっと、王太子という地位の重圧や、将来に選択の余地がないことが彼の心を歪めてしまったのだろう。
けれど、だからといって私まで自由がないだなんて言わせてたまるものか。
「――――あんたはそうかもしれないけどね、私は違う!」
私は……エヴェリーナは自分自身の手で新しい選択肢を切り開いた。
まさか異世界に飛ぶとは思わなかっただろうが、違う場所へ旅立ち、自由を手に入れることを叶えたのだ。
「私は、この世界で私として生きていく! 誰にも奪わせはしない!」
自分の人生なのだから、未来に絶望して俯いてばかりでは変わらない。まずは、自分の心で望まなければ。
「あんただって、せっかく王族なんて高い地位に生まれたんだから、その分存分に人生楽しんでやんなきゃ損でしょ! 女遊びなんかに走ったりしないで、将来を悲しむ前に自分の手で変えてやればいいじゃない!」
「ふざけたことを」
「私は本気で言ってる! あんた将来王様になるんでしょ!? だったら、その権力を使って結婚相手を変えればいい!」
「だから、そんなことは不可能だと」
「やってみなくちゃ分からないでしょ。それとも、あんたには未来が見えるとでも?」
私がそう言えば、王太子は言葉に詰まったように黙る。
この世界には未来視の能力を持った人はいないとレイも言っていた。
それなのに、王太子はこれから何十年と先の全てが闇の中にあるかのようにとらえている。
そんなの、あまりにもったいない。
「誰にも文句を言わせないぐらい立派な王様になって、あんたを苦しめる全部を壊してやればいい。この世界にはなんてったって魔法があるんだから、きっと大丈夫よ」
だって、この世界は――――。
「夢とロマンに満ち溢れた、剣と魔法の世界――――ここはそういう異世界でしょ?」
王太子に見せつけるように、全力で笑ってやる。
私の必死の訴えが届いたかどうかは分からないが、彼は力なく笑うだけであった。
「お前の話はよく分からないな……。何を言ってるんだか。俺に説教でもするつもりか?」
「そうよ。私はこれから公爵夫妻に婚約解消を申し出るわ。たとえ断られたって、粘り強く交渉し続けてやるんだから。だって私は、未来を諦めてないもの」
私と王太子はお互い睨み合う。
その時だ。
「――――リサ!」
私の本名を叫びながら勢いよく教室に駆け込んできたのは、レイだった。
「レイ! って、その前髪どうしたのよ!?」
もっさりした長い前髪が無くなって、センター分けのかっこいい前髪にイメチェンしている。
「切ってもらった。それより、無事か? 何もされてないだろうな?」
レイは王太子から守るかのように私を抱き寄せるが、私の視線はレイの顔にしか向かなかった。
なんということだ。ありえないぐらいかっこいい。
凛とした赤い瞳が露出して、レイ本来の魅力が溢れ出ている。
「貴様……」
王太子の低い声で我に返り、一触即発の空気の中、慌ててレイを止めようとする。
「別になんともないわ。この不貞腐れたお坊ちゃんに説教してやっただけよ」
ビビらされはしたが、直接暴行されたわけではない。
だがレイは納得しなかったのか、今にも魔法を発動させて王太子を攻撃しそうな様子だ。
「最初に約束を違えたのはそちらだ。素性を隠し監視の下で生きる代わりに、俺の平穏な生活を脅かすなと言っただろう」
「それは……」
「俺とエヴェリーナが一度でも反逆を企てたか? ずっと監視してるんだから、お前たちの方が詳しいぐらいだろ。そもそも、学院内で他の貴族との接触は禁じられていなかったはずだ」
二人の間にはとても割り込めそうもなかった。
こんなに怒っているレイは初めて見る。圧倒されてしまいそうだった。
「エヴェリーナ以外の貴族ならば許しただろう。だが、これ以上は目に余る」
「お前たちはそれを決められる立場にあるとでも?」
王太子の顔色に焦りが見え始める。
「何度俺を暗殺しようとして失敗したのか、国王はもう忘れたらしい。殺せないからわざわざ俺を飼い慣らそうとしたというのに、自分たちの手で壊してどうするつもりなんだかな」
レイはそう言いながら魔法を発動させて氷で剣を作り出し、そのまま王太子の首元へ向けた。
周辺の温度まで奪われたかのように、冷気が漂いはじめる。
「……俺を殺すのか。俺から全て奪うつもりなんだろう。俺は何も持っていないというのに」
王太子はそう言いながら、対抗するように炎を手のひらに出現させる。
まずい。このままだと戦いが始まってしまう。
今の私の実力では、二人を止めるすべはない。
「馬鹿め。貴様らの血なまぐさい椅子など座りたくはない」
レイは静かに距離を詰めると、何か囁く。
「……それに、血の繋がりがあるとはいえ、身の危険を犯してまで王位簒奪の真相を明らかにするほどの義理もないからな。安心しろ」
「……っ」
私には聞こえなかったが、王太子はどうしたのか急に動かなくなってしまった。
「王家の秘宝を一つ寄越せ。そうすれば、この件はなかったことにしてやる。父親の首が飛ぶところは見たくないだろう」
「貴様さえいなければ……!」
王太子とレイが睨み合う。
だが、その直後。
「これは一体何事だ。校内での武力行使は禁止事項だぞ」
「エ、エヴェリーナ様ぁ! ご無事ですか!?」
またしても乱入者だった。
魔石化学の教授と、先日助けた意外と泣き虫なあの子である。
意外な組み合わせだったが、そこに注目している場合ではない。
王太子もレイも咄嗟に魔法を消したものの、もう既にばっちり見られてしまっているじゃないか。
「ま、魔法の練習に付き合ってもらっただけなんです! ほら、私って落ちこぼれだから優しい殿下が教えてくれたんですよ!」
「だが」
「いやほんと、王太子殿下の魔法は素晴らしいですわ! 今日はとっても勉強になりました!」
咄嗟に王太子の肩をバシバシと叩きながら大声で先生の声を遮る。
苦し紛れの誤魔化しだが、このまま処罰を受けて大事にするわけにはいかない。
「ほら早く行って!」
小声で脱出を促せば、王太子は驚いたように私を見る。
「どうして……」
私が庇うとは思わなかったのだろう。
レイのことさえ無ければ先生に突き出してやりたかったぐらいだが、これ以上のトラブルは勘弁だ。
しかし、王太子はいつまでも私のことを潤んだ目で見つめている。
「エヴェリーナ……なぜ……俺はお前のことを……」
「だからはよ行けって!」
後ろから蹴っ飛ばしてやれば流石の殿下も逃げていった。
なんだかメソメソしたすすり泣きが廊下に響いているが、これでなんとか場は収まっただろう。
「ふう」
「い、今蹴ってませんでした……?」
「錯覚ですわ。それより、先生はどうしてここへ?」
強引に話を変えようとすると、先生は大きくため息をついた。
「レイモンドが髪型を整えて欲しいというものだから切ってやったんだ」
「エヴェリーナ様に見せたいと早足で行ってしまわれたので、やっと追いついたんですのよ」
令嬢が補足してくれる。なるほど、それであの絶妙なタイミングでの登場になったというわけだ。
「でもなんで先生に?」
普通、前髪のカットを化学教師に頼むものだろうか。
「だって、あんたは先生の髪型が好きだって……」
「レイ! もう、ほんとに可愛いんだから!」
私の疑問に対して、ものすごく可愛らしい回答が返ってきた。
私よりうんと背の高い男子を可愛いと思うなんておかしいかもしれないが、今のレイは間違いなく可愛かった。
「でも先生ってカットできるんだ」
「可愛い婚約者の頼みだからな。少しぐらい手を貸してやってもいいと思っただけだ」
「へぇ……婚約者!?」
隣で令嬢が恐る恐る手を挙げる。
「わたくしですわ。レイモンドさんに頼まれたのです。それと、教師と生徒の恋愛なんて、公表出来ませんから、どうか皆さんには内緒にしてください……」
なんということだ。
以前彼女は年上の婚約者がいると語っていたが、こんなにすぐ近くにいるとは。
だとすると、レイの言っていた適任の教師というのが誰なのか自ずと想像が付く。
中年と無理やり結婚させられている、なんてからかっていた生徒たちは腰を抜かしたことだろう。
このイケメン先生のどの辺が中年の侯爵なんだか。
「彼女との間柄は成績評価には何ら関係は無い。誤解はしないように」
「わたくし、遠慮なく赤点つけられましたからね……!」
涙目でそう言われると、思わず笑ってしまった。
確かにこの先生ならそうするだろう。
「まあ、つまりはあんたのおかげだ。俺一人だったら、見た目を変えようだなんて思いもしなかっただろう」
私のお節介がレイの心を変えるきっかけになったなんて、嬉しいことを言ってくれる。
「これからは、レイモンドとして胸を張って生きていく。あんたを見習って、俺ももっと楽しく生きてみようと思ったんだ。だから、その……」
レイは何か言いかけて、真っ直ぐに私を見つめる。
赤い瞳には私だけが映っていて、引き込まれてしまいそうなぐらいだった。
この世界に来て、レイに出会えて本当によかったと心から思う。
最初は、きっとロクな結末にたどり着かないんじゃないかと不安もあった。
物語の最後に幸せになるのは、きらきら輝くお姫様お王子様だというのがお決まりのルールだからだ。
でも、ハッピーエンドはただ一人のヒロインだけのものだなんて誰が言ったのだろうか。
この世界にいるたくさんのヒロインみんな、幸せになったっていいじゃないか。
私も、エヴェリーナも。
「好きだ、リサ」
「私も、レイのことが大好き!」
先生たちの前だったけれど、ためらうことなく出会ったあの日みたいにぎゅっと抱きしめあう。
不安だらけだったあの時と違って、私は幸せいっぱいでレイに包まれていた。
やっぱり、慣れない異世界生活は大変だし、学校の中は相変わらず変なイベントばっかり遭遇するけれど、きっとこれから先もレイと一緒なら大丈夫。
剣と魔法と、夢いっぱいのロマンを謳歌する準備は万端だ。
――――――さてさて、現代日本に飛ばされた村井エヴェリーナが、レジ打ちバイトをしながら真の幸せを掴むのはまた別のお話である。




