8話
最近、気がつけば毎日のように、同じ居酒屋へ足を運んでいる。
里にも居酒屋はあった。けれど、あそこは男たちのものだった。
猟から戻った連中が焼けた声で笑い、飲み、無駄に肩を組んでは騒ぐ――そんな場所という印象しかなかった。
……けれど、実際にこうして自分で扉を開けてみると、印象はだいぶ変わる。
はまってしまいそうだ、と素直に思う。
誰かと会話をするのが醍醐味なのかもしれない。
だけど、不思議なことに、ひとりで杯を傾ける時間も、それはそれで心地よかった。
もちろん、何度か話しかけてくる者もいた。
デート、というらしいが、こちらの都合も聞かずに勝手に誘ってくるあたりが煩わしい。
けれどありがたいことに、そういった手合いは決まって他の客に「おい、あっち行け」と追い払われる。
私が何もしなくて済むのは、本当に助かる。
それと――
いつからか、店主が毎回こう聞いてくるようになった。
「明日も来るか?」
私は決まって、ひとことだけ返す。
「……はい」
別に、断りづらいわけじゃない。言おうと思えば「いいえ」だって言える。
けれど、どうにも「はい」と答えたときの、店主のあの――
ずっと口角が上がったままの顔を見ると、なぜかそれ以上は言えなくなる。
「いいえ」と言ったらどんな顔をするんだろう、とふと思うこともあるが……
意地悪するほどの理由もない。今のところは。
今日も、変わらぬ一杯を飲み終え、店の外へ出る。
すでに夜は深いが、店の前には大男、武器を下げた者、軽装の旅人――
あらゆる人種が列も作らず群がっていた。
秩序は乱れているようでいて、不思議と人が通るだけの空間はきちんと空いている。
あきらかに、誰かを待っているという空気。
だが、誰も「お前だ」とは言わない。
それでも――ものすごく、視線を感じる。
私は、そっと首を傾げる。
「……私、本当に何をしたんだろう」
風が頬を撫でる。
その視線の重さと夜の涼しさを、ひとつの温度として受け止めながら、私はゆっくりと歩き出した。
ギルドに足を運んでも、竜を狩るクエストはひとつもなかった。
掲示板を見渡しても、せいぜい盗賊の討伐や、野生の魔物の駆除。
それ以上に、竜に関する情報そのものが、まるで霧のように見当たらない。
――本当に、どこにもいないのか。
そんなことを思いながら、私は椅子にもたれて目を閉じる。
思い出すのは、里で聞かされた昔語りだ。
昔、竜が暴れ回っていた時代があったという。
人間の暮らしを脅かし、空を裂き、山を焼いた。
上位竜種――本来なら知性を持ち、穏やかな性質で知られる存在でさえも、凶暴に変貌していた時代。
いったい何がそうさせたのかは、今となってはわからない。
だが、その混乱の時代を終わらせたのが――私の祖先だった。
伝承によれば、彼は竜を屠り、空の支配権を奪い返した。
それ以来、私の里では、竜と戦う技を受け継ぐようになったのだという。
風の読み方。筋肉の使い方。呼吸と、間合いと、殺気の気配――
すべては竜を倒すための技。私も、物心つく前から叩き込まれてきた。
……けれど。
「狩る相手が、いなけりゃ」
ぽつりと声に出た言葉は、自嘲のように空へ消える。
私の名は、里で一番の腕利きだと言われている。
けれど、力はただ持っているだけでは意味がない。
それを試す相手がいなければ、伝承も技も、ただの空振りだ。
私は、竜を狩るために旅に出た。
それだけを目指して、風を越えて、セリュアンに来た。
……だというのに、ここには竜の気配すらない。
静かな街。穏やかな空。平和な日々。
里での修行の日々とはまるで違う。
時間に縛られず、風を追って街を歩き、知らない味を口にし、たまに酒を飲む。
それは、それで――自由だった。
自由で、楽しい。
この街には、初めて見るものが山ほどある。
人の多さ、屋台のにぎわい、夜の光、通りを走る風。
居酒屋での静かな酒も、誰かと交わす短い挨拶も、どこか新鮮で心地よかった。
……けれど、それでも、どこかで。
ほんの少しだけ、物足りなさを感じている自分がいた。
それが何かは、もう分かっている。
――なら、自分から探しに行こう。
この街に竜の気配がないのなら、風に聞けばいい。
どこまでも広がる空の下を、自分の脚で歩いて、探しにいけばいい。
じっと待っていても、風は誰にも答えてくれない。
ギルドの地図を広げて、目を留めたのは――西の山脈。
セリュアンの西、厚い雲をまとったように連なる山々。
人の手が届きにくく、竜のような存在が潜むならば、きっとあのあたりだろう。
……もちろん、無駄足になる可能性もある。
それならそれで、せめて何かの役には立とう。
私はギルドの掲示板から、山道沿いの簡単な依頼――薬草の採取や、魔物の痕跡調査のような、誰でも受けられるものをいくつか抜き取った。
歩くだけでも、何かのためになるのなら、それでいい。
それに、風は――歩いている者の肩に乗る。
新調した槍を背に、私は再び風の中に身を投じた。
探しているのは、伝説の獣か、それとも――自分自身か。
分からないままでも、風が吹く方へ進めばいい。