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竜殺しの少女  作者: 0
8/14

7話

 セリュアンに滞在して、一週間が過ぎた。


 竜に関する情報は――まったく、ない。

 風の都の名を冠しているのだから、もう少し手がかりがあると思っていたのだが、どうにも拍子抜けするほど静かだった。

 ギルドにも、古文書を扱う店にも通ってみたが、目につくのは商人の噂話や街道の治安の話ばかり。風の竜の名など、ひとつも聞こえてこなかった。


 ……そのかわりに、最近、少しおかしなことがある。


 やたらと、声をかけられる。


 買い物をしていても、路地を歩いていても、突然「応援してます!」と声を上げられたり、通りすがりに手を振られたりする。


 最初は、誰かと間違えられているのかと思った。けれど――何度も続くうちに、どうやら違うらしいと気づいた。


 ファンクラブ、なるものまでできたと、人づてに聞いた。

 意味はよくわからなかったが、宿屋の主人が笑いながら教えてくれた。


 「応援されてるんだよ。街の人たち、嬢ちゃんのこと、なんかこう……誇らしいって思ってるんだろうな」


 ――誇らしい? 私が?


 そう思ったけれど、特に否定する理由もなかった。


 別に、嫌われているわけじゃないのなら。

 理由はともかく、見知らぬ街で誰かに声をかけられるのも――悪い気はしない。


 ならば――いいか。


 竜を狩るために、私は里を出た。

 伝説の存在に挑むために、この地へ渡ってきたのだ。

 けれど、もしこのまま何の情報も得られぬまま時間だけが過ぎるのなら――次の土地へ移ろう。


 そう、決めていた。


 けれど、セリュアンは――思っていたより、過ごしやすかった。

 初めて訪れた大都市。もっと荒々しく、冷たく、他人行儀な場所だと覚悟していたのに、実際はその逆だった。


 風がよく通る街は、どこか懐かしさを含んでいて。

 誰もが私を知らないはずなのに、すれ違う誰かのまなざしが、ふと故郷の誰かに重なる時がある。

 声をかけられれば、返事をして、笑いかけられれば、少しだけ笑みを返すようにもなった。


 ……こんなふうになるとは、思っていなかった。


 竜の気配はない。手がかりも、もう残されていない。

 だけどこの街は、私に居場所のようなものをくれた。

 いつまでもはいられないと分かっている。旅はまだ始まったばかり。

 でも、あと少しだけなら――風の音を聞いていたい。


 そう思えるほどには、私は今、ここにいる。


 翌日、ギルドの扉を押した瞬間だった。


 受付の奥、いつもの場所にいたはずの受付嬢が、ぴたりと顔を上げた。

 私の姿を見つけたらしい。

 ほんの一拍、目を見開いたかと思えば、次の瞬間には――


 「ちょっと待ってて!」


 そう叫んで、書類を放り出す勢いで受付台を離れた。


 何事かと思うより早く、彼女は足音も軽くこちらへ駆けてきていた。

 スカートの裾を揺らしながら、通路をまっすぐ。

 まるで、走ってはいけない場所で走る子どものように、けれどまったく悪びれもせず。


 私の目の前に来たときには、もう息を弾ませながら言葉を放っていた。


 「よかった、いた! あのね――ちょっと、時間ある?」


 唐突だったが、声は真剣で。

 そして、どこか浮き立つような色をしていた。


 私は少しだけ首をかしげ、それから頷いた。

 すると、彼女はぱっと笑みを浮かべた。


 「話したいことがあるの。少しだけでいいから、聞いてくれる?」


 案内されたのは、ギルドの奥にある小さな個室だった。

 来客用の応接室だろうか。窓はなく、石壁に囲まれた静かな空間。

 木製の机と椅子がひとつずつ、簡素だがきちんと整えられている。


 扉が閉められると、受付嬢は一度深呼吸して、それから少し落ち着いた声で口を開いた。


 「この前の、ワイバーン討伐の件なんですけど……」


 私は頷く。あれから一週間近くが経っている。


 「あのとき、一緒に戦ってくれた冒険者たちが、現場に残った素材を回収してくれてて……」


 彼女は手元の書類をめくりながら、少し照れたような、けれどどこか誇らしげな顔をした。


 「それで……その素材、売却手続きのときに“あなたの名前で”って言ってくれたんです」

 受付嬢は、少し声を和らげた。

 「ワイバーン、全部あの子が倒してくれたからって。だから当然の取り分だって――皆、そう言ってたんです」


 私は一瞬、言葉を失う。

 あのときのことを、素材を、名も知らぬ冒険者たちがわざわざ自分のために残してくれていた。

 正直、驚いた。


 「これが、その分です」

 そう言って彼女が差し出してきた封筒は、前回の報酬よりも分厚かった。

 手に取ると、重みがある。

 中身を見ずとも、それなりの額であることはすぐに分かる。


 「……多いな」


 思わず漏らした言葉に、受付嬢が小さく笑った。


 「ええ、多いです。びっくりしましたよ。こんなの、そうそう出る額じゃないですから」


 私も、ふっと息を抜くように笑った。

 不思議と、緊張がほどける。


 「あなた、街ではすっかり有名人ですよ」

 彼女が椅子に手を添えて、どこか嬉しそうに言った。

 「ギルドにも、あなたに関する話題がけっこう来てて。あ、ファンクラブの話も聞きました?」


 私は、ほんの少しだけ目をそらす。


 「ああ……うん。宿の主人が、言ってた」


 「ふふ、あの人なら話すだろうなあ。あ、そうだ――」


 急に思い出したように、受付嬢がこちらに顔を向ける。


 「そういえば、あなたの名前って、なんて言うんですか?」


 私は少しだけ、戸惑った。


 誰かに自分の名を尋ねられるのは、久しぶりだった。

 ここでは、誰も私の名を知らない。だから、聞かれなければ名乗ることもなかった。


 けれど今、目の前のこの人は――

 私に、名を尋ねてくれた。


 「……リューベル」


 静かに、けれどはっきりと口にした自分の名が、部屋の空気に染み込んでいくのを感じた。

 それは、自分でも少し驚くほど素直な声だった。


 受付嬢は目を瞬き、そしてふわりと笑った。


 「リューベルさん、ですね。うん、いい名前です」


 胸の奥が、少しだけ温かくなる。


 ずっと名を呼ばれずに過ごしてきたこの街で、初めて誰かに、自分の名前を言った。

 名前を聞かれ、名乗り、覚えてもらう。

 それだけのことなのに、まるで小さな灯りがともったような気がした。


 「ありがとう。名乗ってくれて」


 受付嬢がそう言ったとき、なぜか、風が吹いたような錯覚を覚えた。


 リューベルは軽く頷いて、手の中の封筒を見下ろす。

 それは、戦った証。自分がここで息をしていたという、ひとつの証明。

 きっともう少しだけ、この街にいてもいい。


 そう思えた瞬間だった。


 リューベルが静かに扉を閉めて退室していったあと、

 受付嬢はしばらく扉を見つめたまま立っていた。

 何かを確かめるように、そっと息をついてから、ようやく自分の席へ戻る。


 ギルドの騒がしさが遠くに聞こえる。

 けれど、この片隅だけは不思議なほど静かだった。


 椅子に腰を下ろし、帳簿を開くふりをしながら、ちらりと視線を扉へ向ける。

 ――まだ、誰かを待っているような目つきだった。


 やがて、控えめなノックの音。

 すぐに、重たい扉が音もなく開く。


 入ってきたのは、黒ずくめの服に身を包んだ男だった。

 表情は窺えないが、その立ち姿だけで、尋常な人物ではないと分かる。


 男は無言のまま机の前に立ち、視線を受付嬢の向こうへ送った。

 まるでそこに、まだ誰かがいるかのように。


 「……あの子の情報、ちょっとは手に入れたか?」


 低く、抑えた声。けれど、尋問めいた鋭さがあった。


 受付嬢は少しの間、口をつぐんだあと、小さく頷いた。


 「無口な人で、あんまり触れ込めそうになかったけど……名前だけは。リューベルというそうです」


 男は短く「ふむ」とだけ返し、少し顎を引いた。


 「……これからも、彼女に関して何かがあれば報告をしてほしい。些細なことでも構わない」


 受付嬢は顔を上げたが、相手の目を真正面から見ることはしなかった。


 「了解しました」


 男はそれ以上何も言わず、まるで空気のように静かにその場を去っていった。


 扉が閉まる。再び訪れる、静寂。


 受付嬢は、ため息をひとつ、深く吐いた。


 帳簿の上に手を置きながら、心の中で呟いた。


 ――リューベル、ね。あの子、どこまで巻き込まれていくのやら。


 そしてもう一度、窓のない石の壁をぼんやりと見つめながら、静かに視線を伏せた。

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