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竜殺しの少女  作者: 0
第一章 <始まり>
7/19

6話

 しばらくは、困らなかった。


 ワイバーン討伐の報酬は思った以上に大きくて、手にした金貨の重みが、しばらくの不安をすっかり遠ざけた。

 宿の支払いも、食事も、風呂も――全部、気兼ねなく済ませられる。

 毎朝、窓から入る風が少しやさしくなった気さえした。


 それでも、時間は余る。


 竜の気配はまるでない。風の都と呼ばれるこの地でも、空はただ静かだった。

 クエスト掲示板には、小型の魔物退治や、街道の警護といった依頼が並んでいるけれど、どれも血が熱くなるほどのものじゃない。


 観光に来たわけじゃない。

 そう自分に言い聞かせながら、今日もまた、少女は街路を歩いていた。


 石畳は陽に照らされ、柔らかく白んでいる。

 風は穏やかで、塔の影は細く伸び、通りには果物を売る声が響いていた。


 ――退屈というほどではない。ただ、満ち足りすぎている。


 そんなことを考えていたときだった。

 ふと、ひとつの店の前で足を止める。


 軒先には鉄の匂い。壁には槍や剣が立てかけられ、天井からは鍋のような兜が吊るされている。

 重い扉の奥からは、カン、カン、と金属を叩く音がかすかに響いていた。


 鍛冶屋――。


 そういえば、と思う。

 こんな大都市の鍛冶屋に、立ち寄ったことはなかった。


 きっと、いい装備がある。

 いや、あるはずだ。あのワイバーンを倒したあとの今なら、手に入れられる。


 風が扉を揺らす。鉄の匂いが、濃くなった。


 私は、ゆっくりと扉に手をかける。


 扉は、重かった。

 押し開けると、すぐに熱気と鉄の匂いが肌にまとわりついてくる。


 中は広くはないが、無駄のない造りをしていた。

 奥の炉では火が赤々と燃え、年配の職人が大槌を構えて何かを打っている。火花がちらりと跳ねた。


 壁際には、さまざまな武具が並んでいた。

 槍、剣、斧、ハンマー。

 そして鎧。革と金属の合わせ鎧、青みがかった鍛鉄の胸当て、肩を守る装具や、指先まで護る篭手。どれも実戦仕様。飾りではない、命を守るための形。


 「……すごい」


 小さな声が漏れた。

 思わず、足が勝手に動く。

 棚のひとつに掛けられた槍――柄にほどよい重さがあり、鍛造の穂先は陽の光を跳ね返して、細く白く光っていた。


 一本一本、丁寧に作られているのが伝わってくる。

 手に取るだけで、どう動けばいいか、身体のほうが理解する。

 装飾は控えめだが、それが逆に「強さ」そのもののように見えた。


 ――里では、こんなに多くの武具を見ることはなかった。

 使える槍があれば、それでよかった。選ぶ余地なんてなかった。


 だが今、目の前には選べるだけの余裕と、選ぶ意味がある。


 「へぇ……嬢ちゃん、槍使いか」


 声に振り向くと、炉の火を背にした鍛冶師が、汗をぬぐいながらこちらを見ていた。

 大きな手が油と煤にまみれている。けれどその目は鋭く、こちらの姿勢を一瞬で見抜いているようだった。


 少女は少しだけ頷いた。


 「……見ていっていいか」


 言葉は短く、けれど素直だった。

 鍛冶師は唇の端をほんのわずかに上げて、肩をすくめた。


 「好きにしな。触っていいが、刃には気をつけろよ。ここのはどれも本物だからな」


 再び金床に向き直り、火箸で鉄の塊をつかむと、ごう、と火の音が響いた。

 少女はその音を背に、もう一度槍の並ぶ棚の前に戻る。


 穂先の形状、重心の置き方、柄の長さや太さ――

 細かく比べる。手に取って、構えてみて、戻す。それを繰り返す。


 道具を見る目は真剣だった。

 戦うためのもの。ただの装飾でも、見栄でもない。

 この手で握り、この脚で踏ん張り、この身体で振るう。だからこそ、選び抜かなければならない。


 やがて、一本の槍の前で、少女の動きが止まった。


 それは、他よりも少しだけ柄が短く、細身だった。

 だが、穂先は深く焼き入れされていて、わずかに青みを帯びている。

 重さも、鋭さも、まるで自分の動きに合わせて呼吸するかのようだった。


 「……これ」


 小さくつぶやいた言葉は、届かなくとも、自分の耳にはしっかりと残った。


 そのとき、後ろから鍛冶師の声がした。


 「試したいなら、裏庭に丸太置いてある。好きにするといい」


 静かな声だったが、不思議と力があった。

 少女はゆっくりと振り返り、頷いた。


 鍛冶師は、再び金床に向き直りながら、手でひょいと裏手の戸口を示す。

 重たい扉を抜けると、そこには土の匂いと木の香りが混じった、小さな空間が広がっていた。


 背丈を超えるほどの太い丸太が、三本、少しずつ間を空けて立てられている。

 その一本の前に立ち、少女は槍を構えた。


 風が吹く。


 構えを崩さずに、呼吸を整える。

 片足を引き、軸を低く。穂先が微かに唸る。


 ――突き。

 風を断つ音がした。

 槍が丸太に食い込み、深く、静かに止まった。


 手に残る感触は、柔らかい。だが確かに、鋭い。

 槍が、こちらに応えてくれる。自分の動きに沿って、意志を持つように動いてくれる。


 少女は槍を抜き、そのまま静かに一礼した。


 別に、今使っている槍に不満があるわけではない。

 十分に戦えたし、何度も命を繋いできた。


 けれど――


 なにせ、あれは自分の里で作られたものだ。

 風の通りも悪くはなかったし、手にも馴染んでいたが、小さな島の鍛冶場では限界がある。

 材料も限られ、鍛造の技も、道具も、外の世界と比べればきっと素朴すぎるものだった。


 強い者はいた。腕の立つ戦士も、狩人も。

 けれど、誰もが装備に詳しいわけではなかった。

 ましてや、自らの手で作るとなればなおさらだ。


 装備を購入し、今まで使っていた槍は、その場で売り払った。

 鍛冶師は少し驚いたように眉を上げ、「もったいない」と漏らしたが――少女は首を振った。


 「大丈夫。金ならある。今は、これが必要だから」


 ワイバーン討伐で手に入れた報酬。

 すべてを使うわけじゃない。けれど、これくらいの奮発は惜しくないと思えた。


 里を出た意味の一つが、いま、確かに手の中にある。

 風が吹くたびに、この新しい槍は微かに鳴る。まるで呼吸しているように、少女の動きに馴染む。


 ――これなら、もっと遠くまで行ける。もっと強くなれる。


 そう思った。


 そして、それがきっと――

 「竜」に辿り着くための、一歩になると信じていた。


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