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竜殺しの少女  作者: 0
第二章 <強さと弱さ>
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18話

 竜を狩ることに、かつてほど迷いがなくなったことが、むしろ怖くなっていた。


 幼い頃、父と一緒に見た絵本のなかで――竜は、英雄に討たれる悪しき存在だった。人の村を焼き、財宝を貪る怪物。討たれねばならぬ、強大な敵。

 それが、いつからだろう。

 私のなかで「討たねばならないもの」が、「討ってしまったもの」へと変わっていった。


 このまま続けていていいのか、ふと、そんな考えがよぎることが増えた。

 剣を置いてもいいかもしれない。

 別に誰に求められているわけでもないのだし――

 そんな思いが心の底に降り積もりはじめたのは、黒き竜との戦いのあとだった。


 故郷に戻ろうか。

 風の都セリュアンは好きだったけど、ここは、剣を振るうには近すぎる。あの出来事の余韻が、街路の石にも風にも残っている気がした。


 そう思った私は、昼過ぎから部屋にこもって、帰るための荷物をまとめはじめていた。

 槍の柄にこびりついた血を削り落とし、手入れ用の油を薄く塗る。背負い袋の底に、古びた小さな櫛を入れる。街に出て買った旅用の保存食を包みながら、やっぱり戻ったら、しばらく里の子供たちの修行にでも付き合ってやろうか。


 昔、自分がしてもらったように。

 槍の構え方、気配の読み方。何より、竜との実戦経験がある。

 きっと、教えられることは少なくない。

 今なら、言葉にできることもある気がした。


 そうやって地に足をつけて生きるのも、悪くないかもしれない。

 竜を狩るのではなく、誰かに道を示していく側に立つ。

 そんな生き方も――たぶん、ある。


 背負い袋に詰めた荷物は、もう旅に出られるくらいには整っていた。

 槍を布でくるみ、荷の横に立てかける。

 最後に扉の鍵を確かめて、私は腰を下ろし、小さく息をついた。


 そのときだった。


 ――ガンガンガンッ!!


 部屋の扉が、誰かの拳で荒々しく叩かれた。


 「リューベルさん! リューベルさん、いらっしゃいますか!?」


 聞き慣れた声だった。

 けれど、いつもの柔らかな響きは、そこにはなかった。

 必死さと切迫感が滲んでいた。


 私は立ち上がり、背負い袋に視線を落としたまま、そっと槍を手に取った。

 扉を開けると、そこにはギルドの受付嬢――あの女性が、息を切らして立っていた。


 頬が赤く、目はどこか泣きそうなほど真剣で、汗が額に浮かんでいる。


 「……竜が出ました。南の外れです。とても大きな個体で、飛翔も確認されています。近くの集落に危険が迫っていて、ギルドが急ぎ討伐の要請を……」


 早口だったが、言いたいことは伝わった。

 竜。

 また、竜か――。


 私は無言のまま立ち尽くした。

 目を伏せ、何かを探すように沈黙する。

 言いかけて、飲み込む。

 「すみません、それは――」と、断る言葉を口にしようとした、そのときだった。


 「……もう、何をしていらっしゃるんですか」


 少しだけ声が強くなった。


 「正直、無理をお願いしているのはわかっています。でも……今は、考えている時間も惜しいんです。リューベルさん、あなたしか頼れないんです……!」


 彼女は、そう言って、私の腕をそっと掴んだ。

 決して乱暴ではないけれど、揺るぎない力があった。

 そして、目をそらさず、私を見ていた。


 私はそのまま、うなずくこともなく、けれど逆らうこともなく、扉の外へと足を踏み出した。

 背には槍がある。袋はまだ、部屋の中だ。

 鍵もかけず、私はただ、扉を静かに閉じた。


 風が吹いた。

 階段の影が長く伸びていた。


 やめるつもりだった。

 けれど――やはり、まだ終われなかった。


 その理由は、自分でもまだ、よくわからなかった。


 私は、受付嬢に手を引かれるまま、石畳の坂を駆け下りていった。

 すれ違う人々の視線が、私たちに注がれる。だが、彼女は立ち止まらなかった。

 その手は細くて、小さな指だったけれど、不思議なほど強く、ためらいのない力で私を導いた。


 そして、ギルドが見えた。


 入口の扉はすでに開け放たれており、中からはざわめきと、低い緊張の気配があふれ出していた。


 私は一歩、足を踏み入れて――すぐに、その異変に気づいた。


 ――多い。


 冒険者たちが、ひしめくように集まっていた。

 テーブルの隙間には立ち話の輪ができ、階段の踊り場や壁際にさえ、見知った顔や知らない顔が並んでいる。

 剣を磨く者、地図を覗き込む者、無言で装備を点検する者――

 どの目も鋭く、張り詰めていた。


 あの戦場で見たような、緊張の匂いが、空気に混じっている。


 「……これは、」


 言葉にするまでもなく、ただ事ではなかった。

 あの受付嬢も、黙ってうなずいた。


 討伐依頼の告知板には、いつもの紙とは違う、封印印付きの赤い羊皮紙が貼られている。

 それが意味するのは、最高危険等級――

 つまり、「都市規模の被害を想定しうる対象」が現れた、ということ。


 私は、受付カウンターの方へ目を向けた。


 そこにいた別の職員が、私に気づき、はっとしたように頭を下げた。

 ざわついていたギルドの空気が、ほんの少しだけ、変わった気がした。


 「リューベルさん……」


 隣の受付嬢が、少しだけ声を落として言った。


 その声音には、言葉にしがたいものがにじんでいた。ためらい、覚悟、そして、申し訳なさ。


 彼女の口から、状況の説明が始まった――が、私は途中から、その声の意味を追うのをやめた。

 内容は、耳に入っていた。ただ、それを「聞く」という行為が、どこか現実から遠く感じられて仕方なかった。


 どうやら――

 あのとき、私たちが討った黒き竜。

 その個体は、成長途中の若い竜であった。


 そして、先日私たちが戦ったあの岩山の近く――まさに、あの子が息絶えた場所の上空に、

 その“親”と見られる個体が現れたのだという。


 姿を見たのは、偶然その地を通っていた遊牧民の一団だった。

 雲を裂くような咆哮。山の上にわずかに残る竜の血と骨を前に、長く長く動かなかった影。

 地を焼くでもなく、飛び去るでもなく、ただそこに留まり続けていたのだと、報告にはあった。


 ……まるで、呼ばれたように。

 まるで、失われたものを知ってしまったかのように。


 その影は、あまりに大きすぎた。


 報告によれば、翼を広げたときの幅は、市街ひとつを包みこめるほど。

 山の稜線に沿って飛ぶとき、その巨躯が太陽を隠し、昼が一瞬だけ夜に変わるという。

 その翼は裂けた皮膜のように粗く、しかしひとたび羽ばたけば、谷の木々が根こそぎ吹き飛ぶほどの風を巻き起こす。

 背には古びた甲殻のような鱗が連なり、首元から肩、胴、尾にかけては、年月を感じさせる深い傷跡がいくつも走っていた。


 そのすべてが、この竜が生き延びてきたという事実を物語っていた。

 ただの獣ではない。

 災厄そのもの。


 ――齢、百年を超えているかもしれない。


 そんな声が、ギルド内でささやかれていた。

 もし本当に、あの黒き竜がその竜の子であったのなら……

 親は、何を想うのだろうか。

 この地に降りた理由は、偶然だったのか――あるいは。


 私は拳をゆっくりと握った。

 誰かが小さく唾を飲む音が聞こえた。

 空気が張りつめている。


 張りつめた空気が、重く、肌に貼りついていた。

 誰も声を上げない。ただ、ざわめきが収束していく過程に似た、沈黙の波がギルドを満たしていく。


 ざらり、と。

 鞘に戻した剣の音が、やけに大きく響いた。


 壁際に立つ若い冒険者の手が、小さく震えているのが見えた。

 腰に佩いた剣の柄を握るその手には、かすかに汗が滲んでいた。

 それを隠すように、彼は顔を背けた。

 向こうでは、弓を背負った女が、矢筒の中を何度も覗き込み、一本ずつ矢羽の整い具合を確認している。

 見るからに落ち着かない手つき。

 騒いでいる者は誰もいない。だがそれは、平静さの裏返しではなかった。


 皆、知っているのだ。

 今度の敵は、かつての黒き竜とは比べものにならない。

 あれを「若き竜」と定義するならば、今回現れたそれは――「大竜」。

 血と火の中を生き抜いてきた、本物の災厄。


 命を賭けなければ立ち向かえないものが、目の前に現れたのだ。

 それを討てるか、それどころか生きて帰れるのか。

 心の奥底で、誰もが同じ問いを抱えていた。


 受付嬢が、カウンターの向こうで資料を抱えたまま、ふとこちらを見上げた。

 その視線が、私とぶつかる。


 笑ってなどいなかった。

 強がりも、なかった。

 ただ、少しだけ、彼女はまばたきを遅らせた。

 不安が、そこにあった。

 それでも、怯えではなかった。


 ――「お願い」


 声には出さなかったが、その視線がそう語っていた。

 誰に頼るでもなく、誰かに命令するでもなく、ただ、“あなたになら”という、願い。


 私は息を吸った。

 何のために、この都に残っていたのか。

 故郷に戻ろうとした背を、再びこの場所へと押し戻したのは、たぶん――まだ終わっていないからだ。


 前に、倒した竜のことを思い出す。

 その死が、ひとつの命を終わらせたのではなく、始まりの火種になってしまったのだとしたら。

 このまま背を向けて去れば、いずれ誰かがその火に焼かれる。

 そう思えば、荷をまとめた背負い袋のことも、あの静かな宿の部屋も、すでに遠いものに思えた。


 「……情報は、それだけですか」


 私は静かに言った。

 受付嬢はわずかに目を見開いたが、すぐに、かすかにうなずいた。


 周囲の空気が、また少し変わった。

 私がそう口を開いた瞬間、近くにいたいくつかの冒険者が、何かを思い出したように目を上げた。


 ひとりが、背負っていた盾の縁を叩いた。

 別の者が、無言で刃を腰に差しなおした。

 恐怖の消えたわけではない。

 だが、それに踏みとどまる者たちの中に、かすかに熱が戻る気配があった。


 ――まだ何も終わっていない。

 この都の風は、まだ止んではいないのだ。

基本的には<層彩のキャンパス ~異世界転移記~>の方をメインで書いていくこととなります。更新頻度はめちゃくちゃ遅く、月に一回あった方が珍しいと思っていただければと思います。そちらの作品を片付く次第いろいろと書いていきますのでよろしくお願いします。


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