17話
風が吹いていた。
広場の空気は乾いていて、夏の終わりの匂いがした。
空はどこまでも高く、薄かった。雲は風に押されて形を変え、影が街の石畳にゆるやかに流れていった。
私はただ、そこにいた。
何をするでもなく、ただ石のベンチに腰を下ろして、指先に残る感触や、服に染みついた金属と獣の匂いを、どこか他人事のように感じていた。
陽が傾きはじめていた。昼と夕のあわい――時間の流れすら音を失ったような、鈍色の午後だった。
その沈黙のなかに、足音が割り込んだ。
節のある硬い革靴が、乾いた石を踏む音。ひときわ大きな影が近づき、そして声が落ちてくる。
「よう。やっぱりいたか」
声とともに、私の隣に腰を下ろした男――ワイバーン討伐のとき、隊をまとめていた、あの男だった。
不意打ちのように座られ、反射的に肩がすくむ。距離が近い。息の触れるような距離。
「おまえ、今回の竜討伐……いやあ、すげえよ。あの場に俺はいなかったけどさ、討伐隊にいた連中が口をそろえて言ってたよ。『あいつのおかげだった』ってな」
隣に座った彼は、ひと息置いてから続けた。
「……でもな、実際のとこ、何がどうだったかは俺にはわかんねぇ。戦いの細かい様子も聞いたけど、みんな揃って要領を得ねえんだよ。ただ、“すごかった”って、そればっか」
私は黙っていた。否定も肯定もせず、ただ風の音に耳を傾けた。
その沈黙を、男は咎めることなく受け止めたようだった。
「ま、あいつらが揃ってそう言うってことは、実際そうなんだろう。あんたが一番槍だったってのは、間違いねぇしな」
彼は笑いながらそう言ったが、それもまた、どこか他人事のようだった。
そして、それでよかったのかもしれない。
現場にいなかった彼に、何かを語る資格がないわけじゃない。けれど語るべきことが、そもそも言葉にならないのだ。
男はそれ以上何も言わなかった。ただ、立ち上がって、軽く手を振るような仕草をして去っていった。
肩越しに見せたその背は、思いのほか軽やかだった。
何かを残していったわけでもなく、引き取ってくれたわけでもない。ただ、通りすがりに声をかけてくれただけ。
それで、十分だったのかもしれない。
私はひとり広場に残された。
時間の感覚が戻ってくるまで、少しのあいだ、ただ座っていた。
そして、立ち上がった。
行くあてもなかった。
だから、なんとなく歩いた。人通りの少ない道を選び、商人の叫び声から遠ざかるように、緩やかな坂を下っていった。
風が吹いていた。今度は街の匂いを運んできた。
遠くの鐘の音が、どこか儀式のように鳴っていた。
ふと視界に入ったのは、小さな建物だった。
日焼けした木の柵。傾いた煙突。手作りの花壇には、名も知らぬ白い花が咲いていた。
門に掲げられた小さな木板には、「児童保護院 風見の庵」と書かれていた。
孤児院だった。
中庭で遊ぶ子供たちの声が、かすかに聞こえた。
笑っている。走っている。誰かの名前を呼んでいる。
その声が風に流れて、私の胸にぽつりと落ちた。
あの黒き竜の命を、私は奪った。
誇りの名のもとに、正しさの旗の下で。
でも、あの命に別の未来があったのなら――私がやるべきことは、せめてそれを繋ぐことだ。
正解かどうかは、わからない。
でも、せめて誰かの未来が、その命の重さに報いるものとなれば。
それだけでも、少しは救われる気がする。
私は金貨と銀貨の詰まった袋を手に、そっとその建物に近づいた。
誰にも気づかれぬように。足音を抑えて、門の影にその袋を置いた。
ふたつの月が傾きかけ、夜の匂いが空気に混じっていた。
静かな宵の空の下、私は何も言わず、何も書かず、その場を離れた。
翌朝。
「風見の庵」の扉が軋みながら開いた。
朝の光が中庭に差し込み、職員が子供たちを外へと誘い出す。
まだ眠たげな目をこする子供たちの声が、あたたかい陽のなかにほどけていった。
その門の前に、ずしりと重そうな袋がひとつ、置かれていた。
そこに名前は書かれていなかった。
けれどその袋は、確かに――誰かの命の、落とし物だった。
基本的には<層彩のキャンパス ~異世界転移記~>の方をメインで書いていくこととなります。更新頻度はめちゃくちゃ遅く、月に一回あった方が珍しいと思っていただければと思います。そちらの作品を片付く次第いろいろと書いていきますのでよろしくお願いします。
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