優しさ渋滞中!加速する3つの恋心
夏の終わりが、こんなにも胸をざわつかせるなんて思わなかった。
部屋のカーテンが、風にふわりと揺れている。
ベッドの上に寝転がったまま、ぼんやりと天井を見上げていた。
時計の針は、登校の準備を急かすように進んでいくけど、体はまだ動かない。
(……2学期、か)
思い返すように目を閉じれば、浮かんでくるのは、あの3人の顔だった。
望月美麗――完璧で、頭が良くて、ちょっと怖いくらいに出来すぎた女の子。
でもあの夏の日、彼女が見せた涙。それは、完璧なんかじゃなかった。優等生でいなければと、一人でずっと頑張ってきた彼女の、等身大の姿だった。
(あの時の美麗……きれいだったな)
正直、ドキッとした。自分の知らなかった彼女を見た気がして、胸が痛くなった。
でも――それと同時に、なんだか嬉しかった。あんなふうに、俺だけに見せてくれたことが。
そして、渡辺日菜。
小さくて、可愛くて、何かと甘えてくる……大胆で、まったく油断ならない子。
でも、日菜もまた、一人で寂しさと戦ってきたんだ。
あの日、泣きながら話してくれた、彼女の本音。
(俺じゃ、日菜の寂しさを全部は埋めてやれないかもしれないけど……)
それでも、少しでも笑顔でいてほしいと思った。日菜の笑顔は、いつだって俺に元気をくれた。
そして、水島風花。
不思議で、予測不能で、いつもぽつりぽつりと奇妙なことを言う。
でも、ときどき核心を突いたような言葉を落としていく。まるで、見透かされているような。
そんな風花の奥には、悲しみの過去があった。
(救ってあげたい……なんて、俺にそんな力があるかわからないけど……)
そばにいてあげたい。風花の心を守ってあげたいと思った。
(……俺は、3人の中から誰か1人を選べるんだろうか)
この問いは、ずっと胸の奥でくすぶっている。
選びたくないんじゃない。選べないだけなんだ。
だって、みんな――好きなんだから。
重たいカバンを背負って、通学路を歩く。
セミの鳴き声も消えて、少しだけ涼しい風が吹いている。
(ああ……また、始まるんだな)
夏休み前の俺の平和な日常は、完全にぶっ壊れていた。
3人の美少女に迫られ、翻弄され、感情をかき乱され――
正直、もうどれだけ心臓に悪い思いをしたか数えきれない。
けど……別に嫌だったわけじゃない。
むしろ、あの3人と過ごした日々は――思い出すと、胸が温かくなる。
(……俺って、まじでどうしようもないな)
そんなことを考えていたら。
「おはよう、修也くん」
振り向くと、そこにいたのは美麗だった。
黒髪ロングが朝の光に揺れて、制服の着こなしは今日も完璧。
でも……なんだろう。雰囲気が違う。
少し笑っただけで、こんなに柔らかく見えるんだって思うくらい、彼女は自然な顔をしていた。
いつもの張り詰めたオーラがない。まるで、肩の力が抜けたみたいに。
「修也くん、夏休み、どうだった?」
「んー、まあまあ……そっちは?」
「勉強と読書と……ちょっと、ぼーっとしてた」
「ぼーっと……?」
「うん。少しだけ、自分のことを考えてみたの」
(へぇ……美麗がそういうことを言うなんて……なんか、いいな)
彼女は、完璧な自分じゃなくて、“ただの望月美麗”でいようとしてる。それがすごく伝わってきて、なんだか嬉しかった。
そこへ、背後からドスンと衝撃。
「修也~!」
「うおっ、日菜!?」
いきなり耳元に甘い声。
……って、やっぱり来たな。
「日菜っ、近い近い! 耳に息かけるな!」
「えへへ~、だって、修也の反応おもしろいんだもん♪ 夏休み中あんまり会えなくて寂しかったのに~、ギューってしていい?」
「ダメ! 校門前でそれはマズい!」
ツインテールを揺らしてまとわりつく小動物系美少女・日菜。
夏を越えて、さらに甘え度が増している気がするのは俺の気のせいか……?
そして、最後に――ふわりと近づいてきたのは風花だった。
「しゅーくん……今日はね、雲の形がね、迷ってたの」
「迷ってた……?」
「うん。ハートにしようか、うさぎにしようか。結局、途中でどっちでもない形になっちゃったの」
「はあ……そうか……」
相変わらず、風花はマイペースだ。
でも、その言葉の中に、なんだか深い意味を探してしまう自分がいる。
「でも、しゅーくんの顔見たらね……ハートに傾いたかも」
「……!」
(おい、何気に爆弾投下したぞ、この子!)
にこっと微笑んで、何事もなかったように歩き出す風花。
その心は――つかめないようで、少しだけ手が届くような、そんな感じがした。
教室の窓から差し込むやわらかな日差しに包まれながら、俺は、まだ眠そうにあくびを噛み殺していた。
(うーん、寝起きの頭って、マジで役に立たねぇ……)
そんな俺の前に、すっと一つの影が差し込んだ。
「ねぇ、修也くん」
優しい声。振り返ると、美麗が微笑みながらマイボトルを差し出してくる。
「これ、今朝いれたコーヒー。微糖だけど、少しだけミルク入ってるから、飲みやすいと思うわ」
「あ……ありがとう、美麗」
ボトルからはほんのり甘くてほろ苦い、落ち着いた香りがした。まさに目覚めの一杯ってやつだ。
「2学期初日、久しぶりに早起きして寝不足かなって思って。 カフェイン、少しでも効くといいな」
(ま、まじで優しい……! しかも好みドンピシャ)
「んふふ~、ダメだよ~? 修也に苦いコーヒーは似合わないと思うな~」
ひょこっと顔を出してきたのは日菜。にこにこと笑っている。
「はいっ、こっちは私が作った特製のココア!」
小さな魔法瓶を渡してくる。蓋を開けると、中にはふわふわのマシュマロが浮かぶ、甘くてとろけそうな香りのココア。
「甘いものでほっとする方がいいよね~」
「えっ、あ、ありがと、日菜……」
「修也、ちょっと疲れた顔してるもん。 修也が元気ないと、こっちまでしょんぼりしちゃうよ~」
(な、なんなんだこの優しさ合戦……!)
「なるほど、どっちも優しいな……」
と、思ったそのとき。
「……じゃあ、私は……これ」
机の横から、風花がひょこっと現れた。
「わっ、風花!?」
「おみそ汁。ちゃんと今朝作ったの。豆腐と……お麩と、ねぎ」
「みそ汁!?」
マイボトルの蓋を開けると、ふわっと広がる、かつお出汁の香り。ほわほわと湯気が立ちのぼる。
「おみそ汁って……ほっとする。しゅーくんにも、あったかくなってほしくて……」
「……ありがとう、風花」
目の前に並ぶのは――
・知的でさりげない気遣いからの「コーヒー」
・甘くてあったかい癒しの「ココア」
・心と胃にしみわたる「おみそ汁」
3人それぞれの優しさが、全部ちゃんと俺に向いている。
だけど――
「……うふふ」
美麗が優雅に笑う。
「でも、修也くんが好きなのって、朝の香りがいいコーヒーじゃなかったかしら?」
「えへへ、でも~。前に“甘いのもたまにはいい”って言ってたし、今日のは特別だよ~?」
日菜がココアを押し出して、目を細める。
「どれも……毎日飲めばいいよ?」
風花はみそ汁のマイボトルを抱きしめながら、ほわっとした笑みを浮かべた。
(うわあああああああああ!)
火花っていうか、優しさがじわじわと燃え広がってる感じだ。
それも、俺を包み込むように。
教室のざわめきの中、俺の机の周りだけ、異様に温かい空間ができていた。飲み物3つに囲まれながら、俺は静かに決意する。
(……よし、全部飲もう)
2学期……無事に終われる気がしない……。
でも。
この日常が、愛おしいと思ってしまうのは、たぶん俺の負けなんだろう。
――夏を越えた俺たちの、新しい季節が始まった。