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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ダンジョン世界シェルマギア

「箱入り娘」

作者: 梓兎



 私は今日も小屋の中で目を覚ました。

 太陽は見えない。窓も扉も、この小屋には付いていないからだ。

 この小屋の中にあるのは、どうしようもないほどの暗闇だけ。


 私は、もう何年になるのかもわからないほどに長い間、この小さな小屋の中に閉じ込められていた。



 ◆



 私が閉じ込められている原因について話そう。


 この世界には、「固有魔法」というものがある。

 名前の通り、持ち主だけが使うことのできるオリジナルな魔法。普通の魔法とは違い、誰しもが生まれついた時から行使することができる、とっても身近で、とっても不思議な魔法。

 誰しもが、その魔法を自らの個性として尊び、愛し、兄弟のように付き合っている。


 ただ、私の場合、そうはならなかった。


 私の固有魔法の名前は、『核子』

 これがどんな魔法であるのか、私にはわからない。どういう魔法かを確認する術もあるのだが、解説されても教育も受けていない私では理解できなかったのだ。


 だから、私がこの魔法に言えることはただ一つ。


 これがひどく世界を捻じ曲げるもの、ということだけだった。



 まず初めに、両親が死んだ。

 私を生んで数日後、嘔吐し、全身から血を流し、あらゆる病に藻掻き苦しみ、最後は昏睡状態に陥って眠るように死んでいったんだそうだ。


 最初は、なぜそんなことになったのか誰もわからなかったらしい。

 私は不運な子として憐れまれ、村人みんなで育てていこうという取り決めが交わされた。


 ……しかし、その村人たちの小さな優しさは、そんなに長くは続かなかった。


 私に近づくすべての生物が、同じように苦しんで死んだ。

 私の住んでいる家の近くには、なぜか酷く形の崩れた植物が生えるようになった。

 私の一族が飼育していた家畜からは、奇形か、精神に問題を抱えた仔しか生まれてこなくなった。


 村人たちは、すぐに気づいたという。

「これは、私の固有魔法のせいである」と。


 そうなってしまえば、村の対応というものは早いもので。

 私は「かわいそうな少女」ではなく「恐ろしい忌み子」として避けられるようになり、物心ついた時には、すでにこの、日の光も差さない暗い小屋の中に入れられていたのだった。




 ───とまあ、そんな話も今は昔。

 言った通り物心つく前の話なので私は何も覚えていない。だからそこまで気にしてもいない。

 ただ今日も私は幽閉され退屈な時間を過ごさねばならないという事実だけが、私の目の前に広がっている。


 ……そして、この一人回想も、私が何度もやってきた暇つぶし、というわけなのだった。


 ◆


 人生何度目かもわからないセルフ過去回想も終わり、今回のは中々うまくできたな、なんて、今度はセルフレビューをしていたころ。ゴト、と後ろで物音がした。振り向くと、そこには幾つかの果物やパンが乗せられた一枚の皿が置かれている。

 ───今日のご飯だ。


 ここには、(太陽は見えないので私の時間間隔があっていればだが)一日に一度食事が届けられるようになっていた。気がついたら皿が置かれていて、気がついたら回収されているのだ。

 原理はわからない。昔不思議に思ってじっとこの皿を監視する遊びをしたことがあったが、本当に忽然と現れ、忽然と消えるのだ。なので、私はこれを何か魔法によるものなのだろうと勝手に思っていた。

 何にせよ、このおかげで私は飢えることがないので、ありがたい話である。


 私はもぞもぞと立ち上がるとその皿の前に移動し、一番気に入っている丸形の果物へと手を伸ばした。

 薄い皮ごとがぶりと嚙みつけば、甘酸っぱい汁が口の中いっぱいに広がる。


 ……美味しい。


 私は、この果実を食べているときの唾液が一気に出る感覚が好きだった。


 ────実は、ここでの生活は意外にも不便が少ない。

 信じられないかもしれないが、事実だ。

 こんな風になんだかんだ言葉も覚えられたし、毎日食事は出てくるし、排泄もこのお皿同様気づいたら回収されているし、いたれりつくせり。まあ多少は一般の人よりも生活水準が低いかもしれないが、私が忌み子なのを加味すれば十分な好待遇がなされているといっていいだろう。


 勿論多少は不足もあるが、人間慣れてしまえば案外なんでも受け入れられるものなのである。


「うん、まあ、こんなでもぼちぼち幸せだよね」


 そうやっていつも通りの独り言を呟いて、私はまた一口果実にかぶりついた。



 ◇◇◇



 ある日。その日の食事を終えてしまうと、今日も今日とて私は暇をしていた。

 この小屋には、残念ながら物の一つも置いていない。文字通りのがらんどうだ。それどころか、完全に締め切られているので見える景色に一切の変化がない。よって、時間を潰すのが非常に難しい。なんだかんだ幸せなこの生活において、唯一絶対的な不幸ポイントといえるだろう。


 勿論、私も伊達にここで何年も過ごしているわけではない。退屈凌ぎのプロたる私にかかれば瞑想一つで1日潰すことすら容易い。無の境地がなんのそのだ。

 さらにそこにちょっとした運動とかもしちゃったりすれば、最早私に暇な時間などない!


 ……と、いいたかったのだが。


「瞑想……流石に飽きたなあ…………」


 まあ、うん。

 私も人間なので、同じことの繰り返しはきつい。

 せめてもう一つ変化が欲しい。


 というわけで、今日の私は一つ、新たな試みに挑戦することにした。

 それは、運動と私の好きな独り言を掛け合わせた境地……すなわち、「歌」を歌ってみることにしたのである。


 外の世界も知らないくせに、歌? と疑問に思うかもしれない。だが、実はこの小屋の中でたった一つ、外界と隔絶されていないものが歌……というより声なのである。

 実際、私が言葉を身につけられたのは、幼児だったころの私を世話してくれる物好きが何人かいて、その人たちの声を聴いていたからだ。


 昔の未熟な私にとって、それだけが退屈を凌ぐ方法だった。


 ……まあ、最近は私も子供じゃなくなったからなのか、誰もここに来なくなって久しいけれど─────それは置いておくとして。


 つまり私の言いたいことは、村から偶~~~に流れてくる囃子であったりメロディであったりは、かすかながらに私の耳に届いている、ということなのだ。


 だから、歌える。

 本当になんとなくのうろ覚えでしかないけれど、別に歌手を目指すわけでもないのだからそんなのは気にすることもない。私が心地よいと思ったメロディで、私の気の向くままのリズムを刻んでいいのだ。


「──────!!!!」


 せっかくの初歌だから、めいっぱい、これ以上喉が揺れたら壊れちゃうってくらい全力で歌い散らした。


 声と共に私の心までこの小屋を突き抜けるような感覚がして、とっても気持ちいい。

 それに、この小屋がこんなに騒がしくなることは今までなかったから新鮮だ。


 うん。歌、結構いいかもしれない。息は切れるけど、それもいい感じの疲れを誘発してくれるし。

 ……ちょっと、発声が下手すぎるような気もするけれど。まあ、それこそ誰が聞いてるわけでもないんだから、これからも遠慮なくやらせて────




「うわっ」




「────っ!?!?」


 思わず、振り向いた。

 勿論、この真っ暗な小屋じゃまともに物なんて見れないし、そもそも外からした音なんだからそこはただ壁が立ちはだかるばかりに決まってるんだけど、それでも、そうせずにはいられなかった。



 ───時間が、止まったような感覚がした。



 ……いまの、声、だよね?


 …………誰か、来てるの?



 声にもならない声で、そう呟く。


 そして、それと同時に、ふとあることに気がつけた。



 ……先ほど端に寄せておいた皿が、無い。



 その瞬間、私は全てを理解する。


 そう。考えてみれば当然のこと。

 皿が突然消える魔法なんて、そんなピンポイントな魔法あるわけがない。よしんばあったとしても、そんな遠隔で起動する魔法なわけがない。


 当然、その皿を回収する誰かが、()()()()()()()()()()筈なんだ。





 ……それに気づいたら。



 もう、私は私を止められなくて。




「ねえ、ねえねえねえねえ!!!! 誰か、誰かそこにいるんでしょう!?!? お、おねが、お願いします! どうか私を、()()()()()()()()()()()!!」





 ───気づけば、私はその壁に縋りついていた。



 ◇



「お願い、お願い! 私を助けて! ここから出して!!!」


 私の声で、小屋の木材が震えている。


 私は、さっきの歌なんか比べ物にならないくらいの大きさで、声帯をボロボロにしながら、それでもなお、醜く叫び散らしていた。

 まるで今日この日に、自分の命の全てを賭けると言わんばかりに。



 ……みんなには、意味がわからないだろうか。

 こんな風に醜く助けを乞うなんて、私らしくない、脈絡がないと思うだろうか。

 

 けれど、そんなことはない。

 なぜって。




 私はもう、この生活に()()()()()()()()からだ。



 ……ああそうだとも。認めよう。


 今までの話は、全部嘘だ。



 ここでの生活もまあまあ幸せ?


 慣れてしまえばなんてことない?


 忌み子にしては贅沢だから文句は言えない?



 違う。そんなわけない。

 こんな言葉、私が納得するために言ってるだけの、ただの現実逃避だ。


 本当は、この生活には不満しかなかった。



 ご飯は毎日おんなじで、もう味がわかんないし。


 木の床は硬くって、眠っても体が痛くなるし。


 遊びなんて一つもわからなくて、ずっと退屈してるし。


 服なんて、もう何年も前からサイズが合わなくなってるし。


 なぜか最近、体の節々が痛いし。


 偶に股から血が出てくるのも、何が起こってるのか全然わかんないし。


 

 ずっとひとりぼっちで、寂しくて、辛くて、何より────この暗闇が、怖くって。


 もうずっと、頭がおかしくなりそうだった。


 ずっと誰かに、ここから連れ出して欲しかった。



 ……いや、もういっそ、出られなくたっていい。

 ただ、この地獄を生きる為の「希望」が欲しい。


 だから、ほんの一瞬でいいから、

 ほんの、ちょっとの時間でいいから、


 小屋の扉を、開けて、そして───



 ────そして、ただ、太陽が見たい。



「お願い、もう、それだけでいいんです!!! それだけしてくれたら、もう二度と我儘言いませんからぁ!!!!」


 

 そうして私は、喉を裂くほどの勢いで懇願し続けた。

 壁の向こうにいるはずの見えない誰かに、望みが届くようにと願って。


「お願いします! お願いします! 私を助けてください!!!」


 気づけば、指先に血が滲んでいた。

 無我夢中で叫んでるうちに、縋っていた壁を引っ掻きすぎてしまったらしい。壁に刻まれる夥しい量の爪痕が、それを証明してくれている。


 それでも、私はそのまま叫び続けた。

 痛みなんて、ここでずっと過ごす苦しみに比べればなんてことなかった。


「もう限界なんです! おかしくなっちゃうんです! 暗いのはもう嫌なんです!」


 気づけば、目から涙が溢れていた。

 視界がぼやけて、ただでさえ暗くて見えづらかった世界はこれで完全に見えなくなってしまった。


 それでも、私は叫び続けた。

 声を出すことさえできるのなら、もうそれ以外は全部がどうでも良かった。


「お願いします! お願いします! お願いします!!」


 私は、ずっと叫び続けた。


 疲れ果てても叫び続けた。

 膝が立たなくなっても叫び続けた。

 喉が枯れ、血を吐いても叫び続けた。

 声が出なくなっても壁を叩いて音を出した。

 腕が動かなくなっても頭をぶつけて叩き続けた。

 頭も動かなくなっても全身をぶつけて叩き続けた。


 そうして、「それでも」を重ねて、重ねて、重ね続けて、もう、何もできなくなって。

 それでも私は、足掻き続けて。


 ───それでも、やっぱり、世界は私に優しくないままだった。



 ガサ、と、そんな音を、朦朧とした意識の中、私の耳は確かに聞き取った。



 それは、紛れもない、確かにそこにいた「誰か」の立ち去る音で。





 そしてこの小屋には、再び、いつも通りの静寂が帰ってきた。






 ……結局、こうなってしまうんだ。


「あ、アハ、アハハハ…………」


 零れた自嘲の笑いも、掠れて声にすらなっていない。ヒューヒューと、空気が漏れ出るような音がするだけだ。


 ただ、暗い。


 そんな、息の詰まるような暗闇の中、ツンとくるような血の匂いと、舌がピリピリする涙の味が、今は嫌にハッキリと感じられていて。


 まだ私の五感ってこんなに動けたんだなあ、なんて、そんなことを考えながら。


 私は、そっと意識を手放した。


 

 ◆








 


 パチリ、と目を開ける。


 暗い。


 それから、身体中が痛い。

 体の筋肉一つ一つが分かるくらい、全身を隈なく、ビリビリとした痛みが襲っている。身じろぎ一つするだけで、痛みで顔を顰めてしまうほどだ。


 それでも、なんとなく、そうしなきゃいけない気がして、私はのそりと上半身を起こす。


「……………………」


 何か、いつもみたいに独り言を言おうとしてみるけれど、声が出なかった。


 ……いや、この言い方は正しくない。

 私はもう、声を出す気力さえ失ってしまったのだ。


 ぽっかりと、心に穴が空いたような感覚がする。

 ただ無気力で、手に伝わる床の木材のザラザラとした質感とか、無音の中でする小さな耳鳴りとか、そういう普段なら気にならないような小さなものが、酷く不快に感じられた。




 ───あれから、どれくらい時間が経ったんだろう。



 霞がかった脳内で、私はそんなことを思考する。

 辺りを見渡しても食事の皿が見えないので、まだあれから1日は経っていないと思うが……


 しかし、と。


 そもそも、あれだけのことをしておいて、今日もあの人は来てくれるのだろうか、とも思う。


 きっと、相当驚かせてしまったはずだ。何せ、世界を捻じ曲げる力を持つ忌み子の女が、突然自分に話しかけてきたのだから。

 しかもその内容が、自身の解放の要求だなんて……また同じ目に遭うかも、と恐ろしくなって、もうここには来なくなってしまうかもしれない。


 実際のところ、もう私にはあんなことをするだけの度胸も気力も、残されてはいないのだけれど。そんなこと、相手からしたら知る由の無い事だから。


 もしかしたら───もう、あの食事が届けられることはないのかもしれない。



 そう考えると、なんだか全部がどうでも良くなった気がした。


 何だろう、この、やり切った感というか。

 全身の疲労が心地よく感じられるというか。

 吐くの息の一つ一つが、まるで深呼吸みたいな、そんな感覚だ。


 今まで、私が生き続けてしまったのは、一縷の希望を捨てきれなかったからだ。「もしかしたら」があるのに、それを捨てて楽になるのが嫌で、ずっと頑張ってきた。


 でも今、私にできることは全部やりつくした。それで、私が死ぬしか無くなったんだとしたら、この絶望は、決して諦めの結果でも、やるせないものでもない。


 絶望(それ)は、ただそうあるべき、「ゴール」なのだ。


 私はその不思議な解放感に包まれながら、小屋の壁にもたれかかった。

 ギ、と、壁から乾いた音が鳴る。

 その音がまた耳に響いて、頭の中をぐわんぐわんと回っている。


 なんだか、ひどく眠たかった。

 段々と私の体を溶かしていくかのような、どこまでも暖かい暗闇のような、そんな、ぼんやりとした眠気。


 瞼が何もしなくても閉じていく。首が、何もしなくても俯いていく。意識も、もうはっきりとしない。


 全てが、曖昧になっていく。


 だから、私は、そっと笑って。


「あはは……私、やっと、終われる(死ねる)んだなぁ……」



 最後に、そんなことを呟いた。





























































「その必要はない!!!!!!」


 

 ドゴ、と音がして。

 そして、私の世界は、大爆発を起こした。



 ◇



 ───彼女は、ただその光景を呆然と眺めていた。


 彼女が誰かの声を聞いた、と認識したその瞬間、突如として、彼女の正面にある壁が崩れ去ったのだ。小屋の中には朦朦と土煙が立ちこめ、バキ、パキ、ガラガラとその残骸が音を立てる。


 そして、その煙の中から、ゆっくりと姿を現す者が、一人。


「───やっと、ここまで来れた」


 それは、小柄な彼女よりもさらに小さい、声変わりも済んでいないような、一人の少年だった。


 彼は、彼女の困惑に構うこともなく、そのまま小屋の中に入ってくる。

 そして、隅で座り込んだままの彼女の方へ少しずつ歩き出した。


「おい、お前! よく聞け! 死ぬとか何とか、そんなこと言うな!」


 強い叫びで、彼の()()が揺れる。


「忌み子だとか、世界に迷惑だとか! そんなの、何の関係もないんだ!!」


 彼女より一回り小さな影が、彼女を覆うように伸びてくる。


「どんな奴だろうと、自分の幸せは願ったっていいんだ!!」


 目前でドン、と、力強い足音が響き、少女は思わずその顔を見る。


「だから、もう、いい─────!!」


 そして彼は、まだ筋肉も十分についていないようなその細腕をぐい、と前に突き出して。



「逃げるぞ!! ここから、一緒に!!!」



 淡紅色の瞳が、彼女を見つめている。


 ◇


 訳が分からない、と彼女は思った。

 ずっと小屋の中の世界しか知らない彼女には、イレギュラーを処理する能力というものが、全く育っていない。小屋に大穴が開いて、初めて「人間」を見て、しかも、逃げるぞ、なんて言われたところで、それを受け止めることもできはしないのだ。


 今、彼女に分かったのは、何やら大変なことが起こっているらしい、という事だけ。

 一晩かけて村から食料を奪ってきたからしばらくは大丈夫、とか、逃げるなら痕跡の残らないダンジョンがいい、とか、そんなことを少年が説明しているが、それも耳に入ってすらいなかった。


 だから。


 なにも、わからない彼女だから、ただ、()()だけが目について。


「…………まぶ、しいなぁ」


 ふと、漏れ出てきた声は、何を思ったものなのか。

 それはもう、本人ですらわからない。


 それは、ただ、丸くて、大きくて、暖かくて、でも、目に入れると少し痛くて。そんな、世界のすべてを溶かしこんでしまいそうな────真っ白な太陽だった。


 小屋の床に、太陽の光が反射している。

 舞う土煙の中、一つ一つのチリが、さながら宝石のように煌めき、自分の体に降りかかってくる。

 長く、夢見ていた世界。けれど、その光景は、夢なんかよりもずっと美しくて。


 ぽつり。


 膝が濡れた。涙だ、と気づくのに、二、三秒の時間を要した。今まで流したこともないような、大粒の涙だった。不思議に思って拭っても、次から次に出てくるから、いっそ、好きにさせることにした。

 悲しくなくても涙って出るんだな、と、そんなことを考える。


 そして、改めて彼女は自身へと伸ばされた彼の手を見た。


 小さい手だ。骨ぎすで、自分なんかより、ずっと頼りない。この酷い生活環境にいる自分よりとなると、もしかしたら彼も忌み子なのかもしれない。

 いや、そもそも、子供なのに自分の世話を任されている時点で、村でまともな扱いを受けているわけがなかったか。


 状況に追いついていない頭で、それでもぼんやりと、思考を前に進めていく。


 そして。


 ────多分、これは乗ってはいけない誘いだ。


 なんとなく、彼女は直感した。


 そもそもが、自分は世界を壊す力を持つとして閉じ込められていたのだ。それが外に出て、好きに生きて、なんて、皆が許すはずがない。まして、こんな頼りにならなそうな子供と逃げたって、何一つ救いなどないだろう。きっと、未来に待っているのは絶望だけ。夢は、冷めた瞬間が一番空しいものだということは、この生活で誰よりもよく知っている。それに比べれば、この小屋での生活の何と幸福なことか。希望も絶望もないぬるま湯。もう、太陽だって見れている。なら、この中に閉じこもっていても私は大丈夫。何の問題もないはずだ。

 頭の中の冷静な部分が次々に「そうすべきでない理由」を述べ立てる。ここ十数年で培われてきた自分の気持ちをごまかす術が、今までにないほどに素早く働いている。


 ───だけど。

 その時は、なぜか声が出て。


「……本当に、いいの? 私の魔法で、君も死んじゃうかもしれないんだよ?」


 少年が返す。


「死なないさ。そういう固有魔法を持ってる」


 そう言って、彼がこの世界に心配事なんて一つもありません、みたいな顔で笑うから。

 それじゃあ、と、流されるままに口を滑らせて。


 そっと、彼の方へと手を伸ばす。

 その時、触れた途端に伝わってくる、人間の「温かさ」に少しだけ驚いて、それでも決して離さないように、その手をぎゅっと握り返した。


 小屋から出れば、そこはもう知らない世界。

 辺りを囲む草も、吹き抜けの青空も、踏んだら沈んでしまう土も、今まで想像すらできなかったような、美しくて、まぶしくて、汚くて、脳が追い付かないでふらっと来てしまうような、それでいて、生涯絶対に忘れられない、



 そんな、極彩色の、どこにでもある夜明けの物語。





 二人の逃避行に幸あれ。


 読了ありがとうございました。面白いと思ってくださった方は、下の⭐︎とブックマークよろしくお願いします。

 この物語が、貴方の人生の宝物になりますように。



 補足:少年の固有魔法は『隔接』

 互いの距離を操る力。本編では皿との距離を操って小屋から出し入れしていた。

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