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ワンピースについての雑感

作者: 相浦アキラ

軽いネタバレがあるので注意してください。

 YOUTUBEでワンピースの一挙放送がやっていたので序盤の方を見ました。ウン十年ぶりなので懐かしかったです。今見ても結構いい作品だと思います。中でも良いと思うのが、ルフィの麦わら帽子に込められたシンボル性です。


 この麦わら帽子はルフィが幼少期に出会った憧れの海賊、シャンクスとの別れ際に「立派な海賊になって返しにこい」と託されたものです。成長したルフィは海に出て仲間を集め、世界中を冒険したり強大な敵と戦ったりしていくのですが、その間ルフィは殆ど常に麦わら帽子を被って大切にしています。この麦わら帽子はルフィの行動原理を象徴するシンボルとして機能していると言っていいでしょう。ルフィはシャンクスから始まり、シャンクスに向かって生きています。そういったルフィの行動原理を、スクリーンにひっきりなしに映る麦わら帽子が、受け手の意識にも無意識にも訴えかけています。麦わら帽子というのがまた上手いと思います。ちょっとノスタルジックで、安価で軽そうな質感のシンボルをルフィが宝物として後生大事にしているのは精神的で崇高な印象を受けます。またルフィ以外のメインキャラクターもその多くが、何らかの悲しい過去に起因した精神的な基準によって行動している事が示されています。作品を書く上でキャラクターの行動原理を受け手に納得してもらうのは結構難しい事なのですが、ワンピースという作品はエピソードやシンボルを介してキャラクターの行動に説得力を持たせるというのを意識していて、中でもルフィは徹底しています。


 これだけ書いたらルフィが、父であり向かう先である神を意識し続けたキリストのように、自分の成り立ちと行く先を意識し続けた聖人のようにも思えてきますがもちろんそういう訳でもありません。ルフィは少年漫画の主人公なので、宴を楽しんだり肉を食べまくったりする飄々として享楽的な子供じみたキャラクターとして描かれています。このあたりは酒飲んでワイワイやってる海賊から毒気だけ抜いたようなイメージを借用していて、これは現代的でリア充的な内輪のノリと繋がっています。グローバル化や家制度、地域コミュニティの消滅も象徴している感じがします。


 またルフィは人助けを希求している訳でもヒーローになりたい訳でもなく自由に振舞っていますが、冒険の邪魔になる奴や仲間を傷付けた奴や気に入らない奴をぶっ飛ばしていくうちに、気付いたら抑圧された人々を解放して感謝されたりしています。これは個の自由にさせとけば全体が良くなるはずという自由主義経済を肯定的に描いているのかなという感じです。(こういった構成はミナミの帝王やゴルゴ13なんかにも取り入れられている気がします)


 まとめるとワンピースはシンボルによってキャラクターの説得力と精神性を印象付けつつも、現代に信じられている要素を肯定的に称揚する事で評価されたのかなと言う感じです。


 ただ気になる事は、ルフィが自由気ままに気に入らない奴をぶっ飛ばしていった結果、無辜の人々が不利益を被ることも十分考えられるという事です。実際ルフィが凶悪犯罪者と共謀してインペルダウンを脱獄する時も、ハンニャバルというキャラクターが人々の為に命がけでルフィの前に立ちはだかるシーンなんかがありますすが、この辺りはハンニャバルの方が応援したくなります。


 リアルに考えていけばルフィのような自分勝手な人間のせいで苦しむ人は出て来るでしょうし、仲間内のノリの中でも色々と矛盾が出て来るのは想像に難くないのですが、そういった問題は作中では殆ど出てきませんし、たまたま出て来たとしてもそれは作劇上の失敗として結果的に浮彫りなるに留まっています。結局は作品世界がルフィや受け手に都合のいいように出来ています。


 エンタメ作品に何を言ってるんだと言う感じはしますが、後世に残って評価される作品かと言うとそういう感じでも無いという事です。ただ少なくとも、主人公が「どこから来てどこへ行くのか」という事を意識的に描いた作品ではあるのかなと思います。


 近代人は、自分がどこから来てどこへ行くのかについて殆ど意識せず生きていると思います。かつては「神から生まれ神に帰る」「大地から生まれて大地に帰る」「祖霊から生まれて祖霊に帰る」といった思想に支えられた意識的な生もあったでしょうが、今は殆ど考えられません。私を含め多くの近代人は自分がどこから来てどこへ行くのか大して意識もせず、行動原理もなくただ何となく糧と快を求めて日々を生きています。


 ではそんな現代においてルフィの麦わら帽子のような精神的シンボルが必要とされているというのはどういう事なのでしょうか。なろうのハーレムもののように精神的な要素を取っ払って快だけを振りまく作品もあるにはありますが、一般的には息が短くメジャーにはなりにくいようです。大ヒットした鬼滅の刃も葛藤の無さをグロや新奇性で誤魔化している感じは否めませんが、やはりどこか精神的な所があります。これはどういう現象なんでしょうか。


 一つ言えるのは、行動原理が見えず主人公が好き勝手動くだけの作品は、特に行動原理が無くなんとなく生きている我々の姿を浮き彫りにしてしまうのではないかという事です。


 罪と罰だとラスコーリニコフの行動原理が外部にはなく、内部でも良く分からない、物語も何もないという近代人を象徴するような状態から物語が始まります。これは近代人に対する優れた洞察だと思いますが、自分自身がこんなよくわからない状態に陥っているとは誰も認めたくないので、趣味的に精神的シンボルを持ってきて「俺だって精神的な所もちょっとはあるんだ!」と思いたいのかも知れません。


 まあ好意的な解釈をしておくと、なんだかんだで精神的な要素は普遍的であり、現代人もまた神に代わるような自分を超える崇高な何かを求めていると考える事も出来ます。


 ……大分話がズレて来たのでこのくらいで終わっておきますが、100年後の未来から見てワンピースがどんな作品に見えるのかはちょっと興味があります。それまでに人類が滅亡してるかもしれませんが。


 

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