お兄ちゃんの悩みは深刻でした
麻さんの家に、兄がまた不意に現れた。それで麻さんが文句を言う。
「急に毎回来るけど、やめて。それに私だって、居ないかもしれないし」
「仕事に行く以外、麻さんは家にいるだろう?リモワも多いし。麻さんは家が好きだからな」
「そうだけど」
兄は勝手に上がって、寝転んで猫さんを抱いた。兄はあたりを見回して言う。
「テレビないの?」
「ないよ」
「なんで、寂しいだろう?テレビ買えよ」
「嫌だよ。テレビなんていらないもの。パソコンとモニターと、携帯で十分じゃん」
「俺はテレビが欲しい。安いの買ってやろうか?」
麻さんは申し出を断った。
「そんなの要らないよ。お兄ちゃん、貧乏なくせに買えないでしょう?」
兄が笑いながら、猫さんにタカイタカイをする。その様子をみて麻さんが言う。
「猫さん、見に来たの?」
すると、何時になく真剣な顔で、猫さんを抱きしめながら兄が言う。
「俺さ、悩んでんの」
「何を?」
兄は猫さんの体に顔を押し付けて言う。
「南央美さんの子さぁ。本当に俺の子どもかなって」
兄の意外な告白に、麻さんは戸惑う。
「え?でも、ずっと一緒に暮らしてたよね?」
「そうなんだけど、俺知ってんのよ」
「何を知っているの?」
「男いたんだぜ。半年くらい前さ」
「嘘ぉ」
兄は、猫さんを床に置き、ポケットから携帯を取り出した。
「本当、本当。これ見てよ。偶然、俺の空手仲間が、街で見かけて、動画と写真取ったんだって」
兄が携帯の画面を見せてきた。ありえない画像と動画に、麻さんが声を出す。
「あ……」
兄が携帯を眺めながら言う。
「なっ。友達の距離感じゃないだろう?俺の空手仲間が、俺に子供が出来て、結婚すると言ったら見せてくれてさ。本当は俺に、黙っているつもりだったんだけど、そう言う事情なら黙ってられないって。子供が出来た時期と、写真の時期が一緒だからって言ってさ。心配してくれてさ」
兄の携帯画面には、腕を組んで歩く南央美さんがいた。麻さんが動画を見ながら聞く。
「今にもキスしそうな勢いだね。南央美さんには聞いたの?」
「聞いてどうすんの?」
「でも聞かないと何も分かんないよ。良いの?お兄ちゃん、もしかして他人の子を育てる事になるんだよ」
「何か。俺、分かんないのよ。お腹の子が他人だとして、南央美さんと別れて、別な女見つけるのかってさ」
麻さんは、兄の表情を確かめるように、兄の顔を見て言う。
「そんなに好きなの?」
苦しげな兄の表情があった。兄はもどかしげに言う。
「好きとかそう言うんじゃなくて。長いだろう?一緒にいた時期が」
「まぁね。十数年でしょう?」
兄は落ち込んでいるようだった。肩を落として、兄は言う。
「今更別れて、また他の女と知り合って、恋愛してなんて、本当にできるのかと思ったりして……」
「じゃ、このまま知らんぷりして、子供を育てるしかないよね」
兄は吐き捨てるように言った。
「俺はそんなに器用じゃないよ」
確かにそうだと、麻さんは思いながら聞く。
「じゃあ、どうするの?」
兄は携帯をポケットに突っ込んで言う。
「何にも選べないよ。俺、分かんなくてさ。なぁ、麻さん、俺どうしたら良い?」
「そんなの、私にはわかんないよ」
「だよなぁ。俺さ、それにおかしいと思ってはいたのよ」
「何を?」
「俺と南央美は、夜の関係がレスなのよ。俺、南央美が怖くてさぁ。いつも小言を言われて、虐げられてるからさ。昼間怖いのに、夜だけそう言うのするのって、俺には無理なんだわ。してる最中も怒られそうで、ビクビクしちゃってさ」
麻さんはゲンナリする。
「……それ、妹に言う?」
「いいだろう? 他に相談出来るやついないんだよ。ナイーブな問題だろう?」
兄は猫を一旦離した。猫はいつもの食器棚の上に飛び乗ってしまう。
兄は猫を、目で追っいながら言う。
「始めは、南央美だったのよ。拒否られてさぁ。俺もあんまり断られるから、だんだんそう言うのどうでも良くなっていって……。そしたら金も貯まってきたから、南央美が子供を欲しいって言い始めて。子供作って、店も開きたいって。南央美は30歳前に子供産みたいって言い出して。でもいざそうなったら、俺が無理だったの。そしたら今度は南央美のほうが、意地になってさ。してくれ、してくれって。何で出来ないのかって責められてさ。南央美は、派手な下着を買ってきたりして。そう言うことじゃないんだよ。そんな事されても無理なもんは、無理なんだ」
麻さんが疑問に思って尋ねた。
「だったら、何もしてないのに、何で子供が出来た事を信じたの?」
兄が遠い目で言う。
「俺さぁ。10年近くレスだったんだけど。半年前に奇跡的に1度成功したのよ。その時出来た子かと思ってしまってさぁ。空手大会で優勝して、気持ちが上がっていてさ。それで……」
「あ――――。もう聞きたくないよ」
「悪い……。だよなぁ。あー、俺もうどうしていいかわかんね――」
兄は食器棚の上の猫を見て言う。
「猫さんにおやつあげたい。ゼリー何処?」
麻さんは黙ってゼリーを渡した。