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香菜さんの母親


 慰労会が行われてから、1週間ほど経った頃だった。

 香菜さんが、クラブに出勤しようと、クラブの裏口の扉を開けようとした。

 その時、懐かしい声に「元気だった?」と言われた。


 香菜さんには誰だかわかった。

 懐かしい、とても聞きたかった声。

 そして2度と聞きたくなかった声。

 香菜さんが、相手を確認するみたいに言う。

 「ママ?」


 ママと言いながら、香菜さんは声のした方を見た。

 やっぱり、ママだった。


 かなり老けて、美しさは半減してしまっていたが、香菜さんのママだった。

 香菜さんのママは、香菜さんより背は低いが、とても綺麗な人だった。

 そう、とても綺麗な人だったのだ。


 香菜さんが言う。

 「10年振り?」

 ママが言う。

 「さぁ、もっとかなぁ」

 ママは笑顔で言ったけど、香菜さんには、笑顔に見えなかった。

 ママの笑顔の中には、笑顔じゃないものが交じっていたからだ。


 ママが言う。

 「場所を変えて話をできないかしら?」

 香菜さんの表情が曇る。

 「今から仕事なのよ」

 「久しぶりに会ったのに、少しの時間も私にくれないの?」

 香菜さんは戸惑いを隠せない。

 いつものカラッとした香菜さんではなかった。

 「急に来るから……」


 ママが言う。

 「連絡先も分からないし。でも店の場所だけは分かったから」

 ママは腕時計を見た。

 「30分、いえ15分でも良いのよ」

 香菜さんがママの顔を見る。

 そしてママの身なりを見た。


 ママはいつも流行の服を着て、着飾って、輝いていた。

 でも今香菜さんの眼の前にいるママは、着古した服を着て、髪も手入れが行き届かず、見窄らしかった。


 ――苦労が、ママからにじみ出ていた――


 香菜さんがママに言う。

 「15分くらいなら」

 香菜さんが、クラブの前にある小さな喫茶店を見た。

 「あの店で良い? コーヒー以外なにもないけど」

 ママがうなづく。

 「別に何か食べに来たわけじゃないの。話をしに来ただけだから」


 二人は大通りを渡って、喫茶店に入る。

 喫茶店に入りながらママが、看板を見て言う。

 「サリエ」

 香菜さんが店の看板を見た。

 「店の名前を初めて知ったわ」

 ママが笑う。

 「香菜ちゃんは、そう言う子よね」


 香菜はママの言いプリにムッとした。

 「ママに、私の何が分かるの?」

 ママが狼狽えて言う。

 「そうね。ごめんなさい」

 香菜さんが言う。

 「16歳の時に、ママは家を出て行ったのに」

 「ごめんなさい。でも仕方なかったのよ。もうあの頃はパパと私は終わっていたから」


 香菜さんがズンズン歩いて、席についた。

 ママがその後を追う。

 ママが座ると、喫茶店の店員がやってきて、メニューを置いた。

 香菜さんがメニューも見ないで注文した。

 「本日のお勧めをLサイズで」

 店員が聞く。

 「ホットですか? アイスですか?」

 「アイスでお願い。氷抜きで」

 「はい、氷抜きで」

 店員がママを見る。

 ママは急いでメニューを確認して、指さした。

 「これで……」

 「ウインナーコーヒーですね。かしこまりました」

 店員が去って行く。


 ママが言う。

 「今どきウインナーコーヒーがあるなんて。珍しいわね」

 香菜さんがママの話を無視して話す。

 「で、今日は何の用事なの?」

 ママが辛そうな顔をした。

 身を捩って、バッグからハンカチを取り出した。

 それからママは、手を丹念に拭いた。

 ママは手を拭き終わると、話しだした。

 「お金を貸して欲しいのよ」


 香菜さんはため息をついた。

 「やっぱり、金だよね」

 ママが焦る。

 「違うの。違うの。そんな……、金だなんて」

 香菜さんは意地悪を言う。

 「いいよ。ママには私がお金にしか見えないんでしょう?」


 ママはまたハンカチで手を拭いた。

 ママは、今度は、ハンカチで手を拭きながら言う。

 「上手く行ってないのよ。あの人の会社が……」

 香菜さんのママの男は、テレビ局向けの制作会社をしている。

 「今テレビ業界は下向きでしょう? 仕事が減ってしまって……」

 香菜さんが頷く。

 「でも、私には関係ないよ。ママの男の会社の事なんて」

 ママが言う。

 「お願い。香菜ちゃん。助けて。少しでいいの。ちょっとでも融通してくれない?」

 「いくら? いくら欲しいの?」

 

 ママが指を1本上げた。

 香菜さんが聞く。

 「10万?」

 ママが首を左右に振った。

 「100万?」

 またママが首を左右に振る。

 「1000万?」

 ママが頷く。

 「あのさぁ。少しって言ったよね? そんな大金を、会った事もない男の会社に貸すと思うの?」

 

 ママは必死だった。

 「香菜ちゃんも、なんどかあの人と仕事したじゃない?」

 香菜さんは、確かに13歳くらいの時に、何度か仕事をした。

 でも香菜さんは、正直その男など覚えていなかった。

 ただその時の縁で、ママはその男と不倫関係になったのだ。

 

 店員がコーヒーとウインナーコーヒーを持ってきた。

 一旦話が中断された。

 店員はコーヒーとウインナーコーヒーを置いて行ってしまう。

 香菜さんがコーヒーを一気に飲んだ。瞬く間にグラスのコーヒーは空になった。

 ママはウインナーコーヒーを飲まずに、ストローでかき混ぜていた。

 

 香菜さんが言う。

 「貸せないよ。そんな大金ないよ」

 ママが提案した。

 「ビルとか抵当に入れて、お金借りられないの?」

 香菜さんがママをジッと見た。

 「ママ、とうとうボケたの?」

 

 ママはボケたと言われて、表情が変わった。

 「ボケたって……。ママにそんな酷い言葉を……。いくらなんでも、そんなぁ」

 香菜さんが言う。

 「なんで私がママの男のために、借金するの? すると思った? 馬鹿じゃないの?」

 ママが言う。

 「じゃぁ、100万でもいいの。貸してよ」

 香菜さんが腕時計を見た。

 「15分経ったよ。私もう行く」

 ママが言う。

 「10万でも良いの。貸して」

 香菜さんが財布を出した。

 そしてママの眼の前に10万置いた。


 「返さなくていいから。これはママへの私からのお小遣いだよ。ママがその男を別れたら、ママの生活の面倒は見るよ。でもその男は駄目だよ。許せないの。私たちの家庭を壊した男だよ」

 ママが、手に持ったハンカチを、いじくり回しながら言う。

 「あの人が、わたしたちの家庭を壊したんじゃないの。香菜ちゃんは誤解しているのよ。壊したのはパパなの」

 「パパのせいにするの?」

 「だってそうでしょう? パパのせいだもの」

 香菜さんは寂しそうな顔をした。

 「パパは可哀想な人だった。ママは……」

 

 ママは心外だという顔をする。

 「香菜ちゃんは、いつもパパの肩を持つのよ。香菜ちゃんはパパが好きで、私が嫌いなのよ」

 またママはハンカチで丹念に手を拭き始めた。

 香菜さんはイライラしながら立ち上がる。

 「元気でね」

 ママも立ち上がった。

 「香菜ちゃん! 待って!」


 でも香菜さんは振り返らない。

 ママは店に置き去りにされた。

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