碧の説得
麻さんの手を握ったまま、先に碧さんは公園のベンチに座った。
それから、「座って」と碧さんが麻さんに言う。
麻さんは手を繋がれたまま、できるだけ碧さんから離れて、ベンチに腰掛けた。
そんな麻さんを見て、碧さんが言う。
「遠いよね」
麻さんは俯いて答えない。
麻さんの体は震えていた。
碧さんが言う。
「ラブホに、あのまま連れ込んでも良かったのに。俺は誠意を見せて、公園に来たんだ。なのに、麻さんはそんな態度をとるの?」
思いがけない言葉に、麻さんは碧さんを見た。
「ラブホ? なんでラブホなの?」
碧さんが言う。
「避妊しないで、やちゃえば。麻さんも、この先洋さんと付き合って行けなくなるだろう?」
麻さんの表情が、更に暗くなった。
碧さんが言う。
「俺は、いいんだぜ。いつ子供が出来てもさ。俺はいつだっていいんだ。心の準備は出来ているんだ。良いお父さんになるよ」
もはや碧さんの頭の中で、麻さんとの結婚生活が、設計されているらしかった。
麻さんが碧さんを、うつむきつつ横目で見た。
麻さんに、碧さんの気持ちは分からない。
麻さんが言う。
「何度も言っているけど。私と碧さんの関係は終わっているの」
碧さんが麻さんに体を寄せた。
それで麻さんのすぐ隣に、碧さんがいる状態になってしまう。
碧さんが、うつむく麻さんの顔を覗き込んで言う。
「終わったのは麻さんだけで。俺は終わっていないんだよ」
覗き込んだ碧さんの瞳は、尋常ではない力があった。
麻さんは、碧さんの顔と瞳に、恐怖を覚えた。
碧さんの、麻さんを握る手に、力が入る。
麻さんが言う。
「痛い」
碧さんが言う。
「痛いのは、逃げようとするからだよ。麻さんが悪いんだ。俺から逃げようとするからだ」
麻さんは、怖くて震える。
麻さんは絞り出すように言う。
「ごめんなさい……」
碧さんが言う。
「分かってくれたら良いんだよ」
それでやっと、碧さんは、麻さんを掴む手の力を緩めた。
麻さんが言う。
「本当にごめんなさい」
碧さんが頷く。
「良いんだ。麻さんが反省してくれたら良いんだよ」
麻さんは身を縮める。
「本当にごめんなさい。でも私、もう洋さんと付き合っているの。たぶんそのうち結婚すると思う。だから碧さんは、碧さんの幸せを……」
その時碧さんが叫んだ。
「麻さんは何を言っているの?」
麻さんが頑張った。
「私達、もう終わったのよ。碧さんはモテるし。いくらでもいるでしょう?」
碧さんが言う。
「俺は麻さんしか考えられない。ねぇ、俺との未来を考えてくれよ。あんなに俺のことを、麻さんは好きだったじゃないか? 沢山キスして、沢山愛し合っただろう?」
そして碧さんに、麻さんは抑え込まれて、キスされそうになる。
麻さんは、パニックになった。
麻さんが、声を出す。
「ああ、ああ、ああああああ、やめ……」
その口を、碧さんが手で塞いだ。
「大声出すなよ! 馬鹿か」
麻さんは息が出来なくなる。
麻さんの頭の中は真っ白になった。
碧さんが言う。
「仕方ない。ホテル行こうよ。愛し合えば、麻さんの気持ちも変わるだろ?」
麻さんがその言葉に、かろうじて、我を取り戻した。
麻さんは、最後の力を振り絞る様に、体を斜め30度にして、碧さんの鼻先を目掛けて立ち上がった。
そして麻さんの思惑は当たる。
麻さんの頭が、碧さんの鼻にぶち当たった。
麻さんの頭突きが、碧さんの鼻先に当たって、碧さんは鋭い痛みを顔の中心に感じた。
碧さんは思う。
――これはヤバいやつだ――
碧さんが自分の顔を、両手で覆った。
すると、覆った手の指の間から、血が滴った。
鼻から血が溢れて落ちた。
ポタポタと。
血が垂れていく。
たちまち、碧さんのTシャツを、血が濡らす。
麻さんが立ち上がる。
麻さんは、碧さんから少しずつ距離をとった。
少し離れると、麻さんは、血が滴る碧さんに、ポケットテッシュを放る。
麻さんは碧さんから視線を外さずに、少しづつ離れた。
そんな麻さんを、碧さんはじっと見ている。
痛みで、碧さんは声も出ないのだ。
鼻を押さえながら、口の中に広がる血の味を確かめながら、ただ麻さんを見た。
今までの麻さんなら、碧さんの状態を確かめて、手当をして、病院に付き添ったに違いなかった。
でも違った。
麻さんは、逃げた。
碧さんに背を向けて、思いっきり走った。
麻さんの背中を、碧さんは見つめる。
麻さんが、すっかり見えなくなっても、碧さんはベンチに座ったままだった。
15分もそうしていると、血は完全に止まった。
碧さんはそれでまだベンチに一人座っていた。
そして空を見上げた。
空には月や星が見えた。
口の中は地の味がした。
碧さんは、テッシュに、血が混じった唾を吐いた。
碧さんはポツリという。
「まだ終わってない」
そして碧さんは立ち上がり、居酒屋に向かった。




