香菜の告白
そして、香菜さんは再び美容室にやってきた。
兄が香菜さんを見て言う。
「今度は何?」
兄の表情は厳しい。香菜さんは少し怯んだ。
「本当の気持ちを伝えたくて」
「本当の気持ち……。ああ、京介君、ここ代わってくれる?」
オープンから働き始めた京介がハイと言い、兄と代わった。
兄がお客様に言う。
「すぐ戻ります」
お客様がええと言う。
兄が香菜さんに言う。
「行こう」
兄が住居スペースにつながる店側の扉を開けた。住居スペースに香菜さんは入りたくないと思い、ためらった。兄が香菜さんの気持ちを察して言う。
「母さんは、今パートで家にいないから」
それで2人は住居スペースに入っていく。
リビングのソファに座るように、兄が香菜さんに言う。
香菜さんがソファーに腰掛ける。
兄は、香菜さんの斜め横の席に座った。
香菜さんが話を切り出した。
「私は恩返しで、出資したんじゃないんです」
兄が困ったように言う。
「じゃ、なんで出資したの?」
香菜さんは、苦しそうな顔で兄を見た。
「お兄さんの側にいたかったんです」
兄が不思議そうに聞く。
「側にいさせるために、わざわざ出資して、共同経営者になったの?」
香菜さんが辛そうに言う。
「私は、人が信じられないんです。いつも私は裏切られるんです。私にお金があるとわかると、付き合っている男はみんな人が変わってしまう。だから私と付き合ったら、兄さんも……」
兄が香菜さんの濁した言葉を、はっきりと言葉にした。
「俺が香菜さんの付き合っている男として、香菜さんの側に居たら、俺も金で人が変わって、そのうち香菜さんを裏切ると思ったってこと?俺ってそんなに金に弱そうに見えた?」
香菜さんが小声で言う。
「麻さんに、実家の相続を放棄させたりして……。そう言うのみてるとつい……」
兄はそうした理由を説明した。
「あれは麻さんを、父さんと相談して、婆さんちに逃したのよ。麻さんは母さんと離れた方が良いんだけど。麻さんは何かなければ、母さんから離れられないだろ? 母さんと麻さんが離れられないのは、母さんだけじゃなく、麻さんにも問題があったんだ」
香菜さんは兄の思いもかけなかった考えに驚く。
「そう思っていたんですか?」
兄が頷く。
「ああ、2人を引き離せて良かったよ。今後は、母さんの世話は俺が引き受けるから、母親の家は俺がもらうけど。俺は父さんの財産は放棄するつもりだ。俺は、俺だけが得したいとは思わない。そう言う男だったら、南央美に金もやらなかったと思わない?」
香菜さんは、兄の行動を見て来たはずなのに、何で兄さんの優しい部分を、見落としてしまったんだろうと思う。
兄が話を続ける。
「香菜さんの出資の話だって、すぐには乗らなかった。金がそんなに大事なら、康ちゃん追い出す時に、香菜さんに金を請求したよ」
香菜さんが兄を見る。
「確かに、そうかもしれない」
長年兄に蓄積されていった、香菜さんの兄へのイメージが、香菜さんに兄の本質を見間違わせたのだ。
兄は落胆した様子だった。
「いいんだ。そう見えるよな。俺って、見た感じダメなやつだからな。実際ダメ出し。頼りないし。南央美にもダメ出しばかりされていたし」
香菜さんが弱々しくい言う。
「そう言うわけじゃ」
兄の表情は冴えない。
「分かったよ。俺の人間性が変わらないまま、香菜さんのペットとして、俺を側に置きたかったってことか……。それで出資して、共同経営者にして、俺を香菜さんのそばに置いたのか。なる程なぁ。それで対等な関係とか言っていたのか。その実、俺を金で縛ったわけか。参ったな……」
香菜さんが兄の問いを否定した。
「違う……。そうじゃない」
兄が壁掛け時計を見て、ソワソワしながら立ち上がった。
「じゃ、俺は仕事に戻るよ。香菜さんの本当の気持ちはわかったから。大丈夫、俺は香菜さんを、そんな事で恨まないよ。いずれにしても出資や、銀行を紹介してもらったり。会計事務所や、弁護士、司法書士、色々世話になったんだ。他にも設計事務所、諸々世話になったんだ。感謝している。だとしても、今までみたいに四六時中そばに居る訳にはいかないから。いずれ全部、何らかの形で返すよ。それじゃ、もう行かないと……」
香菜さんも、慌てて立ち上がった。
「まって。そう言う話じゃないの。私は怖かったの。親もお金で変わって、離婚して……。みんなお金で人が変わって、私をお金だって思うようなる。そのうち、私から離れて行く。お兄さんにまで変わられたら、私もう……」
兄は、なんだかんだ言っても、香菜さんが好きだから。悲痛な香菜さんの顔に、兄は心がいたんだ。
「そんな顔するなよ。香菜さんに似合わないだろう? まるで俺が香菜さんを虐めたみたいじゃないか?」
香菜さんが続けて言う。
「いまのままの純粋で綺麗な心のお兄さんが、私は好きなの。私は兄さんが好きなの。傍にいたいの」
兄が驚いて香菜さんを見る。
「え?俺のことが好きって本当? ペットじゃなくて? セフレ以上恋人未満でもなくて?」
単細胞な兄にはペットと言う言葉が、忘れられないのだ。
香菜さんが頷く。
「ペットじゃないよ。ちゃんとした恋人になりたいの。人間の男として兄さんが好きなの。傍にいたいの」
兄は、険しかった表情から、いつになく優しい表情に変わった。そして呟く。
「夢みたいだ……」
香菜さんは兄の優しい顔が大好きだ。それで香菜さんの心は踊る。つられて言葉も踊った。
「夢じゃない。好きなの。一緒にいると安心するの」
兄が香菜さんの目を見つめる。
「本気なの?」
香菜さんの目は真剣だ。
「本気だよ。なのに兄さんは南央美さんを選んだ。私は居場所を失った。朝は兄さんに拒絶された。だから私は悲しくて。今私は、冷静でいられない。南央美さんが現れる前は、ただ一緒にいられたらよかった。でももう、それじゃ我慢できないの」
香菜の言葉に、兄の表情が、グッと緩んだ。愛おしそうに香菜さんの頬を触った。
「好きだって言われたのは嬉しいけど……」
それから兄がそわそわしながら言う。
「でもさ。今店が忙しいだろう? 店が気になって……。ソワソワしちゃって。俺って案外仕事人間なんだよ。今この話をするのはどうも……。後じゃ駄目なの?」
香菜さんが言う。
「知っているよ。そこも好き。仕事の話も出来るし、意見は的確だし」
兄は褒められて、香菜さんを見る。
「褒めて貰って嬉しいけど、やっぱり今は時間がないよ」
香菜さんが言う。
「兄さんは仕事が好きで、私とも仕事の話ができて。私は、兄さんとの会話がとっても楽しいの。話も合うし。優しいし。そばに居ると私はとっても安心するの」
兄が香菜さんを見つめる。
香菜さんが言う。
「兄さんが好き。側にいたい」
そして香菜さんは、香菜さんの頭を少し前に傾けて、兄の胸に軽く触れさせた。
兄がその頭に手を置いた。
兄が言う。
「しょうがないなぁ。今ケジメをつけなきゃダメなの……」
香菜さんが兄を見つめる。兄は香菜さんに見つめられて根負けした。兄は時計を気にしつつ、香菜さんへの告白が始まる。
「分かった。分かった。ケジメをつけよう。香菜さんは、俺の1番そばにいろよ。香菜さんが、恩返しとかペットとかじゃなく、男として好きだから一緒にいたいって言うなら、俺も香菜さんと一緒にいたいよ」
兄が、もう一方の空いた手で、香菜さんを自分に引き寄せた。兄の鍛えられた筋肉の弾力が、香菜さんを包む。
兄が切々と言う。
「俺は香菜さんが好きなんだ。ずっとそう香菜さんに伝えてきただろう? もっと早く香菜さんが、気持ちを伝えてくれてたら、南央美にも違う対応をしたのに」
香菜さんが聞く。
「本当?」
兄が香菜さんの目を見て言う。
「当たり前だろう。これからは、香菜さんの居場所は俺の腕の中だ。俺は金なんかで変わらない。俺は金が好きって言うより、仕事が好きな人だからさ。それに香菜さんが可愛すぎて、金だなんて思えないよ」
香菜さんの顔に、幸せの表情が浮かんだ。
兄が香菜さんの肩に顔を埋めて言う。
「香菜さんが、今まで人との関係に傷ついてきて、俺を信じられないなら。信じられるまで、ゆっくり関係を作っていけばいいだろ。俺は急がない」
兄が香菜さんの頭を撫でた。香菜さんが気持ち良さそうに撫でられた。兄が香菜さんの耳元でささやくように言う。
「側にいたいなら、側にいたいって言うだけで良いんだ。裏切られたくないなら、裏切らないでくれって言えば良い。簡単だろう」
香菜さんが小さく頷く。
頷く香菜さんの頭を、兄がポンポンと軽く叩いた。
「さぁ、もう良い? 納得したか? 俺は戻らないと。本当はもっと香菜さんを抱いていたいけど、お客様が待っているから」
兄が香菜さんを抱くのをやめた。
「私も行く。シャンプーくらいは出来るから」
兄が笑う。
「無理しなくていいよ。せっかくの付け爪を剥がさなきゃならないぞ。レジと受付とお茶出しくらいにしておけよ」
兄が香菜さんに言う。
「あ、それから、そろそろ兄さんって呼ぶのは止めてくれ。なんかだんだん香菜さんが、本当に俺の妹なんじゃないかって、錯覚してくるから」
香菜さんが聞く。
「あ、じゃ、なんて呼べばいいの?」
兄が満面の笑みを浮かべた。
「良輔さんって呼べよ。もしくは良ちゃんでもいいよ。空手仲間は良ちゃんて呼んでくる」
香菜さんが笑顔で兄を呼んだ。
「じゃぁ、良ちゃん」
香菜さんに名を初めて呼ばれて、兄ははにかんだ。
そして、兄が手を差し出した。
香菜さんが兄の手を握った。
2人は歩き出す。
ゆっくりと。
2人のペースで。
私も頭ポンポンされて----。




