麻さんの元カレも良いところはあったのです
洋さんの入院女事件から1週間経った頃だった。麻さんがスーパーに行こうと街中を歩いていると、声を掛けられた。
「おい麻さん」
営業周り中の元カレだった。麻さんは怯えて元カレを見た。麻さんに怯えられて、元カレが困った顔をした。
麻さんは思う。この人の困り顔は一流だなって。麻さんの元カレは、めちゃめちゃキュートなのだ。そのキュートな元カレが言う。
「イヤイヤ、そんな顔しないでよ。ちょっと話せない? いや大丈夫だから。もう無理強いとかしないから。あの時の俺は、麻さんが欲しすぎて変だったんだ。もう大丈夫だから」
それで麻さんと元カレは近所のカフェに入った。
「それで洋さんとはうまく行っているの?」
麻さんの返事は冴えない。
「う……ん」
「なんだよ。俺をイブに日のすっぽかしておいて、上手く行ってないの?」
「あの日はごめんなさい」
「いいさ。俺も無理強いしたんだから」
「あの日、あの後、碧さんはどうしたの?」
「俺はさ。あの日麻さんに花束用意していてさ。こんなデカいやつだよ。誰も来ないのに、その花束と一緒に、席に座ってだよ。レストランで一人分の飯を食って、2人分の金を払って」
「ごめんなさい。私の分、払うよ」
麻さんが財布を出す。
「いや大丈夫。それはもういいんだ。それから、麻さんの兄さんを呼んだ」
麻さんは兄からその話を、全く聞いていない。
「え?何故に?????? 兄さんを呼んだの?」
「俺さ。麻さんの兄さんが好きでさ。あ、いやいや男としてだよ。そっちの趣味はないから」
麻さんだって、元カレが兄にそう言う意味で興味があるとは思っていない。
「大丈夫。わかる。うちの兄は昔から、男にも女にも、人として好かれるんだよ」
少しホッとした表情で元カレが言う。
「だよな。麻さんの兄さんは、友達や知り合いがめちゃくちゃ多いよな」
「そうなんだよ」
「それでさ、やけ酒飲んで、その後兄さんに言われたの。お前に必要なのは、運動だって」
麻さんには、兄の思考回路が理解できない。
「なにそれ? ウケるんだけど」
「俺も最初そう思ったわ。でもフットサルの練習に呼ばれてさ。今はそこで友だちもできて。今度合コンも呼ばれたのよ」
「合コン?」
「そう、看護師とか来るらしい。フットサルの友達のチカラ君も参加するんだってさ。合コンはどうでも良いんだけど。男友達が出来て嬉しいんだ。俺って男友達少ないだろう? でも兄さんのお陰で世界が広がったわ」
麻さんは、思い出した。
入院の時の兄が、看護師さんたちと、合コンすると、言っていた気がする。
麻さんはアイスコーヒーをストローでかき回しながら言う。
「碧さんが、楽しいみたいで良かったよ」
元カレが言う。
「本当はまだ麻さんが好きなんだぜ。俺はさぁ」
その言葉に、麻さんはドキッとした。
「なんでよ」
元カレは優しい目で麻さんを見る。
「優しいだろう? 麻さんは」
「何でそう思うのよ」
「麻さんはさ。風邪ひいたら、氷枕用意してくれたり、おかゆ作ってくれたり。りんごをすりつぶして食べさせてくれたりさ」
「そんなの普通だよ」
元カレは不満そうに言う。
「麻さんは、分かってないよ。女ってさ。俺は色々付き合ったけど、優しくない女が多いのよ。俺が風引いて寝込んだら、自分は遊びに行くから、じゃーねって。で俺の飯はって聞いたら、ウーバーでもネットスーパーでも、色々あるよって言われて。俺は高熱の中、アイス食べたくて、ネットスーパーを登録してさ」
麻さんが笑う。
それで元カレが拗ねて言う。
「笑い事じゃないんだよ」
「ごめん。面白かったから。ついね」
「なぁ、麻さん。俺だって、麻さんと付き合っている時は、それなりに優しくしたと思うんだよ。台風で電車止まった時も、俺迎えに行ったし。麻さんが捻挫した時も、病院の送り迎えしたしさ」
麻さんがハッとした顔をした。
「あ。忘れていた」
麻さんは思う。
嫌だった部分は沢山思い出せたのに、元カレの優しい行いは全て忘れていた。
元カレが言う。
「麻さんが、ママに何か言われて、泣いてた時だって。俺麻さんの隣りに座って、涙を拭いてあげたしさ」
麻さんが元カレを見る。
「うん。そうだったね。なんでだろう?すっかり忘れてた」
元カレが言う。
「俺は麻さんの良いところしか思い出せないのに。麻さんは俺の良くない部分しか思い出せないんだ」
麻さんは元カレに申し訳なかったと思う。
「ごめんね」
元カレが言う。
「洋さんと、上手く行かない時は、俺の所に来いよ」
麻さんが言う。
「そんな都合のいい話はないでしょう……」
元カレが言う。
「俺は麻さんが戻ってきたらなんでも良いよ。それで、洋さんとは喧嘩したの?」
「喧嘩って言うか。洋さんに浮気されて……」
元カレが神妙な顔で言う。
「麻さんは何でも許すからな。ちゃんと、厳しく洋さんに言えよ。男もしつけが肝心だ」
麻さんが笑う。
「碧さんがそれを言うかね?」
それでん元カレも笑う。
「俺は麻さんと付き合ったら、もう浮気しないよ。すごく麻さんの事を大事にするよ。だから少しは、俺の事も考えてみてよ」
麻さんは元カレの言葉に戸惑いを覚えた。麻さんの微妙な表情に元カレが小さく笑って言う。
「さぁ。俺行かないと」
元カレが伝票を握って立った。
麻さんが伝票に手を触れた。
「あ。私の分払うよ」
何となく2人の指先が触れた。麻さんには懐かしい元カレの肌の感触だった。
元カレが言う。
「大丈夫。俺が払うよ。俺これでも仕事頑張っているんだぜ。麻さんと別れたときより、年収が50万上がったんだ。営業ってどういうものかやっと分かってきて、お客さんも付いてきたんだ。営業手当がそこそこ毎月もらえるようになったんだ。まぁ、一流企業努めの洋さんに比べたら、稼いでないとは思うけど。俺さ、今なら前より麻さんを大事にできると思うんだ。俺、今すごく頑張れているんだ」
麻さんは”すごいね”と言った。
元カレは満足そうに笑った。
元カレは店を出ていく。
麻さんは、それを見送ってから、店を出た。
元カレの後ろ姿を見送って、麻さんは思った。
(碧さんの良いところを。ちゃんと見ていなかったのかもしれない。やっぱり駄目だ。私は付き合っている人の、いい部分をちゃんと見ることさえ出来なんだもん)
麻さんは店を出て、携帯を確認した。
やっぱり洋さんからなんの連絡も入ってなかった。
あの日、東京で別れて以来、洋さんから音沙汰がなかった。
そして麻さんも連絡をしなかった。
(終わったんだな)
麻さんはそう思った。
(洋さんとは、終わったんだ)
麻さんは思う。
(1週間も何も連絡がないんだもの。たぶん、私より晴海さんが良かったんだ)
麻さんの心はチクチク傷んだ。
(でも仕方ないと麻さんは思う。
人の心は縛れないし。私はには洋さんを引き止めて置くだけの魅力もない)
麻さんは相変わらず、自分に自信がない。そして後ろ向きだ。
そんな麻さんは思う。
(自分に至らない点があったんだ。自分が悪いんだ)
麻さんは自分を責める。
(多分私が悪いんだ。私が至らないから、洋さんの心が、晴海さんに向かったんだ)
麻さんは結論づけた。
(もともと自分につり合わない人だったんだから、一瞬でも付き合えて幸せだったと思おう)
そう思い込もうとしながら、麻さんはどんどん不安になっていく。
麻さんは、どんどん心細くなっていく。
いつも一緒にいてくれた洋さんの存在は大きくて、突然いなくなられると、麻さんはやっぱり不安だった。
寂しさと喪失感が麻さんを襲う。
鋭いナイフが、麻さんの心を刺す。
麻さんが胸を押さえる。
重い足取りで、麻さんはスーパーの方に向かって、歩いていった。




