南央美は、愛の証がほしかったのです
兄にとっての、恐怖の瞬間は、とうとうやってきてしまった。
南央美と同じ屋根の下に暮らし始めたのだから。
それは起こるべくして起こった。
母親はパートで。
子供は保育園だった。
店は店休日。
家の中には兄と、南央美しか居ない。
南央美が、何時もと違った甘えた声でいった。
「ねぇ。誰も居ないんだよ。二人きりだよ」
兄は、南央美の甘えた声と表情に怯えた。兄が聞く。
「二人きりなのは、分かっているけど。だから何?」
南央美が兄にすり寄る。
「何って、ねぇ。久しぶりに良いでしょう?」
兄が南央美の体を押し返す。
「いや、無理だから。南央美だと、俺は、全く役に立ちそうにない」
南央美の表情が険しくなった。
「あの香菜って女と浮気しているんじゃないでしょうね?」
「香菜さんとは、そう言う関係じゃないから」
南央美は今にも殴り掛かる勢いだった。
「じゃぁ。どんな関係よ!」
詰る南央美の顔は、兄には醜く見えた。兄はたじろぎつつ言う。
「どんなって……。単なるビジネスの関係だよ」
南央美の顔は真っ赤だった。
「信じられない」
兄は冷静に言う。
「だとしても、今一緒に暮らしているのは、南央美だろう? 香菜さんじゃない。香菜さんとは本当に何もしていないんだ。南央美が俺の実子を連れて戻って来たなら、俺は責任をとるよ」
南央美の眉間に皺がよる。
「責任って何よ!」
兄は説明した。
「責任って言うのは、俺が南央美と子供を作った責任だよ。俺の子なら育てる責任があるだろう?」
南央美の顔が更に醜く、兄には見えた。
「じゃ、私は? 私はどうなの? 何であんたは、私といるの?」
「それは、南央美が俺の子の母親だからだろう?」
「それだけ?私のことどう思っているの?子供の母親って言うだけ?」
「そう言うわけじゃない……」
「じゃなに?私はあんたの何なの?」
ボソッと兄が言う。
「南央美は俺の大事な人だよ」
南央美が甘えた声で言う。
「ねぇ。だったら。セックスしよう。愛を証明してよ」
南央美が兄の体を弄った。兄は体を揺さぶり、南央美を拒絶した。
「やめてくれよ。無理だ」
拒絶されて、南央美は気落ちしたように言う。
「そんなの気持ちの問題でしょう? だって、あんたは、自分でなら処理できるんでしょう? それってつまり、その気になれば出来るって事よね?」
兄は衝撃発言をする。
「今の俺は、リアルな女とじゃ、無理なんだ。南央美とじゃ刺激も足らない。南央美に命令されて、一緒に病院も通っただろう? 俺も努力したじゃないか? もう開放してくれよ」
南央美が懇願する。
「もう一度努力してよ」
そして南央美が兄の体を触る。
兄は険しい顔で言う。
「やめて。触らないでくれ」
兄の体はこわばっていた。南央美はこわばる兄の体を、肌で感じた。本気で拒絶されていると、南央美は思う。
南央美は腹が立った。なんでこんな扱いを、受けなくてはならないのかと、南央美は悲しくなった。
「じゃぁ、なんで一緒にまた暮らしたのよ。なんで私達親子を受け入れたのよ! 受け入れられないなら、美容室に初めて来た日に、きっぱり拒否したら良かったじゃない」
兄は気持ちを説明した。
「男と女としては、もう終わっているけど。でも家族ならやっていけると思ったんだ」
「家族って何よ?」
兄は必死で説明する。
「だから家族だよ。妹とか、母親とかと同じだよ。南央美だって兄や父親とセックスなんて出来ないだろう? 親子や友達にも、セックスなんかしなくても、愛はあるんだ。だからそんな行為はいらないだろう? 現に親の愛は、そんな事しないで伝わるだろう?」
「それって、私を女として愛してないってこと? 女としての愛情がないって事なの?」
女から家族になったという、その理屈が南央美にはわからない。
兄は説明を続けた。
「愛がないわけじゃない。十数年も一緒いたんだし。愛はあるし、人としてなら好きだよ。セックス以外なら、尽くしたいと思っている」
南央美が言う。
「愛があるのに、なんでセックスしないの? セックスは愛を確かめ合うものでしょう?」
兄が困った顔で言う。
「愛は体で確かめなくても、俺には充分に分かるよ。だから付き合った当初、南央美にセックスを拒絶されても、俺はセックスがない関係も受け入れられたんだよ」
南央美が困惑気味に言う。
「あれは、疲れていたから。あんたを嫌いなわけじゃなかった」
兄が冷たく言う。
「別に拒絶された理由なんて、今となったらどうでもいいんだ」
南央美は懇願した。
「ねぇ、私達はまだ若いのよ。私はあんたに愛されたいのよ」
兄が突き放すよう言った。
「実を言うと、俺は南央美が怖いんだ。いつも小言ばかり言うから。やっている最中にもダメ出しされそうで。もっと言えば、もう俺には南央美が女に見えない。だからセックスできない。悪いけど、もう無理なんだ。でも子供が出来たし。10年以上一緒にいたから、責任はとるよ。セックスのない形の家族になろう」
南央美の声が震えた。
「それって、私の女の価値が無いって、あんたに思われているって事じゃない? 私に魅力がないってことじゃない! 責任を取るために、一緒にいるってだけじゃない!」
兄が言う。
「俺にとってそう言う存在になっただけで、南央美はまだまだ魅力的だろう? だから浮気も……でき……」
兄が口を滑らす。
南央美が兄を睨んだ。
兄が困ったように言う。
「……せっかく南央美が帰って来たんだ。俺は南央美の過去の浮気も許すし。子供も俺の子なら、南央美と一緒に育てたいと思う。子供に母親は必要だし。子供もいるんだから、今後は子作りする必要もないんだ。一緒に働いて、子供を育てていく。それだけでいいじゃないか? 子供のために一緒に頑張っていこうよ」
南央美は体を固くして、身を震わせた。
そして兄を強く睨みつけ言った。
「あんたなんか! あんたなんか! 私をバカにして! 私をコケにして! 嘘つき! 嘘つき……」
そこまで言うと、南央美は喋らなくなった。
兄には、南央美に嘘つきと言われた理由が思い浮かばなかった。
南央美はこう思ったのだ。
――私に対して、愛があるなんて、嘘でしょう? ――
そして。
次の朝起きると。
南央美がいなくなっていた。
南央美は子供を連れて、またいなくなった。
南央美がいなくなった今。
たぶん。
兄は一生わからないだろう。
南央美に嘘つきと言われた理由を。




