洋さんの去った後の麻さん
洋さんが去った後。麻さんは掃除を始めた。
玄関のたたき。
カーテンレールの溝。
ベランダ溝。
台所の排水溝に、パイプ。
お風呂に換気扇。
目に付く場所は腕が痛くなるくらい掃除して、磨いた。
台所のシンクは、水の飛沫の跡も絶対に残さない徹底ぶりだった。気が遠くなるほど掃除をした。
――たとえそこの汚れがなくとも、麻さんの手が止まる事はなかった。――
洋さんが東京に行ってから2週間ほどして、香菜さんが麻さんの家に来た。すると庭の手入れをする麻さんがいた。
「あれ、麻さん、庭掃除してるの?」
声を掛けられて麻さんが香菜さんを見る。
香菜さんが手に持ったケーキのボックスを見せて言う。
「ジャーン。星4.5だぞ」
「あ、ケーキ? 上がって食べる?」
「うん、そう思って買って来た。食べよう」
「うん」
それで2人ちゃぶ台を囲んで、香菜さんの持参したケーキを食べる。でも麻さんはケーキをつっつくばかりだ。
香菜さんが心配して聞く。
「ケーキも食べられないの?」
「大丈夫。いつもは食べてる」
香菜さんが麻さんのブラウスの袖をたくし上げた。
「痩せたでしょう?食べてないね。もうケーキは良いから。甘いジュースで良いから飲んで。飲むのは出来るでしょう?」
香菜さんがジュースをエコバッグから出した。
「スポーツドリンクを持って来てたの?」
香菜さんが心配そうに言う。
「すぐ食べなくなるから、心配で……。ラインの返事も遅いし。電話もなかなか出ないし」
香菜さんはエコバッグから、更にゼリーを出し、ちゃぶ台に並べた。
「ゼリーも大丈夫でしょう?」
麻さんはちゃぶ台に並んだジュースとゼリーを見る。しばらく麻さんは無言だった。
香菜さんはジッと麻さんの次の言葉を待った。
麻さんがようやく口を開く。麻さんが申し訳なさそうに言う。
「ごめん、心配させて……」
香菜さんが麻さんの肩に手を乗せて言う。
「どうした?麻さん?何かあった」
麻さんが小声でボソボソ言う。
「何か不安で……。何が不安か分からないけど。不安で仕方なくて。つい掃除しちゃって……」
何が不安かは、香菜さんには分かっていた。でもそれは言うべきじゃないと香菜さんにも分かっていた。
それで違う事を言う。
「確かに塵1つないよね。うちに来る?掃除する場所たんまりあるよ」
麻さんが遠慮した。
「うん。でも自分で頑張る。誰かに頼るのは違うと思うから」
香菜さんが、スポーツドリンクの蓋を開けた。
「分かった。でも無理しちゃ駄目だよ。今日は私が泊まろうか?」
麻さんは嬉しかった。
「良いの?」
「良いよ。最近ちゃんと会ってなかったから話いっぱいあるよ」
そう言われて、麻さんの表情が緩んだ。
香菜さんは、優しい表情で言う。
「麻さんが私にしてくれた様に、私はどんな時だって麻さんの味方だし、側にいるよ。だから、せめてジュースくらいは飲んでくれたまえ」
香菜さんが、蓋を開けたスポーツドリンクを、麻さんに渡した。
麻さんが頷き、ジュースを手にした。
ジュースは、甘くて。
麻さんの体に染み渡った。




