表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/12

ペリドット 中編

 普段の仕事にルークへと食事を運んだり食器や洋服を回収したりするなどの作業も加わり、屋敷内も緊張感に包まれているようだった。


 新入りがなにかやらかさないか。アパタイトも必要以上に注目されていることを自覚する。


「ルークさま。夕食をお持ちいたしました」


 ウィリアムが扉をノックし、部屋にいるルークに声をかける。アパタイトは少し離れた位置で夕食を乗せたワゴン近くで待っていた。


「誰?」


 扉の隙間からのぞいた少年が訝しげな目でアパタイトとウィリアムを交互に睨む。


 アイリスをそのまま小さくしたようなそっくりな目鼻立ちだ。金髪は短くつんつんとしていて、金色の目は大きくて丸い。少年らしく愛らしい顔をしている。


 けれど身長はアパタイトそう変わらず、アパタイトのほうが高いくらいだ。


「彼はアパタイトです。侯爵さまのご配慮により、仕えるものも近い年代のものがいいとおっしゃられました。本日付けでルークさまの執事となります」

「姉さ……侯爵が?」


 じろじろと不躾な視線を受けることにはもう慣れてしまった。全員が全員、悪意を持って行っているわけではないということも。


「これから食事の運搬はアパタイトが担当いたします」


 アパタイトはワゴン越しにぺこりと頭を下げる。ふわりと食事の匂いが鼻に届き、まだ夕食を食べていないアパタイトの腹の虫が鳴った。幸い、小さな音は二人には聞こえなかったようだ。


「部屋に入ってもいいですか?」

「あ……へ、部屋には入るな! ご飯もそこに置いとけ!」


 ばたんと勢いよく扉が閉められる。


「申し訳ありません。僕はなにかを間違えたようです。次は怒らせないようにしますので、なにを間違えたのか教えてください」

「間違えてなどいませんよ。外部の人間と会うのは久しぶりですので、驚いてしまわれたんでしょう。お召し上がりになられましたら食器はワゴンに戻してもらっていますので、アパタイトはそれを回収してください。そうしたら一日の仕事は終わりです。報告はいりません」

「わかりました」

「食器を運ぶ際は階段を踏み外さないよう気をつけてくださいね」

「無理はしません」


 それからアパタイトは食事をとりに食堂へ向かう。そうすればルークも食べ終えた頃合いで、ちょうどいいのだとウィリアムが教えてくれた。


「ねえ」

「はい」


 さりげなく隣にペリドットが座る。おまけしてもらったのか、ペリドットの皿には肉が一切れ多く盛られていた。


「ルークさまの専属執事になったって本当?」


 ペリドットは周りに聞こえないくらいの声量で、アパタイトもそれに準ずる。


「食事の運搬、食器の回収を任されました」

「ふーん。じゃ、あたしもそろそろかしら。あーあ、いつまであたしはこんな侍女のまねごとなんかしなくちゃいけないのよ。足は痛いし手は冷たいし。ここが侯爵家じゃなかったらテディに手紙を出すくらいよ」


 アパタイトはペリドットがこぼす愚痴を静かに聞いていた。


「そうだわ。ルークさまにあたしを紹介しなさいよ。あんたよりあたしに世話をしてもらえるんだから、そっちのほうが嬉しいでしょ?」

「でも、ウィリアムは僕に」

「言ったでしょ? あたしより前に出ないで。目立たないでって。あんたは今、それを守れてるの? 約束が違うじゃない」


 約束した覚えはないが、たしかに返事はした。けれどこれはアパタイトの一存だけで決められることではない。


「もともと、ペリドットは侯爵さまの侍女としてプログラムに参加しているはずです。テディの用意してくれた内容にはそう書いてありました」


 せめてもの反抗を口にする。


「はあ? あんた、あたしに」

「あら、ペリドット。新入り同士仲良くなったのかしら? お似合いじゃない」


 こそこそと話しているところを知り合いのメイドに見られ、ペリドットはすぐさま態度を変える。


「声をかけられたんです。でもあたしはここにお仕事で来てるから……」


 ぐ、とアパタイトは足を踏まれた。ペリドットを見るとわずかな頭の動きで出ていくよううながされる。


「失礼します」


 食器を返し、アパタイトはさっさと食堂をあとにした。


 話しかけてきたのはペリドットだ。無茶なことを言うのもペリドットだ。けど、反論したところで聞く耳を持ってはくれないだろう。それどころか火に油を注ぐだけになってしまうかもしれない。


「……食器」


 無意識に自室へ向かっていた足を止め、ルークの部屋へと食器を回収しにいく。


 二階はシルヴィアの名を持つ人だけが使う部屋がある。そのため、今この階にいるのはアイリスとルーク、アパタイトの三人だけだろう。


 小高い丘の上にあるこの屋敷からは星がよく見える。食堂での出来事を忘れてしまうほどに、心が落ち着く静かな夜だ。


 アパタイトはワゴンに目を落とし、念のためあたりを見回した。食器がどこにもない。まだ食べ終わっていないのだろうか。


 どれくらいの時間が経過したかわからない。アパタイトはただじっと、食器がワゴンに乗せられるのを待ち続けていた。暗い静寂だけが、アパタイトに寄りそっている。


「え」


 するりと耳に入り込んだ音の根源へと顔を向ける。


「うわあっ!?」


 悲鳴に紛れてガシャンと音が響く。幸い、皿が割れることはなかった。


 薄暗い室内、開けられた扉の向こうでルークが尻もちをついていた。アパタイトと目が合うと口をぱくぱくさせ、わなわなとこちらに指をさす。


「お、おまっ……お前、なんでここにいるんだ!? こんな時間に俺の部屋の前でなにしてんだ!」

「仕事です」

「は!?」


 アパタイトは床に落ちた皿を拾っていく。


「ルークさまがワゴンに乗せた食器を回収することが、僕の仕事です」


 ぽかんとしたルークは気を持ち直したが、あっけらかんと言うアパタイトにやはり息を呑んだ。


「今、何時だと思ってんだ……」

「時計を持っていないのでわかりません」


 ルークが這うようにして部屋の中に消え、持ってきた時計をアパタイトに突きつける。


「もう十二時はとっくに過ぎてる! それなのに、お前……こんな時間まで、ずっとそこで立って待ってたのか? 俺が、食器を戻すまで……?」

「はい」


 怒っている。いや、罪悪感に苛まれている顔だ。


「なんでだよ! こんな……っ、なかったら明日にすればいいじゃないか!」

「ですがウィリアムには食器を回収したら仕事は終わりだと言われていますから。放棄できません」

「嫌がらせだって、すぐにわかるだろ……」

「嫌がらせだったんですか?」


 きょとんとするアパタイトにルークは口をあんぐりとさせる。


「わる、かったよ」

「謝ることはなにもありません。ところで食器はもう運んでいいですか? この食器を待っている厨房の人が困っているかもしれません」

「こんな時間まで待ってるわけないだろ!」


 ルークはだんと地団太を踏み、ぜえはあと肩で息をする。


「……アパタイトっていったよな? ……お前、明日もここに来い」

「それが僕の仕事ですので」

「そ、そうじゃなくて! 今までやってた仕事は全部なしだ。え、と……その、そうだっ。お前は俺と遊ぶのが仕事だ! わかったか!?」


 少しだけ考え、アパタイトは答える。


「ウィリアムに相談します」

「俺のほうがあいつより偉いんだから、俺の言うことを聞け! 俺を誰だと思ってるんだ!」

「ルーク・シルヴィアさまです」


 ルークはきゅっと唇を噛む。思っていた答えとは違っていたらしい。


「明日! ウィリアムに俺が言うから!」

「わかりました」

「じゃあ、お前も早く寝ろよ!」


 ばたん、と扉が閉められる。


 両手に抱えた皿を見下ろし、アパタイトは悩む。もう厨房に人はいないらしい。受け取ってくれる人がいなければ、アパタイトは調理場に汚れた皿を放置することになる。ワゴンと皿とを見比べ、アパタイトはしばらくその場にぽつんと取り残されていた。


「なんと」


 翌朝、アパタイトは昨夜のことをウィリアムにすべて話した。


「そんなことがあったんですか。私も確認をすればよかったですね。申し訳ありません」


 ルークはしてほしくなかっただろうが、嫌がらせを受けたことも包み隠さず。意図して伝えたわけではない。アパタイトはただ報告をしただけだ。


「では、アパタイトは今日からルークさまの指示を聞いてください。そして昨夜のようにワゴンへ食器を置くか、厨房へ回収したらその日の仕事は終わりだという合図としましょう」


 昨夜は結局、皿をワゴンに置いて部屋に戻った。


 厨房に人がいないということは、そもそも鍵がかかっているかもしれないと考えたからだ。


「今日だけは私も同行しますが、明日からは朝食を食べたらそのままルークさまの部屋へ向かってください」


 説明を受けながら移動する。


「ルークさま。起きていらっしゃいますか?」


 ルークの部屋の扉をウィリアムがノックする。間もないうちにばたばたと足音が聞こえたが、なかなか扉は開かない。


 一分ほど経過してからルークは姿を現した。


「アパタイトから昨夜のことは聞きました」

「それなら話が早い。今日からアパタイトは俺と遊ぶんだ。な、いいだろ? ウィリアムも昨日、アパタイトは俺の執事だって言ってたしな」

「ええ、もちろんでございます」

「ウィリアム! ね……侯爵には言うなよ、絶対に! いいな!? 命令だからなっ」


 ウィリアムは感情を飲み込み、こくりとうなずく。アパタイトにはそう見えた。


「……承知いたしました。私から侯爵さまに申し上げることはありません」

「よし! こっちだ、アパタイト。ずっと暇してたんだ」


 アパタイトは半ば引きずられるような勢いで腕を引かれた。なんとかウィリアムに一礼すると、嬉しそうな悲しそうな、得も言われぬ表情をルークに向けていた。


「お前、どこから来たんだ?」

「シールズという町です」

「ふーん。知らないってことは遠くから来たんだな。俺と年齢が近いって言ってたけど、何歳なんだ? 俺は十一だけど」

「十五歳です」


 正確な年齢はわからない。けれどセオドアからは年齢を聞かれた場合は断言したほうがいいと言われ、アパタイトの記憶も加味して十五歳となった。


 ついでに誕生日はセオドアと出会った日に。アパタイトのように自身の生い立ちを知らないものはそうすることが多いらしい。


「十五歳なのに、俺とあんまり変わらないんだな」


 頭のてっぺんに手を当て、アパタイトとルークの身長が比べられる。


「ま、いいや」


 ルークは本棚に向かい、一冊の本を持ってきた。アパタイトに座るようにうながし、その本を広げる。


 それは水彩画集だった。春の彩り、夏の爽やかさ、秋のもの寂しさ、冬の透明感。ページをめくるごとに移ろいゆく、この国にはない季節をルークはわくわくした顔で説明してくれる。


 長い文章を読めないアパタイトには、一つ一つ解説してくれるのは大いに助かった。


「ルークさまは絵に興味があるんですか?」

「……誰にも言うなよ」

「わかりました」


 ルークはちら、とアパタイトの目を見やる。


「お前、絵は描いたことあるか?」

「あります。でも、上手ではないです」


 淡々と答えるアパタイトにルークはつまらなそうに顔をしかめる。


「ほかにも見せてやるよ」


 そう言ってルークは踏み台を持ち出し、本棚の高い位置にある本をとろうとした。だが、足場を使っても高さは微妙に足りず、ルークは何度か指先に本を引っかける。


「あっ!」


 ばさ、と本が床に落ちる。


 アパタイトが拾うと、本の間からなにかがひらりと舞い落ちた。四つ折りにされた画用紙だ。開いてみると絵の具で風景が描かれていた。


 どこか既視感を覚えるそれは、窓の外と似たような風景である。否、雪が積もっているかいないかの違いだけで、窓から見える風景とほぼ同じだ。


 その紙が横からぱっと奪われる。慌てた顔でルークが四つに折り直していた。


「こ、これは……その」

「ルークさまが描かれたんですか?」

「へ!?」


 ルークの声が裏返る。目を泳がせ、言葉が出てこないのか口だけがぱくぱくと動く。背中に紙を隠し、あとずさった。


「で、出てけ!」


 やっとのことで絞り出したであろう声は大きく、扉のほうを指さされる。アパタイトは追及するでも疑問を呈するわけでもなく、ルークの指示に従った。


 ウィリアムに仕事をもらいに行こうとすると、アパタイトはメイドに「侯爵さまがお呼びです」と声をかけられた。


「失礼します」


 返事を待ち、アイリスの執務室へと入る。そこには見慣れた顔がいた。アイリスにお茶を出していたペリドットと目が合ったがすぐにそらされる。


 部屋を退出する様子はなく、どうやらアイリスお付きの侍女となったようだ。


「ウィリアムに聞いたよ。ルークがあなたに嫌がらせをしたと」


 アイリスはそこで言葉を区切った。


「あの子の行いは、私の不徳のいたすところだ。代わりに謝罪する」

「ルークさまからはすでに謝罪をもらっています。それに、つい先ほど僕もルークさまを怒らせてしまいました」


 アイリスは表情を変えず、理由を問う。アイリスの後ろでペリドットがぎろりと睨んできていた。


 ――怒らせた理由。


 原因はわかっている。アパタイトがルークの描いた絵を見てしまったからだ。それで機嫌を損ねてしまった。


 それを伝えようとして開きかけた口を閉じる。


 ルークが絵に興味があるということを、誰にも言うなと言われた。ここで理由を話してしまったらルークの命令を無視したことになる。


「――――、――……、……、秘密です」


 アイリスはきょとんと目を丸くし、堪えられないといったふうに「ふ」と息をこぼした。


「ずいぶんと長い時間、葛藤していたようだが」


 アイリスの口元に、かすかに笑みが乗る。


「秘密か」

「秘密です」


 アパタイトは「秘密」を貫き通す。


「どうしても?」

「――」


 肘をついて組まれた指の向こうでほんの少し傾けられた首、からかうような笑み。


 アイリスは爵位を継いで間もないというのに、そこらの貴族の当主と引けを取らないほどの覇気がある。


 常に気を張り、大人然としている彼女が、このときは幼く見えた。アイリスはくすりと笑うと目を伏せる。


「あなたを困らせるつもりはなかったんだ。プログラムの期間も折り返しに入っている。どうか、あの子のよき友人になってほしい」


 アイリスは机の引き出しに手をかける。


「……」


 が、その手が引かれることはなく、アパタイトはそのまま退室の許可を出されただけだった。


 翌日もアパタイトはルークの部屋にいた。どこかよそよそしかったルークはもじもじしながら昨日の絵を出す。


「これ、どう思う」


 視線を落とし、たまにアパタイトの顔色をうかがう。


「窓からの風景に、とても似ていると思います」

「う、うまいとか、綺麗だとかっ……ない、のかよ」


 ルークの描いたそれは絵を描けないものからすればに才があるが、画集の作品と比べれば劣る。


 アパタイトは絵がうまくない。文字同様に線が歪み、着色も下手だ。ヒスイに「これはハイビスカス?」と知らないものの名前を上げられた挙句、ヒスイの描いたひまわりに圧倒された。現実にあり、アパタイトの脳裏に浮かぶそれとほぼ同じ見た目をしていた。


 アパタイトとしては鳥を描いたつもりだったのに。固有の鳥ではなく、頭に思い浮かんだアパタイトだけの。


 それはアパタイトには赤い鳥にしか見えないが、ヒスイの目にはハイビスカスとやらに映ったらしい。決してショックを受けたわけではないが、それ以来アパタイトが筆を握ることはなかった。


 とどのつまり、アパタイトに絵のよしあしなどわからない。他人を評価できるほどの才は持ち合わせていないのだ。


「じゃあ、このなかでどれがうまい?」


 ルークは風景を描いた絵を何枚か引っ張り出してきた。小川や森林、花など何枚もあった。なかでも目を引いたのは小高い丘の上にある侯爵邸が描かれたものだ。


 アパタイトの視線が釘付けになっていることに気づいたルークが目を輝かせる。


「これか!?」


 肯定すると、アパタイトは頬を綻ばせた。


「やった! これは俺の最高傑作なんだ。何度も何度も描いて、母さんと一緒、に……」


 声が途絶える。笑顔も引きつり、喉仏が上下した。


「っ」


 雄弁に語っていた口が、ゆっくりと閉じていく。重たい沈黙が流れ、窓を叩く風の音がやけに響いて聞こえた。今日は晴天のはずなのに、いくらか暗くなった気さえする。


「あ……」


 ぱち、と目が合う。


 アパタイトの心のどこかがざわついた。見続けることもそらすことも、どちらもだめだと思ったが、残された選択肢が見つからない。


「おやつをお持ちしました!」


 軽快なノックと元気な声に、二人の肩が同時に跳ねる。先に動いたのはルークだ。


「ルークさま、ですよね?」


 こてんと可愛らしく小首を傾げるのはペリドット。見慣れたその顔に図らずも安堵したアパタイトも立ち上がる。


「お前、誰だ?」


「ペリドットです。以後、お見知りおきを」


 メイド服に身を包んだ少女が、令嬢の挨拶を披露する。その滑稽さにルークは目を細めた。


「アパタイトから聞いてませんか?」


 ペリドットはわざとらしく人差し指を頬に添え、アパタイトに顔を向ける。つられてルークが振り返った。


「僕はまだペリドットのことをルークさまに話していません」


 ルークの視界から外れているのをいいことに、ペリドットはアパタイトを睨む。


「お前の知り合い、なのか?」

「友人です」


 間違いないはずなのだが、ペリドットはどこか不服そうだ。


「こほん。このおやつはどうすればよろしいですか? お部屋のなかに運んでも?」


 盆に乗せられたケーキが二つ。同じ種類のそれはぜいたくなことにアパタイトにも用意されているのだとわかる。


「な、おいっ」


 返事を待たず、ペリドットが部屋に入る。ハーフアップにされたブロンドの髪を自慢げになびかせて。


「わあ、素敵な絵」


 テーブルにケーキを置き、視線の下がったペリドットは床に散らばった紙を拾う。


「これ、ルークさまが描かれたんですか?」


 ペリドットは絵を持った両手をいっぱいに伸ばす。


 アパタイトとほぼ真逆、ぐいぐいと距離を縮めてくるペリドットにルークは困惑しているようで、たじろぎながらもうなずいた。


 が、すぐにはっとしてぶんぶんと頭を横に振り、ペリドットにびしっと指先を向けた。


「な、なんなんだお前! か、勝手に入ってきて! それも、返せよ」


 間に挟まれ、アパタイトはどう動けばいいのか判断に迷う。ペリドットには邪魔するなと言われているし、ルークからの指示はない。


「ルークさまってば、お部屋から出てこないと聞いていたけど絵を描かれていたんですね」


 掴みかかりそうな勢いだったが、ルークの足がぴたりと止まる。


「アイリスさまはご存じなんですか? もし知らないのなら、見せてみましょうよ。うん、それがいいわ。きっとアイリスさまもお喜びになりますよ」


 がしゃん、と派手な音が響いた。


「――」


 アパタイトは目を見開き、ぽかんとする。綻ばせていた頬を引きつらせ、ペリドットがゆっくりと背後を見る。


 場違いなほど爽やかな風が室内に吹き込み、床にあった紙を舞い上げた。


 なにを投げたかはわからない。けれどルークが投げたなにかによって窓ガラスに大きな穴が空き、窓は窓としての役割を一部、果たせなくなっていた。


 アパタイトが呆気に取られている間に、ルークはペリドットに掴みかかっていた。


「きゃあっ!」


 もみくちゃになりながら二人が倒れ込む。


『ペリドットをよく見ていてほしいんだ』


 セオドアの言葉が脳に響く。心臓が大きく、速く動きはじめる。それと同時に、体が動いていた。


「ペリドット!」


 頭が真っ白になりながらも、アパタイトはルークを羽交い絞めにする。そうしてなんとかペリドットから引きはがすことに成功した。


 でも、びりっといやな音がした。しかし、その音をかき消すかのような大きな声でルークは叫ぶ。


「離せ! 離せよ! こいつ、こいつ、こいつ……ッ」


 似たような体躯。けれど身動きを封じられるルークよりも背後をとっているアパタイトのほうが有利だ。


「なにも知らねえくせに! 勝手に入ってきやがって!」


 ばたばたと複数の足音が近づいてくる。


「なにが、誰が喜ぶって!?」


 ルークの怒号に、ペリドットが床に縮こまって泣き叫ぶ。


「――姉さんが俺を見て、喜ぶわけねえだろ!」

「いったい、なにが……」


 ウィリアムと数人の使用人、遅れてアイリスが飛び込んできた。


 泣きながら蹲るペリドット、怒声を浴びせるルーク、必死に止めるアパタイト。三者三様の状態に、誰もが息を呑んだ。


「ウィリアムはルークを、他のものはペリドットとアパタイトに怪我がないか確認を」


 冷静にアイリスが指示を出す。


「失礼いたします」


 ルークはウィリアムにつれていかれた。ペリドットは幸い、擦り傷だけで済んでいた。アパタイトは押さえていただけなので被害はない。


「ペリドットは話せる状態ではないな。アパタイト、なにがあったか教えてくれ」


 ペリドットはしゃくりをあげて泣きながら、メイドたちから手当てを受けていた。


「秘密はなしだ」


 アパタイトはこくりとうなずき、荒れた部屋を今一度確認する。床にあった紙は何度も踏まれてぐしゃぐしゃになってしまっている。なかでも、真ん中から二つに破れてしまっている絵を見つけ、アパタイトは大きく息を吸った。


「ペリドットがおやつを持ってきたんですが、ルークさまの許可を得る前に部屋に入りました。それで……それで、ペリドットが絵を拾って、ルークさまが返すように言いました」


 アパタイトは言葉に詰まりながらもなんとか伝えようとする。


「ペリドットが返さなかったので、ルークさまが取り返そうとしました」

「ちがう、返さなかったんじゃないわ! あたしは」

「今はアパタイトに聞いている。あなたは黙っていてくれ」


 ペリドットはびくりと肩を震わせ、止まっていた涙を再びあふれさせた。


「それから、ルークさまがなにかを投げて窓が割れ、ペリドットに掴みかかって、僕はルークさまを後ろから引き離そうとしました」

「そこで私たちが駆けつけた、と。あの子はなにか叫んでいなかったか? 廊下からでは聞こえなくて」

「……覚えて、いません」

「そうか。あなたももう休むといい。すまなかった」


 自室へ戻ってもアパタイトの心臓はまだ大きく打っていた。


「――」


 アパタイトはルークが叫んでいたことを覚えている。この心臓の早鐘はアイリスに嘘をついてしまったことに罪悪感を覚えてのことだと思ったが、きっと違う。


 ペリドットがルークにとってよくないことを口走った。ルークは心を自制できずペリドットに暴力を振るった。どちらかをかばうことはできず、どちらも悪い。


 でも、誰にでも立ち入られたくないものが心にあることをアパタイトは知っている。それを軽んじたのはペリドットのほうだ。


 ――ペリドットに安堵した自分が、愚かだった。


 あのときのルークは、プログラムについて尋ねたときのヒスイと重なった。顔を強張らせ、なにかを恐れているような。


「……テディ。僕はどうすればいいのか、わかりません」


 ペリドットを見ているだけでいいのか、セオドアは答えをくれなかった。それだけではきっとだめなのだとわかっていても、その先がわからない。文字通り見ていた矢先、あのざまだ。


 アパタイトは一晩中答えを探しながら、いつの間にか眠りについていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ