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アパタイト 後編

「あ……う、ぅ」


 エイヴァはなんとか言葉を紡ごうとしているが、嗚咽に邪魔されてしまっている。ひっく、ひっくと息を吸い、ついにはぼろぼろと涙をこぼした。


 なにか、なにか言わないと、とアパタイトは無理やり口を開く。


「コーラル、怖いです」

「……俺がですか?」

「はい。背の低い人からすると背の高い人は脅威でしかありません。殴られたら吹っ飛びますし、追いかけられたらすぐに捕まります。だから、怖いです」

「おや、僕になにができるというのでしょう。俺はまだ十六歳の子どもで、成人もしていないのですよ? それに、理由もなく殴ったり捕まえたりなど野蛮なこともしません」

「……不快な思いをさせてしまったのなら謝ります。申し訳ありませんでした」


 アパタイトは深々とコーラルに頭を下げる。


「頭を上げてください。言ったでしょう? 俺とあなたはもう友人です。これでは、俺が悪いことをしているみたいではありませんか」


 コーラルに「友人」と言われ、なぜか胸のあたりがもやっとしたような気がした。


「こ、コーラル!」


 また知らない人がやってきた。息を切らしながらコーラルを呼んだのは優しそうな青年だ。綺麗に整えられたさらさらの黒髪を揺らし、丸くする黒い目には焦りがにじんでいる。


「なんですか? ヒスイ」

「いや……傍から見たらよろしくない構図が目に入って、思わず。エイヴァさまは泣いているし、その子には頭を下げさせて」

「下げさせて、なんて心外です。アパタイトが俺に不快な思いをさせたと自ら謝罪してくれただけです。誓って強要なんてしていません。ですよね?」


 コーラルは肩をすくめて大げさに首を横に振り、アパタイトに同意を求める。


「はい。僕が間違えたことですから、謝らなければならないことでした」

「そ、そう? 余計なことしちゃったかな。あれ、でもエイヴァさまは泣いているよね? コーラル、またいじめたのか」

「いじめていません。貴族でもない俺が、貴族の令嬢をいじめるなんてことあるわけないでしょう?」

「それもそうか、な? ところでコーラルは戻ってきたばかりだよね? うん、久しぶりだ! ……じゃなくて、テディに報告はもうしたの?」


 ヒスイと呼ばれていた青年は顎をさすり、首をひねった。


「いえ、まだです。見かけない顔があったのと、レディに挨拶しなければと思いましたので。自然と足がこちらへ向いていました」

「じゃあ、テディに報告しないとね。ここは僕に任せて! ほら、行った行った」


 ヒスイはコーラルに虫を追い払うような仕草をした。


 察したようにため息を吐いたコーラルは別れ際にアパタイトとエイヴァににこりと微笑んだ。


「エイヴァさま、大丈夫?」


 ヒスイが地面に膝をついてそっと手を伸ばすが、エイヴァは無言でぱしっとその手を遠ざけた。


「ふーむ。じゃあ、君は? 初めましてだよね」


 ついた膝を軸に、くるりと体の向きが変わる。汚れや痛みは気にしないのか、と顔を合わせるが、当の本人にはまったく気にした様子はない。


「アパタイトです。ヒスイ、ですよね?」

「えっ。なんで知っているの? 自己紹介したっけ?」

「さっきコーラルが名前を口にしていました」


 目を丸くしていたヒスイは空気が抜けるように笑い、気恥ずかしそうに頭をかいた。


「たしかに、忘れていたよ。じゃあ改めて。僕はヒスイ。十八歳で……邸宅、寮って言ったほうがいいかな? 寮の中では年上のほうなんだ。好きなことはガーデニング。でも虫はあんまり得意じゃないかな。嫌いじゃないよ? 苦手なだけ。それであとは……なにか知りたいことはある?」


 息継ぎもそこそこに、矢継ぎ早に話すヒスイ。言葉を返せないでいてもにこにこと穏やかな笑みを浮かべている。


「あ、いきなり言われても困るよね。うん、僕はなんでそんなこともわかんないんだろう。ほんとに、僕はいつもこうなんだ。テディにもよく言われるんだ。ははっ、ははは……はあ」


 急激に表情が暗くなり、ぶつぶつと声も小さくなる。ヒスイの目がどんよりと虚ろになっていった。


「あ、あぱたいと」


 ぐいっとと服を引かれ、アパタイトはエイヴァを向く。エイヴァはしゃくりをあげながらテディベアを持った手で目をこすり、大きく息を吸った。


「ひすい」

「はい、エイヴァさま。なんでしょうか」

「ご、ごきげんよ、ぅ」


 エイヴァは片足を斜め後ろに引き、片足は小さく膝を曲げ、アパタイトから離した手でドレスの裾を持ち上げる。


 背筋はピンと伸びたままで、綺麗なカーテシーだった。


 遅れた挨拶にヒスイはぽかんとしたが、はっと我に返ると胸に片手を当ててぺこりとお辞儀を返す。間に挟まれたアパタイトもするべきか迷う。


「ご機嫌麗しゅう。で、いいんだっけ? コーラルに教えてもらったんだけど、ちゃんとできているかな」

「できているわ。それと、私は大丈夫よ。コーラルなんて怖くないんだからっ。でももう、お父さまのところに戻る。行きましょ、アパタイト」


 エイヴァは最後に目元を拭うと、毅然とした態度で歩き出した。


「またあとで会おうね、アパタイト」


 ひらひらと手を振り、二人を見送っていたヒスイから「あ! ここの花壇、誰か水をあげてくれたのかな?」という声が聞こえ、心なしかエイヴァの歩くスピードが速まったような気がした。


 応接室へ戻ると、セオドアとリアムはぐったりとしていた。机の上にはびっしりと文字で埋められた紙が散乱し、床にはぐしゃぐしゃに丸められた紙もあった。


「ああ……戻ったのか、エイヴァ」


 ちらと入り口に目をやったリアムが目を見開いた。


「ど、どうしたんだ!?」


 お姉さん然として出ていった娘が戻ってきたかと思えば、送り出したときよりも目が赤くなり、頬には涙を流したあとがついていれば当然だ。


 疲れも忘れたリアムはエイヴァを抱え上げ、難色をにじませた目でアパタイトを見下ろした。


「なにがあったんだ?」


 アパタイトは思わず目をそらしていた。リアムの責めるような目が、いやだったから。


「答えろ、アパタイト」

「さっき」


 アパタイトの代わりに、書類に顔をうずめていたセオドアが声を上げる。


「さっき、コーラルが来ただろう。話し合いは終わっていなかったからあとにしてもらったけど、機嫌がよかった」


 リアムの眉がぴくりと動く。


「大方、エイヴァちゃんと話をしたんだろう。違うかい? アパタイト」

「そうです。コーラルと話をしました」

「どんな話を?」


 アパタイトはちらとエイヴァを見やる。


「コーラルは挨拶したのにエイヴァさまは返してくれないのかと。それと僕がコーラルを不快にさせてしまったので、それを謝りました」

「ああ、コーラルは背も高く大人びているけれど、まだまだ子どもだから。勘違いもされやすい」

「勘違いだって? あの子はどうしてかエイヴァを目の敵にしている。それに、私のことも……テディだって見下されていると感じたことはないのか? あの目、あの口調、あの態度……ないとは言わせないぞ」


 リアムは目を鋭くした。エイヴァはリアムに体を預け、腕の中で縮こまっている。


「……兄さん。私の友人を悪く言うのはやめてくれ」

「僕は事実を述べただけだ」


 リアムは奥歯を噛む。


「わかった。報告を受けるときに話しておくよ」

「よく言い聞かせておいてくれよ。それが、お前の責任だ」


 リアムはアパタイトを一瞥し、応接室を出ていってしまった。


 セオドアは気にせず散らかった紙を集め、束にしていた。


「僕は、どうすればいいでしょうか」

「コーラルのことを、どうか誤解しないでほしい」

「誤解?」


 こくりとうなずいたセオドアは手を止めた。


「コーラルは、不器用なだけだ。だから本心を隠してしまうこともあるけれど、本当は……ほんの少し怖がりなだけで」


 ――怖がり。怖がり? あの人が?


 むしろコーラルのことを怖いと思ったくらいだ。じわじわと追い詰められ、弱者が強者に逃げ場のない袋小路に誘導されるさまを思い起こした。


「いや、こんなふうに言ってしまうとコーラルに怒られてしまうな。今の話は、忘れてくれるかい?」

「わかりました」


 こんこん、と扉がノックされる。


「テディ、もう入ってもいいですか?」


 コーラルの声だ。


「案内したかったけど時間がないな。部屋は二階の空いている部屋を使うといい。わからなければ誰かに聞いてくれ。コーラル、入っていいよ」


 コーラルと入れ替わる形でアパタイトは部屋を出た。


「待っていたよ、アパタイト」

「ヒスイ?」


 廊下に出るとヒスイが壁に背中を預けてしゃがんでいた。


「わあ、もう覚えてくれたんだ。嬉しいな。ところで、使う部屋は決まっている? テディのことだからきっと、適当な部屋を使うよう言われたかな?」

「ヒスイの言う通り、決まっていません」


 ヒスイの顔がぱっと明るくなる。


「それなら、僕の隣の部屋においでよ」


 なんでも最近、隣の部屋を使っていた友人が寮を出ていってしまったそうだ。その友人は剣術に長けており、さらにプログラム先で剣の才能を見出され、騎士見習いとして引き取られたらしい。ヒスイは友人の門出を喜んでいるが、同時に寂しくて仕方がないという。


 アパタイトは断る理由もなく、二つ返事で了承した。


「テディには感謝しなくちゃね。生きることに必要なことは、すべてテディが用意してくれるんだから。ああ、でも。これがしたいあれがしたいってお願いしてできなかったときは本当にいたたまれなくなるんだ。無駄な時間を消費してしまう僕のために、一日でどれだけのお金が消えていくんだろうって考えちゃったら……考えたくないのに、考えちゃうよ」


 口を挟む暇もなく、ヒスイはいつの間にか陰鬱な表情を引っさげていた。


「たとえできなくても、テディは無駄な時間だとは思わないと、思います」


 出会って一日も経過していない。へたしたら一時間だって顔を合わせてはいない。けれど、確信している。


 だってセオドアは一度だってアパタイトを、誰のことをも否定していないのだから。


「――うん、そうだ。そうだね。僕が間違っていたよ。テディはどんなことにも意味を見出してくれる。誰が僕を否定してもテディだけは僕を肯定してくれるって、僕も思うよ」


 ヒスイは頬を綻ばせる。


「アパタイト、これからよろしくね」


 次の日、アパタイトは土まみれで地面に伏せていた。体力はあるものの筋力がなく、剣を持てなかった。木刀を持たされても稽古相手に、すぐに転ばされてしまう。稽古を眺めていたものたちの見解は、どれだけ習おうとアパタイトに剣の才はないということで一致した。


 その次の日、アパタイトはペンを握って固まっていた。話したり聞いたりはできるが、文字を書いたり読んだりすることはできないからだ。一文字ずつ発音し、模写することでなんとか文字らしきものを書くことには成功した。講師の話ではこれから毎日習っていけば、上達するだろうとのことだった。


 そのまた次の日、アパタイトはぷるぷると震えていた。頭に本を乗せ、線に見立てた床の模様をまっすぐ歩く。けれど二歩も歩かないうちに本は床へと落下した。背筋を伸ばし、顎を引き、けれど前を向く。アパタイトは歩くことをやめ、まずは頭に本を乗せたまま長時間、姿勢を保ち続けることに専念した。


 そのほかにも身につけなければならないマナーがあるが、アパタイトはまず基本的な動作を覚えなければならない。


 ヒスイに励まされ、コーラルにからかわれながらもアパタイトは着実に成長していった。数週間もすれば簡単な童話なら読めるようになったし、歪んではいるものの、文字を書けるようになっていた。本を頭に乗せても十歩は進めるようになった。


「すごいすごい! 学びはじめたころとは見違えたよ」


 ヒスイとともに学んでいる貴族のマナー、立ち振る舞い。完璧とまでは言わないがそれなりにさまになっていた。


 どうやらアパタイトは人よりも飲みこみが早いようで、講師もそれは長所だと教えてくれた。弱音を吐かず、失敗しても諦めない。ヒスイも手放しで褒めてくれた。


「ヒスイが、一緒に頑張ろうって言ってくれますから」

「うんうん、二人なら心強いことだってあるもんね。僕ってなにやっても失敗ばかりだから呆れられちゃうんだけど、アパタイトはできるって言ってくれるからできそうにないこともついつい頑張っちゃうよ」


 ヒスイと過ごして知ったことは、ヒスイは周りをよく見ていること。いるだけで雰囲気が和らぐこと。それでいて自分を卑下しすぎだということ。


 他者には敏感で、自分には鈍感だ。たしかに友人たちから舐められているな、と感じることは多々ある。けれどヒスイを嫌っている友人はいないだろう。


 ヒスイは卑屈に物事を捉えがちだが、決してくじけることがない。卑下に隠れているが底抜けに打たれ強いとアパタイトは思う。


「アパタイト、授業は終わったかい?」


 開けられた扉をこんこんと鳴らすのはセオドアだ。


「はい。少し休んだら、ヒスイに植物の世話を教わるところでした」

「そうか、それは大事なことだね。それじゃあまた今度に……」

「行ってきなよ、アパタイト。植物は今日明日に枯れはしないから。それに、また後日にすればアパタイトにもっともっとたくさんの植物を教えられるし! そっちのほうがいいと思わない?」


 ヒスイはにへらと笑い、小首を傾げた。


「ヒスイはそのほうがいいと思いますか?」

「もちろん。だから言っているんだよ!」


 アパタイトはうなずく。


「では、明日を楽しみにしています」

「ごめんね、ヒスイ」


 気にしないで、と明るいヒスイに見送られる。


「テディは僕にどんな用があったんですか?」

「エイヴァちゃんが遊びに来たんだけど……アパタイト、君と遊びたいそうだ」


 表に出るとエイヴァが侍女と待っていた。


 レースがふんだんにあしらわれた淡い桃色のドレスはエイヴァの動きに合わせてふわふわ揺れている。頭には一輪の花で飾られた桃色のボンネットをかぶっていた。そのため今日はツインテールではなく、三つ編みにしているようだ。


 エイヴァはセオドアとアパタイトに気づくと駆けよろうとしたが、なにかを気にしてきょろきょろとあたりを見回す。


「コーラルならプログラムに出ているから、またしばらく寮にはいないよ。あまりエイヴァちゃんに意地悪しないよう、私も言っておいたから」


 寮で過ごすようになってだいたい一ヶ月は経過しているだろう。


 推測するにコーラルは頻繁にプログラムに参加しているようだが、ヒスイがプログラムに参加するという話はまだ聞いたことがない。


 今度、ヒスイにもプログラムの詳しい内容を聞いてみるのもいいかもしれないだろう。


「ふんっ。コーラルなんて怖くないわ。テディってば変なこと言うのね」


 エイヴァは腕を組み、つんと顔をそらした。後ろで侍女が苦い笑みを浮かべている。


「私の杞憂だったみたいだね」


 セオドアは慈しむように口元を緩めると侍女に子どもたちを任せ、寮の中に戻っていった。


「僕と遊びたがっていると聞きました」

「っ……遊びたくなんてないわよっ」

「テディが間違えたんでしょうか? 訂正してきます」


 くるりと踵を返してセオドアを追いかけようとするアパタイトの服が慌てて掴まれる。


「そ、そうじゃなくて」

「どういうことですか?」


 アパタイトはきょとんとする。エイヴァは口をぱくぱくさせてなにかを言おうとするが、うまく言葉にできないようだ。


「今日は天気がよろしいですから、中庭でお茶をするのはいかがでしょうか? 伯爵家の料理人がおやつを持たせてくれましたので、それを食べながらゆっくりお話でも」


 侍女がバスケットを掲げる。エイヴァはぱっと目を輝かせ、何度も首を縦に振った。


「そ、そうね! 行きましょ、アパタイト」


 中庭は花よりも木が多く植えられている。


 石畳で整備された道を歩けば、中央に位置する場所にガゼボと呼ばれる休憩所があった。灰色のレンガで作られたそこには簡単な白いテーブルと椅子が設置され、花見をしながら休息をとることができる。


 うながされるままに椅子に座ると侍女が菓子を並べ、紅茶を注いでくれた。香りだった湯気が食欲をそそり、アパタイトは小さくのどを鳴らした。


 茶会については本を読み、講師に学んだだけでまだ実践したことがない。これを実践練習だと考えるほどお気楽ではなく、粗相してはならないという緊張感に襲われる。相手は貴族で、敬うべきご令嬢だ。


「どうかしたの?」

「なんでも、ありません」


 アパタイトはカップの持ち手に指をかける。いつもの食事の時間とは違い、カップが重く感じた。


 ゆっくりと口元にカップを持っていくと、自然と縁に唇が触れた。むせないよう口に含むくらい。こくんと紅茶を飲むのと同時に動かした目線が、こちらをじっと見つめていた茶色い目と合う。


 ――あ。


 しまった、と思うよりも先にエイヴァがばっと顔を下げる。


 だらだらと冷や汗が流れる感覚がした。なにか失敗したかと問われれば、答えは『はい』でも『いいえ』でもなく、『わからない』。けれど顔を伏せるエイヴァの反応を見るに、なにかを間違ったことはわかった。


 カップから口が離せないまま、エイヴァの後ろに立つ侍女に視線をやる。最初こそ驚いた顔をしていたが、やがて口元に手を添えて穏やかに笑った。なにか笑える要因でもあったのか。


「お味はいかがですか?」

「……とても、おいしいです」


 音を立てないようにカップを置く。


「ありがとうございます。お嬢さまもお気に入りの紅茶なんです。そちらもぜひお召し上がりください」


 侍女は手つかずの菓子を示し、すっと表情を正した。


 なにも注意されない。もしかしたら失敗していないのかもしれないと思うが、エイヴァはまだ顔を下げたままなのが不安をあおられる。


 微妙な空気が気まずくて、皿に盛られていた菓子を口に運ぶがどうしてか味がしない。生地に包まれたイチゴのジャムもまぶされた粉砂糖も、たしかにあるのに。


 ただ、口のなかの水分だけが奪われていく。紅茶に手を伸ばしかけ、やめる。


「エイヴァさま」


 びくりと肩が跳ねる。


「お気を悪くされたのなら申し訳ありません。僕はまだ貴族のマナーについて完璧に覚えられていません。そのことで」

「ちが、ぅ」


 声をかぶせられ、アパタイトは口を噤む。


「ちがう、けど……なぜか」


 はたと言葉が止まる。エイヴァは胸に手を当て、すうはあと大きく息をした。


「……なんだか、へん……なのよ。だから……今日はもう帰ることにするわ」

「かしこまりました、お嬢さま」


 侍女は一礼し、テーブルを片づけ始めた。


 ――やはり、なにか間違えただろうか。


 戸惑いながらもアパタイトも手伝おうとするが断られる。今は、大人しくしていたほうがいいだろう。


「じゃあ、またね。アパタイト」


 振り返ることはなく、けれど別れの言葉は告げてくれた。


 茶会で手の付けられなかった菓子を包み、侍女に渡される。その間にエイヴァは馬車に乗ってしまっていた。


 夕日が、もうすぐ沈む。


「アパタイト!」


 馬車を見送っていると、玄関の扉からひょこっと半身を出したヒスイが手を大きく振っていた。ほ、と息をつき、アパタイトは寮へ、日常へと戻る一歩を踏み出した。


「窓から見たよ。エイヴァさまとお茶をしていたの?」

「はい。ですが……」

「ですが?」

「いえ、なんでもありません。紅茶がとてもおいしかったです。あまった菓子ももらいましたので、夕食後にヒスイも食べませんか?」


 ヒスイは目を輝かせる。


「僕が一緒に、いいの?」

「もちろん。だってヒスイは――」


 ふいにセオドアの言葉が頭に響く。


『志をともにし、互いに心を許し合い、同等、対等に交われる親しい人』


 それに導かれるように。


 ――僕の。


『いつか、君も出会えるよ。今はわからなくても、君を信じ、君が信じられる人にきっと出会える』


「――友人ですから」


『そのときはきっと、友人という言葉が自然と口をついて出ているから』


 ヒスイがにへらと満面の笑みを浮かべる。つられて、アパタイトもかすかに笑む。


 今この瞬間、あのときセオドアがなにを言いたかったのか、教えたかったのか、伝えたかったのか。それがわかったような気がした。

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