エピローグ
寒季がやってくる。しんしんと降る雪は地面に白い絨毯を敷き、人々の足跡を残す。吐いた息は白く染まり、やがて空気に溶けていく。
シールズの景色は一変していた。しかし、変わらないものはどこにでもあるもので。
「兄さん。何度言ったらわかってくれるんだ」
「テディこそ、いつになったら腹を決めてくれるんだ?」
机の上に書類を広げ、兄弟は向かい合う。よほど議論が白熱していたのか、数枚の書類は床にまで散らかっている。
真ん中には世界地図があり、いくつもの印が書き込まれていた。特に、隣国の山岳地域に集中しており、何本もの線が引かれてはバツがつけられている。
「このルートどころか、私たちはこの山岳に足を踏み入れることはできないんだ。たしかに鉱石は豊富だが、すでに隣国の商会が目をつけている。へたしたら小競り合いだって」
「僕が知らないとでも思っているのか? 近々、ハーツラインが隣国で爵位を得るそうじゃないか。なぜか? このルートを開拓するためだろう」
ばしん、とセオドアの兄であるリアムが地図を叩く。
「隣国の商会が目をつけていようが、この山岳地帯は隣国の王の管理下にあり、手つかずに等しい。だが、だからこそ! ハーツラインが下賜してもらうよう頭角を現しているんじゃないか」
セオドアは眉にしわを寄せる。どこでそのような情報を仕入れてきたのだろうか。
「なあ、わかるだろう? なんのためにハーツラインが隣国に渡り、それこそ血を吐く思いで爵位を得たか。お前のためだ。アトレに不自由させないようお前に託し、そんなお前に恩を返すためじゃないか」
リアムもまた、商いに生きる人だった。少しでも多くの情報を収集し、相手を納得させ、譲歩させるか。
いつだって口は悪いが、同じくらいに舌も回る。
「彼らが国を出たのは私のためではない。コーラルのためだ」
リアムは腕を組み、ふんぞり返る。
「たしかに彼らは没落してしまったが、折れてはいなかった。いつか貴族に返り咲いたとき、社交界に出るコーラルが後ろ指をさされないよう、この国を出たんだ。それだけは違えてはいけないよ。彼らの名誉と血を吐くような努力のために」
「どっちだっていいさ。ハーツラインが隣国で地盤を固めていることに変わりはないのだから。この山岳地帯さえ押さえれば、鉱石だけではなく食物や絹など多くの恩恵が受けられる」
「兄さんの言い分はわかったよ。だが、決めるのはレオたちだ」
「ああ。彼らがよほどの恩知らずでなければ僕の予想通りになるだろう」
これ以上、言い合いを続けても平行線だ。どちらかが折れなければ進まないが、話を進めるにはまだ早計だとセオドアは考えている。
「それにしても、どういう心境の変化だ?」
同じことを考えたのか、ふいにリアムが話題を変える。
「なにがだい?」
「スピネルのことさ。いったいどんな手を使ったら、六年も暴れていた猛獣を手懐けることができたんだ?」
「ああ」
番犬のようにヒスイに付き従うスピネルの姿が脳裏に浮かぶ。
「ヒスイが彼を導いてくれたんだよ。本当に、勇敢な子だ」
「あの弱虫が?」
「兄さん。僕の友人を悪く言うのはやめてくれと言っただろう」
セオドアはため息をつく。リアムは悪びれず肩をすくめた。
「なにもかも、アパタイトのおかげだよ」
「あの気味の悪い……」
じろりとセオドアが睨むとリアムは口を閉ざした。
「もし、エイヴァちゃんが誰かにぶたれたら兄さんはどうする?」
「殴り返すに決まっている。何十倍にも返してな」
「ヒスイもそうしたんだよ。何十倍にはしていないが、なにを話したのかスピネルを説き伏せてしまった。スピネルは、今では親を見つけた雛鳥のようだよ」
こほん、とセオドアは空気を変える。
「アパタイトが殴られてよかったというわけではないが、彼らが前に進むよいきっかけになったことは間違いない」
あまりにもセオドアが微笑ましそうに笑うものだから、リアムは内心呆れてしまった。
「コーラルも変わったと思わないかい?」
「思わないな」
「きっとアパタイトが、固く閉ざしていた心に上がり込んだんだ」
リアムはぴっぱり否定したが、セオドアは変わった前提で話を進める。
「アパタイトは周りに関心がないようで……いや、ないからこそかな。容赦がないんだ。これが案外、ずけずけとものを言う」
「エイヴァに水をかけられたというのに謝った子とは思えないな。アパタイトこそまるで別人のようだ」
「あのときは母親を亡くしたばかりで動転していたんだろうね」
「動転、ねえ」
セオドアは思いを馳せるように、遠くを見る。
「母親が死んでも泣いていなかったあの子が、ついに泣くことができたんだ。私も辛かったが、同時にうれしくも思った。ちゃんと、成長しているよ。みんな前に進んでいる」
セオドアは口角を上げる。
「心境に変化があったものはみな、アパタイトの名を口にするんだ」
「それがなんだって言うのさ」
「あの子こそ、私が必要としていた存在かもしれない。誰にも分け隔てなく接することができて、前に進むことに臆する友人の手を引いてあげる……アパタイトこそ、誰の友人にもなってあげられる」
「……僕には、わからないな」
「兄さんにわからなくたって、私がわかっていればそれでいい」
そのとき、こんこんと扉が鳴った。
「お父さま、準備ができたわ」
ツインテールを揺らしたエイヴァが父を呼ぶ。今日はいつもよりおめかしをして、一番お気に入りの赤いドレスを着ている。
「ああ、今行くよ」
「片づけは私がしておくから、兄さんは先に」
「テディも早く来てね。テディがいないとパーティーが始められないんだから」
「急いでいくよ」
ぱたんと閉まった扉から、散らかった机に目をやる。
「さて」
遠くから友人たちの賑やかな声が聞こえてきている。
今日は寒季を迎え、無事に越すためのパーティーが開催される。発案はエイヴァ。可愛らしい願いだ。エイヴァの要望を主軸として、友人たちが力を合わせて用意してくれた。
広げられた地図や資料をしまい、セオドアは執務室を出る。外は雪が降っていて、廊下は少し肌寒い。
「あ、テディが来た!」
「こっち、こっちに座って」
大広間は友人たちが描いた絵や作った飾りで彩られている。
「お待たせ、みんな」
絶望に飲まれ、暗闇で泣いていた子どもたちの面影はもうない。誰もが希望を胸に、夢を持っている。
与え、選びとってくれたことが、セオドアはなによりもうれしい。
「じゃあ、みんな声を合わせてー、せーのっ」
――子どもたちは原石だ。誰もが宝石になれる可能性を秘めている。いつか、どこかで、誰もが輝けるよう、私はほんの少しだけ磨くだけだ。
「かんぱーい!」
そこに友人が手を貸してくれたなら、宝石は自在に姿を変え、より輝きを発してくれるだろう。




