コーラル 後編
翌日、リーゼロッテは元気な姿で帰ってきた。けれどしばらくは様子を見るということでアパタイトとコーラルとも距離を置いていた。
二人と一緒にいては、ついついはしゃいでしまうためだ。いくら余命宣告を受け入れているからと言っても、少しでも長く生きてほしいことに変わりはない。
それからさらに数日が経過し、リーゼロッテはようやくアパタイトとコーラルと過ごす許しが出された。
「私はただ、いつ死んでも後悔したくないだけなのに」
「リーゼロッテが後悔したくないように、ご両親も後悔をしたくないはずです」
リーゼロッテははっとした顔をする。
「深窓の令嬢のようにお淑やかに過ごしてみようかな?」
「深窓の令嬢?」
「本で読んだのよ。たしか、窓際に座って外を見て、微笑むんだったかな? ……そんな目で見ないでよ。冗談じゃない」
けれどどうやら半分は本気だったようで、リーゼロッテはしばらく大人しくしていた。マーニーが「体調が悪いのか」と心配するほどの忍耐力で。しかし、ことあるごとに心配され続け、とうとうリーゼロッテは深窓の令嬢ごっこをやめた。
「やっぱり窓の外を眺めてるだけなんてつまらない」
リーゼロッテはそう言って、散々走らされてへろへろになっているアパタイトと庭を駆けていた。
白いワンピースを華麗に翻しているリーゼロッテはやはり病に侵されているなど嘘のようで。あの日からリーゼロッテの体調が危うくなったことはない。
だから、油断していた。
アパタイトとコーラルがこの家に来てちょうど一ヶ月が経った日のことだった。朝、リーゼロッテは自室の真ん中で意識を失っていた。
発見したのはベンだ。出勤前にのぞいたら血液混じりの吐瀉をまいて倒れていたという。すぐに医者が呼ばれたが、夜を越せるかはわからないとのことだった。
アパタイトとコーラルはまだ息があることを確認してから席を外す。今は家族水入らずの時間が必要だろうから。
「大丈夫ですか?」
ここへ来た日のように、二人は湖畔に座っている。まるでリーゼロッテがいるかのように、一人分の距離を空けて。
「大丈夫です。見ていませんから」
「ふふ。アパタイトってかなりドライですね」
「それはコーラルも同じだと思います」
「おや、否定しないんですか」
アパタイトはいつだって、リーゼロッテに母を重ねていた。血を吐いたときも意識がないと聞いたときも、リーゼロッテの命を危ぶんだわけではない。
記憶のなかの母に、焦がれていた。
「アパタイトはお母さまのことが大好きなんですね」
「僕にとって、母がすべてでしたから」
「というと?」
「文字通りの意味です。僕が生まれて、母が死ぬまで、母としかいませんでしたから。母の願いはなんでも叶えてきたつもりです。僕が、そうしたかったから」
リーゼロッテの家とはまるで逆だ。
「どんな願いを叶えてきたか聞いても?」
「腹がすいたと言えば食べものを調達しました。人肌が恋しいと言えば温まるまで傍にいました。腹の虫が治まらないと言えば満足するまで殴られました」
コーラルがぎょっとする。
「殴られたんですか?」
「はい。だんだんと痛みを感じなくなっていったので苦ではなかったです。それに僕が殴られるだけで母は笑ってくれるんですから」
「アパタイトは打たれ強いというか、痛みに鈍くなっていたんですね。なるほど、スピネルの打撃にも耐えられるわけです」
コーラルは納得したようにうなずいた。
「とはいえ、僕はリーゼロッテを友人だと思っています」
「俺も友人だと思っていますよ。ただ、俺たちがリーゼロッテの望んでいた友人になれたかどうかはわかりませんが」
「どういうことですか?」
「だってほら、俺たちって友人には向いていないと思いませんか?」
にこやかなコーラルと反対にアパタイトは微妙な顔をする。
「俺もアパタイトも表情が豊かでなければ抑揚もない。俺は走らないですしアパタイトは走れないじゃないですか」
これでも体力は増えたほうだ。と言いたいところだが、それでもすぐにへばってしまうのでなにも返せない。
「……アパタイト、コーラル。リーゼロッテが呼んでいるんだ。話してやってほしい」
マーニーの肩を支えながらベンが呼びに来た。二人の目は赤くなっていた。
「行きましょうか、アパタイト」
「はい、コーラル」
アパタイトとコーラルが部屋の前に立つとマーニーとベンはその場から姿を消した。遠くから泣き声が聞こえてくる。
「来たのね」
リーゼロッテはいつもの白いワンピースを着て、ベッドに横たわっていた。顔色が悪く、呼吸も大きくなっている。
「ねえ、アパタイト。初めて会った日、あなたが私に言ってくれたこと……覚えてる?」
「死んでしまっても、友人……という話ですか?」
「そう、それ。覚えてくれてたのね」
リーゼロッテは笑ったのち、ごほごほと咳をした。
「コーラル。あなたは私を町へ連れ出してくれたのよね」
「無理をさせてしまったようですがね」
「もう。私がそんなことを言うために話を出したと思ってるの? それなら、私のことを全然わかっていないようね。私を理解するのには一ヶ月じゃ足りなかった?」
からかうように笑みをこぼしていたリーゼロッテの口元が歪む。痙攣するように唇が震え、目尻からは止めどなく涙が流れていた。
「すごく、楽しか、たのよ。今まで生き、てきて……一番、かも……しれない、くらい。ぱぱと、ままには……ないしょ、よ」
ひっく、ひっくとリーゼロッテの声が上ずる。
「一度でいいから、普通のことを……したかったの。みんなが当たり前にできることをずっと、ずっとずっと、したかったから。私が今とっても幸せな気持ちでいられるのは、二人のおかげでもあるのよ」
でも、とリーゼロッテは言葉を続ける。
「夢が叶うって、満たされるって思ってたのに。あなたたちと過ごせば過ごすほど、のどが渇いたようにもどかしかった。もっともっとって、生きたくなるの。私はもう、死んでしまうのに。わかっていたはずなのに……っ!」
涙と一緒に本心がぽろぽろとあふれてくる。
「こんなことってある? 私がどれだけ祈ったって、神様は願いを聞きとどけてはくれないの。これじゃあ、ママとパパがかわいそうよ」
外に声が漏れないよう泣きじゃくるリーゼロッテに、コーラルの眉がぴくりと動く。
「かわいそう、ですか」
「ほんとの、ことじゃない。私にどれだけお金をかけたと思ってるの? きっと、私よりもママとパパのほうが辛くて苦しいの。二人は私のことを愛してるから、健康に生んであげられなくてごめんなさいって、謝るのよ」
「そうだったんですね」
「そうよ! 私はママとパパの子に生まれただけで、幸せなのに」
アパタイトはコーラルが傷ついているように見えた。声をかけようとする前に、コーラルが口を開く。
「本当に幸せものですね。リーゼロッテ、あなたはとても恵まれていると俺も思いますよ」
「……え?」
リーゼロッテは赤く腫らした目を丸くする。
「生まれつき体が弱く、病気だったんでしょう? 生まれてすぐに見限られてもおかしくないじゃないですか。長くは生きられないとわかっているのに、庶民からすれば莫大なお金をあなたにかけてくれたんですから」
コーラルは目を細める。
「親の愛の賜物というんでしょうか? よかったじゃないですか。捨てられなくて。こうして最期を――」
アパタイトは衝動的にコーラルの口をふさいでいた。もう遅いとわかっている。けれどこれ以上、リーゼロッテに聞かせてはならないと思った。
「やめてください。コーラル」
ぷは、とアパタイトから解放されたコーラルは肩をすくめる。
「とっくにあなたにやめさせられていますよ。ですが、言葉がすぎましたね。アパタイトに話して口が軽くなってしまったのかもしれません」
まるでアパタイトにも非があるかのような言い草だ。
「アパタイトがコーラルを怖いって言ってた理由が、今になってわかった」
リーゼロッテがぽつりと言う。
「コーラル。あなた、私が羨ましいのね」
げほ、と咳をしながらリーゼロッテは上半身を起こす。
「大丈夫よ。あなたを愛してくれている人は、必ずいるから」
「なにを」
「忘れないで。無条件に愛してくれるのは家族だけよ。世界のどん底にいたって空高くにいたって、それでも手を伸ばしてくれるのは……世界中のどこを探してもママとパパしかいないのよ」
今さら、頑張ってと言うにはあまりにも残酷で。アパタイトはそっとリーゼロッテの背中をさする。
「コーラルの言葉にびっくりしちゃったけど、私たちが友だちであることには変わりないの。もしかして、ひどい言葉を言ったと思ってる?」
リーゼロッテは首を振る。
「残念。もっとひどい言葉を私は言われたことがあるから全然気にしないんだから。コーラルは、なんてことない人になりきれていないのよ」
アパタイトはゆっくり体を倒すように頼まれる。それからリーゼロッテは叫ぶように両親を呼んだ。
二人と入れかわるようにアパタイトとコーラルは部屋を出る。今度こそ、最期を家族と過ごしている。
三十分ほどが経ったころ別室で待機していた医者が呼ばれ、さらにその十分後にはリーゼロッテの死亡が確認された。
湖畔の小さな家に両親の慟哭が響く。
リーゼロッテが最期に両親とどんな言葉を交わしたのかは知る必要もない。けれど眠るように亡くなったリーゼロッテは穏やかな顔をしている。今はただ、安らかであることを願うばかりだ。
「あんなにも楽しそうなリーゼロッテを見たのは、久しぶりだった」
「ありがとう。アパタイト、コーラル。あなたたちが来てくれて、本当に……っ」
葬儀はマーニーとベンで慎ましく執り行うそうで、翌日にはアパタイトとコーラルの迎えの馬車が来た。
二人に別れを告げ、馬車が出発する。
「……どうして、リーゼロッテにあんなことを言ったんですか?」
窓の外を眺めていたコーラルに尋ねる。
「実は俺も、わかっていないんです。強いて言えば、『かわいそう』ですかね」
「リーゼロッテがですか?」
「ああ、いえ。マーニーさんも同じことを言っていたんです。あの子が……リーゼロッテがかわいそうだと。俺にはそれが、わからなくて」
コーラルは真剣に悩んでいるようだった。
「互いにかわいそうだと思っているなんて、滑稽だと思いません? かわいそうなんて言葉、相手を下に見ていなければ出てこない発言じゃないですか」
「リーゼロッテは僕たちの境遇を知っています」
詳細は知らずとも、友人たちはみな育ててくれる親がおらず、セオドア・グリフィスに保護されていることを知っている。
「リーゼロッテの言う通り、コーラルはリーゼロッテが羨ましいんですね」
「それもわかりません。俺がどうして彼女を」
「コーラルがまだ、両親を信じているからです」
アパタイトにまっすぐ見据えられ、コーラルの視線がいささか冷たくなる。
「あのとき、両親のことを僕に話してくれたのは、そんなことないと否定してほしかったからじゃないんですか」
「ありえません」
「なぜ?」
「ありえないからです」
コーラルはにこりと笑みをたたえるが、目の奥は笑っていない。
「エイヴァさまにあんな態度をとるのも、羨ましいからだと僕は思います。今、思いました」
「俺がエイヴァさまやリーゼロッテに嫉妬していると言いたいんですか? 羨ましくて、認められなくて、だから攻撃するような態度をとると?」
「はい」
「アパタイト。言葉には気をつけてください。俺だって怒ることもあるんですよ」
「羨ましいと思わないのなら、怒る必要はないと思いますが」
ぴり、と鋭い空気が走る。
ばちばちと火花が散るような睨み合いではないが、先に目をそらしたほうが負けだと言わんばかりに、互いの視線を譲らない。
「では、仮にそうだったとして。俺が彼女たちに嫉妬していると認めたとして、なにになるんです? アパタイトが今こうすることに、どんな意味があるというんですか?」
「僕が、コーラルをかわいそうだと思っているから言ってるんです」
「先ほどの俺の話を聞いていました? かわいそうというのは」
「それと……羨ましくもあるからです」
コーラルは押し黙る。
「僕にはもう母はいません。ですが、コーラルの両親は死んでいないんでしょう」
「それが、なんだと――」
アパタイトの頬に涙が伝い、手の甲にぽたぽたと滴り落ちる。
「なぜ、あなたが泣くんです」
「僕はもう母には会えないのに。撫でてもらうことも抱きしめてもらうことも笑いかけてもらうことも、できないのに」
こんなにも願っている。切に求めているのに。そのひとかけらの可能性すら、アパタイトには残されていない。
「――ずるいです」
コーラルは親に捨てられてなどいない。少なくとも話を聞いてアパタイトはそう思っている。捨てられていたのなら、愛情のかけらもなかったのなら、わざわざ手紙など書いてよこさず、とっくに姿をくらましている。
「――ずるい。コーラルは」
――愛されているのに。
リーゼロッテの両親を見て、それは色濃くはっきりと浮き彫りになった。
とうに気づいている。アパタイトがどれだけ母を愛していても、母はアパタイトを愛してくれてはいなかったと。
それでもいいと納得していたのは、母しかいなかったから。母がすべてだったから。アパタイトがその気持ちを捨ててしまえば、無茶な要求にも理不尽な暴力にも、きっと耐えられなかったから。
母は自分を愛してくれているから笑いかけてくれるのだと、信じていたかったから。
「僕がなによりほしいものを持っているのに、コーラルは気づいてすらない」
コーラルは苦しそうな顔で歯を食いしばる。心を落ち着かせようとしても、思うように息ができない。
「あなたは、あなたが……あなた、に」
言葉が続かない。息が苦しくなる。
アパタイトはぼろぼろとこぼれる涙を拭こうともせず、じっとコーラルだけを見つめた。その不満げな羨望の眼差しに心の隅に追いやっていた感情がかきたてられる。
「……アパタイトは俺に、どうしてほしいんですか」
柄にもなく声が震えていた。負けたと、コーラルは感じた。
「コーラルになにかしてほしいわけではありません。僕はただ、思ったことを言っただけです」
コーラルは背もたれに深く寄りかかり、目を伏せてこめかみに触れた。
「それこそ、ずるいです」
あまりにも弱々しく、静かな声音だ。けれど口元には諦めたような、自虐的な笑みを浮かべていた。
「これだけ揺さぶっておいて、それはあんまりではありませんか?」
「すみません」
「謝ってほしいわけではありません」
なにも言うなというふうに、コーラルは片方の手のひらをアパタイトに向ける。そして物思いに耽たようなため息をついた。
「アパタイトがなんと言おうと、俺の考えは変わりません。変えられるものでもありません。だって、七年ですよ? 俺はまだ十六歳ですから、人生の半分ほどの時間です」
物心がつく頃が三、四歳だとするのならむしろ、セオドアと過ごした記憶のほうが多い。
「ですが、少し考える時間をください。改めて考える時間を。まあ、仮に答えが出たとしてもあなたに教えることはないでしょうけど」
アパタイトはこくりとうなずき、ようやく涙を拭った。堰を切るように涙がこぼれたのは初めてだ。
――テディに、会いたい。
あとは静かな帰路だった。コーラルはゆったりと移りゆく窓の外を眺め、アパタイトはどこを見るでもなくうつむいていた。
寮に馬車が到着すると、玄関前にセオドアが立っていた。二人がそれに気づくとセオドアは穏やかに微笑んだ。
「おかえり。コーラル、アパタイト」
「ただいま戻りました」
コーラルがわずかに訝しみながら答える。
「テディが出迎えてくれるなんて珍しいですね」
「二人のことが心配でね。さあ、なかへお入り。話を聞かせてくれ」
「では僕から先に。報告が終わったら呼びに行きますね」
コーラルが報告している間にアパタイトは部屋に戻る。荷解きをしていると、こんこんとノックが聞こえた。コーラルにしては早すぎる。
「アパタイト。僕だよ、ヒスイ。入ってもいい?」
「どうぞ」
スピネルはいない。
「あ、スピネルはまいてきたから大丈夫だよ。だから、ここにいるってばれないように静かに話さないと」
「まいた……?」
ヒスイからは聞きなれない言葉だ。
「僕、すっごくびっくりしたんだよ。知らない間にアパタイトがいなくなっていたんだから。テディに聞いたらプログラムに出ているよって教えてくれて」
「話す機会がありませんでしたから」
ヒスイは悲しげに顔をそらし、指先と指先を合わせる。
「あ、ぼ、僕に言われても知らないって感じだよね。アパタイトにだって僕以外の友人がいて必ずしも僕に伝えなきゃいけないなんてことなくて。でも教えてほしかったなって思うのは僕のわがままっていうか。ああ、僕はまた身の丈に合わない願いを」
「ヒスイ」
卑屈になっていくヒスイを遮る。
「お土産があるんです」
「え、ぼ、僕に? なんだろう」
アパタイトはルーストンで買った花の種を渡した。
「すみません。なんの花かは覚えていません。けれど育てやすい種だと言っていました」
紙袋のなかにはスコップですくった大量の種が入っている。さすがのヒスイも見ただけではどんな種類かは見当もつかないようだ。
「ありがとう、アパタイト。早速、花壇に植えてみるよ。きっと花を咲かせてみせるから、咲いたら一緒に見ようね。僕たちの知らない花だったら、図鑑でなんの花かも調べよう」
ヒスイは紙袋を抱えると、なにかを言いたげな視線をアパタイトに向ける。
「その……」
「聞きたいことがあります」
話しだしがかぶり、ヒスイが譲ってくれる。
「ヒスイの両親は生きていますか?」
「えっ」
思ってもない質問だったようでヒスイは目を瞬かせる。
「あ、あー……」
表情が暗くなる。
「答えたくないなら大丈夫です」
「だ、大丈夫! なん、だけど……その、わからない……かな」
「わからない?」
ヒスイはまた指先をつき合わせた。
「僕は家を追い出されたから家族が今頃どうしているとか、わからないんだ。たぶん、生きているとは思うけど」
「捨てられた、ということでしょうか」
「……うん、そうだよ。はっきりと言葉にするなら、捨てられたんだ。僕の家は貧乏でね、もう帰ってこなくていいって玄関を開けてもらえなくて。途方に暮れていたところをテディに拾われたんだ。そういえば、最初は僕だけだったけどたくさんの友人ができたなあ」
「……八年前ですか?」
「どうしてわかったの?」
ついさっき聞いたばかりだ。
「コーラルが、テディが孤児院を始めたのは八年前だと言っていました」
「そうなんだ。実は僕が大泣きしちゃったんだよね。涙で前が見えなくなって、テディの背格好が父さんと背格好が似ていたから……置いていかないでって。事情を話したらテディがおいでって、僕の手を引いてくれたんだよ」
にへら、とヒスイは笑う。
「だから、僕はもう家族のことは気にしていないんだ。だってテディが僕の家族で、父さんみたいな存在だから。僕が家を追い出されて、テディに会えたから友人たちと楽しく過ごすことができているんだ」
「教えてくれてありがとうございます」
「どういたしまして。知りたいことは知れた?」
「まだ、わかりません」
「うんうん。大丈夫だよ。知りたいことがあったらなんでも聞いて! 僕が知っていることなら教えてあげる。わからなかったら、一緒に悩もう」
アパタイトはうなずいた。
「アパタイト、終わりましたよ」
扉の向こうからコーラルの声がかかる。
「帰ってきたばかりだもんね。僕は種を植えてこようかな?」
「また一緒に、授業を受けたり植物の世話をしたりしましょう」
ヒスイと別れ、執務室へと向かう。。
――頭が、痛い。
ヒスイと話していたときから、ずきずきとした痛みがずっと続いている。
「待っていたよ」
アパタイトはセオドアの向かいに座る。
「リーゼロッテと過ごした日々はどうだった?」
「驚くこともありましたが、とても、楽しかったです」
湖畔の家で過ごしためくるめく日々が思い起こされる。その一つ一つをゆっくりと、なにを思い、どう感じたかをセオドアに話していく。
「テディに聞きたいことがあるんです」
「なんだい?」
すう、とアパタイトは息を吸う。
「僕は母が死んですぐ、テディに出会いました。テディは母の死体を見ましたか?」
「……それは、本当に死んでいるかを知りたいのかい?」
アパタイトは首を横に振る。
「母はたしかに死にました。今、母の死体はどうなっているのかを、知りたいんです」
セオドアはわずかに目を見張る。
「母は今でもあの家で一人、眠っているのではないかとずっと気がかりでした」
心のどこかでくすぶり、あるときにふっと顔を出すこの得体の知れない感情が、不安で、恐怖だということに気がついた。
「母を差し置いて安全な家に住んで、おいしいご飯を食べて、温かい服を着ていいのか。ずっと怖かったんだと思います」
胸の奥が苦しくなる。
「僕は、母を捨てたんでしょうか?」
止まったはずの涙があふれだす。
コーラルが捨てられていないと否定することで、事実を隠したかった。親が子を、子を親が。捨てるなどという事実をないものとしたかった。
けれど、ヒスイがあっさりと認めてしまった。捨てるという行為があることを。残酷にも、潔く。
「そんなことはない。君はお母さんを捨ててなどいないよ」
「では、どうしてこんなにも不安なんでしょうか。母は僕を愛していなかったのに今もなお、嫌われたくないと思っている」
「死んだ人間のことなど、誰にもわからない。アパタイトの母君が君を愛していたかどうかも、いくら頭を悩ませたところで答えは出ない。聞いたところで返事はないのだから。だが君は、君自身は……母を捨てたと思っているのかい?」
「思っていません」
「ならそれが答えだ。君の真実だ。君は母を捨てていないという真実が、そこにある」
誰かに肯定してもらえるだけで、こんなにも安心できる。アパタイトは一度だけ、大きく首を縦に振った。
しばらく呼吸を落ち着かせていたアパタイトにセオドアが声をかける。
「君のお母さんのことだが、神殿で眠っているよ」
アパタイトはぱっと顔を上げる。
「君を拾った日、友人に頼んでおいたんだ。お母さんのお骨は納骨堂に納めている。きっと、安らかに眠っていることだろう。君が望むなら祈りを捧げに行くこともできるよ」
「今は、いいです」
向き合い、受け入れた状態で行かねばまた泣いてしまうだろう。姿のない母に縋ってしまうかもしれない。母に会いに行くときは、心のなかで絡まる糸を断ち切ったときだ。
「テディ、ありがとうございます」
「それは私の台詞だ。アパタイトが来てくれたことで、友人たちはさらに歩みを進めることができる。君のおかげだ」
セオドアは慈しむように微笑んだ。




