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アパタイト 前編

 息ができない。冷たくて、寒い。水をかけられたのだと気づいたのは、顔に張りついていた水の膜がだばだばと落ちたときだ。


「ふんっ」


 宝石が散りばめられた豪勢な赤いドレスに身を包んだ少女が、やってやったと言わんばかりに目を細めている。


「きたない」


 そう自分をののしる彼女の片手にはテディベアが抱えられ、反対の手には水やり用のホースがにぎられていた。


 花壇に咲いていた花を見ていただけなのに、なぜこうもにらみつけられ、見下されているのかわからない。否、いつだって世界は理不尽だ。理由などない。


 相手が高い地位にいるのならなおさらだ。


「あ、こら! なにをしているんだ、エイヴァ!」


 どこからか響いた慌てた声に、彼女はびくりと肩を震わせてホースを投げすてた。


 ――エイヴァというのか。


 支えを失ったホースは地面をのたうつように周囲へと水をまき散らし、今度は自分の全身をぬらした。


「きゃっ!」


 水は容赦なくエイヴァにも襲いかかり、蛇口を閉める男のもとに逃げていく。


「まったく……」


 視界の端でホースがぱたりと動かなくなる。


「この子は少し目を離した隙に……悪かったね。僕はリアム・グリフィスだ。この子は娘のエイヴァで……娘が申し訳ないことをした。ほらエイヴァ、謝りなさい」


 どうやら、この二人は親子らしい。


 リアムに背中をさすられたエイヴァはツインテールを揺らしながらぷいっと顔を背け、頬を膨らませる。それから父そっくりの茶色い片目をぱちりと開け、こちらの様子をうかがった。


「エイヴァ」

「大丈夫です」


 水をかけられただけ、それだけのこと。そんなことよりも早く、「急用ができてしまった」と申し訳なさそうに自分を花壇に置いていったあの人に会いたいと思った。


「大丈夫、だって?」


 全身びしょぬれにもかかわらず顔色一つ変えない自分にエイヴァとリアムはたじろぎ、信じられないものでも見るような目を向けた。


「あ……えっ」


 さらに、リアムは目を丸くする。


「な、なに……なにをしているんだ、やめなさいっ」


 膝をつき、胸の前で両の指を組む。まるで神に祈りをささげるかのように、許しを請うかのように。


「不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。すぐに立ち去ります。だからどうか、どうか母は――」


 すらすらと、けれど無機質に紡いでいた声がのどに詰まる。つむっていた目を薄っすらと開けると、手が小刻みに震えていた。それをなんとか抑えようとしたとき、聞き覚えのある声がすっと耳に入った。


「そんなことはしなくていいんだよ。顔を上げて」


 ひどく穏やかな声の主に視線をゆっくりと上げていく。


「そう、いい子だね。跪かなくていい。君を脅かすものは、ここにはいないよ。と、言いたいところだけど……」


 いつの間に来たのだろうか。ふわりと優しげに微笑む男に立つよううながされ、それから上品な白いハンカチで顔を拭われた。


 こそばゆく感じながらもまっすぐ彼を見れば、その顔立ちはどことなくリアムと似ている気がした。それとも、リアムが彼に似ているのか。


「……っ」


 エイヴァは今さら不安になったのか茶色い目に涙をにじませ、父の足にすがりついている。


「兄さん」


 咎められたリアムは、気まずそうな顔を男に向ける。


「……すまない。ほしいものがあればなんでも言ってくれ」


 男は呆れたように「ふう」と息を吐く。


「エイヴァちゃん。友人を傷つけてしまったときは、なんと言うんだったかな。おじさんとこの子に教えてくれる?」


 優しく諭され、エイヴァは大粒の涙を流しながらテディベアを抱きしめた。それから涙交じりの謝罪を口にした。


「君は、許してあげるかい?」


 男は少年の背中に手を添え、ゆっくりとさすった。


「はい」

「……ありがとう。こんな形で紹介するのはあれだけど、まずは手短に。この子はエイヴァ、八歳だよ。そこの大人はエイヴァちゃんの父親のリアムだ。私の兄さんでもある。出会ったときに名乗ったけれど、私の名前は覚えてくれているかな?」


 茶色の髪をうなじあたりで一くくりにしている、平均的な背格好の男。身にまとっているシャツは簡素ながらも質の高さが一目でわかる。


 庶民らしさもあるが、この男はれっきとした貴族だ。


「セオドア、さま」

「覚えていてくれて嬉しいよ。けれど私と君はもう友人だ。敬称はいらない。気軽にテディとでも呼んでくれ。私の愛称なんだ」


 男――セオドアは気恥しそうに笑みをこぼした。


「さあ、準備ができたから行こう。兄さんはエイヴァちゃんをつれて応接室で待っていてくれ。悪いが、こうなった以上、兄さんの用件は後回しだ」

「もちろんだ。エイヴァにも落ち着く時間がいる」


 家というより屋敷。薄茶のレンガで造られた壁面、それに沿った花壇から表に回れば大きな木製の扉がある。


 セオドアに自分が開けるようにうながされる。非力な子どもには少し重いが、開けられないことはない。


「着替えはあとでもいいかい? できたら先にしてもらいたいことがあるんだ」

「テディの言葉に従います」

「……うん、君が私のことを思いやってくれて嬉しいよ」


 セオドアはとある部屋の前で立ち止まり、鍵を開けた。


 その先の光景に、目を細めることとなる。眩しい、そう錯覚したからだ。いや、錯覚ではないかもしれない。廊下からの光に反射して、それらがここに存在を主張した。


「美しいだろう?」


 ぱっと部屋の明かりがついた。いっそう輝きが増す。ごくりとのどが鳴ったとき、隣から笑い声が降ってきた。


「案外君は、素直なのかな」


 天井まで届く壁の棚、部屋のなかで均一に配置された長方形の台座。そのどれにも見惚れるほど美しい宝石が置かれている。


 よく見ると色や大きさ、形などのまとまりはなく、宝石の並べ方にはこだわりがないようだ。


 なぜこれを自分に見せたのだろうと、意図の読めない男を見上げた。


「名前はあるかい?」

「……名前?」

「君の名前さ」


 少しの間を置き、答える。


「名前で呼ばれたことは、ありません」

「では君に、私から最初の贈り物だ。ここから一つ、好きな石を選んで」


 自分の眉はわかりやすく下がっただろう。


「お金は持っていません」

「売りつけようだなんて思っていないさ。言っただろう? これは君への贈り物だ。私が君をここへ連れてくるとき、私は君をどうすると言ったかな」

「僕に、衣食住で不自由はさせないと。その代わりテディの仕事を手伝ってほしいと」

「ああ、そうだ。私は君をスカウトした。でも、私の手伝いをすることは強制じゃない。やりたくないことはやらなくていい。でも、私は単なる慈善家ではないことは先に伝えておこう。君のように孤独で貧相な子どもたちを集めるのには理由があり、私欲があるんだ」

「なにを手伝ってほしいんですか?」


 簡単な手伝い、小銭稼ぎ、一攫千金。言葉巧みに騙された子どもは知らず知らずのうちに悪事へと加担させられ、失敗すれば簡単に切り捨てられるのだ。最後には必ず捕まってしまう。


 怒号を浴びながらも必死に大人から逃げる子どもたちの光景が脳裏に浮かび、わずかに体が強張る。


「ああそれは……すまない。すべてを説明するには長くなってしまうからあとで話そう。君が風邪を引いてしまうかもしれないからね。気に入る宝石はありそうかな」


 セオドアにうながされ、もう一度ぐるりと部屋を見回す。


 雨上がりの空にかかる虹の色だけでは言い表せないほどの種類に目が眩む。


 どれか一つだなんて、選べない。贅沢な考えだが、なにもたくさんほしいだとか邪な思いはなく、ただ本当に、どのような基準をもってなにを選べばいいのかわからないのだ。


 死なない術だけを覚えた自分に、宝石の選び方など教えてくれた人はいない。


「どんな理由だっていいんだ。最初に目についたものでも、大きさや好きな色で選ぶのもいい。直感でいい。君が見て、思い、感じたことに従うんだ」


 セオドアの言葉に、母の死を思い出す。


 温かいとは言えない藁を敷いただけの薄い病褥。そこに横たわる母は青い顔をしていた。


 かつて烏の濡れ羽色のごとく艶やかだったはずの黒髪は見る影もなく、乾燥した青い唇からは脆弱な息がもれるだけ。


 影に覆われた黒瞳で虚空を見つめる母はついぞ、死に絶えるそのときまで自分の名前さえ呼んではくれなかった。


 もしかしたら最初から、名前など与えられていなかったかもしれないが。


「っ……大丈夫かい? ゆっくり息を吸って!」


 自分は息を止めていたらしい。それでいてじっと一点を見つめるものだから、セオドアはかなり驚いたようだ。


 ゆるりと視線を上げ、きょろきょろと周りを見やる。


「――あれにします」


 指さしたのは発色のよい青色をした宝石だ。


 死に際の母が結びついたと言えばきっと気味悪がられるだろう。だが、母に似ているからと選んだわけではない。ぱっと目についた、それだけだ。


「取ってくるよ。ここで待っていて」


 セオドアは壁際に寝かせてあった脚立をわきに抱え、慣れた手つきで宝石を持ってきた。


「この宝石の名前はアパタイト。君の新しい名前でもある」

「新しい、名前?」

「そうだ。これは君自身が、君の意思で選んだ。これからの人生を歩むためにも、新しい名前を使うんだ」


 ――名前。


 胸の奥で、なにかがうずいた。


「気に入ったかい?」


 こくりと首を振ると、セオドアはにこりと柔和な笑みを浮かべた。


「アパタイト、これはもう君のものだ。いつか君がここを出たとき、売ってもいい。生活の足しにしたり誰かに贈ったりしてもいい」

「ありがとう、ございます」


 ころん、と手のひらにひんやりとした感覚が伝う。


「ネックレスや指輪……なにかに加工するかい? 希望があれば言ってくれ」


 アパタイトはふるふると首を振る。


「テディが持っていてくれますか? 僕が持っていたら奪われてしまうかもしれませんから」

「わかった。箱に入れて、クッションを敷いて、丁重に保管しよう。さて、名前も決まったことだし、着替えにいこうか」


 まず、アパタイトは風呂に入ることになった。肌にこびりついた汚れをたわしのようなスポンジでこそぎ落とせば、草原のように爽やかな石鹸の香りに包まれた。洗い終わればふわふわのタオルで髪の毛を、顔を、体を拭いていく。


 ――気持ちいい。


 体が軽くなったような気がした。


 そうして身綺麗になったアパタイトがつれてこられたのは応接室。不安げな面持ちのリアムの隣で、目元を赤く腫らしたエイヴァがちゅうちゅうとジュースを飲んでいた。


「兄さん、エイヴァちゃん、紹介しよう。彼は新しくここに入寮し、私の事業を手伝ってくれるかもしれないアパタイトだ」


 アパタイトは白いシャツに紺のズボン、サスペンダーを着用している。締められるような感覚はあるが不愉快なほどではない。


 湿った黒髪はドライヤーで簡単に水気を飛ばし、烏の濡れ羽色とまではいかずとも年相応の艶は取り戻すことができた。


「初めまして、アパタイト。先の邂逅は苦いものとなったが……君との出会いに感謝を。それじゃあテディ、ここからは仕事の話をしよう……したいんだが、その子も同席するのか?」

「アパタイトだよ、兄さん。兄さんは服飾店を何店舗も経営していてね。今エイヴァちゃんが着ているドレスも兄さんの奥さんがデザインしたんだ。可愛いだろう?」


 アパタイトはエイヴァの赤いドレスを凝視する。


「僕にはわかりません」


 エイヴァはむっと顔をしかめるが、アパタイトは気にせず続けた。


「けど、綺麗だと思います」


 色のない声音だが正直な思いは伝わる。どの観点から出た言葉かはともかく、お世辞ではなく本心だと誰もがわかった。


 エイヴァの表情が固まり、次の瞬間ぱっと頬が桜色に染まる。コップを握る手に力が入り、口から落ちたストローがジュースに浮き沈みした。


「あの宝石は、テディが集めたものですか?」

「ああ、そうだよ。私は商人でね。必要ならば私自身が海を渡ることもある」

「僕も海を渡るんですか?」


 セオドアとリアムが目を丸くし、声をそろえて似たような質問を投げかける。


「どうして、そう思ったんだい?」

「テディの事業が海を渡り、宝石を集めることなら僕も船に乗るんだと思いました」

「そうか、言葉足らずだったね。私がアパタイトに手伝ってほしいことはもう一つの事業さ。航海のように危険を伴うことはあまりないだろうから、心配しなくていい」


 セオドアはアパタイトをちらちら見ているエイヴァを一瞥した。


「表向きは人員派遣。つまり侍女や侍従、護衛騎士などの肩書きを借りて対象の家へ赴くんだ。顧客は庶民から貴族まで幅広く扱うから、そのほうが顧客側としても体裁がいい。本当の目的は、対象と友人になることだけどね」

「友人?」


 セオドアはこくりとうなずく。


「対人関係に不安がある子どもは多い。社交を避けられない貴族の子たちは特にね。人間関係構築に前向きになれない子どもを対象に、人との接し方を学ぶんだ。難しいことはない。アパタイトは対象と友人になればいい」

「友人とは、どのようにしてなるんですか?」

「ええっ。あなた、お友だちがいないの? かわいそう」

「他人に構っていれば自分の命が危うくなりますので。みんな……僕も、生きるのに必死でしたから」


 多少ばかにしていたのだろう。軽く口をはさんだはずのエイヴァはきゅっと口を一文字に結び、隣に座る父に抱きついた。


 アパタイトではなくエイヴァが泣きだしてしまいそうだ。


「辞書には、志をともにし、互いに心を許し合い、同等、対等に交われる親しい人と記載されている」


 セオドアの説明にアパタイトは顔をしかめる。


 意味が理解できないわけではない。だが、自分に友人と呼べるような相手が作れるか、どうしても想像ができなかった。


「なに、難しいことはない。アパタイトはアパタイトらしく、自分が接したいように接すればいい。けれどこれは仕事でもあるから、多少は我慢をしなければならないこともあるけれど」


 肯定も否定もしないアパタイトに、セオドアは優しく笑いかける。


「――君たちは原石だ。誰もが宝石になれる可能性を秘めている。いつか、どこかで、誰もが輝けるよう、我々はほんの少しだけ磨くだけだ。そのような理念を持って、私はこれを『ポリシング・プログラム』と呼んでいる」


 そのために教養は身につけさせてもらえるという。必要なら文字の読み書きを、お茶の入れ方を、剣の振り方を。必要とされる技術を手にすることができる。


 子どもたちがいつかここを出ていくとき、一人で生きていけるように。そのサポートも兼ねているそうだ。


「アパタイト」


 続く言葉にアパタイトはわずかに目を見張る。


「いつか、君も出会えるよ。今はわからなくても、君を信じ、君が信じられる人にきっと出会える。そのときは――」


 セオドアの表情がひどく優しく、印象的に映ったから。


「――」

「エイヴァちゃん、アパタイトはここに来て間もない。よければ案内してやってほしい。アパタイトをよろしくね」


 セオドアのお願いにエイヴァは目を輝かせた。頼られた、任されたということが嬉しいらしい。エイヴァは気を大きくしてうなずいた。


「あたしが案内するわ。ちゃんとついてくるのよ、アパタイト」

「……ありがとうございます」


 上機嫌で歩き出すエイヴァに続いて廊下に出ると、ばたばたと廊下の向こうに走っていく何人かの後ろ姿があった。エイヴァは気にしていないのか、気づいていないのか。


「こっちよ」


 セオドアが寮と呼んでいるこの建物はなかなか広い。一階は応接室や広間、食堂など外部の人間の出入りが多い部屋が主で、二階はセオドアの執務室や図書室、客室がほとんどである。そして三階には、アパタイトのようにセオドアに拾われてきた子たちの部屋があるらしい。


 案内されている最中、人の気配は感じつつも姿が見えないことが続いた。遠くから観察されているようだが、特に害はなさそうだ。


「あなた、何歳なの?」


 庭を案内されているとき、ふいに尋ねられた。誰かが手入れしているのか、目に映るのはみずみずしい芝生と花ばかりで雑草はどこにもない。


 庭いじりが好きな住人がいるのかもしれないとアパタイトは思った。


「歳はわかりません」

「わからないの? どうして?」

「わざわざ数えることもありませんでしたので。自分の記憶では、十回以上は寒季を越していると思います」


 一年を通し、この国に訪れる季節は二つだけだ。肌寒さが続く冷季、絶対に上着を手放せない寒季。その二季が交互にやってくるのだ。


 今は冷季だが、比較的温かな日が続いている。


「ええっ! じゃあ、誕生日のパーティーはどうしてたの?」


 エイヴァはテディベアをぎゅっとし、こてんと首を傾げた。


 そもそもアパタイトは自分の誕生日など知らない。母が教えてくれたこともなかったし、自分が生を受けて何年経つかなど知る由もなかった。


 ――母の誕生日は、いつだったんだろう?


 喜ばれたことも祝われたことも、アパタイトの記憶に誕生日にまつわるものはなに一つない。


「かわいそう……」

「なにがかわいそうなのですか?」


 背後に人の立つ気配を感じ、アパタイトは反射的に振り返る。


 太陽の光を浴びていっそう輝く金色の髪は、セオドアのようにうなじあたりで一くくりにされている。前髪からのぞく切れ長の目はまるで黄金を溶かしたようで、少しだけ冷たさを感じた。


 ――大人、ではない。


 肘までまくられた黒いシャツから伸びる腕は細く、色白の少年だ。顔立ちはまだ幼さを残すが、身長は大人と同じくらい高かった。


「ひっ」


 隣から小さな悲鳴が聞こえ、アパタイトは彼から視線を外す。エイヴァが小刻みに震え、化け物を見たかのように顔を青くしていた。


「ご機嫌麗しゅう、エイヴァさま。あなたは初対面ですね。俺はコーラルです。仲よくしましょうね」


 あちらこちらへとアパタイトは忙しなく顔を動かす。なんとか差し出された手を握り返せば、コーラルと名乗った少年は満足げに口角を上げた。


「僕は、アパタイトです」


 ついたばかりの名前を伝えると、エイヴァに服を掴まれる。


「コーラルさまは」

「敬称はいりません。テディに言われなかったでしょうか? ここではみな友人ですから、この寮に住んでいるものに敬称はつけないほうがいいでしょう」

「わかりました。コーラルは、悪い人なんですか?」

「ふふ。どうしてでしょう?」


 コーラルは驚きや怪訝を露わにせず、むしろ笑顔で聞き返してきた。


「エイヴァさまがひどく、怯えているからです」


 肌に触れずとも震えが伝わってくる。コーラルを怖がっていることは明白で、その怯えようは少し異常に思う。


「俺としては普通に接しているだけなのですが、エイヴァさまはいつもこうなのです。きっと俺のことが嫌いなのでしょう。貴族は好き嫌いが激しいですから」

「も、もう行きましょ。アパタイト」

「おや、レディは挨拶を返してくれないのですか? 伯爵家の令嬢だというのに……まあ、まだ幼いですから仕方ありませんか」


 コーラルが肩をすくめると、後ろに引かれる力が強まった。


 エイヴァの様子をうかがえば、すっかり委縮してしまっている。うつむいた顔をのぞきこむと目尻に涙がたまっていた。


 コーラルにもエイヴァにも、かける言葉が見つからない。いや、知らない。こういうときにどうすればいいか、アパタイトにはわからない。

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