ビジネスホテルの怪
ふう、今日も疲れたなぁ。部屋に戻ったらまずシャワーを浴びて、その後晩酌をしよう。俺は今日から出張で埼玉県に来ていて、このちょっとお高いビジネスホテルに泊まることになっている。
ロビーも広くて、1階にはレストランがある。受付の人は美男美女揃いなので、ちょっと照れる。エレベーターに入り6階のボタンを押し、鏡で自分の鼻を見て待つ。ちょっと鼻毛出てるな、偉いぞ俺。
えーっと、611、611っと⋯⋯あった。ここが今日からお世話になる611号室さんだ。挨拶しておかないとな。
「チャス」
そう言って俺はカードキーでドアのロックを解除し、部屋に入った。ネクタイあっつい、靴下あっつい、ふーっ、全裸なう! どうせ誰もいないので入口で全裸になってやった。ざまあみろ。
ビジネスホテルはだいたいトイレと風呂が一緒になっている。ここもそうだろう。俺はトイレ兼風呂のドアを開けた。
「うわぁ!」
俺は驚いて腰を抜かしてしまった。トイレに男が座っているのだ。ここは俺の部屋のはずだ、文句を言ってやらないと!
立ち上がろうとしたが、腰が抜けていて力が入らない。後ろのクローゼットに当たった背中も痛い。⋯⋯あ! クローゼットがグシャッてなってる! 俺のせい⋯⋯?
クローゼットのグシャッとなった部分をしばらく見つめていると、そのへこんだ部分が赤く滲んできた。な、なんだ⋯⋯? 中に何が入ってるんだ?
違う! 今はトイレのおっさんだ! コイツなんなの? 俺の事見えてないのか? なんで俺に構わずずっとトイレに座ってるんだ?
「あの⋯⋯」
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
本当に返事が無いのでドラクエの例のフレーズを思い出してしまったよ。
「ねぇ、聞こえてるでしょ!」
だんだんと腹が立ってきたので、肩を叩いてみた。
ガタッ
座っていたおっさんは受け身も取らず床に転げ落ちた。おっさんは目を見開いている。もしかして、死んでる⋯⋯!?
とりあえず今は汗だくだし、全裸だからシャワーだけ浴びてその後フロントに連絡入れるか。
「ごめんなおっさん、ちょっとだけ待っててくれよ」
もちろん返事はない。
尻が痒いので尻をかきながら浴槽のところのカーテンを開ける。このカーテンって浴槽側に入れておくんだよね確か。
お湯溜めようかな、どうしようか⋯⋯と俺は浴槽を見た。
「あぎゃあ!」
俺は驚いて腰を抜かしてしまった。全裸の女が折り畳まって浴槽の底に倒れているのだ。さっき治ったばかりの腰を抜かしやがって、コイツめ。そもそもお湯も溜めずに何やってたんだ? コイツは。首から上の色が変わっている。首が絞まって死んだのだろうか。
それにしてもこの女のポーズ、どこかで見たことがあるような⋯⋯そうだ! ちょうど手が届かない背中の、真ん中らへんが痒い時に俺がするポーズだ! 孫の手を買ってからめちゃくちゃ楽になったけど、このポーズをしてた頃はいつか首が絞まって死ぬんじゃないかと思ってたなぁ。コイツそれで死んだのかなぁ。
あ、さらに思い出した。自分の力だけじゃ痒いところまで届かないから、狭い場所を使って無理やり体を曲げて痒いところまで届かせてたこともあったな。だからこの女はこんなところで死んでるのか。納得納得。じゃねえよ! 人の部屋で死ぬなよ!
トイレで死んでたおっさんの女か? 人の部屋でカップルで死にやがってよ、畜生。リア充死ね! もう死んでるか。
結局足場が無いのでシャワーは断念することになった。クローゼットの中身を見てみよう。あの部分が赤く滲んでいるのはなんなのだろうか。俺はへこんで開けにくくなったクローゼットを無理やり開けた。
「うんにゃあああ!」
俺は驚いて腰を抜かしてしまった。今日3回目だ。クローゼットの中に血まみれの男が立っているではないか。今回ばかりは怖すぎる。俺は腰を抜かしたままベッドに滑り込んだ。もう怖すぎる、布団を被って寝よう!
布団の中に何か感触がある。冷たい。人の肌のような⋯⋯布団の中が暗くてよく見えないので、布団を上げて光を入れた。
「ぎぃやああああああああああ!」
驚きすぎた俺の腰は窓ガラスを突き破り県外まで吹っ飛んでいった。1日に腰を抜かしすぎると4回目でこうなるのだ、諸君には覚えておいて欲しい。
そうそう、明るくなって見えるようになったと思ったら、目の前に顔があったんだ。布団の中に男の死体があったのだ。
もう驚きすぎて抜かす腰のない俺は無敵だ。買ってきたサーモンの刺身と天ぷらでビールを飲む。机ないかな、あ、鏡台がある。ここでいいか。
台におつまみとお酒を並べ、箸を持つ。
「いっただっきや〜す」
1人でもちゃんと挨拶をする。良い子でしょ。サーモンうまっ。脂が甘い! 天ぷらはベチョベチョだな⋯⋯
俺はふと誰かの視線を感じ、顔を上げた。目の前の鏡には3人の男と1人の女が写っていた。
「ぎゃっ⋯⋯ガフ」
気がついたら朝だった。俺は鏡台の前で倒れていた。どうやら気を失っていたようだ。
もしかして、あれって全部夢だったりして⋯⋯?
俺は布団を取っぱらって中を見た。誰もいない。
クローゼットを開ける。誰もいない。
トイレ、誰もいない。風呂、誰もいない。
そうか、夢だったのか、良かった! 俺は意気揚々とホテルを出て、仕事に向かった。
心なしかフロントの皆が俺の事を見ていた気がする。気のせいか? そういえば、人や物がやたら大きく見えるな。これも気のせい?
今日は隣の群馬県で商談があるので、電車に乗って向かった。高崎駅に着いた俺は今日ずっとあった違和感の正体に気がついた。いや、気がついたというより、気づかされたと言った方が正しいだろう。
駅前に俺の腰があるのだ。『だるま落としのやつみたいなやつ』という名前のモニュメントになっている。名前に『やつ』が2回出てくることってあるのかよ。
身長を測ったら20cm小さくなっていた。俺は仕事を休んで高崎市役所に腰を返してもらえるように直談判しに行った。全く納得いかないが、なぜか断られた。人の腰を勝手に飾りやがってよ。もういいよ、このまま生きてやる!