大騒動
10.大騒動
<3回目の停車はトイレ休憩ではない、国境の検問だ。15分は停車しているはずだから、騒ぎを起こせ。>
床に落ちていた紙には、誰かからの伝言が記されていた。
(3回目の休憩って……今停まっている休憩のことだぞ!一体どういうことだ?)
(分らない……)
(ジャックか?ジャックなのか?奴はこの馬車の御者席に同乗しているのか?確かに奴ならこの紙をこっそりと落とすことは可能だ。だがどうして?)
(国境の検問ならば警備隊がいるから、ここで騒ぎを起こせば子供たちを助けられるという事じゃあないのかい?雇われた護衛がいるから普段なら全く手出しできないけど、今なら国境警備隊の方が多いはずだ。)
(そんなことは分かっているさ。だけどじゃあどうしてジャックはお前を見捨てて、奴隷として売られることになったんだ?あの時だったら金にはならなかったかもしれないけど、少なくともジャックもお前も無事に帰るくらいはできたはずだ、店の主人の弱みを握っていたわけだからな。
わざわざ一旦見捨てておいて、今なら助かるかもしれないというのはおかしいぞ。罠じゃないのか?)
(罠って……確かにジャックは礼金欲しさにおいらを見捨てた。だけど今なら?)
(今だって金をもらっていないことには変わりはないさ、お前を売った金の一部を渡すって言っていたんだからな。だからジャックがわざわざ奴隷売買の隊列に加わっているわけなんだから。うーん……分からん……)
(でも、考えている暇はないよ。ぐずぐずしていると検問を無事通ってしまうから……脈を数えているだけで6分は過ぎていて、それから悩んでいたから……)
(ああ……残りは5分もないだろうな。そりゃそうなんだが……どうにも……だがしかし……別にジャックはお前に恨みがあるわけでも何でもないわけだよな……あの洞窟で初めて出会ったわけだからな……だから、お前をだましてここで暴れさせて、後で奴隷商人に殺させようとしているとは考えにくいな。
そもそもお前を殺そうと思えば……洞窟の中だって町までの道中だって……いくらでも隙があったわけだからな。そう考えると……ジャックの気が変わったと考えるのが妥当な線かな?
よしっ、逃げるぞ。中の檻の扉は、こちら側から閂をかける仕組みだから、鶏がいる檻までなら簡単に行けるはずだ。鶏たちにつつかれるのは嫌だが、そんなことは言っていられない。検問で荷台を確認するときにお前が檻の中にいることが分かれば……よしっ急いで出るんだ。正雄はここでじっとしていろと言っておけよ。)
(分った。)
「おいらは急いでここを出て、鶏側の檻へ入る。おいらが荷台にいることが分かれば、荷台のからくりに国境警備の兵士たちも気づくだろう。危険だから正雄はここに残っているんだ、いいね?」
正雄が頷きながら御者側の壁に背を向けて体育座りで座るのを確認してから、美都夫はおもむろに扉の閂へ手を伸ばした。
すると突然、閃光とともに大きな衝撃音がして弾かれ、指先を太い針で突かれたような痛みが走った。
(ちいっ……馬車が停まっている最中は、檻に電流を流していやがるな?)
(で……電流?)
(ああ……雷……分かるか?あれと同じものだ。知らずに触るとビリッときて……下手すりゃ感電死だ。
停まっている間は家畜側の檻へ行けないように、細工してやがる。
そもそも……既に10分以上経過しているんだったら、この馬車の荷台は確認済みの可能性が高いな。国境の検問だから、積み荷の確認をまず行ってから乗っている奴らの身元確認して、通過許可証とかかな……パスポートもあるのかもしれんが……それらにハンコを押すのだろう。
おいっ、正雄にこの荷台は検閲済みかどうか……荷台を調べたかどうか聞いてみろ。ここが国境の検問所ということも説明してやった方がいい。)
「ここは国境の検問所らしいのだけど、もうこの馬車は荷台を調べ終わっているのかい?」
「うーん……分かんない……だって鶏たちが邪魔で、入り口のほうが見えないもの。」
正雄が言う通り、最下段の鶏たちはいわば放し飼い状態だが、効率よく運ぶためか床から50センチ上は棚上の檻となっていて、3段の檻の中にはぎっしりと鶏が詰まっている。真ん中部分は通路になっていたはずだが、美都夫たちが入った後でカートリッジ式の檻を隙間に詰めたのだろう。
中扉を向こう側へ開ける程度の隙間はあるが、この状態のままで入ってきた檻の扉までたどり着くことは、体の小さな正雄ですら無理と考えられた。もしどうしても実施するのであれば、50センチの隙間をほふく前進で進んでいかなければならないが、そこには鶏たちがいるため目でもつつかれたら大事だ。
「でも……僕が呼ぶ前に入り口が明るくなったかなあ……それもあったから、気になって呼んでみたんだ。
それよりも……さっき落ちてた紙は、この檻に入ってきた時から美都夫お兄ちゃんの足首の手錠に絡まっていた紙のはずだよ。ずっと気になっていたから……」
正雄が少し考えながら話す。
(なんと……もしかするとジャックは美都夫を裏切ったんじゃなくて、最初から逃がすつもりで……いや待て……なんでそんなことする?おかしいだろ?最初から捕まらなかったらよかったんだから……ううむ……ますますわからなくなってきた。
それよりも……この檻はすでに検閲済みのようだ……注意していれば事情は把握できてたから、荷台を確認している最中に騒ぎ立てたなら……鶏たちの騒音にかき消されるにしても、大声で叫んでそこら中を叩いて騒げばもしかすると気づいてもらえたのかもしれない。
だが……俺が余計なことをさせたために……すまなかった……)
(そんなことないよ、ジャックが気が変わることも、足首の手錠に何か巻き付けられていたことも、簡単に気がつくようなことじゃないさ……ジャックが触った後で、おいらが足首の手錠の具合とか見なかったのが悪いんだ。
だから今回の停車が国境の検問ということだって、おいらたちには分からなかったことだからね。ぐずぐずしてると逃げそびれてしまうから、停車の間隔を割り出そうとしたこと自体は決して余計なことではなかったはずだ。今回は……たまたま逆の方へ行ってしまっただけだよ。君のせいじゃあない。
それより……どうすれば今この機会を生かせるのか、考えようよ。)
(ああ、そうだな……御者席側には、恐らく分厚い木の板でも張ってあるのだろうな……向こう側の音が全く聞こえないからな。唯一、食べ物を落とす上方の穴だが……蓋をしてあるから、向こうの様子は分からない。ということは、こっちからいくら騒いでも、御者席側には音は通らないだろう。
そうなると……やはり入って来た方側……あっちは檻を幌で囲ってあるだけで、後方はテント地の幌が垂れ下がっているだけだから……音は抜けていくはずだ。
だが……その間にいる鶏達の鳴き声や羽ばたきの騒音で、お前の声程度じゃあどうにもなりそうにない。今は寝ているはずの時間だが、検閲の音で鶏たちの大半が目を覚ましているからな。
恐らく俺たちが入ってきた部分の檻は、取り外しが効くはずだ。だから、檻の向こう側へ出てから無理やり押し込んでやれば荷台から外へ飛び出て、警備隊の兵士が気づいてくれるだろう。
そうなると問題は……この電流だな……長い木の棒でもあれば……ここから檻を押し出してやれるのにな……指先サイズの木片程度しか落ちちゃあいない。)
(魔法はどうだい?双葉を治療するときにおいらに教えてくれた魔法なら……でも、あれは治癒魔法か……鶏たちに治癒魔法をかけても……おとなしくはならないかな?元気になってかえって騒がしくなったりして、ダメか……)
(いやっ……まてまて……そうだ……魔法という手があったんだ。この世界はメルヘンチックな世界なんだからな。どうにも……この世界に慣れきっていないというか……発想が向かない……参ったな。
攻撃魔法も初級までなら呪文は覚えているぞ。何せ一緒に呪文を唱える訓練したからな。俺が提案した活舌をよくする方法を使って……そのあとで実際の呪文を何度も唱えさせた。
だから治癒魔法も攻撃魔法も散々聞かされまくって……知らず知らずに覚えてしまった。
どうする……炎系の魔法で……荷台を覆っている幌を燃やしてしまうか?いや……荷台自体が燃え上がって、檻に閉じ込められたまま焼死……は嫌だな。
水系……は垂れ下がった幌に邪魔されて、初級程度じゃあ飛び出すことはないか……鶏たちの小便だって言われちまえば、荷台部分が濡れていたっていい訳は利くからな。
風系……これも同じだな……幌を少しくらいまくり上げても……誰も気がつかない。
土系……これは荷台の上じゃあ無理だな……熟練の魔導士なら別だろうが、初級者というより呪文を覚えているだけじゃあ、実際に土の上にいなければ魔法効果は発揮できないだろう。
雷系は……初級でも習熟に時間がかかるからな……それに電気は鉄製の檻を伝わるから、こっちが感電しちまう。うーむ……意外と使える魔法が……いやまて……感電……感電か……)
(どうした?)
(ああ……いい手を思いついた。正雄に御者席側の壁にしっかり貼りついて、足を浮かせ気味でいるように言っておけ。)
(どうして?)
(どうしてでも!)
「正雄……こっちの壁にしっかり貼りついて、足を浮かせていられるかい?」
「うん……こっちの壁には木製の手すりがついているから、これに掴まっていればいいけど?そういえば、この檻に入れられるときに大事な話だからって……荷馬車が停まっている時には、絶対に家畜側の檻に触ってはいけないって言われたよ。
御者側の手すりを掴んでじっとしていればいいって言っていたけど、そうすればいい?」
正雄が御者席側の木製の壁の中段部分に取り付けられた、木製の手すりに腰かけて両足を浮かせて見せた。
(ううむ……そんな注意点すら聞き逃していたとは……何とも申し訳ない。)
(だから……大丈夫だって、おいらが見たり聞いたりしていないことは、心の声だってわからないわけだからね。だから、おいらのせいでもあるわけだ……これからは常に周囲に注意を払っていなければいけないね。)
(そうだな……ようし、我々もこの手すりに……腰かけることは美都夫の巨体じゃ無理だから、掴まって何とか両脚を浮かせてみよう。
それから……呪文を教えるぞ……洞窟の中のように、何度も繰り返し心の中で唱えてから、今度は声に出して唱えるんだ。効果が出るまであきらめずに何度も唱えるんだぞ。
これからいう通りに復唱しろよ、次の言葉からだぞ。母なる海を)
(母なる海を……)
(司る)
(司る)
(……水流!)
(水流!)
(よし……じゃあこれまでの呪文をつなぎ合わせて一気に……いいか?)
(ああ……母なる海を司る水の神よ、我にその力を貸し与え敵を水の底に沈めよ……水流!)
(おお……さすが物覚えはいいな。ようし……じゃあ、呪文を口に出して……実現するまで何度も唱えろ。手を前方に掲げ、ざっと勢いよく流れ込む水流をイメージすることを忘れずにな!)
「母なる海を司る水の神よ、我にその力を貸し与え敵を水の底に沈めよ……水流!母なる海を司る水の神よ、我にその力を貸し与え敵を水の底に沈めよ……水流!母なる海を司る水の神よ、我にその力を貸し与え敵を水の底に沈めよ……水流!母なる海を司る水の神よ、我にその力を貸し与え敵を水の底に沈めよ……水流!」
暫く何事も起こらなかったが突然、岩に波しぶきが当たるかのような水音を立て、美都夫の手の先から水が勢いよくほとばしり出始めた。
(よしっ、すぐに両手で手すりを掴んで足を上げろ!)
美都夫が足を跳ね上げるのと同時に、流れ出た水が内檻の格子の高さにまで達する。
「コケーッ!」「グワーッ!」
断末魔のような声を上げながら、最下層の鶏たちが飛び上がろうとするが天井までは50センチ程度しかないので、すぐに頭を打ち床にたたきつけられてしまう。都度、悲鳴を上げながら鶏たちが逃げまどっている。
(内檻の扉の格子は、床から1、2センチくらい浮かせてあったからな。だから通電しても平気だったんだろうが、今の水流魔法で床に水たまりが出来たから、電気が流れやすくなったというわけだ。
鶏たちは感電して大騒ぎだろう。この騒ぎで検問所の役人たちが気づいてくれるといいのだが……)
「ゴケーッ!」「グワワッ!」「ギャーッ!」「……………………」
しばらく鶏たちが大騒ぎして暴れまくっていたのだが、それも沈静化してしまった。
(まずいな……そろそろ馬車が動き出すタイミングだというのに……最下層の鶏たちは全羽感電して気絶したか死んでしまっただろう。下の異常を感じて、他の鶏たちもおとなしくなってしまった。
参ったな……絶好のタイミングだというのに……外へ知らせる術が……)
(うん?)
(どうした……後方の幌が……除けられたんじゃあないのか?明るいぞ……)
(そ……そうだな……)
異常に感づいたのか後方の幌がまくられ、明りが見えた。