不意の訪問者
17.不意の訪問者
ガラガラガラッドゴッ……敷地内の急な傾斜を勢いよく転げ降りてくる、魔物の形をした重しを乗せた台車を下で受け止め、跳ね飛ばす訓練を夜中まで黙々と続ける少女がいた。手にはイチと同じ短くて幅広の弓を持つ……張力こそ違うが盾の役目も兼ねて、魔物の突進を受け止めることが可能な特殊仕様だ。
スロープ脇の倉庫の屋根につけられた照明は台車を置いた辺りしか照らされてなく、暗い中転がってくる台車を音だけで距離を測り、タイミングよく受け止める訓練だ。
「はあはあはあ……まだ半歩遅いわね……迎えるようにして受け止めないと、弾き飛ばされてしまうわ。」
少女はペンライトを口に加え、反省点を首から吊るしたメモ帳に書き留めては、試技を繰り返していた。彼女にはもう訓練しかなかった。激しい訓練をしている最中は、余計なことを考えなくても済む。そうして夜遅くまで続けて、疲れ果てて泥のように眠るのだ……夢なんて一コマも見なくてすむように……。
「こここんな夜中……ままで……たた大変……だな?」
するといつの間にか少女のすぐ後ろに人がやってきていた。神経を研ぎ澄ませているはずの少女が、全く気付かないうちに……少女はそれが人ではないと分かっていた……また、いつもの幻であろうと……。
ガラガラガラッ 坂の上の滑車を経由して台車に取り付けたロープを引いて台車を坂の上へ運び、ロープを傍らのフックに引っ掛けると、また先ほどの場所まで戻って来て構える。引っ掛けたロープが自然とほどけて、台車が転がってくるという仕掛けだ。
「じじっと……み耳を……すっ澄ませろ……お音の……へ変化で……きょ距離を……。」
いつもの幻は、また今日も囁いてくる。そうして振り返ると、誰もいないのだ……多分今日もだ……。
少女は、正面の台車に意識を集中させた。
「だダメだな……ささ坂は……へ平坦……でない。だだから……ままっすぐ……お下りて……こ来ない。ももっと……み右……だ……。」
うるさいなあ……少女は、いつもよりもおしゃべりな幻に腹が立ってきていた。でも、黙っていろと叫ぶつもりもなかった。幻でもよかった……声が聞きたかった……。
ドガッ ところが少女がいる所よりも、ずっと右の方で台車の衝突音が響いた。そんなはずは……と思うとともに、何もないはずの場所でなぜ台車が止まったのか、少女には不思議でならなかった。
「ほほら……み右だった……まっまだまだ……だな?」
そうして幻が笑った……いや……幻が笑うはずはない。少女は必死で闇の中目を凝らした。するとそこには、まぎれもなく人がいた……忘れようとしても忘れられない人の……影が……。
「どどうした?……ひひ久し……ぶぶり……だな?」
薄明りの中目を凝らしてみると、近づいてくるその影は、まぎれもなくイチだった。
「イチ……先生?」
「ああ……そそうだ……い今……もも戻って……きき来た……。」
両手を広げるイチの胸に飛び込んでいこうとして少女は、瞬間的に思いとどまった。
「イチ……王子様……でしたよね?お久しぶりです。王室の生活はどうですか?お別れのあいさつにお見えになったのですね?サーティンおじさんのお願いを聞いていただき、ありがとうございます。
でもそうなると……いよいよナナファイターズも……解散ですね……ちょっと寂しい。」
少女はイチには背を向けて、少し鼻をすすった。
「かかかか解散……?解散……しししてしまう……のか?」
「そそそ……そりゃあそうでしょう?チームリーダーがいなくなってしまうから、あたしたちはバラバラに各チームへ振り分けられて……サーティンおじさんからそう聞いてますけど?」
「ああ……だだけど、ちチーム解散……い言われてないから……が頑張っていて……くっくれたんだろ?ささっき……さサーティンさんから……きっ聞いて……ううれしかった……。ここれで……ままた……だダンジョン挑戦……でっ出来る。」
「だから……ダンジョン挑戦するには、チームリーダーが必要で……あたしたちはまだ未熟だから、さすがにあたしたちだけでは、無理なんです。少しでもイチ先生……じゃなかった王子様に追いつこうと、特訓していますけどね。さすがに半年やそこらじゃあ……1年活動しないとチーム登録は消滅してしまうし……。」
「ででも……すっすごいぞ……ここの特訓……ひっ一人用か?じじ自分で……か考えたか?が頑張っているな……。お俺……ちょ一寸……ぶブランク……あああるから……でっでもすぐに……も戻せる……ははず……だだから……い一緒に……。」
「だ・か・ら……チームリ……えっ……一緒……一緒って……今……?えっ……だって……だって……どうして……?」
少女は怪訝そうに、少し目を細めながら振り向いた。
「お俺……お王子……なない……。い一瞬だけ……お王子……ななったけど……な?」
イチは暗がりの中で、歯を見せた。
「はあ?」
その言葉の意味が呑み込めず、少女は口をあんぐりと大きく開けた。
「ぜっゼロ達……しょ処刑しない……じょ条件……お俺……お王子なった……。だっだけど……お俺……おお王子……いいけない……。しっ知らなかったけど……お俺も……ぜゼロ達……き鬼畜チーム……い一員だった。そっそんなもの……お王子でいけない……お王になっていけない……はっ半年かけて……お王様達……せ説得した。
そっそうして……きき鬼畜の……おお行い……しししてまで……いい生きてきた……も者は王子と……み認めないと……りっ離縁状……かか書いてもらって……きっきた……。
きき畿東国……すすすごく賢い……おお王女様……いいる……そっそうして……たた頼もしい……ここ婚約者……いいる……おっ王子……いいらない。
かかかえって……あ跡目争い……ももめるから……いっいないほうが……れれ連邦の……たため。
だっだから……おおお俺……ままた……てっ天涯孤独……いっ行くところ……なない……さっサーティンさん……た頼って……きっ来た……けけど……ちチーム解散……ななら……ままた……ちゅ中学出た……こ子供達……あ集めて……ちチーム……つ作りなおす……ししかない……。」
イチはそう言って、少々がっかりしたように肩を落とした。
「ええええーっ……馬鹿馬鹿っ……いますいますっ……チームメンバー全員っ……居ますよっ!
すぐに菖蒲たちを叩き起こして!」
少女はすぐに駆け出していこうとした。
「まっまてまて……いいい……いるなら……よよかった……ねっ寝かせておいて……ややれ。そっそうして……さ桜子も……すすぐに……ね眠るんだ。あっ明日また……あ朝早くから……くく訓練……だぞ!」
「ははは……はいっ!」
桜子は、ようやくイチに抱き着くことが出来た。
「イチ先生……言葉……戻っちゃってる……。」
「そ……そうだな……ひひ久し……ぶり……だだから……き緊張……しししして……。」
完
(これでよろしかったのでしょうか?)
(ああ、これでいい……まさか俺が憑りついた時点で、本来ならイチは死んでしまっていたなんてな……。
重傷の応急処置すらできなかったんだから、無理もないのかもしれないが……まさかイチになり替わってそれからの人生を謳歌できますよなんて言われても、もう一度同じことを繰り返すなんてまっぴらごめんだ。)
(そうおっしゃられましても、彼があなた様と共生していた1年半は戻してあげなければ、彼が命を落とす運命の日が大きくずれてしまいます。不整合を正す必要性があるのです。
そもそも彼が家族からはぐれてからの人生をやり遂げるつもりがないのであれば、そのまま死なせておいてあげればよかったのですけどね……何もわざわざあなた様が乗り移って延命させ、さらに王子になってからの人生を継続させてあげなくてもいいような気が、致しましたけど……?)
(よくそんな残酷なことが言えるな!)
(生贄にさせられたダンジョンで出血多量で動けなくなり、魔物たちに食い殺されるのがイチの運命でしたからね。それでよろしかったのですよ!)
(何が運命だよ、生きているじゃあないか!)
(だから……それはあなた様が乗り移って色々と指示を出し生き延びさせたばかりか、新しい生き方まで与えたからでしょ?おまけに王子であったことまで明らかにしてしまって……一人の運命が大きく変わったことで、この世界のこれからの歴史に歪みが生じかねないのですよ!)
(あれ?そうなの?じゃあ俺が乗り移ったところで、イチとして新しい人生を歩むことは、この世界に歪みを生じさせることになるんじゃあないの?イチに乗り移れば新たな人生を送れるだなんて嘘ついて、本当は乗り移った途端なんにもできずに、ダンジョン内で魔物どもに食い殺されていたってことなんじゃないのか?
いくらイチの体を貰ったとしても、俺にはイチのような手練の技は使えそうもないからな!新たな人生を与えたのに、残念でしたね!なんて、含み笑いでも浮かべるつもりだったのか?)
(そ……そんなことするわけないじゃありませんか。あなた様が乗り移った時点で、イチの体はあなた様の自由意思で動かすことが出来ましたし、さらにイチがこれまでに蓄えた修業の賜物の技を繰り出すことも可能だったのです。そうでなければ、新たな体をお与えする意味がないではないですか!)
(いやあ……そうだろうかね……。紋章の入れ墨を再生させるために火傷の治療を受けたが、凄まじい熱さが再現されて耐えられそうもなかった時、イチが何事か呟くと熱さが和らいだ。矢を射る時のつもりで集中力を高めたとか言っていたが、そんなことが出来るからこそ……の凄技なんじゃないのか?
俺はどうやってもそんな無我の境地というか、解脱した僧みたいな感覚は得られそうもないぞ。イチはあまりにも手練れ過ぎて、そうじゃなければ生き延びられなかったんだから、俺向きではないな。
それよりも……イチは憑りついた俺の指示に従って、1年半も生きながらえていた訳だろ?それはイチが歩んだイチの人生だ。俺はイチになり替わるつもりはないから、イチにこれからも歩ませてあげてやってくれよ。それが当然だろ?
何も置き去りにされたダンジョンまで遡って、イチを死なせることはないじゃあないか。)
(そうおっしゃられましても……それがイチの運命だったのですよ!生き永らえた1年半の記憶は一切合切消し去りますから、本人はダンジョン内でそのまま死んだと思うだけです!)
(運命運命言うけどな……俺がわがまま言って、ここ迄生き永らえることができたのもイチの新たな運命じゃあないのか?それなのに、それらをなかったことにして過去に遡って死んだことにするのは運命じゃあない、殺人だ!お前がイチを殺したことになるんじゃあないのか?)
(いや……そ……そうでしょうか?)
(そういうことだろう?だから……生かせてやってくれ!何も面倒なことはないんだろ?お前が直接手を下さなければ、イチはこれからの人生を全うできるわけだろ?)
(それは……そうなのでしょうかね……?)
(それでこの結果に、不満なのかい?せっかく転生させてやろうとしたのに、それを断って死ぬべき野郎を助けた大馬鹿野郎と言いたいのか?イチを助けたことにより、入れ替わるべき人生はなくなってしまったから、俺はこのまま死を迎えるというわけなのかな?それならそれで構わないけどね……)
(そうはいかないのですよ……あなた様は本来はまだ死ぬべき運命ではなかったのに……戻すべき肉体がない今は、誰かほかの肉体をあてがってでも……と考え、本来なら死ぬべき運命の者の体を借りることにしたというのに……一体何が気に食わないのでしょうか?)
(ふうん……どうしても俺を転生させたいということか……だがまあ……牢獄へゼロ達の面会に行ったとき……とりわけ俺の活躍で……と言ったわけではなかったのが残念だったがね……賢い王女様のおかげだったが……突然真っ暗闇になって、天から声が降って来た時は驚いたよ。)
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(いかがでございました?戦火の最中捨てられた王子の物語……感動いただけましたでしょうか?今ならこの素晴らしい体験をそのまま……)
(はあ?なんだなんだ?ゼロが王子ではないことを暴いた後で、牢獄前でサンとヨンの様子を見ていたはずなのに、一転真っ暗になって天の声?ちょっと待て……これは……もしかすると……映画なんかでありきたりの……個人の望む夢を見させてくれるという、未来の娯楽かなんかなのか?
俺は未来の世界の労働者かなんかで、働いてコツコツと金を貯めてせめて夢の中だけでも王様になろうと、ドリームメーカーなんていう施設の門を叩いたということなのか?
それにしても長々と……1年以上にもわたるドラマ……というか演出……子供たちだけではなくイチが日々成長していく姿も見られたし、確かに素晴らしいものだった。しかもこちらからあれこれ指示して主人公の生き方を決められるというマルチシナリオ……感激だ……脚本家にあって礼を言いたいぐらいだ。
いい経験をさせてもらったよ、これで明日からの勤労意欲が……)
(残念ですが……大外れでございます。ご自分で未来の……とおっしゃっているではないですか……あなた様が生活していた時代では、そのようなドリームメーカー的な娯楽は、映画や小説の中だけの空想上のものでしたよね?
あなた様の転生先を模索しているのですよ……入れ替わってからの人生を試しに見せてくれ……なんてご要望でしたから、ご覧になれるよう配慮いたしましたが……如何でしたか?)
(うん?そうだったのか……だからか……覚えてはいないが、俺は転生するにあたりそんな要求をしていたんだ。だから……なんの記憶もなく憑りついたみたいになっていたわけだ……ようやく呑み込めてきたよ。
俺はこの世界へ転生することになっていて……今回が俺の初めての転生というか憑依経験だったのかい?
そもそも……俺はどうしてこの世界へ転生することに?俺がいた世界ではないよね?)
(お答えしかねますね……)
(ふうん……じゃあ、現状に関してなら答えられるかい?どうしてこんなことになっているんだい?)
(それはあなた様が……こちらが提示する新しい人生に対して、こいつの仕事が自分には合っていないからいやだとか、こいつの周りにかわいらしい女の子がいないからいやだとか文句ばかり付けて、どれだけ案件を紹介しても決めようとしなかったからですよ。
今の仕事が大工であったとしても、あなた様が転生してから冒険者を目指せばいいですし、色々な土地を回っていれば素敵な女性にだって出会えるはずです。体力があって健康体で申し分ない人物を選定しているのですよ!と申し上げたら、だったら、まずは自分が転生した先の人生を試しに見せてくれと仰ったわけです。)
(ふうむ、そうか……人の人生を覗き見るようなことをしてみたら、情が移っちまってイチと入れ替わる気にならなくなっちまった……悪いが俺はイチになり替わるつもりはないしなれそうもないから、これからもこいつに人生を歩ませてやってくれ。
とはいっても、このまま別れちまったなら、恐らくイチの兄妹たちは助からないし、イチは行く処もなく彷徨って、どこかで野垂れ死にするのが落ちだ。悪いがもう少しだけ……あと半年だけでいいからイチに憑りついたままいさせてくれ。俺に考えがある。
イチが満足できるような結果になるようを提案して、そうなるまで指導していってやるつもりだ。俺がイチに憑りついたからには、きちんと仕上げてやらないといけないからな。)
―――――――ー
(なあんてことがあったんだったな……)
(で?どうされます?)
(どうされますって……何をどうするんだ?)
(ですから……次の転生先をご紹介してもよろしいでしょうか?)
(ああ……そりゃあもちろんだ……もうすぐ死んでしまうやつなんだろ?どうしてそういう羽目に陥ったのか興味があるし、そこを脱出するために知恵を働かせるのも悪くない。)
(いえ……ですから、そういった脱出ゲームではなくて……あなた様の転生先を決める重要な案件なのですよ!)
(分った分かった……それでも俺にはそいつの人生は見た目では分からないから、試しに乗り移ってどんな生き方をしているのか見させてくれ。それで俺が入れ替わるのが最適だと分かったなら、決めさせてもらうよ。
それから悪いが……何も覚えていなければ、乗り移った人生がいいのか悪いのか比べられないだろ?比較対象がないわけだからな……なんせ紹介してくれるのは、俺が生きてきた世界とは物理法則が異なるファンタジーな世界のようだからな……比較対象が欲しい。
そもそも毎回どうして人の体の中に入っているのか、悩むところから始めるのは辛い。だからイチに乗り移っていた記憶を消さないでくれ。そうじゃないと、また入れ替わらないからそのまま人生を歩ませてやってくれ……ということになりかねんぞ!
一度こいつの人生がいいと決めたなら、途中で気に食わなくなっても交換してくれないんだろ?)
(それは当たり前ですよ……そもそも人生のやり直しなんて生きていれば可能ですが、死んでしまえばできないのが普通なのですからね。あなた様の場合は……凄まじく特殊な例なのですよ!)
(そうだろう?だったら記憶を消さずにいてくれれば、イチの人生と比較して新しいのがより適当か決めるよ。そのほうが多分手っ取り早く決められると思う。)
(分りました……ですが、あとでイチの人生がやっぱりよかったとおっしゃられても、もう戻せませんよ。今この瞬間であればまだしも……一旦接続を切ってイチ単独で人生を継続させたなら、あなた様と入れ替わるタイミングがずっとずっと先になりそうですからね。)
(おおそうか……イチの運命は……相当長生きするということだな?それが聞けて俺もうれしいよ、イチの人生に戻れないことは了解した。だから……次の人生を紹介してくれ。)
(それと……お分かりとは存じますが、決して相手の方にあなた様が転生するべき対象か確認するため、1時的に乗り移っているんだなどと、おっしゃらないでくださいよ!
このようなことは……決して普段は行われないのです。あなた様の場合は特例で……しかも緊急度が高いためにやむを得ず……ですのでくれぐれも、あなた様が乗り移っている目的を悟られないようにしてくださいね!それがバレたなら……あなた様と言えども魂を剥がされて、永遠の闇の中をさまようことになりかねませんよ、いいですね?)
(ああ……もちろん相手にそんなこと言うわけないじゃないか……これから乗り換えするかどうか判断するための試運転です……なんて新車買いに行っているわけじゃないんだから、相手に対して失礼だろ?
安心しろ……)
(分りました、では次は……)
続く
イチの章は、これで終了です。2~3週間ほど休ませていただき、連載継続していくことになります。引き続き別の人生を伺うことになる心の声は、果たして理想の人生に行きつくことが出来るでしょうか?ご期待ください。
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