本物の戦闘
23.本物の戦闘
「そういえばイチ先生の弓は……いつも使っている弓とは違いますね。ずいぶんと短い……。
いつもの長い弓は狭いダンジョン内では、邪魔になるから使わないのですか?」
菖蒲が今更になって気が付いたように、イチが手に持つイチの肘から指先位迄の長さしかない、小型の弓をしげしげと眺め始めた。確かに鍾乳石が所々天井から伸びている洞窟内は、長い弓は扱いにくそうに感じられるが、あまりにも小型だ。縮小レプリカのようなサイズは、威力があるのか疑問だろう。
(さすが女の子……持ち物などの観察力も半端ないな……これも説明しておいた方が、安心するだろうけど……こっちが有利とあまり強調すると、じゃあ今自分が持っている弓はどうなんだって桜子が考えてしまうだろうから、さらりと連射用とだけ言っておいた方がいいだろうな。)
「あっあああれ……すっスナイパー……よよよう……こっこれ……せっ接近戦……よよ用。ゆっ弓……やや矢……みっ短い……れれ連射……でで出来る……。すっスナイパー用……ゆゆ弓……しょ初級者用……ゆゆ弓より……ずっ随分……なな長いから……どど洞窟……む向かない……。」
イチはそう言いながら松明を菖蒲に預け、矢袋から矢を取り出すと指の股に一本ずつ矢の尾をはさみ、合計4本の矢を扱って見せた。
「はあ……さすが……ですね。サーティンおじさんが言っていたように、本当に凄腕なんですね。あたしの……中級者の弓ではそのような連射は無理ですか?」
桜子がため息をつきながら、自分の矢袋から数本の矢を取り出してみた。
(やっぱり聞いてきてしまったか……取り敢えず最初のうちは、連射よりも狙いなんだろ?)
「さっ最初……いっ一本づつ……つつついで……しゅ集中して……ねっ狙う……いっいい……。じじゃあいい行くぞ……。」
イチの指示通りにフォーメーションを変えて、皆歩き始めた。
「うん?」
「どうしました?魔物を見つけましたか……?」
歩き出して10分ほどして、突然先頭を歩くイチが立ち止まった。その様子に菖蒲が反応し、背後から小声で囁いできた。
(すごいな……イチが感じた魔物の気配……こっちにも伝わって来たぞ。向こうも気づいているようだな……どうする?戦闘用の配置換えをして攻撃するか?)
「あっああ……みっ右手ぶぶ分岐に……まっ魔物……むむ群れがいる……。たた多分……むむ向こうも……きっ気づいて……よよ様子……うかがっている……。
うっ動きがない……から……こっこちらから……ここ攻撃……しっ仕掛けてできる……すっ隙……つつついてカウンター……ねね狙っている……かかかもしれない。こここのまま……すっ過ぎると……はは背後……つつ突かれる……かっから……そっそのまま……ででできない……。
そっそこで……こっここでまた……じゅ順を……かか変える……。
おっ俺ときき菊之助……なな並んで……せせ先頭……きっ菊之助……うっ後ろ……まま松五郎……つっ次……ああ菖蒲……ささ桜子……なな並ぶ……。はっ萩雄……うう梅吉……こっ後方……けけ警戒……もっ模擬戦……とと時……はは配置……いっいいか?」
イチは数歩分岐に入って進み、振り返って囁くような小声で皆に指示を出した。
「イチ先生と菊之助が先頭……松五郎と一緒に、すぐに来て。萩雄と梅吉は最後尾で後方警戒。訓練通りよ。」
伝言ゲームのように……桜子が後ろに向けて指示を出した。小声なので、後ろまでは聞こえなかったはずという配慮からだろう。桜子の呼びかけに呼応するように菊之助と松五郎が前に出てきた。
「いきなり……実戦……だだだだいじょぶ……で……しょうか……?」
菊之助も松五郎も緊張のあまり膝がガクガクの状態で、歯がカチカチと何度も鳴っているようだ。
(やはり緊張しているようだ。緊張するわな……俺も怖い……取り敢えず励ましてやれ。深呼吸させろ)
「あっああ……もも問題ない……おっ俺が……かか必ず……さっサポート……すっする……おっ大きく……いい息を……すっ吸え……そそそうして……はは吐き出す……。」
緊張でまともに動けそうもない2人に、イチは深呼吸するよう指示をした。
「ふうー……」
(じゃあ、個別の戦闘の説明だ。みんな初心者なんだから、面倒でも一人ひとり細かく教えてやる必要性があるぞ。子供たちは真剣に学ぼうとしているから、最初だけ説明してやれば十分だろう。これまで繰り返し行って来た模擬訓練の配置と同じだからな。)
「よっようし……すっ少しは……おお落ち着いたか?
てて敵魔物……ぶぶ分岐……おお奥……にっ20m位先……すっすぐ……とと飛びかかってこないから……ああ安心しろ……。きっ菊之助ここ……どっ洞窟……みみ右側の壁……みみ右足みみ密着……たっ盾かか構えて……しししっかり立つ。
そっその……うう後ろ……まま松五郎……けけ剣ぬぬ抜いて立つ……いっいいな?」
イチは幅1.5m位の洞窟分岐の壁に菊之助を連れて行って立たせ、後ろに松五郎の手を引いて配置した。
「ああ菖蒲と……ささ桜子……まま松五郎のうう後ろ……なな並んで立つ。そっその後ろ……うう梅吉と……はは萩雄だ……。」
菖蒲に松明を手渡すとイチは菊之助に並んで立ち、菖蒲と桜子以下の配置を指示した。菖蒲も桜子も言われるままに配置につき、その後ろに梅吉と萩雄が並んだ。
(じゃあ……いよいよ戦闘開始だ……)
「よよしっ……じゃじゃあいい行くぞ……まっまずは……ああ菖蒲の……まま魔法攻撃……ほっ炎系がいい……でっ出来るか?てっ敵は……にに20m先……」
「はいっ……任せてください。炎系が一番得意です。だけど20mは炎の玉を飛ばせますけど……訓練と違って的が見えないから、当たりませんよ?」
(菖蒲は当たらなくてもいいんだろ?でも続いて打つ桜子の方は、どこでもいいから当たる必要性があるんだったな?だったら、その説明も必要だな……)
「あっああ……当てなくても……いっいい……ああ菖蒲のほっ炎攻撃で……むむ向こうの……まま魔物……いい位置……わわ分かるから……ささ桜子が……やや矢で攻撃……すす少なくとも……ささ3撃は……うう撃て……まま魔物の体……どどどこでも……いっいい……ああ当てろ……。」
「わ……わかりました……。3撃ですね……?ふうー……やれるやれる……桜子はできる子……。」
イチの言葉に緊張した面持ちで桜子は天を仰ぎ、何事か呟き始めた。
(ようし……いよいよだ。みんなの緊張をほぐす意味でも、俺が守ってやるから怖くはないと、励ましておいてやれ。それだけで子供たちは、力を出せるはずだ。それと……練習用に一頭は子供たちに割り当てるんだったな?いきなりは驚くだろうから、そのことも言っておくべきだな。)
「どどどれだけ……まま魔物が……きき来ても……どど洞窟せっ狭い……かかから……いいいっぺんに……かかかかってこここれない……。
とっ突進してくる……まま魔物……かか必ずおお俺……しっ仕留める。でっでもれれ練習……いい一頭は……のの残すから……そっそれを……きき菊之助……たた盾で……うっ受け止め……まま松五郎……しし仕留める……いっいいな?」
「めめめ滅相もない……です……。魔物に出会うのは初めてですから、まずはイチ先生に倒していただいて……僕たちはそれを間近に見るだけで……それだけで十分ですよ……」
すぐに菊之助が、慌てた様子で見ているだけでいいと遠慮する。
(やっぱり怖いから、みるだけにしたいよな……だけどそれじゃあ、いつまで経っても戦う勇気は湧いてこないんだろ?最初に突進してくる魔物たちを間近に見ちまうと……ビビッてなんにも出来なくなってしまうかもしれないよな。無理やりにでもやらせないと駄目なわけだ……だったらやらせるしかないわな……)
「だっだめだ……そそそんなんじゃあ……いいいつまで経っても……ぼぼ冒険者……なななれない……。こっ怖いの……わわ分かる……おお俺だって怖い……だっだけど……がが頑張るんだ……こっこれまでずっと……くく訓練……しっしてきたこと……おお思い出せ……。」
イチは大きく首を横に振り、そのまま分岐正面を向いてしまう。菊之助の意見は却下された格好だ。
『えっええー???』
「しっかりしなさい!男でしょう?ほら……盾を構えて……」
「松五郎は……剣をしっかり持って……」
(こういう時は、女の子の方がはるかに精神的にタフのようだな。まあでも……男の子たちだってやってくれるだろう。彼らを信じて……さあ始めよう。)
「よしっ……あっ菖蒲……いい行け!」
菖蒲から戻された松明を洞窟の壁に立てかけるとイチは、後方の菖蒲に対し合図を送った。
「燃え盛る炎を制するマグマの神よ…………………………」
甲高い着火音とともに照明弾のような炎の玉が3発、菖蒲の手から発射され分岐の奥へと弧を描いて飛んでいき、20mほど先の地点に着弾した。訓練のかいあってか、ほぼ菖蒲の狙い通りに着弾したようだ。
「ゥオォーーーーン!」
着弾と同時に宣戦布告とばかりに分岐奥から犬の遠吠えのような、うなり声が発せられ、同時にいくつもの黒い影が一斉にイチたちの方へと向かって来た。
(来た来た!さあ、桜子に撃たせろ!他の子たちも身構えさせておけ!)
「くっ来るぞ!桜子、落ち着いて狙え!きっ菊之助!盾構えて、ししっかり踏ん張っていろ!」
イチは桜子が前を見やすいように身をかがめ、隣の菊之助にも指示を出した。
弦と指先の擦れる乾いた音とともに、高速で空気が揺れる風切り音を残し、桜子の手元から順に矢が放たれていく。
「キャン!」
すると分岐の中ほどで、短い悲鳴が上がった。
「あ……あたったぁ……」
(やったなあ……桜子はやっぱり優秀だ。)
数頭の群れに一発だけ……矢が当たった程度では、群れの勢いを殺すどころかかえって加速させた。
低く構えたイチが、向かってくる魔物の群れに向けて矢を放つ……一瞬で数発の矢が放たれた映像の後で、繋がった風切り音が伝わって来た(あくまでも桜子個人の感覚です)。身構える少し先で重いものが地面にぶつかって転がる音が何度も響き、初撃だけで5頭いたはずの魔物の影は、ほとんど消失してしまった。
後方の仲間の方へは一匹も漏らさぬよう、極力ゆっくりとした足取りで魔物の群れの中へ入って行き、取り囲まれた状況で四方八方からの攻撃をかわしながら射止めて行く戦闘を続けていたイチにとって、前方のみ警戒して、しかも自分が静止した状態で襲い掛かってくる数頭の魔物を射止めるのは、造作もない事だった。
初めて魔物に自分の矢が当たった喜びよりも、凄まじいまでのイチの手練の技を間近で見られたことに、桜子の胸はただただ感動で踊った。
(ううむ……この前もそうだったが、やっぱりお前は凄腕だわ。アニメでもこんなにすごい奴は、なかなかいないぞ……)
”ドッゴォーンッ!”続けざまに、右前方に凄まじい衝撃音が鳴り響く。イチが宣言した通りに、菊之助たち用の魔物が菊之助の盾にヒットしたのだと、誰もがすぐに承知した。
(よしっ……松五郎に止めを刺させろ!)
「まっ松五郎!……今だ!突け!」
すぐにイチが叫ぶ。だが……松五郎は……というと……右手に剣を握り締めたまま、菊之助の後ろでしゃがみ込んだまま、うつむいてじっとしている。
「グルルルルルッ!」
「ままま……松五郎ッ……いいいいいつまでも……頑張っていられない……はっ……早く!」
何とか初撃は踏ん張ったものの、すっかり腰が引けている菊之助の盾は、魔物に押されて壊滅寸前の様子だ。
「…………………………」
ところが松五郎は……相変わらずただじっとうつむいて動かないままだ。魔物の襲撃に恐れおののいて震えているというよりも、心がどこかへ飛んでいってしまったのではないかと、菖蒲たちは感じた。
(まずいぞ……松五郎の奴恐怖のあまりに意識が飛んでやがる。お前がやるしかないな……)
「まっ松五郎!きっ気をしししっかり持て!ほらっ!つっ突くんだ!」
イチが大声で、松五郎に呼び掛ける……が、松五郎の体が動くことはなかった。
ボワッ、シュパッパパッ……ドンッ 菊之助の盾に動きを制されていた魔物が、すぐ横のイチへ向かおうと少し下がって身構えた瞬間、先ほどより大きな炎の玉と矢が同時に飛んで行き、魔物はその場に倒れ伏した。
「ほんっと情けないわね……。松五郎がいつまでも倒さないから、イチ先生が危ないところだったわよ!
菊之助だって、魔物を盾で受けることはできたけど……そのあと何もできずに後ろを伺っていただけじゃない!あたしと桜子が準備していたから、よかったものの……イチ先生にケガさせたら……どうするつもりだったのよ!」
しばしの沈黙の後、おかっぱ頭の美少女が前に出てきて自ら倒した魔物の様子をうかがいながら、男性陣に向かって冷たい視線を注ぐ。イチは松五郎を信じるあまりに、構えようともしていなかったのだ。
「おおお……お俺は……いいいいイチ先生の……しっ指示……通りに……。」
菊之助は、ようやく声を絞り出した。
「そうね、菊之助はよくやった方よ……まだね。でも松五郎はどうなのよ、松五郎?マ・ツ・ゴ・ロ・ウ!」
続いて桜子が、すぐ右前の松五郎に向かって呼びかけるが反応がないので、耳元で言葉を区切って大声で呼びかけた。
(はっ!)……松五郎はようやく意識を取り戻したのか、きょろきょろと薄暗い洞窟内を何度も見回した。