初めての弟子
15.初めての弟子
昨晩……
「どう説得してもイチは、子供たちに指導することを拒否した。あまり責め立てて、イチがここを出ていくようなことになっても困るから、あきらめたよ。」
「えーっ?なんでよー……何とか説得するって、言っていたじゃないー……」
サーティンの言葉に、桜子も菖蒲も頬を膨らませる。
「ああだが……イチは風呂もそうだが宿舎の床や壁をピカピカに磨き上げたりして、仕事はきちんとこなすというより、人に喜ばれることが実は好きなんだと思っている。だから……そのように持っていくのだ。
困ったふりをしてイチに近づく……いいか……決して馴れ馴れしく話してはだめだぞ。遠慮がちに……で、イチのことを持ち上げておく……凄腕の弓使い……とか……決して狙いを外さない……とかだな?そんな人に指導を受けたいなあ……なんて、独り言のようにつぶやく。
だけど……こっちからお願いしますなんて、すぐに言ってはダメだぞ。反応がなければ、無理ならいいですと言って、そのまま帰るんだ。絶対に無理強いするなよ!ここには居られないと考えられたら大変だ。ダメだったら、翌日また挑戦すればいい。イチに逃げられないことが、まずは重要だ……分かるか?」
「はあ……まあ……やっやることだけは……なんとなく……。」
「なるべく柔らかく……すごく困っているという事をアピールして……そうしてイチから、仕方ないから教えてやると、言わせる。この時も親しげに話さないで、遠慮がちに……うまくいきそうになったらイチ先生と呼ぶんだ。それと……なるべくゆっくり話してやってくれ……出来るか?」
「イチ……先生?」
「そうだ……褒めて褒めて褒めまくって、さらに持ち上げるんだ……先生と……必ず呼ぶんだぞ!そうすれば、多分うまくいく。人間、褒められて嫌だと思うやつは、まあいないからな……。」
「はーい……分かりました。でも……サーティンおじさん、ずいぶんとイチ……さん……じゃなかった、イチ先生……か……のことに、詳しいよね?この間会ったばかりだって言っていたのに?」
「ああ……あそこまで極端ではなかったが、人見知りは俺の弟もそうだった。」
「弟って、フォーティンおじさんのこと?別に、普通にしゃべるじゃない?」
「ああ……今はな……だが子供のころは、学校へ通わせるのも大変なくらいの人見知りでな……知らない人ばかりの中では一言もしゃべらなかった。家から一歩でも出ると、ただうつむいて、一人だけでは歩き出すこともできなかったな……。そのくせ知り合いにはうるさいくらいに話す……内弁慶というやつだ。
ちょっとしたことでも大げさに褒めたたえ、都志郎ならやればできるとか、学校ではみんな都志郎に会いたがっているとか、クラスメイトにも協力してもらって、何とか高校まで通わせた。」
「そ……そんなに?」
「だから……都志郎のためにここを作ったようなもんだ。」
「えっ……サーティンヒルズのこと?」
「そうだ……ここなら狭い空間に多くの冒険者が衣食住を共にしていて、人と接しないわけにはいかない。しかも人が限られているから、すぐに皆顔見知りとなる。都志郎も半年で、皆と会話ができるようになった。
神官という職業を選んだことも、正解だったよね。」
「いまじゃあ……人一倍うるさいわよね……たまに大声で歌を歌いながら外を歩いているし……。」
「まあ……そのくらいは勘弁してやってくれ……今でも一人だけでは街へ飲みに行くことが出来ないからな。だが……ああいう性格の奴は人と一緒にいるよりも、自分一人でコツコツと何かをやり遂げるのを好む。
都志郎だって今では立派な上級神官だが、その昔……他流派の高僧が畿西国宮殿に立ち寄った時に、当時不治の病と診断されていた畿西公の奥方様を治療なされた。その時唱えた門外不出の秘伝と言われた呪文を、たった一度聞いただけで一言も間違えずに覚えて、自分で唱えられるようになってしまった。
あの集中力はすごいと思った。恐らくイチが凄腕のスナイパーなのも、都志郎と同じではないかと思ってな。
だから……あの才能を、このまま埋もれさせるわけにはいかない。あいつを冒険者に戻せるのは、俺を除いてはいないんじゃないかと感じている……今では、一人ぼっちになってしまった身の上だからな。」
イチのことをあまり詳しくは、ヒルズ内でも紹介されてはいなかった。個人情報だし、家族に裏切られたという憶測が広まると、ますますイチが殻に閉じこもってしまう恐れがあったからだ。冒険の途中でチームのメンバーとはぐれてしまって、今は一人になったと事実だけ説明しているのだ。
「ふうん……わかった……やってみるわ……。なんとしてでもイチ先生に……。」
「仕方ないか……あたしも付き合うわよ……。」
と、こんなやり取りがあったのだ。
−−−−−−−−−−
サーティンから言われたことをきっちり守ってみると、あら不思議……あれほど不機嫌そうだったイチが硬いけど笑顔を見せ、桜子たちに教えてくれると言ってくれた。ここで、へそを曲げられたら怖いので、あくまでも遠慮がちに、へりくだって応対することを心がけた。
「あたしは……桜子です。あたしはイチ先生みたいな……弓使いになりたいと……思っています。」
(おお……おかっぱ頭が菖蒲で、肩まで髪を伸ばしたのが桜子……どちらもすごい美少女だが、イチの妹のサンよりも少し年下だろ?そんなに緊張しないで接しられそうだな?
教え方だが……どうやる?新人教育の手順なんか知っているのか?)
「おおお俺の……しゅしゅしゅ修業……じっ時代……しし指導……なななかった……せせ先輩……ぼっ冒険者……しゅしゅしゅ修業……みっ見て……まままねて……やややってた。だだだから……たっ正しい……ややややり方……ししし知らない……そっそれでも……いいいいか?」
「はいっ、だって……凄腕の弓使いなんですよね?そんな人と……同じ訓練が出来れば十分すぎます。」
(はやー……すごい持ち上げられようだな……サーティンは確かイチの弓の腕をきちんと評価するとAクラス位って言ってなかったか?それがどの程度なのか俺には分からないが、そんな騒ぎ立てるほどでもないんだろ?噂って言うのは尾ひれがついて大きくなるもんだが、実力見てがっかりされるのもなあ……)
「おおお俺は……そそそそんな……すっすごい……ぼぼぼ冒険者……ででない。さっサーティン……さん……だだだろ?さっ最初……あああった時……かかか勘違い……しっして……かかか過大……ひょ評価……おっ俺のこと……だだだから……たっ多分……がががっかり……すっするぞ?」
「そんなこと……ありませんよ。イチ先生に……教えていただけるだけで、あたしたちはありがたいです。」
桜子は笑顔を振りまきながら答えた。
(とりあえず、どうやって教えていくか、ちゃんと考えたほうがいいな。人様の子供を預かるって言うことだからな。変な癖をつけてしまっても困るわけだ……だからこそ、ここでは子供に対して基礎訓練を教えようとしてこなかったわけだろ?手が空いた時だけ見てやる……なんてふうにはできないからな。
子供は成長が早いし、好きなことには一生懸命やるからなあ……それなりに責任は重いぞ……。)
(どどど……どうするんだ?)
(どうするって……弓を習いたいんだろ?だったらお前が師匠のところで修業した内容で、教えてやればいいんじゃあないのか?)
(ししし……師匠は何も教えてくれなかった。だから……見たまま……弓なんてないから……手ごろな木の枝拾って……構えの練習から……)
(だったらそういうやり方を教えてやればいいだろ?それと基礎訓練だな……ランニングとか柔軟体操だ。急に体動かして怪我でもされたら大変だからな。いくら若いとは言っても必須だ。その点……イチは柔軟とランニングは朝晩しっかりとやるからいいが……初心者には軽めから始めさせるといい。
すぐに音を上げて、教えたくないから厳しくしごいているなんて言われても困るからな。いきなり10キロのランニングを朝晩なんて普通じゃあ無理だろう。1キロでもいいけど軽すぎてもなんだから、2キロくらいからかな?
道具は揃えておくから、まずはランニングと柔軟をやると言っておけ。そもそも……学校は大丈夫なのか?)
「………………そっそうか……わわかった……あっあとで……くっ訓練の……どど道具……そっ揃えて……おおおくから……きょ今日の……とっところは……そっその……らららランニングと……じゅ柔軟……でっでも……ががが学校は……だだだ大丈夫……か?」
先日は休日だったが、今日は平日のはずだ。本当ならすでに登校している時間だと思っているのだが……。
「いっけなーい……じゃ……じゃあまた明日……いえっ今日……学校から帰った後でもいいでしょ?」
「おっ……ああ……みみみみんな……ふっ風呂……ゆゆゆ夕食……とと時……こっここで……。」
(あと……服装もちゃんと運動できる服装にするよう言っておけ!)
「そそそ……そうだ……きっ着物……すす裾……はっはだける……ずっズボン……はっ履く……ももも……モンペ……もももも……いっいい。」
「じゃあ……学校から帰ったら……お風呂と晩ご飯を後回しにして……まずはここへ来まーす。ちゃんと運動着に着替えてきます。菖蒲もいいわね?」
「はいはい……お付き合いいたしますよ……。」
そう言い残し、あわただしく少女2人は駆け足で去って行った。
「えーとえーと……それは……なんという型なの……です……か?」
桜子たちが学校から帰ってきてすぐにイチのもとへやって来たので、イチは飯炊きの仕事を少し手伝ってもらって早めに切り上げ、食堂脇へやって来た。まずは柔軟体操を十分に行ってから、2キロのランニングで体を温めて、基礎訓練からとイチが毎日欠かさずに行っている、弓を構える反復動作から教えることにした。
ランニングではひいひい言ってはいたが、何とか2人とも走り切った。
弓の打ち方によっては縦に構えたり、横向きに構えたりすることはあるが、まずは基本となる動きを体に浸み込ませなければならない。そこから各自でオリジナリティを加えていくのだ。基礎訓練は地味で面白みに欠けるのだが、これがきちんと身についていなければ上達することはないと、イチは身をもって知っていた。
(型の名前だってよ……今やっている動作は、基本動作なんだろ?かっこいい名前でもついているんじゃないのか?飛竜の型……とかよ……)
「うん?かかか……型……の……ななな名前……か……?しっ知らない……。」
(ないのかよー……。)
「じゃあ、これは……何のためにする訓練なの……ですか?」
「なな……何のため?」
(おいおい……どうしてこんなわけのわからん動きをずっとイチに合わせて行っているのか、聞いてきているんだよ。なんかあるんだろ?例えば構えていて素早く次の動作に移れるような構えです……とか……正確な狙いをつけるためだとか……意味はあるはずだ。)
「ああ……ううむ……そそそうだなあ……こここう……ゆっ弓をかかか構える……だだだろ?」
「うん……じゃなかった……。しっ……失礼……しました。はいっ!でした……」
(よっぽどイチのことを鬼教官とでも思っているんだろうな。最初にイチの弓を触ろうとして怒鳴られているから、無理もないか……。でもあんまりびくびくしながらやっていても……意志伝達に支障をきたすかもしれんから、緊張はほぐしておいた方がいいな……)
(これは魔物の急所を狙うために……構えがぶれないための訓練……矢先が……動いていると……正確に狙えないから……しっかりと構えるため……訓練……)
(ああそうか……ぶれずに狙えるよう、どっしりとした構えを体に浸み込ませるためだな?だったらそのように説明してやればいい……といっても、お前の言葉じゃあ伝わり難いから身振りでな……)
「あああ……そっそんなに……ここ恐がら……なななくて……いっいい……おお俺も……きっ君くくぐらい……いっ妹……いいいる。
ゆゆ弓かかか構えて……ねっ狙いさっ定める……。てっ敵の……ままま魔物……きゅきゅ急所……ねっ狙う。まま魔物……かかか体……おおお大きい……あっある程度……ちち近づけば……当たる。
すすすばしっこい……いいいいる……たっ大変だけど……でっでも……あああ当たっても……たたた倒れない……かかかえって……きょ狂暴なって……おおお襲ってくる。
ななななるべく……いっ一撃……たたた倒したい……だっだから……きゅっ急所……ねね狙う。」
『きゅ……急所を……』
菖蒲と桜子が声をそろえた。
「きゅきゅきゅ急所……ままま魔物……ここ異なる……たたた大抵……くっ首……め目っ……じょじょ上半身……おおお多い……。ままま魔物……かかか解体する……わわわ分かる……ししし心臓……ほっほかにも……すすす筋……しゅしゅ集中……ふっ太い……けけけ血管……こっ交差……。
そそそのうち……おおお教えて……やっやる……。ままままずは……きゅきゅ急所……かかか確実……あああ当てる……そっそのために……ここここう……ねっ狙いが……。」
イチは自分の弓に矢をつがえ、矢先をふるわせて見せた。