裁判所脇の路地
26.裁判所脇の路地
(本当にここなのか?かなり狭い路地だぞ……馬車が襲われたんだろ?こんな狭い路地……襲われなくても馬車が途中でつかえて停まってしまうんじゃないのか?)
(ううむ……確かに少しおかしいが……だが裁判所の建物のすぐ左側の路地……だったからな……大通りへ出てすぐ右手が裁判所の入り口だったし……すぐ右が裁判所の建物の壁だから……ここだと思うのだがな……)
翌日、早朝から乗合馬車を乗り継いで裁判所前までやってきて、正面から見て裁判所右側の路地へ入って行ったが、そこは道幅が2mもない本当に細い路地だった。舗装されていない土の地面は、歩道も車道も区分がなく、馬車が入ってきて停まっても、大型ならドアが開くかどうかも怪しいほど狭い通りだ。
だが……すぐ右手が裁判所の壁であり、どう考えてもその場所で間違いがないと思えた。
(とりあえず……何時に馬車が着いたのか……昼過ぎだったはずだが、よく覚えていない。待ち伏せをくらったから、敵は既にここへきて待っている可能性が高いからな……用心しろよ。)
(覚えていない?襲われたときにいたのか?いや……これから襲われるのだよな?)
(ああっ……もちろんそうだ、これから襲われる……はずだ。占いの時に見えた様子だよ……覚えていないというのは、その時に時刻を確認できたはずなのに出来ていなかったということだ。)
(そうか……まずは路地を回ってみよう。物陰に潜んでいる奴がいれば、そいつを倒してしまえば安心だ。)
多少違和感は感じたが、それでも地理的状況からこの場所で間違いがないはずで、敵が潜んでいないか確認することにした。
裁判所の壁伝いに奥へと、用心深く周囲を気にしながら慎重に歩いていく……狭い路地は人が通り抜けする近道に使われるのだろうか……あちらこちらに紙たばこの吸い殻やガムやお菓子などの包装紙が捨ててあり、あまりきれいとはいえない。
(まだ来ていない様子だな……先ほど昼過ぎだったといったな?日差しが通りに差し込んでいて明るい情景が浮かんだということか?)
(あっ……ああ……そうだ……こんな薄暗い感じではなかったからな……恐らく昼過ぎだ。)
両側を建物の壁に挟まれ日が差し込まない早朝の路地は薄暗く、目を凝らさなければ壁沿いに置かれているごみ箱や非常階段の影に潜んでいる敵を見落としてしまいそうで、より一層注意深く見て回った。
裁判所の壁を通り過ぎ、建物の隙間の細い路地も通り過ぎておよそ500m以上行った先の、馬車が行きかう裏通りに達した時点で引き返してきた。
(さて、どうする?こんなにもないところだと、潜んでいるのも苦労するぞ。)
確かに狭い路地は、ごみなど地面に散らばってはいるが、路地にはいってすぐの場所に裁判所のものだろうか、木製のごみ置き場があり、建物中央部分に鉄製の非常階段があるくらいで、その先の他のビルの非常口位しか突起と言えるものはなく、馬車が来るまで潜むにしても非常に難しい場所のようだ。
(せいぜい大通り手前のごみ溜め用の木箱の影……くらいか?)
(ああ……だが通りの裏通りの方から襲ってくるのだろ?だったら大通り側に潜むとなると、今度は大通りを歩いている通行人からは丸見えだぞ。)
確かに、ごみ置き場は裁判所の角から数mの距離しかなく、その陰に隠れていても大通り側からは丸見えで、通りを歩いている人たちが怪しがって立ち止まりかねない。いちいち何でもないです……と言って断っているわけにもいかない。
(ふうむ……ごみ置き場の大通りと反対側に潜むしかないだろうな……幸いにも今日は濃い灰色の甚兵衛のような作業着だからな……中には鎖帷子を着ているが……ぱっと見目立たないから大丈夫じゃないか?)
(だが……馬車がやってくるのだろ?すぐ近くに来たら分かるのじゃないか?さすがに怪しい奴が潜んでいる場所に、馬車を停めないだろ?しかも……今は日がほとんど入って来ずに薄暗い路地だが、襲われる時は昼過ぎで日差しが入り込んでいた訳だろ?とても隠れてはいられないぞ。
そもそも……敵はどこに潜んでいたというのだ?)
(うーん……多分……500mは離れていたはずだから……あの裏通りの向こう側から……かな?)
(まさか……裏通りをはさんでその向こうから矢を射かけてきていたというのか?いくら裏通りでも昼間なら人通りもあるはずだし、馬車だって通るだろう……そんな目立つようなことをするはずないだろ?)
(いやあ……分からんぞ……ちょうどその時間に両側のブロックの角から……工事中の立て札でも立てて、人の行き来を無くしていた可能性だってあるわけだからな……それくらいやりかねない相手だ。)
(ふうむ……確かに一般人へ危害を及ぼすと、周りが騒ぎ立てるからな……用意周到と言う訳か……わかった、とりあえず薄暗い間は、ごみ置き場の影で待って居よう。)
途中、宿で作ってもらってきた握り飯の昼食を食べ、目を凝らしながら裏通りの向こう側を注視していたが、なにも目立った様子は見て取れなかった。
(ふうむ……日を間違ったのか?)
(分らん……いい加減馬車がはるか向こうの通りに見えてきてもいいはずだがな……恐らく数ブロック先の大通りから細い辻を抜けようと入ってくるはずなのだが……裁判が明日なのであれば、今日で間違いはないはずなのだがな……裁判が延期されたとか……か?)
(だったら、テレビのニュースでやるはずだろ?昨日もずっと各局の報道番組を宿で見ていたのだからな。
明日の午前9時から右大臣の裁判が始まると、報じていたじゃあないか。今朝になって突然変更になったにしても、畿南国の高松町から3日かけてやってくるのだから、間に合わないだろ?少なくとも証人を乗せた馬車は、裁判所まではやってくるはずだ。そうして襲い掛かるなら、裁判所へ向かう途中でしかない。
そうなると……ここではなくもっと前……王都に入る前じゃあないのか?)
(いや……確かに王都に入る前の道中でも襲われるのだが……飼葉を積んだ馬車に火をつけられるくらいで……一応対策はしたからな……だから本格的に襲撃されるのは、ここ裁判所手前だ。火矢の襲撃を受けて命からがら脱出するはずだ……)
(うん?占いで……そんなに細かいところまで見通せるものなのか?)
(あっ?……ああ……だから……俺の占いは……特別な秘技だと言っただろ?それくらい分かるんだ。)
(ほお……それでこの場所に間違いないのだな?)
(うーん……ちょっとイメージしていた景色と若干異なるのだが……だが裁判所隣の路地だったから……)
そうこうしているうちに日も傾き始めたころになって、目の前の建物の向こう側から甲高い飛翔音が鳴り響き、はるか上空で破裂して黄色い光が放たれた。
(うん?)
更に1分後には今度は青い光が……
(この建物の向こう側で何かやっているな……)
裁判所と反対側の建物は裁判所と同じ色のレンガ造りの壁をしているが2階建てで、その向こう側から煙が立ち上っているのが見えた。しかも局所的に、煙の上がっている部分だけ雨が降っている様子だ。
(あ……あれ……?ひとつ通りを間違ったのか?)
(馬鹿野郎!)
すぐに表通りへと駆けだす。
(まてっ!裏通り側から回るんだ。表通り側からだと馬車に阻まれて、敵が見えないはずだ!)
(ちいっ)
舌打ちをしながらUターンして、ダッシュで裏通りの方向へと駆けだす。その間も建物の向こう側の辻からは、矢の飛翔音や物に当たる音などが聞こえてきていた。人の叫び声などは聞こえないのだが、戦いが起こっていることは確実だった。
(ふうっ……やはり人払いはしていた様子だな……)
朝方見回った時でも多少は馬車などの往来があったのだが、今は人も馬車も裏通りに動くものすら見られない。1ブロック先の角に、通行止めの柵でも置いてあるのだろう。
更に、百mほど先の路地脇から向こうの雨が降っている辺り目がけて、矢を射かけている……矢はさらに隣の高い建物屋上へも向けられているようだ。隣のビルの屋上からも反対に矢が降り注いでいるので、複数人の戦いが勃発しているのは間違いがない。
(あの雨が降っている方へ矢を射かけている奴らが敵だな?雨が降っている場所には馬車が見えるからな……証人は馬車の中なんだろ?)
(ああそうだ……まさか一つ狭い建物が挟んであったとはな……)
曲がった先の辻は狭い路地ではあったが、食堂街なのか2階建てのレンガ造りの建物の1階部分には、提灯や立て看板がいくつも並んでいた。恐らく夜だけ開く販売専門の店なのだろう……立ち食いも無理な位狭い店はシャッターを閉めていて、人っけはなさそうだ。
敵の目がはるか向こうの馬車と隣の建物屋上に集中しているすきに、距離を詰めて行く。
(うん?)
一瞬背筋が凍り付くような悪寒に襲われたかと思ったが……次の瞬間景色が変わっていた。
(ど……どうした?)
(いや……強い殺気を感じたから、神脚を使って後方へ飛んだ。使わなければ恐らく死んでいただろう。)
先ほどまで歩いていた10mほど先の地面には、湯気のようなものが立ち上っている様だ……
(て……敵か?だって……馬車に向かって矢を射かけている奴らは……恐らく2人組だ。さっきまでは馬車と隣のビルの屋上2方向へ矢を射かけていたからな。今は屋上メインになった様子だが……それでも2人で矢を射かけているようだぞ……いくら連射能力があっても一人じゃあ、あんなに射かけられないだろ?)
(ああ……多分馬車を襲った2人組は、今は屋上にいるやつを相手にしようとしている。向こうから自分たちは丸見えでも、下からは相手が見えないから、狙い撃ちにされてしまうからな。
だが……恐らくもう一人いる……しかもかなりの手練れだ。)
(うん?馬車を襲ったやつの仲間が、こんな後方にもいるのか?バックアップか?しかし……何のために?証人は馬車の中なんだぞ!馬車を直接狙えばいいのだから、バックアップなんか必要ないだろ?)
(そうなんだが……恐らく馬車を襲っているのは、組織の殺し屋ではない。多分冒険者崩れのゴロツキだろう……矢の軌跡を見る限り一級の冒険者のようだがな。組織の殺し屋だったら、標的の護衛が別方向から攻撃してきたとしても、あくまでも標的を狙って仕留めるまで攻撃を続ける。
護衛の気を反らそうとして威嚇することはあったとしても、あくまでもメインは標的だ。標的を仕留めることが使命であり、その為には自分の身の安全などは2の次だ。そう教育されて育っている。
だが……バックアップについているのは……組織のものかもしれない。証人をどうこうする目的ではなく、襲撃している冒険者たちを監視していたのだろうな……困難な証人奪還作戦を必ず行うよう見張っていたのか、あるいは証人たちの護衛の手の内を探っていたのかもしれない。
いずれ裁判が結審する前に、右大臣を脱獄させるつもりなのかもな……。)
(えっ……?だったら今ここで協力して、証人たちを逃がしてやればいいんじゃあないのか?別に後で、大臣を脱獄なんて……難しいことやらなくてもいいはずだろ?高みの見物じゃなくて、自分も直接加わって戦えばいいはずだろ?)
(殺し部門が正常に機能してさえいれば、ここでへましたとしても後から組織の殺し屋が大勢でやってきて、右大臣一人脱獄させるくらい訳はないのだろうが……組織を使うとかなり高くつくからな……まずは大臣子飼いの冒険者崩れにやらせようとするだろう。
どの道……今は組織がほとんど機能していないからな……ここが失敗したらそいつがたった一人だけで右大臣を脱獄させる必要性があるわけだ……証人たちを連れてきた冒険者とやらがどんな奴か、見に来たのかもしれないな……下手すると右大臣の警護までやる可能性だってあるわけだからな。
そうなると奴が……新八だろう。)
(新八はお前の顔を知っているのだったな?)
(ああ……知っているさ……新人教育は俺の役割だったからな……土市だって知っている。2人とも身体能力がずば抜けていて、次世代エリートとして、俺が親父殿に推薦したんだからな。
こちらが先に見つけられたらよかったのだが……前回と違い向こうは当然ながら隠密行動をとっているからな……向こうに見つけさせてでもここで倒してしまうために変装はしなかった。
だが俺が裏切って親父殿たちを始末したことは、知らないはずだ。親父殿たちが俺と弥恵のことを怪しんで罠を仕掛けることは、王都で大臣たちの護衛を務めている土市や新八には連絡していると思っていたが、麻薬密売組織も人買い組織も知らなかったからな。
それでも蝦夷にいるはずの俺がこの場に居合わせることは、ありえない訳だ……。)
(だから……お前が裏切ったと感づいて襲ってきたと言う訳か?だったら、ここで倒すしかないな。)
(当然そのつもりなんだが……気配がするだけで奴の姿が……どこに潜んでいるのか全く分からない。)
5mほどの道幅の狭い路地は、所々食べ物屋のカウンターへ続く3段ほどの階段が出っ張っているので、馬車はすれ違うのも困難なほどで、シャッターが閉まった店の提灯や立て看板が所々に並んではいるが、人ひとり完全に身を隠すほどの物陰など、注意していればどこにもないと感じられた。
(おいっ……足元!)
(うん?)
瞬間的に景色が変わり、地面が遠く感じられゆらゆらと揺れている。
(また神脚を使ったのか?高く飛んで、どこかの店の看板にでも掴まっているようだな?)
(ああ……靄と言うか、足元を霧のような蒸気で霞ませて来やがったからな……恐らく影隠れの類だろう。)
(影隠れ?)