深い森を抜けて
お久しぶりです。
遅くなり申し訳ありません。
ウチは腰をかがめたまま重たい白の毛皮を羽織って、四つん這いに近い格好で進んでいる。
ウチの背丈以上はある笹モドキが密生している場所で、笹モドキの葉っぱに触れない様、笹薮を揺らさない様に、気をつけながらおじさんを追いかける。
少し進んで分かった事は、笹モドキには茎の生える向きがあって、それが左右山なりにぶつかる場所にトンネルみたいな空間が出来る。
おじさんはそれを利用して笹モドキの葉を揺らさないで移動してるみたいだ。
そのかわり直線じゃなく蛇行して進むから、広場から離れるのも大変だ。
今はまだ、広場の方から大狼達の鳴き声が聞こえてくる。
これが止む前に少しでも離れないといけない。
おじさんは長くて邪魔そうな石の槍を手に持って、黒い肉塊を腰に繋いで引っ張ってる。他にも背中にはリュックの様な大きめの袋、腰のベルトにはいくつもの道具袋を着けてる。
どう見ても重そうなのに、這う速度はかなり早い。
白大狼から受けた腕の傷もほとんど治ったみたいだ。
でも途中でバテたりしないんだろうか?
まぁ、その時はウチが何か持ってあげるか。
とは言っても、ウチも楽に進んでるわけじゃない。
屈んだだけじゃ通れない場所は、おじさんみたく這う必要がある。
地面は笹モドキの葉っぱが光を遮るからか湿ってる。
ウチは服に水が染みてくるのを感じながら這う。
制服が汚れるのは萎えるし、目の前をやたら大きなゲジゲジやらヤスデっぽい虫が逃げてくのは気持ち悪い。
被ってる毛皮も重くてつらい。
正直、何もかも捨てて逃げ出したいけど、おじさんとはぐれたら恐竜の居る森の中で一人っきりだ。
大狼の声がいつの間にか聞こえなくなってだいぶ進んだころ、おじさんが止まった。
おじさんは振り返って何度か鼻を動かした後、背中から袋を降ろし、鉈を取り出すと、不意に上体を起こし、膝立ちになって鉈を何度か振り下ろす。
「え?何?どうしたの?」
ウチは亀のように毛皮に包まって葉っぱに触れない様にして尋ねる。
おじさんは答えず、ガサガサと倒れる笹モドキの茎を一箇所に退けて、少し開けた空間を作る。
「これを着けろ」
おじさんは一度地面に座り、足に着けていたスネ当てを外してウチに渡してきた。
それは何枚かの木の板を、足の形に合わせて紐でつなげた作りで、外側に灰色と黒の毛皮が縫い付けてある。
ただおじさんにはスネ当てでも、ウチには踝から膝の上までくるほど大きい。
「えー、こんなの着けるの?ってか大き過ぎるんだけど」
正直、自分のサイズに合わなすぎて歩き難そう。
今でもおじさんの後を追いかけるのが大変なのに、これ以上遅くなったらついて行けない。
「それにこの毛皮なに?暑苦しくない?」
何度も這ったり、屈んだりを繰り返したので、けっこう汗と土で泥だらけだ。
「その毛皮は蛇が嫌がる」
おじさんは背中から袋を降ろし、黒い塊からロープを外し始める。
「ヘビ!?この辺りに居るの?」
おじさんは答えず、袋にロープと鉈をしまい背負い直す。
最後に黒い塊を肩にのせる。
振り向いて、ウチがスネ当てを着けたのを確認すると、笹薮の中に入って行く。
「ちょっと!もう行くの?行くなら行くって声かけてよ」
ウチは笹モドキの葉っぱから突き出た背中を非難する。
「行くぞ」
背中は振り向きもしない。
「もう!」
ウチは慌てて白い毛皮を手に取り、雨具でも羽織る様に頭と体を庇うと、覚悟を決めて笹薮に突撃する。
「はぁ、はぁ」
ウチは発見した。
おじさんの作業着とベルトを握り、ついていけば引き離されることは無い。
背中を丸め腰を折り、白い毛皮を背中に乗せる様に被っているから獅子舞の後ろ脚みたいになっているけど、気にしないどうせ誰も見ない。
「はぁ、はぁ」
スネ当てのおかげなのか、ウチが一歩踏み出せば大きなバッタやらコオロギみたいな虫が跳びはねて逃げまどう。
けどウチはそれどころじゃない。目を凝らして薄暗い足元に蛇が出てこないか確認するのに忙しい。
スネ当ては最初歩きにくかったけど、足元の葉っぱを気にしなくていいし、意外と便利だ。
ただ軽くは無いので、じわじわと辛くなってくる。
「はぁ、はぁ、はぁ」
歩き始めてからウチとおじさんに会話は無い。
おじさんは元々自分からはほとんど喋らない。
ウチは荒い呼吸を繰り返すのが精いっぱいで、まともに喋れない。
吐く息にハッカみたいなスーっとした清涼感があるのは、おじさんに飲まされた苦い水のせいかも知れない。
おじさんは掴まって歩いても、気にもしないでグイグイ進んで行く。
だからウチは見失わない様にしっかりと掴む。
決して引っ張ってもらうためじゃない。決して。
「はぁ、はぁ、はぁ」
おじさんは笹モドキを切ったりせず、泳ぐ様に掻き分けて進む。
足場がない様な狭い場所は笹モドキを踏み倒して少し空間を作ってくれる。
たぶん、後ろのウチが歩きやすい様にしてくれているんだ。
たぶんね、たぶんだけどね。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
さっきまで這ってたから分からなかったけど、歩くおじさんはやたら早い、まず一歩が大きい、足運びが速い、そして迷いが無い。
おかげでウチはほとんど駆け足だ。
おじさん、道わかってるんだよね?迷子とか言わないよね?
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
羽織ってる白い毛皮は、投げ出したくなるほど重い。
けど、手の甲の傷を思えばそんな事はできない。
この重い毛皮に身を隠さなくちゃ、全身切り傷だらけで腫れ上がってしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
おじさんは歩き始めてから、一度も振り返らない。
すぐ後ろに、こんなに息が上がっている女性がいるのに、気にした素振りも無い。
歩調も緩めない。
ウチはおじさんのベルトにかけた手を握りなおす。
おじさんが引っ張るように進むから、痺れて感覚が無くなってきている。
何度も弱音を吐きそうになったけど、喉元で呑み込む。
黙々(もくもく)と進む後ろ姿が恨めしくて、必死に足を動かす。
ほんっとにおじさんは紳士じゃない!そんなんじゃ女にモテないんだぞ!
どのぐらい歩いたのか、もうわからなくなった頃、おじさんが立ち止まった。
ウチは荒く息を吐きながら獅子舞みたいに被っていた毛皮から頭を出す。
汗だくの顔を外の空気が撫でて冷やしてくれた。
そこに広がってた景色は、やっぱり森の中だった。
ただし笹モドキが、苔生した地面に変わっていた。
今までモヤモヤと頭上にあった霧が晴れて、木々のてっぺんから少しだけ光が漏れている。
でも、その光はかなり遠い。
原因は幹をくり抜くだけで家でも作れそうな巨大すぎる木がいくつも生えて空を覆っているからだ。
何本もの幹がねじれるように伸びた栗みたいな巨木。
幹が幾つも枝分かれして、手を広げるような形に生えたミズナラみたいな巨木。
たくさんのコブができて、複雑な形に育ったクスノキみたいな巨木。
そのどれもが地元の北海道じゃ見たことないような大きさで、太い幹が途中で何度も枝分かれして、それが複雑に交差してる
まるで周囲の巨木が握手をして、枝が空中に道を作っているみたいだ。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」
ウチは喋る事も出来ず、壮大な森の木々を見上げるようにその場に座り込む。
ちょっと、もう、何もしたく無い。
おじさんは肩から黒い塊を降ろして、背中の袋も地面に置く、紐を緩めて手を突っ込み、ウチの前に2リットルのペットボトルを置いた。
ラベルには、天然水、備蓄用保存水って書いてある。
見たことないメーカーのだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、飲んでいいの?」
「あぁ」
おじさんは短く答え、うちの横を通り過ぎる。
ウチもおじさんを追って振り返り、固まってしまう。
そこには巨大な膜のようなモノが見渡す限り広がっていた。
膜は穏やかな海の様にゆっくりとうねり、シャボン玉みたいに透明で虹色に輝いている。
膜は境界線のようにどこまでも一直線に続いて、膜の向こうは頭上に霧がかかり、笹モドキが生えている。
ウチが今居るこっちの巨木の森とは、はまるで違う森だ。
ウチが膜に気を取られてる間に、おじさんは近くの巨木に登り始める。
根の上を歩き、枝分かれした幹を進む。
コブを連続でけって幹を駆け上り、おじさんの背より太い枝につかまって、手の力だけで枝の上に上がる。
そこからは見えなくなったけど、あんなに体が大きいのにすごく軽快で、あっという間だった。
ウチも一緒に行きたかったけどあれは無理だ。猿かよ、頭イノシシなのにおかしいだろ。
ウチも田舎育ち、とっかかりが有れば木登りくらいお手のものだ。
けどあんな動きはできない。
なにより、今は足が痛くて一歩も動けない。
おじさんのバァカ!アァホ!こんな所に置いてくな!
ウチは声に出す元気が無いので心の中で毒づいて、ペットボトルの水をガブ飲みする。
ぬるい水だけど、体はよほど渇いていたのか、隅々まで沁みわたるのを感じた。
ペットボトルの半分も飲んだあたりで人心地ついた。
けど水を飲んだせいでどっと汗が吹き出す。ベタつく肌にウンザリしながら、残りの水で服や体の泥を落としたい衝動にかられる。
でもおじさんの分も残しとかないとだし、いつこの森を抜けられるかも分からない。
息が何とか整って足の痛みも少し和らいだ頃、おじさんが木の上から戻って来た。
手には、おじさんの頭くらい有りそうな木の実を抱えている。
おじさんはウチの前に置いてあったペットボトルを拾って袋にしまう。
半分以上飲んでしまったけど、特に気にした感じじゃない。
ウチは少しなんか言われるかもと思っていたのに心配のし過ぎだったみたいだ。
「もう毛皮はいらない」
そう言ってウチが敷物にしていた白い毛皮に手をかける。
ウチが立ち上がってよけると、おじさんは毛皮を手早く丸め、背中の袋に縛り付けて、それを背負う。
そして黒い塊をまたを肩に担いだ。
「いくぞ」
短く言って歩き始める。
ちなみにその間、ウチの方をチラリとも見ない。
「待って、おじさん。少しは説明して、ウチをほっとく位にはここは安全なんでしょ?」
おじさんは立ち止まり、ウチの方を振り向いた。
「何を?」
読んでいただき、ありがとうございます。