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揺れる薮

よろしくお願いします。

 あ、またれた。


 どこまでも続いていると思っていた笹薮ささやぶモドキの一部が揺れている。

 けっこう離れたところで、百メートルよりも遠いかも知れない。

 ただゆっくりと笹モドキが動く。

 風が通り抜けた?そう思いたかったけど、そうじゃない。

 もし風ならあの辺りのすべての笹モドキが揺れるはずだ。

 けど揺れている笹モドキは一箇所だけで、それがゆっくりとウチの方に近づいてくる。


 「誰かいるの?!」


 遠いのでやや大声になってしまった。

 そのせいで、また周囲の鳥達が羽ばたいた。

 でも笹モドキを揺らしていた相手にも届いたようで、揺れは少しの間止まった。


 けど、しばらくしてまた動き出す。


 体の温度が一気に下がっていく様な、いやな緊張を感じた。

 胸騒ぎが治まらない。

 ここは人が出入りするような道がないから普通の人は来ない。

 ならこんな深い森の中で出会う可能性があるのは、猟師りょうしか山菜取り。いや、もしくはウチをここに連れてきたヤツだ。


 もし猟師なら気配を抑えて静かに移動することもあると思う。

 でも声をかけたのに無視するなんてあるだろうか?獲物が近くにいたって、まず素人に注意するはずだ。


 山菜採りの人なら静かに移動なんてしないはずだ。

 むしろ、鈴やラジオを持ち歩く人が居るくらいだ。

 そうだ、ヒグマの可能性もある。


 ならあれはウチを拐ったヤツか、ヒグマ。


 最悪の予想にザワザワと鳥肌が立つ。

 拐ったヤツが戻ってきたのならまだいい。

 いや、良くは無いけど、戻ってくるって事はすぐには殺さないはず。

 だってほっといてもここなら野垂れ死ぬんだから。


 けど、ヒグマはヤバい。


 ヒグマに襲われたと言っていた、用務員の『おじさん』を思い出す。

 『おじさん』は奇跡的にヒグマを倒したらしいけど、左手と左足を食べられた。


 うーんっと、『おじさん』はヒグマに襲われた時どうしたって言ってたっけ!?

 思い出せぇ、思い出せぇ。

 ウチは目を閉じて意識を集中する。


 そうだ、あれは『おじさん』に何で義肢ぎしなの?って聞いた時だ・・・・・・。



 ハッと目を見開く、つい余計な事まで思い出してしまった。

 幸い、笹モドキの揺れはまだ五十メートルぐらいの距離がある。

 たぶん時間的には数秒だったんだろう。


 半分も距離を詰められてしまったけど、意味はあった。

 『おじさん』が言ってた事を思い出せたからだ。


 「クマは匂いを感じる嗅覚きゅうかくが発達しているから、はなに多くの神経が集中している。だから、攻撃するなら鼻だ」


 そうだ。

 「捕食動物は最初に突進してくる」とも言っていた。

 まずはそれをけなきゃだ。


 ウチはカバンに手を突っ込んで、片手に収まるサイズのスプレー缶を取り出す。

 それは前に襲われた時、抵抗できなかったから買った痴漢撃退用のスプレーだ。


 その間に、笹モドキの揺れは十数メートルの距離まで近づいていた。

 こんなに近いのに、笹モドキの葉がこすれる音がしないって事は人じゃないな。


 緊張で血の気が引いて冷たくなった手をグッグッと何度かにぎり、指先の感覚を取り戻す。

 やぶから視線をらさずにスプレー缶のフタを外し、ノズルを軽く押して、出るのを音で確かめる。


 自分でも体が震えているのが分かる。

 正直、なりふり構わず走って逃げ出したい。

 でもここに逃げ場なんて無い。

 戦うしかないんだ。


 笹の草が音を立てずにひっそりと揺れ、そして止まる。

 距離にして十メートルくらい。


 薮の中は暗くて今だにヒグマの姿は見えない。

 ヒグマはウチの気がそれるのを待っているのか、そこから動こうとしない。


 辺りは静まりかえり、鳥の声すら聞こえない。

 まぁ、それはウチが大声出した・・・。


 突然、背筋に冷たいモノを押し付けられたような悪寒が走る。

 ウチは弾かれた様に横に跳ぶ。


 ザザザッ!


 草の波打つ音と共に、黒いけものが薮から跳び出す。

 前脚を広げ爪を突き出し、牙を剥き出した、おおかみ!?

 

 ウチの姿勢が低かったので、黒い狼は空を切ってウチの上を飛び越える。

 ウチは前転の要領ようりょうで転がりながら立ち上がり、振り向きざまに片手でカバンを大振りする。


 黒い狼は振り返りながら、頭を軽く引くだけでカバンをかわす。

 ってかこの狼デカすぎだろ、四足で立って頭がウチの胸辺りに来るっておかしいだろ!


 「えぇい、ままよ!」


 ウチはカバンを振り払うようにもう一度振り回す。

 ところが突然、両足首が引っ張られ、バンザイの格好で胸から地面に激突する。

 イタッ!ヤバ!

 狼の息で、ウチの頭の上に狼の口があるのが分かった。

 ウチはその少し上めがけて、ずっと握りしめていたスプレーを吹きかける。


 足首を締め付ける感覚が突然なくなり、ウチは慌てて立ち上がる。


 黒い狼は、犬がクシャミでもするように、頭を振りながらグゥンッグゥンッと鼻から息を吹き出して後退る。


 効いてる!追い払うなら今しかない。


 「さっさとどっか行って!じゃないともっと痛い目見るよ!!」


 ウチはカバンを持ったまま両腕を広げる様にかかげ、自分を少しでも大きく見せながら、大声で威嚇いかくする。


 前脚で何度も顔の前を擦る姿は、ともすれば愛嬌あいきょうすら感じたかもしれない。

 でもそれは犬のサイズならの話、今は恐怖しか感じない。


 その黒い狼は、いや黒大狼くろおおかみは、全身が真黒い毛に覆われ、目は深い緑色。

 頭の形は狼みたいだけど、体はライオンか何かみたいに筋肉質、口を閉じてても牙が飛び出し、大きな足には鋭い爪がある。


 「シッシッ!ほらっ!あっち行け!」


 ウチは内心ヒヤヒヤしながら、黒大狼を威嚇する。

 前脚の爪が届かない距離を意識しながらも、体を大きく動かして自分は強いんだと示す。


 それに気圧けおされたのか黒い獣は薮の方へ、どんどん後退る。

 よし、何とか追い返せそうだ。

 そう思った瞬間、視線の端、ウチの真横の笹薮ささやぶが激しく揺れる。


 ザザザザザッ


 え!?


 振り返る暇すらなかった。

 ウチは横から白い獣に飛びつかれ、肩から地面にぶつかる。

 その衝撃でスプレー缶を放してしまった。


 横からウチを押し倒したのは、白い狼の様な獣だ。

 その白い狼は、ウチの頭めがけて飛び掛かり、掲げていたカバンに噛みつくと、そのままの勢いでウチを倒した。

 そして、ウチから奪ったカバンを咥えて、馬乗りに覆いかぶさり、見せびらかす様に頭を振ってカバンを遠くへ投げる。

 さらに片方の前脚をウチの胸の真ん中辺りに乗せると、ゆっくりと体重をかけて来た。


 ミシッミシッっとどこかの骨が悲鳴をあげる。

 胸を押されて肺が圧迫され、空気が欲しいのに、口をパクパクと動かす事しか出来ない。

 朦朧もうろうとする意識の中で、狼の青い目が印象に残った。


 意識が途切れる直前、ズンッという大きな音共に急に体が軽くなる。


 ハーッ、ハァッハァッハァッハァッ!


 ウチの体がひたすらに空気を取り込む。

 しばらくそうしていると、やっと思考が戻って来た。


 ウチを踏みつけていた白い狼を探すと、ウチのすぐ横に倒れていた。

読んで頂きありがとうございました。

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