8話 婿取り(偽)
イルティムに早馬が着いたのは、それから約三日後のこと。
表向きはアレクシアの名で『塩を送って欲しい』との旨と経緯の説明に、父母のみならず、当人ですら絶句してしまう。
「あいつは、あ、あっちで何をやっているんですの……っ」
秘密裏に届けられた手紙には、プリシア本人から、双子塔を攻めることになった内容と謝罪が綴られていた。
「グラド王は、どうして承認なされたのか……」
「そりゃあ元から、双子塔を攻め落とすのが目的でしたもの……。でも、そちらの娘はなかなか大胆な決断をしましたわね。バルトロの兄弟に箔をつけさせるなんて、マダンの二本柱になりますわ」
塔を落としたあとは、城に入った老練のクラウスト家の下に就かせる。
これは父の指示だなと、騒動に便乗する抜け目無さに感心していた。
「アレクシア殿。娘がしゃしゃり出たことを、お許し願いたい……」
「いいえ、私も攻めるつもりでしたので、代わりに手を下してくれて助かりましたわ。ただ、双子塔の姫君を功労者の慰み者にするつもりでしたが、あのナメクジでは出来そうにないのが懸念です」
ですが、とアレクシアは父母を見やった。
「婿取りの件、塩を送ると同時に決めた方がよろしくてよ。計画は少々狂ったものの、逆に大きく動かしやすくなりましたので」
「そ、それは……ううむ……」
「まぁ見合いだけでもいいですわ。その気にさせてからポイ、怒ったらちょいと戦争をふっかける。彼は王座争いに敗れ、辺境地に追いやられた身――奴の支持派が立場を明確にすれば、トーラス内で対立が深まるというもの」
おっほっほ、と高笑いする娘に、父母はただただ呆然と眺めるだけであった。
◇
要請に応じ、イルティムから塩が届けられた。
その量は何と要請の倍。プリシアの行動に対しての詫びと推定される。
「アレクシア様、ご気分が優れないので」
親衛隊ことハーレムの男が言う。
相変わらず、男たちに囲われていると落ち着かない。
戦が始まったことで、プリシアはマダンの軍服を模した黒いドレスに身を包み、腰には細身の剣を携えられていた。
「いえ、戦争をすれば人が死ぬので」
「なんと、アレクシア様らしくない」
プリシアは「あっ」と、そしてすぐに取り繕った。
「何を言います。私はただ、オモチャが欲しいの」
「おお、そうでしたか! なるほど、確かに死体を殴っても面白くはない」
「え、ええ」
夜明け前より戦争の開始を告げられ、それから約三時間が過ぎようとしている。
空は明るい。どのような一日になるか、楽しみにしていた者たちの今日、明日、それからを奪うことになるのだ。
そっと立ち上がったプリシアは、胸の中で神に詫び、そして両軍の死傷者の数が増えぬよう祈った。
――双子塔、陥落
その報が舞い込んだのは、昼前のこと。
城で果報を待っていた者たちは大歓声をあげ、将として初陣を飾った二人の息子を持つ、バルトロ家の者はその場で喜びに泣き泣いた。
兄がマダン側の塔を急襲。弟が対岸からの増援を抑えるべく、橋の上にて奮戦。塔から煙が上がったことで、トーラス側の跳ね橋が上げられたという。
続けてまた、息を切らせた兵士が駆け込んでくる。
「――伝令、伝令ーッ! 塔に、敵将マルスの妻・カミラを発見ッ! 子を身ごもっているとのことッ!」
これを聞いた瞬間、全員が湧いた。
兄弟が守る塔の内、今は弟だけを討っただけ。身重の妻を人質に取られれば、その残る兄も不利な条件を呑まざるを得なくなる。つまりこの報せによって、マダン国の勝利がほぼ確実となったのだ。
尊厳を穢されぬ前に。喜びに狂う中で、プリシアは考えるよりも先に、静かに言葉を発していた。
「その方を、こちらの城に」
アレクシアなら、みなが期待する表情を浮かべ頷いた。
『アレクシア様は変わられた。これまでが嘘のようだ』
『いよいよ女王となる覚悟を決められたのだろう。聡明で大胆、そして懸念していた気品が備われ、敵なしの状態。これでマダンは安泰であるな』
『あとは世継ぎの問題か。候補は既に挙げられているのだろうか』
噂ではイルティムの、とささやかれているが、無論プリシアには知る由もない――。
その身重の捕虜がやってきたのは翌日のこと。
極力、怖がらせないように命じていたが、アレクシアの悪名によるものか、顔を見るなら引き出された彼女は震えだした。
「カミラ様、決して悪いようにはしないと誓います。お腹の子のためにも、どうか落ち着いてください」
「どうか、どうかこの子だけは……」
「もちろんです。その方法を探りたく、お話を伺いたいのです」
出産が近い大きな腹を抱えながら、ゆっくりとした動作で椅子に腰かける。
召し物は埃と泥で汚れ、美しい茶色の髪もボサボサになってしまっている。
プリシアはそれを前に、胸を痛めた。
(平和が一番ですね。武はその抑止のためにあり、揮うものではない)
みながそうであれば、と息を吐く。
「貴女をトーラス側の塔へ返したい。しかしこれには、貴女の夫・マルス様が条件を飲む必要があります」
「……夫は応じられません」
「どうしてです。そうしなければ――」
「無理なのです……っ! マルス様はもう、この世にいないのです……っ」
クラインは二か月前、病を患い他界したらしい。
マダン側の塔を守っていた弟は討ち死にし、トーラス側を守っていた兄がもういないとなれば、双子塔はもはやハリボテではないか。
思わぬ事実を前に、場は騒然となった。
「今、城を守るのは?」
「まだ十三歳となったばかりの、義甥・ジョアン様が……。増援の要請に応じられたはずのに、一向に送られぬまま……」
プリシアは憂慮した。
後見人を喪い、叔母をしかも後継者となる子まで敵に渡ってしまう。世知に疎いプリシアであっても、家は断絶されることは間違いなく、このカミラまでも苦渋を舐めてしまうことは察せられた。
なにより……いきなり当主に据えられ、家を最期を突きつけられる汚名をかぶせられるジョアンと言う子が不憫でならない。どれだけ世間の奔流に飲まれ、揉まれることになるのか――。
黙り込む〈アレクシア〉の姿に、カミラは固唾を呑んだ。
「よし」
顔をあげ、カミラに目を合わせた。
「カミラ様、ジョアン様に一筆したためてもらえませんか」
「な、なんと?」
「『マダン国のアレクシアと偽婚し、和睦せよ』と――。そうすればクライン家は、マダンとトーラスの両国から手出しはされなくなります。カミラ様はその間にイルティムへと渡り、そこで次なる双子塔の主君を育ててください」
イルティムは戦火が遠いですので、とほほ笑むと、カミラは涙を流し謝辞を述べた。「何と言う慈悲深い措置……っ」
偽婚の期間は、彼女が子を産むまで。それからは、自身がジョアンの妻となって家を守るつもりだと思いを告げた。
この驚くべき報せは、瞬く間にマダン国に広がった。
グラン王も『偽婚ならまあ』と、消耗の少ない決着方法に納得させたものの、
――そのまま、妻になっても構いませんぞ
と、この機に娘を落ち着かせたい意図を遠回しに告げた。
これにはプリシアも、「本人の承諾がなければ」と苦笑を浮かべ、複雑な顔をするしかなかった。
『アレクシア様が、国のため自身を犠牲にされた』
『敵の将はまだ幼いからだそうだ。なんと慈悲深い……』
『想い人がいたのでは……まさか、諦めなさるのか』
幼将・ジョアンがやってきたのは、そのような噂が飛び交い始めた四日後の昼のことだった。あまりに早い到着にプリシアは、彼らに選択の余地が残されていないことが窺い知れた。
顔合わせをしたのは、アレクシアの屋敷の中で。ジョアンは青い軍服のような姿をしており、その表情はとても堅く、不安が滲んでいた。
「緊張しなくていいですよ」
プリシアが呼びかけるも、ジョアンは恐縮するばかり。
年は十三歳と聞いていたが、顔の輪郭は丸く柔らかで、頬もふっくらとしている。年よりも幼く感じさせる。
偽りの結婚でも夫となるのだ。男との接し方が分からないプリシアであるが、ここは自ら、手を引っ張ってやらねばならない。それに親衛隊の面々に比べれば、ジョアンは小動物のように可愛らしい、と自分に言い聞かせる。
(そうです、子犬や仔馬を愛でるようにしてあげればいいのです)
緊張するジョアンの手を取り、そのままソファーに導いてやる。
そして先に、プリシアがすとんと少し固めのそこに腰を下ろした。
「――ほら、おいで」
緊張するジョアンを持ち上げ、膝の上に置いた。
思ったほど軽かったのは、〈アレクシア〉の力によるものか。
プリシアは優しく、そっと小さな身体を包んでやった。
「あ、あの……」
「うふふ。いいこいいこ」
そして頭を撫でる。
「う……」
「もう大丈夫ですよ。カミラ様もイルティムに向かいましたし、これで誰もクライン家に誰も手出しできなくなりましたから。安心して身を寄せて下さい」
ジョアンが身を震えさせたのを感じ、プリシアはしまったと思った。
紛いにも彼は当主なのだし、これでは子供扱いが過ぎる。
そう思ったものの――
「う、うぅ……ひぐ……」
「あ、あら……よほど我慢してらしたのね」
ジョアンは突然、嗚咽を漏らし、泣きじゃくり始めたのである。
それはまさに母に甘える幼子。これまで必死に抑えてきたことが窺え、憐れむプリシアは優しくその胸に受け止めてやった。
(このようなことが起こらぬよう、私もしっかりしなければなりません)
目に強い意志を宿し、窓から外を眺めた。
父母に子は己のみ。幼少から身体が弱く、周囲から『もう一子』と説得されたものの、王位継承の際に揉めかねないと言って、応じなかった。
ゆくゆくは女王となるのである。父母の決断に報いるには、いつまでも、しんどい、辛い、などの理由で床に臥せ続けてはいられない。
プリシアが決意を新たに、幼子をぎゅっと抱きしめた。
部屋にノックの音がし、カミラを届けた兵から報告を受けたのは、ジョアンと並んでパイを食べていたときのこと。
『めでたごとが続きますな』
と、イルティムの近況を口にした。
――イルティムのプリシア様が、トーラスのシュナウザー・リン・フレイと見合いをする
それはいいことです、と他人事に応じた直後。
身に覚えのない当人は、あれ、と笑顔のまま固まってしまうことになる。




