7話 盛大な勘違い
戻す方法が見つからぬまま、季節は秋を迎えようとしていた。
アレクシアは『腹を下すのも一つの修行』と遊泳場に通い続け、今では人並みの“娘”の身体に。毎日、精力的に動き回った。
「川の水を利用した便所っていいですわね。豪快にひり出しても、せせらぎがかき消してくれますし」
「娘の口で言うのは止めてくださいまし……」
この日のアレクシアは、プリシアの母の求めに応じ、女王の間を訪ねていた。
用向きは不明であるが、おおよそ先日、ドレスを誂えさせたことだろう。
「臣下たちから、多くの賄を受け取ったそうですね」
「ああ、そっちですの。そうですわね……ドレスに合う飾りは、たくさんありましたわ」
「マダン国では当たり前かもしれませんが、我々はそのような競争をしてこなかったのです。あまり調和を乱さないで頂きたい」
調和、とアレクシアは鼻で笑った。
「それは本当に、和ですの?」
「どう言う意味です」
近くのソファーにどっかりと座ると、ふうと至福の息を吐いた。
「こうして安寧に浸っていても、誰しもどこかで飽きがくるということですわ」
「……何者かが、よからぬ企てをしていると?」
「忠誠心が薄れた者は、城に対する“意識”も薄れてしまう。南部のマイルズ家でしたっけ、そこだけ、イミテーション紛いの安物を寄こしましたわ。しかも、姫様が所望していると言うのに、持ってきたのは職人のおっさんのみ――他はご子息やらが一緒でしたわよ」
母は、ぐっと言葉を呑んだ。
「一度、調べてはいかが?」
「……分かりました。しかしあまり娘の身体でおかしなことは」
「現状に飽きぬ内は大人しくしていますわ」
「何か、欲しいと?」
アレクシアはふっと微笑んだ。
「私は別に。しかしこの娘には、男を与えたほうがよろしいのでは?」
「な゛ッ!?」
「そろそろ嫡男を、しかし脆弱な身体はリスクが高い。王に頑張ってもらうにも、妾を用意しなければならない――ですが、私がこの身体を鍛えてやった今、話は変わってくる」
母はしばらく逡巡し。
やがて引き出しからそっと、小さな画板の山を取りだした。
「娘とこのような会話をする日が来ようとは――娘に相応しいのは、いえ、その身体はどのようなのが好みだと」
「イケメン。筋骨隆々な逞しい男には目がゆきますわね」
「それは、アレクシア様の好みではありませんの……?」
「おっほっほっほっ! 今の私は〈プリシア〉でございますゆえに。まぁ婿とはゆかずとも、近衛の一つや二つ、置いた方がよろしくてよ。オスへの免疫を持たぬ女は、ロクでもないのにコロッといきましてよ」
「……一理ありますね。女は政治の道具、しかし男を知らねば家を滅ぼすことにもなりますし」
母が取りだしたのは、娘の見合い用と描かせていた各家の子息の画であった。
アレクシアはそれを一枚一枚、誰がどこの家かと聞きながら、入念にチェックをしてゆく――。
「イケメン優男ばかりですわね。どちらかと言うと、このふわふわナメクジには逞しい武骨者の方がよろしいでしょうに」
「それはどうしてです?」
「内助の功なタイプですもの。ゆくゆくは女王であれば、足りぬものを互いに持ち合う方がいい。武に長け、それでいて扱いやすく落ち着いた男――まさに犬のような」
「まるでどこか、アテがあるような言い方ですね」
「アテがあるわけではないですわ。ただ一つ、この国にも、この娘にも都合のいい存在に、思い当たるものがありまして」
それは、と母はアレクシアを見た。
王族は一面のみに生きるものではない。あらゆる視点から物事を眺め、可能性を探り、時には非情な選択をせねばならない。
アレクシアは、自分の考えはその候補の一つだと確信し、薄く笑みを浮かべた。
「ちょうどこの北の山からイルティムを監視する、フラウ家の当主――トーラス国の大公家、長男・シュナウザーですわ」
◇
プリシアはその頃、屋敷ではなくマダン国・王の居城へと赴いていた。
用件は、城に保管された国の資料とそれぞれ臣下の情報が欲しい。最初は訝しんだグラド王も、プリシアならよからぬことを考えぬであろう、と望むものを提供した。
「う、うーん……」
「先ほどから如何いたした。ずっと思案しているが」
「バルダス家とホートゥン家なのですが」
「うむ? 両家はうちに古くから仕えているが」
「昨年、アレクシア様が命じられた道の開通工事が原因で、両手の財政をかなり逼迫させてしまっているようです。何らかの形……税を多く納められているので、返還という形などで援助を行うべきでがないかと」
グラド王は顎を引いて聞いていた。
プリシアが部屋に籠もって算盤を弾いていたようだが、まさか他国の、他所の家のために救済手段を探っていたと言うのか。
視線に気付いたのか、プリシアは申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「すみません、差し出がましいと思ったのですが」
「いや、なんの。その者たちのことは把握しておりましたが、それ以外も同じように苦しく、馴染みというだけで援助をすれば不満を抱かれませんからな。なるほど、過払いの返還なら筋が通る」
そうしようと頷く王に、プリシアはことのついでと口を開く。
そして三日後。城に現れたマダン国を支える主筋の当主が五名、錚々たる顔ぶれに、会議室は張り詰めた空気に包まれていた。
テーブルには、マダン国を中心に置いた大きな地図があり、馬、鳥、盾など……それぞれの家のシンボルとなる駒が置かれてある。
みな何ごとかと不安そうに。しかしお家断絶だけはないだろう、と確信めいた様子だ。
そこにグラド王に、続いてプリシアこと〈アレクシア〉が部屋に入ると、全員が一斉に立ち上がり。胸に拳をやり、敬礼をおこなった。
「突然のお呼び出し、申し訳ありません。皆さまより承諾をいただきたいことがあり、集まって頂きました」
王ではなく〈アレクシア〉が口火となる挨拶を。
これまで見たこともない姿だと言わんばかりに、全員が息を呑んだ。
プリシアが提案したそれは、グラド王を仰天させ、また王のみの判断では決めかねるものであった――。
「領地替えを提案したいのです。一部の方は今と比べて小さくなりますが、決して他意はないと先に述べておきます」
部屋がざわめき、それぞれ顔を見合わせた。
先に聞いていた王は無言で、レーキと呼ばれる“かき棒”を操って、三つのシンボルを動かしてゆく。
北へ南へ。それぞれの移動距離は少ないが、当主の者たちは明らかに異様な表情を浮かべた。しかし勅令でもあるので、意を唱えようとはいない。
すべてを動かし終えたのち、王はプリシアに目配せをして次の言葉を促した。
「――まずトレント家は小麦の収穫量が、ここ数年で秀でた数字を納めています。そしてラストー家は土地面積に対し、資金難から開田が思わしくない」
ラストー家の代表は、居心地悪そうに顔を伏せた。
「しかし、人材はとても優秀です。トレント家の努力によって発展させた土地を、さらに高められるとしてのこと。また人を育てられる土壌でもあります」
どちらも功績を評価してのことに、双方がほっとした表情で息を吐いた。
それを見たプリシアは、次にと言葉を述べた。
「そして、バルトロ家は良馬が多い。クラウスト家の高原地帯では更に育てやすくなるでしょう。そして――」
クラウスト家の代表に目を向けた。
全員が息を呑む。この家のシンボル、盾だけが動いていないのだ。
王はレーキを使って、すっと城に寄せた。
「城に入り、政の支えとなって頂けないでしょうか」
「な、なんと……なんと……」
初老とも言えるクラウスト家の代表は、驚きに震え、両隣の者が讃えるように肩を叩く。
これにてプリシアは初めての会議を終わりとなり、小さく息を吐いた。
「以上だ。これからのことについて――」
グラド王が領地替えにあたって説明をしている横で、プリシアは先ほどから気になっていたレーキに目をやった。
――面白そう
誰も見ていないだろう、とそれを手に取った。
(お行儀悪いですが、ちょっとぐらい動かしてもいいですよね)
レーキを使って地図に置かれた馬のシンボルを寄せる。
そして後ろのシンボルを並べた棚から、塔と馬のシンボルを一つずつ。
こっそりしたつもりだが、全員が目で追っていることに気づいていない。プリシアはそれを手に取ると、塔の前に二頭の馬を並べ置いた。
(ウォレス作の〈二頭の若馬〉の絵って、確かこんな感じだったかしら。あの秋空の下、塔を背景に野馬が駆けている躍動感は何度見ても飽きません)
イルティムの城を懐かしみながら、お人形遊びをするプリシア。
その様子に、参列者のみならず王までも愕然となった。
「そ、それは……?」
王が訊ねる。
「あ、これは〈二頭の若馬〉と言う――」
馬のシンボルを持つバルトロ家の代表が立ち上がり、追うように他の者たちも立ち上がる。
「バルトロの二頭の若馬と言えば、ご子息の……」
「そしてその塔は、もしや……トーレスの双子塔……」
まさか、と全員が地図に目を向けた。
北に位置する強国・トーレス。マダン国が攻め入るには、国を分かつ大きな川を越えねばならない。それには両岸に建てられた〈双子塔〉と呼ばれる砦を落とし、跳ね橋を下ろさねばならなかった。
イルティム国より塩の援助を受けるのは、ここを攻めたい意志があってのこと。いよいよその具体的な内容が告げられたと、みなは思っているのだが――
(か、絵画のシーンをやってみただけなのですが、やはり場を弁えるべきでしたでしょうか……)
プリシアには何のことか分かっていない。
「馬を育てるは、兵馬を揃える……」
「人材、小麦の増産は、つまりこの戦争に備えて……」
「……え?」
違う、と言おうとした矢先。バルトロ家の者が「アレクシア様ッ」と揮い立たせる声に阻まれてしまう。
「そ、その大役を我が子に……何たる光栄ッ! 我らバルトロ、マダンの意地と名誉にかけ、必ずや双子塔を墜としてみせましょうぞッ」
「え、えぇっと……」
グラド王に助けを求めるも、『もう無理だ』と首を振られただけ。
「我らに勝利を!」
「マダンに勝利を!」
「グラド王に! アレクシア様に勝利を!」
まさかここまで好戦的とは。
いや、それよりもまさか戦争とは。
(ど、どうしましょう……とんでもない状況になってしまいました……)
プリシアの背に、ひやりと冷たいものが落ちてゆく。




