3話 入れ替わっちゃった!?
城の中。アレクシアは壁に手をつき、大きなため息を吐いた。
――行動を慎めと言っただろうッ
言う通りにしたのに、どうして父に怒られねばならないのか。
――プリシアをコキ使い、金貨二十枚は下らない高級酒まで強要した。
――プリシアの薬を奪った。通常の倍はするであろう優良な塩だ。
向こうが勝手にやった、と言っても聞く耳を持たない。
むしろあの挨拶は何だと、今ごろ言われる始末だ。
(そりゃあ、塩の確保が大事だって分かりますが)
必要ならばこの国を攻めてはと思っていたが、無理だ。
この国の川が天然の要塞を築き、マダンが攻め入るには倍の兵力が必要となる。
何より塩が不足しているのに、それを消耗するなど愚の骨頂。
――やはり、噂は誇張されて伝わっていたのですね
――アレクシア様が悪女なんて噂、この国では決して言わせませんので
猫被っていただけだ。
これからホンモノを見せてやろうか、と思うアレクシアなのだが、あれから父に睨まれ続けては難しい。会食で鬱憤を晴らそうと、飲みすぎてしまった。
そして今、休憩にて用を足しに出たのだが、
(広いですわね)
窓の外はすっかり暗く、燭台の灯りだけではどの廊下も同じに見える。
迷ってしまった。
早く戻らねばまた父に叱られてしまう。確かこっちだと廊下を蹴り、曲がり角を折れようとしたその瞬間――
「あがッ!?」「あうッ!?」
目に火花が散った。
曲がり角に誰かがいて、頭をぶつけ合った。
それはすぐに理解できた。
『プリシア様――ッ!?』
まさかぶつかった相手は……?
けれど、あまりの痛さに目に涙が浮かび、言葉が出ない。
まともに入ったようだ。
『か、角でぶつかってしまったのです……』
『白々し――いや、ここは先にお部屋へっ! 誰かッ、誰かッ!』
物々しい声に、メイドや使用人たちが集まってくるのが分かる。
恰幅のいいメイドに肩を抱えられながら、廊下を歩く。
(脳天に入ったわけでもないのに、お、思ったより石頭ですわね……)
身体がとんでもなく重い。飲み過ぎ、その酒が回ったのもあるのだろう。
足がふらつき、メイドに運ばれていると言った方が近い。
「さあ、部屋に着きました。医者を呼んで参りますので、安静に――」
「え、ええ……」
そこは真っ暗な部屋だった。
やっと顔を上げる余裕が出てきたが、世界がまだ揺れている。
(客間、にしては立派ですわね。派手さはないですが調度品も一等級のようですし、このベッドもふかふか……我々のために用意されたにしても、これでは国賓ですわ)
今さらながら父の言葉を理解しつつあった。
運んでいる際も、恰幅のいいメイドはしきりに『小娘が、よくもお嬢様を』と悪態づいた。よくも本人の前でと思うのだが、父に叱られたこともすべて、己の素行に原因があるからだ。
――これでは塩どころか、国交までも危うい
イルティム国は川に守られた天然要塞なのだが、唯一、川のない北の山岳地帯が弱点なのだ。しかもそこに陣取るは、強国・トーラスである。
一方、マダン国はトーラスと一戦を交えるつもりでいる。
しかしそれには、塩不足の問題を解決せねばならない。
つまるところ、イルティムとマダンは利害が一致していた。
安定した塩の供給を受ける代わりに軍事面でサポートする条約を結ぶ、というのが今回の会談の目的なのだ。
(困りましたわ)
自身がそれをぶち壊し、敵に回しかねない状態だ。
ため息を吐いたその時、はらりと金色の髪が頬に触れた。
「え?」
アレクシアは慌てて振り返ったが、そこには誰もいない。
だけど髪は未だに頬に触れ続けている。まさかと思って軽く引っ張ってみれば、頭皮がくっくっと引かれる感触がした。
「え、え、え……?」
束ね髪を手に確かめてみれば、それは確かに自分の毛のようだ。
おかしい。私の髪は、お婆さま譲りの燃えるような赤髪のはず。これではまるで――。
アレクシアは部屋をぐるりと見渡すと、
「――医者を連れて参りましたッ」
先ほどの恰幅のいいメイドが、老人を連れて現れた。
腕を引きずられてきたらしく、入り口で倒れたまま肩で息を続けている。
どこかで見た覚えがする光景だった。
「あ、あの、それよりも鏡はありますの?」
「鏡……? い、いえ、大丈夫でございますよ。お顔には傷は――」
「いいから鏡をっ」
強い言葉を発すると頭が揺れる。
普段目に入らぬようにしているのか、メイドは動揺を露わにしながら、キャビネットの引き出しから丸い手鏡を取り上げる。
鮮やかで、それでいて品のある彫金がされたものだ。
月明かりに輝く青白い鏡面を、そっと覗き込めば――それに相応しい、美しい顔の女が映し出されたではないか。
「や、やはり……ッ!? い、いえ、そんなどうして……!?」
「お、落ち着いてッ! あの小娘に喰らった箇所は、赤くなっているだけでお顔には残りませんから――」
「ち、違うッ! そうじゃありませんのッ!」
何度見ても、どのように角度を変えても。
鏡には〈アレクシア〉ではなく――美しい女・プリシアの顔が映る。
まさか、いったいどうして。
(そう言えば昔、おばあさまが……)
――頭を打ったら、その者と入れ替わることがあるんだよ
アレクシアは、ハッとなった。
「まさか、さっきの……!」
自分の身体はどこにある?
にわかに信じがたいが。ベッドから起き上がろうとするも、強い目眩がして「うっ」と頭を抑えながら、再び腰を落としてしまう。
「プリシア様ッ!? ジジイッ、早く診るんだよッ!」
「ち、違いますわ。これは頭を打ったからではなく、本人の……」
タイミングを計って、身体に力を込める。
重い。……いや、力が入らない。
何とか立ち上がるも、まるで熱に浮かされた時のように、身体がふらつく。
(こ、こんな身体で、外に出てたって言うんですの……)
他のメイドや使用人たちも、「プリシア様ッ」と駆け寄ろうとする。
アレクシアは手を突き出し、抑止させて、そのまま歩を前に進めた。
壁に手をつきながら、息も絶え絶えに。顔に脂汗を浮かび、世界が揺れ、足はとんでもなく遅い。
――ナメクジみたいな身体
頭を打ったせいで悪夢を見ているなら、今すぐ覚めろと願う。
しかし、その願いは叶わなかった。
会食をしていたホールに辿り着くと、そこでも信じられない光景が広がっていた。
「アレクシアッ! 今日と言う今日は――ッ!」
「ち、違いますっ!? ご、誤解です、私はアレクシア様ではございませんっ!?」
「この期に及んでなおふざけるかッ!」
見たこともない父の形相に、自分が、ティンバー王の後ろに隠れ。
鳥が懐に飛び込まれたティンバー王は「まあまあ」と父を宥め。
これまで敵味方関係無く談笑していた配下も、互いに剣を抜き合っている。
「プリシアッ!」
姿を認めた王妃の叫びに、場は一瞬、緊張が緩んだ。
アレクシアは、自身〈アレクシア〉を認め。
プリシアは、自身〈プリシア〉を認め。
どちらも「あああッ!」と声を放った。やはり入れ替わっていると理解したのだ。
(こ、こうなれば……)
戻る方法は分からないが、思いつくのは一つだけ。
残る力を振り絞り、自身〈アレクシア〉の下へ向かうと、
「ま、まさか、どうして、いえやはり……」
自分にすがられることに奇妙に感じながら、アレクシアはその頭を、両手で、しっかり掴むと、
「え――?」
「私の身体を返しなさい――ッ!」
大きく頭を振りかぶった。
ガツンッ――強烈な火花が散った。
「ん゛み゛ぃ゛~~~……ッ!?」
「ぬ゛、ぐぅぅッ、い、石頭あぁぁ……」
額を抑え、蹲るアレクシア。
額を抑え、よろけるプリシア。
それは握っていた剣を落とす者が出るほど、凄絶な空気であった。




