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1話 それぞれの王女

 緑一面の庭を、一頭の黒馬が疾駆する。

 金色の手綱を巧みに繰るのは、赤い乗馬服の女――右手に模造刀を握り、大地の打音を奏でながら正面に並べ置かれた、剣術訓練用の木人に向かってゆく。


「そぉりゃぁぁぁぁ――ッ」


 女は振り上げた模造刀を打ちつけた。

 右に、左に、一本、二本……。木人には服が着せられており、鈍色の刃が振られるたび無残に裂かれてゆく。駆け抜けてから屋敷を仰いでみれば、窓辺には絶望めいた表情で立ちすくむメイドの姿が。木人に着せたのは、彼女らの服なのだ。


(ふふふ、後でこの服で仕事させてやりますわ)


 赤髪をハーフアップにした、鋭い目つき。女はその光景に愉快げに笑んだ。

 もっと見窄らしくしてやろう、と手綱を持ち上げたその時――屋敷から慌てて飛び出してくる、視界の端に紫のローブを着た老人の姿を捉えた。


「――アレクシア様、グラド王がおいでになられてます」


 アレクシアと呼ばれた女は、肩で息をする老人に馬を寄せ、じろりと見下ろす。


「私は乗馬を楽しんでいますの」

「い、急ぎの用とのこと……」

「そう。気が向いたら行きますわ」


 転身し、馬を馳せようと手綱を持ち上げた。


「いえ、今すぐに……っ、恐らくは隣国・イルティムとの会談の件で……っ」


 馬がぴたりと止まる。

 イルティムとの会談。

 それを聞いて、アレクシアは顔を明るくした。


「それを早く言いなさいな。――ジャン。この子を頼みますわ」


 ジャンと呼ばれた老人は唖然と。

 それを置いて、娘は軽やかな足取りで屋敷に消えてゆく。


 アレクシアは体裁など構わず、廊下に手袋などを放り投げ、使用人が用意した飲みものを傾けながら歩いていた。

 向かうは屋敷の奥にある応接間。――その途中、床を拭いていたメイドを認めると、横に置かれたバケツを蹴っ飛ばした。

 水浸しになった床にメイドは愕然と。そして何かを言いたげにアレクシアを見るも、「なに?」と、ひと睨みされれば、慌てて濡れ床を拭き直し始める。


「おーっほっほっほっ! 給金はたっぷり払ってあるのですから、その分しっかりと働かないとクビですわよ」


 顔を伏せたままのメイドに、愉悦の笑みを浮かべる。

 雑巾を持つ手を踏みつけてやろうか。それとも水たまりに転ばせてやろうかと考えたものの、そこまで時間を割く価値もない。

 アレクシアは早足に、そして目的の扉へと向かっていた。


「――お父様っ」

「アレクシア、ノックぐらいせぬか……」


 中央に並べられたソファーに腰掛けた男は、呆れたように娘を見る。

 口ひげ・顎髭がもみあげまで繋がる、筋骨隆々な大柄な中年男であった。


「いよいよイルティムを頂戴するのですね」

「協力関係を結ぶだ。言葉を誤るな」

「何を仰いますの。この会談は我がマダン国の存在感を見せつけ、屈服させるのが目的。それを頂くと言わずして、何と言いましょう」

「はぁ……。いいかアレクシア、我々の敵は北の強国・トーラス。そのためにはイルティムと協力せねばならないのだ。ことを()けば失敗の元となる。欲を顔に、口に出すな」


 そして、と更に言い添える。


「その言動もそろそろ慎め。あちらの王女はベッドの上にいる時間が長いと言われるほど、身体が非常に弱いのだ。お前の傍若無人な振る舞いで、彼女を床に臥せさせなどすれば、こちらの落ち度となってしまう」


 アレクシアはムッと口を曲げた。


「私が、そんな軟弱に合わせろと?」

「お前の役目は、王女同士の会談を成功させること。二十歳にもなって、立ち居振る舞いの一つや二つ知らずしてどうする」


 話は以上だと一方的に打ち切り、父は部屋をあとにした。

 残されたアレクシアは不満げな表情のまま。父が飲んでいた酒の瓶を手に、ぐいとあおった。


「なにが、立ち居振る舞いですの。そんなもの私が知る必要がありませんわ」


 手の甲で口を拭い、じっと正面の壁を睨む。

 そこには、長短さまざまな剣や槍がかけられている。


「深窓のご令嬢――ふふっ、今から会うのが楽しみですわね」


 どうやって泣かしてやろうか。

 アレクシアは悪辣な笑みを浮かべながら、また酒をあおった。


 ◇


 マダン国から西に五日の場所に、イルティム国はあった。

 幾多もの川が走っており、王の居城を中心に広がる首都は〈清流の都〉と呼ばれるほど美しい国である。

 強い日差しが差し込む窓辺に、美しい女が一人。

 憂うような目で川を見つめ、はあ、と小さく息を吐いた。


「――プリシア様っ!?」


 後ろで何かが落ちた音がし、プリシアと呼ばれた女は驚き、振り返る。

 そこに立っていたのは恰幅のいいメイドで、落とした洗濯カゴを飛び越え、慌てて女の方に駆け寄った。


「ベッドに不手際がございましたかっ」

「いえ、そうではないわサマンサ。数日後にはいよいよ、隣国・マダンとの会談なのですから。私も少し、身体を動かしておかなきゃと思って」


 メイドは「そうでしたか」と安堵する仕草を見せた。


「ですが、無理はなさらないで下さい。マダン国は〈黒き奔流〉と呼ばれる粗暴な武力国家。特に〈悪麗の娘〉こと不良娘のアレクシアは、プリシア様に何をするか分かりません」

「噂は聞き及んでおります。ですが――」

「ですが?」

「彼女は本当に、みなが恐れられているような人なのでしょうか」


 プリシアの言葉に、サマンサは「ええ」と強く頷いた。


「アレクシア・ザン・マダン――名を聞くだけで、マダンの民が震え上がる存在です」


 自分が馬を走らせたいがために道を整備。その資金は一方的に領地の者に負担をさせた。

 部屋でも酒をあおり、余興のようにメイドたちをいたぶる。また奴隷が引く車で街に繰り出し、検閲と称して商人から荷を強奪する――。

 メイドはそう語るのだが、漠然としてプリシアは要領を得ない。

 人でなしの権化のようだが、誇張されているようにも聞こえるのだ。


(恐らく、ただ自由奔放なだけですよね)


 プリシアはそう思い、川を眺めながら彼女を羨ましく感じていた。

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