或る非日常に魅せられる人の話
気づけば私は既に満員電車から追い出されていて、家への帰り道である幹線道路沿いを歩いていた。それに気づいたと同時に、十二月の寒い夜が思い出されて、私は思わず身が震えてしまった。透き通っていた空気には不釣り合いな、白く濁った吐息も視界に入り、ああそういえば今年は寒波が強いとかどうとか、テレビのお天気特集か何かで言ってたな、と私は、もう何度目だろうか、そんなことを思っていた。
大学を出て数年が経ち、私は立派に社会の歯車の一人として、そこそこ有名な会社のOLとして働いている。このご時世としては珍しく、そんなに残業も休日の強制じみた出勤もないそこそこホワイトな会社の門をくぐらせてもらって、それはもう、きっと私は恵まれた生活を送れているのだろう。起伏はないけれど不満もないというわけだ。
自分の家庭・学校生活でも、毎年どこかに旅行に行ったりとか、納得のいく友達とか、燃えに燃えた学校行事とか、語ろうと思えば楽しい思い出は沢山あるのだろう。それだけ充実してたんだと思う。一つだけ残念な点があるとすれば、私はテレビに映る俳優の爽やかさや、学年一で顔のいい男子への憧れは恋愛感情に変わらなかったということだ。これは社会人になった今でも変わらない。おかげさまで修学旅行の最終日前日の夜とか、最終下校時刻を過ぎてもダラダラと校門前で過ごす時に交わされる色恋話では、私は相槌を打つことしか主体的なことは出来なかった。何か聞かれて誤魔化す度に、友達にはからかわれていた。はっきりと断言できることがこれしかないものだと思うと、少し悲しい気分にはなるけど、まあ。
大学卒業後、私は東京で一人暮らしを始めた(誤解しないでほしいのは、上京などと大層な言葉で表せるものではなくて、千葉の少し田舎からは少し不便だろうと思って、近いところで住んだ方がいいかなあという動機で家族と話し合って一人暮らしを決めたのだ)。
一人暮らしを始めて、通勤を始めた最初の頃は、私は新しい環境に感情が大きく揺さぶられていた。自分だけがこの家にいるということに少し子供じみた興奮を覚えた一方、容赦ない家事の量に目眩が覚えそうになる。今まで自分が通学で使った道と様相が全く異なる場所を朝早く歩いていることにわくわくして、他愛もない小さな発見に目を輝かせたりすれば、今度は電車の異常なまでの乗車率に吐き気を催すような嫌悪感と、これに半生向き合わなければいけないことへの絶望感に襲われる。会社では学校では求められなかったような視点で物事に取り組む感じが楽しかったが、それでもあの仕事量は……。ああ、この話はやめておこう。
そんなこんなで、刺激的な生活を送っていたわけだが、数年経てばそれも日常となるようなものだ。朝は早くも遅くもない時間帯に規則正しく起きて、満員電車で人の波に無心に揺られ、今日も必要な業務をせっせと行い、帰り道でも一度地獄から吐き出されてから、家に着けば風呂に入ったり明日の仕事の準備をちょっとだけやったりして眠りにつく。
なんと規則的で理想的な生活だろうか!私はこの生活を日本全国の不摂生な奴らにお手本として提供したいとすら思う…と言っても私も最近の食生活はあまり良いものとは言えなくなってきたが。あ、運動もそんなにしてないかも。ともあれ、そんな生活を送れば誰だって悟りの一つぐらい開けるものだ。日々の些細な出来事なんかに私は惑わされなくなった。
そんな一日を今日ももうすぐで過ごし終える。いつも長く待たされる横断歩道を今日は待たずに通過して、街灯も疎らになってから歩くこと2、3分。私はいつものように家にたどり着いた。鍵を閉めて、ふと私の中に、今日は疲れたのだから、もう風呂なんか入らずに直接パジャマに着替えて寝てしまおうという思いが湧いてきた。普段ならば風呂に入った方が疲れも良く取れるという論理的な思考ができるのだが、今日はここ最近で特に疲れていたのであろう、私は湧き上がってきた欲望に従って服を脱ぎ捨て、パジャマに着替えることにした。その後私はいつものように簡単な支度をして、電気を消し、アラームが故障してないことを確認して、さっさと明日に備えて眠りについた。
その日の夜はいつものように幾分欠けた月が、冬の澄んだ空で綺麗に輝いていたのを、結局私は気づくことはなかった。
次の日、私は不思議とアラームの音を聞かずに自然と目を覚ました。ふと時計を見ると4時32分くらいを指している。いつもより2時間ほど早い起床だった。疲れは取れているようだが、それでもこんなに早く起きてしまったのは、やはり風呂を入らなかったせいで深層意識が気持ち悪いと訴えていたのだろうか。
考えても仕方がなかったので、とりあえず私は昨夜の分の風呂に入ることにした。世の朝風呂信者どもは、やれ痩せやすくなるだの、スッキリするだの、臭いが取れるだのなどと言うらしいので、今日の私はその教義に肖ることにする。そう思って、私は着替えを持っていって、夜のルーティンに則り洗面台の鏡の前に立って自分のパジャマを途中まで捲し上げて、思わずその動く手を止めてしまった。何故止めたかというと、私の鏡への視線の先に、私の腰に、それもへその上あたりに、私の胴体に紐が巻きついたかのような、黒い線が走っているのを見たからだ。
本当はこんな些細なことだと無視してもよかったのだけれど、さすがに私に残っている理性がそれを止めてくれた。なぜ?なんでこんなところに身に覚えのない線が描かれているのだろう?ここ最近はこんなことをしでかしそうな社員と飲み会で騒ぐこともないし、こういうことを風習とするような部族にも生まれた覚えもないし、生まれつきこんな紋様があるなんてこともあるわけがない。
考えていくうちに漠然とした不安を私は心の中に感じた。その不安は少しずつ危険な好奇心に変わり、それは私のパジャマを脱がせて、下着一枚になった上半身の線が走る部分へ手が伸びるよう駆り立てた。
触ってみると、どうやらこの線は描画されたものではなく、凹凸のようだった。刃物で彫られた時に生ずるような人工的な凹凸ではなかった。
「何これ……」
私はこれは何か特異な病気なのではないかと、思わず滅多にしない独り言が溢れるくらい、さらに不安に襲われた。こんな症状の病気は見たこともない。一般常識の庭園に二十数年間放り出されていただけの私でも、これが通常で起こりうる現象ではないことくらいはわかる。鏡から目を離して実像を見ても、それが消えることはない。推測から来る期待は役に立ってくれなかった。
とりあえず現状把握のため、理解できる限りで凹凸の原因を探るために、少し両手で凹凸をこじ開けようとしたその瞬間。凹凸は腕の力に従ってどっと裂け始め、上と下の間の空間が勢いよく広がり始めた。それに私は仰天し思わず力が入った両手をざっと離した。その離した勢いのせいで凹凸は裂け続け、いつのまにか空間はもっともっと広がる。止まることを知らず、私の上半身は突然傾き始めた。なんのことか分からずあたふたしているうちにプチッと小さな音が鳴り、私は体が浮くのを感じた。それもつかの間、勢いのまま私は部屋の壁に頭をぶつけ、衝撃に思わず目を瞑り、次の瞬間には背が地に打ちつけられる衝撃を感じ、その連続的に襲う痛みに耐えかね、
「ッ、いたっ」
ここ最近で一番出来の良い呻き声を私は上げた。それに感動する暇もなく、私はしばらく頭と背の痛みに悶えることになった。その時の私の感情は、混乱という単語がかわいらしいほどのものであった。
しばらくして痛みが落ち着いた後、私はあることに気づく。確かに私は倒れて体を打ち付けたのに、どうやら私はまだ「立っている」らしい。すぐにその現状理解が直感に反することはわかり否定しようとするけど、感覚として私は立っている、と認識することに間違いは感じられないのだ。訳がわからないので、とりあえず閉じている目を開けて現状把握をしようとした。そして、
「ッ!?…ひっ、は、はは、なに、何これ、あ、はは、」
私は気づけば目の前の光景の信じられなさに、驚愕からか、恐怖からか、全く無秩序な言葉を漏らしていた。
なぜかって、私の、多分私の下半身が、下半身だけが、洗面台に向かって立っていたのだから。その下半身から上は、まるで存在しなかったのだから。
我思ふ、故に我あり、と語った人は誰であっただろうか。絶対に今の私の指針を形容するような意味の言葉ではないと思うが、衝撃から10分ほどしてようやく混沌から引き上げられた私は、未だに目にするものへの恐怖を引きずりながらも、とりあえず考えれば何か行動指針が立つだろう、とこの言葉を心の中で掲げて動き始めることにした。
と言っても、私はこういうどう考えても非現実的で奇怪な体験に遭遇した時の対処法なんてものは人生の中で会得していない。ホラー映画であれば叫び声をあげて逃げていたりすると思うのだが、ここは住宅地で迷惑そうだし、自分(の下半身)から逃げるのも不思議というか……。どうしようもないものなのだから、まずは分かっていることを適当に挙げていくことにした。
最初にもっとも重要なことに気づいたが、私はこのように文字通り身体真っ二つになりつつも、私は死を本能的に感じることなく生きている。そもそも本当に人を腰あたりで勢いよく切断すれば、それはもう想像を絶するグロテスクなあれやこれが撒き散るし、やられた本人もどれだけ頑強であろうと虫の息となってそう長くは持つまい。対して私は、精神的には傷を負いはしたが、体はこんなことを悠長に考えていられるくらいピンピンしている。
というかまず血が流れてない。臓物やら何やらもはみ出ていたりしない。今、奇妙にそびえ立つ両足と傍に転がってる私の上半身というのを除けば、ここはサスペンスのサの字も感じられない、ただの生活感満載のありふれた洗面台スペースなのだ。
血が流れてないということはどうなってるんだろう?そう思い、自分の上半身の途切れた部分に右手を伸ばして恐る恐る触れてみた。少しは何かグロテスクな色々に触れてしまうのではと思ったが、まあ予想通りというか、返ってきたのは普通にお腹まわりを触ったような感触だった。
どうやら体が分かれた部分の断面は、普通の人の体にあるような皮膚で覆われているらしい。ただ、当然ではあるのだが、今まで私はこの断面を外に曝け出したことがないからなのか、私はその感触が新鮮で、奇妙で、何か不自然なもののようだと感じた。何というか、右手の指の腹が断面の皮膚に触れた瞬間、この世の禁忌を開発してしまったような気分だった。多分この字面は比喩ではなく事実としても間違っていないと思う。
少し面白くなってきたので、今度は自分の下半身に目を向けてみた。そういえば、私がこうして上半身について色々チェックしている間も、私は依然として「立ち続けている」と認識していた。そちらの方を見ると直立不動の銅像のように見えるのだが……。あ、よく見たら少し足が震えているかも。
ともかく、もう一つわかったこととして、体は上下真っ二つに分かたれてはいるものの、未だに双方の感覚は残っていて、繋がっているようだ。そして……はっと、私は気づいた。繋がっているのなら、もしかして。そう思い、いつもやっているように考えてみた。
すると、私の下半身は、思った通りに私の方を向いて、小さく一歩踏み出した。やはり、繋がっているということは、上下真っ二つになっても、人がもはや意識を向けずに習慣としてやるが如くに、普通に体を動かすことができるということだった。赤子が必死に己の足で歩こうとするようではなく、大人ができるのが当然と言わんばかりに簡単に動かすことができるのだ。
これがまた面白い。確かに今自然と、簡単に動かせるとは言ったのだが、実際やってみると、熟練した操縦者が、意識しただけで思いのまま動かすことのできる次世代型ロボットを操縦しているような感覚を覚えるのだ。対象は自分だけれど、言い知れぬ支配感、全能感を感じられて、とても良い気分だ。
そうして私は調子付き始めたので、小さくもう2、3歩目と歩こうとしたところ、下半身は突然危なっかしく揺れ始め、そして、
「あっ、ちょっ、まっ、て、いてっ、あっ、イッ!?」
下半身はこちら側に倒れ始めて、覆い被さる様に思わず目を瞑り両手を前に構えた。するとまずお腹のあたりが壁に衝突したのを感じて少し痛み、そして休む間もなく滑り落ちてくる自分のお腹と頭が衝突し、圧迫感からくる痛みに堪えきれず、ここ最近で2番目に出来の良い呻き声を上げる羽目になった。
そういえば、人が歩く時、そのバランス感覚は耳の部分の三半規管が司っていると学校で習った。なるほど、それなしで突然人に歩けと言われても、確かにバランスを崩してしまう。私はそう思い、少し反省を込めて暫しの痛みと向き合うことにした。
しかし、反省はしたが、もはや私はこの非現実に面白さを見出すことに夢中になっていた。今、自分の頭の上には自分のお腹が載っているのである。こんな素っ頓狂な体験が出来る人間など、この世界、古今東西居ただろうか?たった今、私がそんな感覚を独占しているかもしれないのだ。楽しくないわけがあるだろうか?一瞬、夢だと思って頬をつねって見たのだが、痛いだけだ。ならばこれは現実かもしれない。例え夢だったとしてもいい。今私はこの非現実がたまらなく楽しい。たまらなく愛おしいのだ!
さて、楽しいのは良いが、流石にお腹からかかる下半身の重さが鬱陶しくなってきたので、両手で下半身の腰の部分をしっかり掴んで、自分の左脇に仰向けになるようにそっと置いた。そして静置した下半身の方に目が楽に向くように、少し上半身の体勢を変えて、手術の執刀医と患者のような位置関係になってみた。
その時私は気づいたのだが、これも普通ならありえない体験なのだ。自分の分かたれた下半身を俯瞰するかのように見るなんていうのは、生者がやってのける業では断じてない。私はその不可能なはずの感覚を、じっくりと楽しんだ。
正直言って、自分のスタイルとか容貌とかに自信があるわけではない。断じて自分の脚が一番美しいだとか、非常に豊満な尻を備えているとか言えたものじゃないけれど、なんて言ったって人が現実で、カメラなどを通さずに拝むことなどほとんどない自分の下半身の後ろ姿なのだ。愛着が湧かずに居られないとは行かないまでも、奇妙な安心感が私を包み込む。
そうして見ていると、ふともう一つ思いついたので、私は自分の下半身に覆いかぶさるように上半身を載せ、そこで思いっきり両手で、全(上半)身で下半身に抱きついてみた。
その感覚は、やはりとても奇妙で新鮮なものだった。自分が自分を抱いているのだから、抱きかつ抱かれているようなものだ、と自分で説明してみようとしたけど、私でもよく理解できない。それくらい言葉にするのが難しいのだ。
学校の体力テストでの長座体前屈を体がとても柔らかい人がやれば、自分の脚に抱きつくという点で、確かに部分的に今の状況を再現できるかもしれない。しかし、それとは絶対に勝手が違うと私は思う。何が違うのか、理性によって説明することはできないけれど、とにかく私の今の抱きつき方はすごく気楽で、安心できる気がすることだけは言える。まあ、自分の尻が予想より枕として柔らかくはなかったのは少し残念だったけれど。
その後、上半身を仰向けにして、自分の脚を少し動かすことで、背中のマッサージになったり、一度脚を立たせて、両手で腰を掴んで上半身だけ倒立して歩かせてみたり、上下真っ二つのままでお風呂に入ってみたりと、私はこの非現実で楽しい時間を、目一杯この体で楽しんだ。いつしか分かたれたことへの不安は綺麗さっぱり消えていた。
夢中になって遊んでいると、ふと今どれぐらいの時間か気になった。確かにかなりの早起きをして、こんな楽しい体験をすることができたけれど、さすがに自分のすべきことから逃げてはいけない。というわけで、上半身だけ逆立ちをしながら自分の部屋に戻って時計を確認しに行くこととした。もう三半規管なしでも安定して歩くことくらいは出来るようになっている。
時計を見ると6時13分であった。いつも7時10分に出ているのだから、そろそろこの遊びもやめて、朝食や今日の仕事の準備をすべきであろう。私はそう思い、そろそろこの非現実な時間を終わらせることにした。
遊んでいる間、私には自分の上半身と下半身は元通りにくっつくということに根拠のない自信があった。恐らくこんなにも奇怪な体験を立て続けにすれば、人の思考回路は麻痺するのだろう。そして私はその信念に従い、逆立ちさせている自分の上半身を元に戻し、前後ろの向きに注意しながら、そっと断面の上に合うように上半身を載せた。すると載せた時にまだあった黒い隙間はたちどころに消えて、気づいた時にはそこに断面があった痕跡など綺麗さっぱりなくなっていた。私が上下真っ二つになっていた証拠は、今ここにこの世界から消滅したのだ。私の確信は間違っていなかった。
久しぶりの、といっても2時間ぶりだが、体が一つになる感覚は、自分が実家に帰った時の馴染み深さのようで、自分が自分であることを再確認してくれるかのようだった。まあ、元々人格は破綻したりはしていなかったのだが。
しかし、元に戻ったように見えても、私の体はまだどこか不思議なムズムズした気分から抜け出せないでいた。確かに体は一つとなったし、自分の体には今度は凹凸など存在していない。ならばこの感覚は何なのだろうか。
そこで私は、両手を腰に当てて、思いっきり力を入れて、自分の上半身が離れるように腰を下に押して背を伸ばしてみた。するとポッという音と共に、私の上半身と下半身はまた真っ二つになったのだ!
今度は私はそのことに驚きを覚えはしたが、恐怖を感じることはなく、むしろ狂喜乱舞して腕を天に突き上げたくなってしまうくらいであった。
だってそうだろう!先ほどまで私は非日常との永遠の別れをするつもりであったのに、蓋を開けてみればいつでも私は自分をこの奇妙で非日常な世界に入り込ませることができる!あの全能感、支配感、安心感、全て手放すことはないのだ!これほど嬉しいことなど、この世にあり得るだろうか。
私は自分が永遠に、運命論的な循環から抜け出すのを感じた。地獄さえ、私には非現実の箸休めに思える。もう現実に囚われなくてもいい。そうだ。私はこれからもこの日常に何事も無かったかのように混ざりこんでやろう。私は今、現実と非現実を自分の好きな時に行き来することができる。上手くやれば、私は自分の思うがままに、他人の干渉など全くなく、この悲しい日常を楽しむことができる。そうだ!それがいい!神がどんな采配をしたのかはわからない。でも私は、人知れぬところで、この世界で絶対に勝つ方法を見つけたのだ!
ふと、聞き慣れたアラームの音が響いた。6時30分を知らせる音だ。私はその音に、言い知れぬ躍動感を覚えた。それに反して私は上半身を元の場所にくっつけて、朝食の準備を始めた。その間、私はスマホがSNSの通知音を鳴らしたことに気づいた。会社での同性の同僚からで、そのメッセージにはこう書かれていた。
『ねぇ、冬華!昨日私が言ったアニメもう見た?どうだった?』
そのメッセージを見た私は、疲れていてすっかり忘れていたことを思い出し、冷や汗をかいてしまった。でも、なんだか嬉しくなってきた自分がおかしくて、少し声に出て笑ってしまった。そして、
『あ〜、ごめん!昨日ちょっと疲れてて、帰ったらすぐにバタって寝ちゃってたの…でも今日!今日絶対にそれ見るよ!見てやるから!』
と、随分気分の込めた返信をしてやった。
その後私は朝食を食べ終え、今日の仕事の準備をして、7時くらいに鍵を閉めたのを確認して、家を出た。
今日の太陽はいつも通り、冬の澄んだ綺麗な空で煌めいていた。その光に、私、冬華は少し照れくさく感じた。