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情景描写  作者: 雲鈍
3/4

転。実感さえわかずに、かすかに縋れば。

季節もつつがなく過ぎ、冬も半ばにさしかかろうとしていた。俺は今までの生活を続けていた。年を取るごとにイベントがなくなっていく。それが不幸かどうかは知らないけれど。少なくても楽ではある。身軽さ。一人でいられる。いきたいときにどこへでも、したいときはいつでも自分の思うように行動できる、そんな身軽さ。

 しかしそんなのは結局つよがりだ、と思う。

 そんな強がりを口にしながら、俺は今日もコンビニの四角いカウンターの中に立っていた。




 クリスマス、という言葉をインコが発したのは意外だった。

 だがよく考えれば……彼女はクリスチャンであるらしく、その考えにいたるのはごく自然といえた。

「そう、クリスマス。どうせ暇でしょ」

「決め付けるなよ」

「忙しいの」

 一瞬、捨てられた子犬のような表情になってインコが言う。

 俺は苦笑しながら答えた。

「いや、暇」

「だよね。彼女が居るようには見えないし」

「うるせえ」

「でさ、二十五日なんだけど。私の行く教会で、ミサをやるんだ。

 こない?」

「分かった」

「よっしゃ」

 インコは握った拳を上にあげた。

「それじゃ、店長とかも誘ってくる」

 彼女はそして、颯爽と店の奥へと消えた。



 年を取るごとに寂しい、という感情が薄れていく気がする。

 そのことが寂しい、と感じる人間もいるかもしれないが。

 俺はそうは思わない。

 適応したのだ。

 一人でいる時間が長い、そんな生活に。

 無味乾燥で。ドライで。

 感動もなければ、喧嘩も無い。そんな世界に。

 実に生きやすくなった。すばらしいことじゃないか。それをさみしいと思うなんて、なんたるごうまん。


 教会は駅から徒歩十五分程度でいける場所にあり、俺がついたころには店長とその奥さん、牧野までもが揃っていた。あとの二人はコンビニでバイト中である。

「すんません」

「本当に遅いね」

「いや、インコ。お前には言ってない」

 冨田さんは笑いながら手を顔の前で振ってみせる。

「うん、ちょうどよかったよ。これから始まるとこらしいし」

「それから、牧野も」

「いーっすよ別に」

 いつものけだるそうな調子で、牧野は答えた。


 教会の中に入る。

 人はそれなり――こういう言い方は失礼かもしれないが――に人が居て、また日本にもこんな純粋な宗教が残ってるものなのかと、俺は少し感動した。新しいだけが全てじゃない。こうやって旧くからの信仰が残っているのを見ると、なぜだか救われた気分になる。

 インコは俺たちの先頭を歩く。時々、周りから声をかけられたり、周りに声をかけたりして愛想よく通り過ぎていく。……猫をかぶりやがって。


ここ、とインコが指し示した場所は、最前列だった。

思わず苦笑。冨田さんも。牧野は無表情。

唯一冨田さんの奥さんだけが嬉しそうに笑った。

座る。

そして、

そして俺は。

目を閉じた。




そこはまるで夢のようだ。

貴金属で飾られた室内、絢爛に飾られた門に、長方形のテーブルが続く。

金色に光る筒は天井まで伸びていて――そのパイプオルガンの前に「彼女」はいた。

彼女の指が動くたび、室内が音で満たされていく。

室内に音が満ちるたび、心の中が何かで満たされていく。

波のようにさざめきがえし、潮のように心の中で渦巻いた。


 俺は拍手を送る。ただ一人きりの観客の、ちっぽけな拍手を。

 パチパチと、渇いた音がひびく。

 「彼女」は振り返り、はにかんだように笑う。


 なんだ、と俺は楽観していた。その時までは。

 きっといつものあの台詞を。呟く必要がないと。


「これで、最後だね」

「うん。思い残したことは?」

「ない。やりのこしたことは?」

「ないよ」

 俺は彼女に手を差し伸べる。

 彼女は、黙ってその手をとった。


 ああ。

 あぁ、そうか。

 これで、最後か。

 だからこんな風に幸せそうに見えたのか。

 だからこんなにも――。


「泣かないで」

「え? 」

 俺は慌てて、目元を拭う。

 大丈夫、と「彼女」は言う。

 何が、と俺は問う。

きっとうまくいくから。何もかも。

全部ひっくるめて。何もかも。

全てが

きっと

うまくいきますように。





 はっとして目を開けて、俺は目元をこする。

 涙?

 冗談じゃない。こちとら喧騒も喧嘩も、感動もない世界に生きてきたのだ。

 ただ、こうやって気づく、自分の生の感情が恥ずかしい。それが大人になるということだろうか。俺はあくびのいりまじったため息をつく。

「あんた、寝てた」

 隣に座ってたインコが言う。

「全然」

「嘘ばっか」

「いや本当」

「あ、そう」

 珍しく歯切れのいいインコが気になって横を振り向いてみると――彼女はうっすらと目に涙をためていた。

 なんだ、と俺は思う。

 泣いてもいいんだ。

 インコは馬鹿で、それも若さゆえの無知で、純粋で、けれどだからこそ決して間違ってない。間違ってるのは俺の方なのだ。

 いつからこんなことに泣けなくなったのだろう。

 感動しないのではなかった。感動できなくなったのだ。どんな名文、どんな名画、どんな名作にふれたとしても、そんなものは所詮俺には合わない、そうやって心を閉ざして排除していた。もう、そんな思考がクセになっていた。

 全てではないとしても、それがかりに成長という言葉に代替わりされるのならば、必ずしも成長が前を向いているとは言いがたい。植物が光を求めて屈曲するように、人間も成長しやすい方向へゆがんでいくものらしい。問題は、ただそれが必ずしも上を向いていないということだけだ。それが悲しい、という感情はない。しょうがないという諦め。けれどどこかほんの少しだけ――きっと賛美歌に影響されたものだろうけど――さびしい、と感じる。

 そしてその純粋さを――いや、別にもう、隠す必要もないのだ――インコを、いとおしいと思っていた。




 ミサが終わると、冨田さんとその奥さん、それから牧野、三人は感想もそれぞれに帰っていった。牧野は明日の朝のために寝なければならないし、冨田さん夫婦はこれから仕事である。

 俺はインコと並んで歩いた。喧騒の中を歩いた。ざわざわと落ち着きのない大衆が意味もなく心を落ち着かせる。ここに生きていていいんだ、という実感がどこからともなく沸いてくる。

「あの、さ」

 インコが数歩先を歩き、ふりむいた。

「はい、プレゼント」

「俺に?」

「他に誰が居んのよ」

 俺は差し出されたピンク色の箱をうけとった。

「中身は?」

「あけてからのお楽しみ」

「あけていい?」

 きくと、インコは大きくうなずいた。

 中に入っていたのは、俗に言う十字架。掌におさまりそうなそれは、けれどずっしりと重量があり、どこか心地よい。

「どうして、これを」

「うん、それなんだけど」

 インコは何かを言いあぐねいているようだった。視線をあちらこちらに動かし、絶え間なく髪をもてあそんでいる。

「なんか、自分でもよく分かんない。

 冨田さんにもさ、一応渡したんだ。

 でもなんつーか、ちょっと意味あいが違うっていうか」

 思わず俺は苦笑する。

 俺は彼女の頭に手をのせた。


 その身体をそっと近づけて――俺は気づいてしまった。

 泣くな。馬鹿みたいだ。男だろう? がんばれよ。

 今ここで。お前ががんばらなければ。誰がいったい助ける?



 きっと何もかも、全てがうまくいけば。

 いいのだ、何もかも。

 ゼロから全て。

 ゼロまで全て。

 助け合い、救い合い、求め合い、

 相助け、相救い、愛求め、

 請い願い、願い求め、求め欲し、

 笑い、笑え、狂い、狂え、全てが等しく等しく全てが必要なように。

 無駄なものは何一つない。かけるものはただ一つない。

 居るべき場所も、どこにもないのだけれど。

 幸せになりたい――。











































俺にとっての転機が訪れたのは冬も本格的に入り込もうとした十二月半ばである。

店長はいそいそとクリスマスのための準備をはじめ、高坂はマフラーを巻き始め牧野はいつからかクリスマスソングを口ずさむ。そんな日々が続いていた。

 インコはいつの頃かぽっかりと姿を見せなくなり、けれど俺の方もはじめは少し寂しかったりもしたが、彼女の都合というものを考えてみたりして、連絡はつかなかった。

 しょうがないじゃないか。人間。

 別れは突然。出会いは偶然。引き止めても出て行く人間は居るし、出会いたくても合うことのない人間だって居るんだ。

 俺はと言えば、一人ひそかにパソコンのキーボードを叩きながら、バイトをする日々。冬が来て、また春が来る。そんな日々になんの疑問も疑念も抱かなかったある日――。


「正社員ですか、俺が」

 冨田さんは俺にそういった。

「そう、そろそろバイトも長いしね。誰か一人くらい雇ってもいいんじゃないかって、思ってる。君が一番長いし」

「まぁ、お世話にはなってますけど」

「責任感もある」

「それは、買い被りですよ」

 俺は苦笑しながら冨田さんの顔を見つめた。

 中年らしくない皺が、口元によっている。

 けれど目元はひとなつっこい。笑うと目じりにも皺がよって、それが彼をいっそう柔和に見せていた。

「僕は君ならいいって思ってるんだ。君さえよければ」

「ええと……」

 俺は少しだけ考えた。

 俺の先。人生。未来。具体的なものは何一つ描けていない。

 このままだらだらと小説を書き続けていくのは幸せだろうと思う。そしてちまちまと友人あるいは知人に小説を送り、ちびちびと感想をもらう。

 小説家になってお金をもらう。

 その響きはいいが、俺はそこまでの根性も責任感も持てそうになかった。

 きっと――。

 それはバンドをはじめたのが原因だろうと推測する。

 刹那的な生き方をしていたせいで。

 明日から先が見えないのだ。

 けれど、年をとるにしたがって現実と言うものが見えてきたりもする。家族を持つ友人が増えてきたりして、独り身でいることがたまに酷く不安になる。そしてバイトとしてこれからずっと働いていて、それだけでいいのかとも――。

「そうだね」

 先に口を開いたのは冨田さんだった。

 彼は言う。

「まずは研修、て手もあるかもしれない。

 店長志望の人を集めて、セミナーをやるんだ。それに出てから考えても僕はいいよ」

「すいません、お願いします」

 すいません、と再び俺は言った。

 まるで子供だ、と思った。

 責任を果たすべきだ、とも。

 だってもう子供ではないのだ。もっと上手く生きることができるようになればいいと願ってやまない。けれど俺の口からは言葉が出てこなかった。

 本当はとても冨田さんの行いを恩義に感じていて。

 感謝をしている。

 きっと店長に、と俺の誘ったのも。

 冨田さんの言ったことだけが理由ではなく、いい年をして定職につかない俺を心配してのことだろう。

 だから俺はそれ以上言葉を重ねることをせず、分かりました、とだけ答えた。

 冨田さんはそんな俺の心情を全て察しているかのよう目元を細めた。



 電車に乗り、バスを乗り継ぐ。

 目的地に向かう途中、制服姿のインコを見た。バスですれ違った。ただ、声をかけることはやはりしなかった。彼女は前と何も変わってないようすで足をだらだらと引きずるように通りを歩いていた。

 馬鹿だな。

 思うが、不思議と安堵する。

 変わらないことが、何故か嬉しい。

 あぁ、こんな時にも思うのだ。

 年を取ったな。

 変化を恐れている。

 いつか自分が取り残されて、周りは自分より一歩リードしているんじゃないかって、思う。そしてその差はいつかとりかえしのつかないほどの差になって、生涯俺を苦しめ続けるんじゃないかって思ってる。

 ただの妄想かもしれない。

 いや、ただの妄想であればいい。


 面接は三十分程度で終わった。

 うーん。

 疲れた、というよりは、自分の裏側をみすかされた感じ。いつも来ていた服を裏返しにされたような、靴下を左右逆にはいたような気分だ。主観で言えば、感触は悪くなかったはずだ。


 君は――、

 何になりたいの?


 そう、聞かれた。

 なあ、どうしてだろうな。言葉につまってしまうのは。

 分からない。分かりやすい夢なんて、大人になるための過程で、どこかに捨ててきてしまったのだ。だから大人はみんな口をそろえて「幸せになりたい」なんてうそぶく。俺もその一人なわけだ。

 何になる、か。

 何にもなることなんかできないと、思う。知ってる。確信だ。けれどその言葉にこんなにも動揺してしまうのは、やっぱり俺が何かになろうとしてるからなわけで。

 手に呼気をふきかけ、暫し思考。

 定刻までに答えはでない。十分遅れのバスにのる。さあ、いつものようにバイトの時間だ。

 誰かになることで、誰かを救いたい、と思うのは虚妄だろうか。

 ヒーローになりたい、と願う子供は、

 強く在りたい、と求める弱者は、

 自分がそうじゃないことを知っているからだろうか。

 自分では誰をも救えないから、自分以外の誰かになることで、救いたい。そう思っている、と考えてしまうのは、うがちすぎか。

 そんなことを少し、考える。



 さあ、そしてこれが――。

 最後の「夢」だ。


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