君のこときっと
サクっと自分の足元で音がして、早田は視線を下げた。踏みしめていたのは色づいた銀杏の葉。歩道いっぱいにまるでじゅうたんのように広がる黄色に、そうか、こういう季節だったと思う。
時は十一月の終わり。秋も深まり、街は段々とクリスマスめいていく。早田が歩いている新宿の大通り沿いの店は、ほぼ全てがツリーやリースで彩られていた。その華やかさに合わせて道行く人たちもどこか高揚した顔をしている気がする。
(この時期彼女がいない身っていうのはいたたまれないよなぁ)
クリスマスを共に過ごす相手がいる楽しさを知っているだけに、いない自分の現状を寂しく感じる。毎日勤め先にてクリスマスプレゼントを購入する客の応対をするだけに尚更だ。
「侘しいったらないね」
小さくごちて早田は大股で歩いた。急いでるのは待ち合わせがあるからだ。別に遅刻しそうなわけじゃないけれど、相手はきっともう着いている。今日は北風が強いからあんまり外で待たせたら可哀そうだ。
幹線道路が交差する角の百貨店入口。贅をつくした大きなツリーの下に、案の定相手は立っていた。
真っ白いコートに漆黒のストレートヘアが映えている。顔を伏せているけれど、にじみ出るのは彼女自身の持つ凛とした雰囲気。
彼女の名前は神田志穂。大学時代の知り合いだ。彼女は卒業を機に地元に戻って就職したものの、時々東京に訪れる。主な目的は買い物。アパレルショップに就職した早田は『センスが良いから洋服を見立てて欲しい』と言われ、社会人二年目となる今でもこうして買い物に付き合っているのだ。
(相変わらず綺麗な立ち姿だこと)
早田は心で賛辞を送り、志穂の元へ駆け寄った。
「お待たせ~。ごめんね、寒かったでしょ」
急に声をかけられて肩をふるわせた彼女は、早田の顔を見て安心したように微笑んだ。その笑顔は椿が花開いたように艶やかで、早田はいつも見とれてしまう。
「久しぶり、早田君」
「うん、半年ぶりだね。なんか志穂ちゃん、またちょっとやせたんじゃない?」
「そんなことない。むしろ太ったの」
「またまたぁ」
志穂の言葉を軽くいなして、早田は笑った。
早田から見たら、彼女はモデルのように細い。今のように冬用のコートを着る季節になっても、その線の細さはまるで隠しようがない。きっと太ったと言っても、五百グラムとかそのレベルだろう。むしろもっと太った方が良いと思うが、そんな無粋なことを言うわけにもいかない。
「寒いとこで待ち合わせにしちゃってごめんね。行こ?」
中に入ろうと促すと、志穂はもう一度微笑んだ。
◆
百貨店で無事買い物も終え、早田と志穂は西口方面にある居酒屋に入った。前にこの店に入った時志穂がいたく気に入ったので、もう会う時にはここで飲むことが定番となりつつある。事前に予約をいれておいたのでスムーズに個室に案内された。何よりもまず早田がコートを脱ぐと、当たり前のように志穂がハンガーにかけてくれた。
「ありがと志穂ちゃん。ほんと気がきくね」
「そう言ってくれるの早田君だけよ」
志穂は苦笑するが「そんなわけないでしょ~」と早田は鼻で笑った。
彼女が気配り上手なことは元々知っていた。それは早田自身がその恩恵を受けていたからではなく、共通の知人から聞いていたからだ。
その名は伊藤義人。
彼は早田の親友であり、志穂にとっては大学時代を捧げた恋人でもある。そして彼女は別れて二年たった今も、伊藤のことを想っているのだ。
(あいつ以外から褒められたって、きっと何の意味もないんだろうな)
きっと自分の言葉もしばらくしたら忘れ去られるんだろう。
そんなことを考えながら軽口をたたき合った後で、お互いにビールを注文する。和やかに乾杯をして近況話に花を咲かせた後、早田は「そうだそうだ」と自然を装って言った。
「よっちゃんは相変わらず元気だよ」
「……そう」
志穂は小さくうなずいて、ビールをほんの少しだけ飲んだ。早田と目を合わせずに、その視線は半分ほどに減ったビールジョッキに向けられている。彼女が伊藤のことを思い出しているのが手に取るようにわかった。
大学時代、伊藤と志穂のカップルは仲間内では有名だった。『お似合い』で『オシドリ夫婦のよう』で、それはもう安定感抜群の二人だったのだ。だからその二人が大学四年になって別れた時には激震が走った。しかも気持ちが離れたわけではなく、卒業後に遠恋になるからという理由だった。それを聞いた時、早田はまるで伊藤の気持ちが理解できなかった。
(やっぱりまだ忘れられないんだなぁ)
あんまり見るのは悪いと思いつつも、早田は想いにふける志穂の顔をみながら唐揚げを頬張る。
少しうつむいた表情は儚くて、彼女の美しさを際立たせた。
「……相変わらずってことは、前に言ってた人とまだ付き合ってるってことよね?」
志穂が顔を上げる。
不安や悲しみや様々な感情の入り混じった視線を受けて、早田はおずおずとうなずいた。志穂との時間で一番気まずいのがこの瞬間だ。初めて伊藤に新しい彼女ができたことを報告した時に比べれば大分ましだが、息苦しいことには変わりない。
「そうだね。まあ仲良くしてるみたいだよ」
歯切れ悪くもそう伝えると、志穂は一気に表情を曇らせて再びうつむいた。まるで世界の終わりがきたかのような雰囲気が場に漂う。いつものことだが早田は溜息をつきたくなった。
(こうなることを知ってて来る俺も馬鹿だよなぁ)
本当は気付いている。
志穂が自分に会う理由は洋服を見立ててほしいからではなくて、伊藤の近況を知りたいからなのだということを。今も伊藤とつながっている自分とつながることで、志穂自身も伊藤とつながっているような錯覚を得たいということも。
(これって不毛な恋の片棒を担いでるって感じ?)
早田は一気にビールをあおった。
しばらくの沈黙の後「早田君は?」と志穂が水を向けた。
「その後気になる人とはどうなの? 進展あった?」
彼女が切り替えようというところに乗らない理由はない。早田はへらりと笑って「ぜーんぜん」と両手をあげてお手上げのポーズをして見せた。
「ただの飲み友達? つーか、むしろパシリ的な存在? 結構気分屋でさ。会うたびに言うこと違うっつーか、良いって言ったり駄目って言ったり……ま、振りまわされてるね」
頭に思い描くのは、ここ二年ほど想っている年上の女性の顔。志穂を椿にたとえるとしたら、早田の想い人は薔薇だ。派手で華やかで美しい。年上だからか地なのかは分からないが、いつも強気で自信に満ちあふれている。そんな太陽のようなパワーのあるところに惹かれているものの、なかなか進展しない現状には少し疲れてもいた。その部分が愚痴になって出てしまい、早田はあっと口を押さえる。
「なんか女々しい発言したね。ごめん忘れて」
「女々しくなんてない。振りまわされるのはつらいよね」
「んー。最初は楽しかったんだけどね」
ビール一杯でもうほろ酔いなのは、最近疲れがたまっているからなのか。それともどこか無意識に、志穂と傷をなめあいたいとでも思っているのか。
(傷っていうほど俺は傷付いてもいないけどね)
おこがましいなと思いながら口がどんどん滑って行く。
「あんまりコロコロ変わられると、付き合うこっちもどうしていいかわかんないよね。手をつないでも良いとか駄目とか、しても良いとか駄目とか。ほーんとオンナゴコロって複雑」
天を仰げば、意中の人が眉を吊り上げている幻想が見えた。
(おっと、言いすぎ? 愚痴りすぎ?)
あわてて目の前の相手に視線を戻せば、志穂は「そこはデリケートな問題よね」と真面目なコメントを落とした。
確かに誰かと肌を合わせることが、イコール恋人関係というわけじゃない。男の本能と言い訳する気はないけれど、自分の気分が盛り上がって相手もそれが同じならば良いじゃないとか思う。
ただそういうワンナイトラブはお互い軽い気持ちであることが大前提であって、早田と意中の人の関係においてそれはあてはまらない。早田は彼女を好きだと言っているのだから。彼女がそれを知っていながら事に及ぶというなら、その早田の気持ちごと受け止めて欲しいのだ。
(そういうふうに考える俺って、何だかんだ純情だよなぁ)
知らず早田の口元は弧を描き、志穂もつられて同じ表情になった。
「早田君は魅力あるから頑張って。それに女の人って少なからず気分の波あるもの。生理前とかはイライラしちゃうし……。もしかしたらその人もそれが強いのかもしれないね」
「ふーん」
「私も本当にひどくて、自分でも嫌になる位なの」
「生理前は別人みたいになっちゃう?」
「……そうだね、普段なら気にもしないことがすごく気になって、妙に誰かに攻撃したくなるの」
「へえ。好戦的な志穂ちゃんてあんまり想像つかないなぁ」
「もちろん、誰かれかまわず八つ当たりするわけじゃないの。でも義人君にはやっちゃってたな」
「まあよっちゃんってそういうの大して気にしなそうだよね。器が大きいとこあるし」
「うん。……本当にありがたかった」
そう言う志穂はうっとりと目を閉じた。彼女の中での伊藤との思い出は、時がたてばたつほどに素晴らしいものとなり輝き続けている。
(その内よっちゃんの欠点なんて思い出せなくなるんだろうなぁ)
失われた過去ほど現在に立ちふさがる強敵はいない。
彼女の中で今も時は止まり、思い出だけが彼女の支えなのだろう。
「……志穂ちゃんさ、次こっち来る時よっちゃんに会ってみる?」
早田の言葉に志穂は目を見開いた。予期せぬ言葉だったのだろう、とてつもなく驚いている。
そりゃそうかと思いながら早田は「だってさ」と軽く続けた。
「志穂ちゃんは今でもよっちゃんに会いたいでしょ?」
「早田君……」
「よっちゃんの彼女さんのことも知ってるから、二人きりってわけにはいかないけど。俺も一緒に三人で軽い感じで会うっていうのもアリだと思わない?」
志穂は返事をしないまま視線を泳がせた。何度も早田を見ては視線をそらす。早田はそれを辛抱強く受け止め続けた。
確かに会ってどうなるわけではない。
伊藤が新しい彼女と幸せに過ごしていることを知っているだけに、復縁の可能性もない。
けれど、志穂が過去にとらわれ続けているのはもったいないと思う。
(だってこんなに綺麗なんだし。望めば望むだけ幸せになれそうなんだから、前を見た方が良いと思うんだよな。……でもこんなふうに干渉するのも、良いことでもないか)
「……まあ時間はいくらでもあるし、ちょっと考えてみてね。志穂ちゃんがその気になったら、いつでも予定組むからさ」
あまり待ち過ぎて志穂を追い詰めてもいけないと、早田はこの話題を自分から切り上げた。その時の志穂のほっとした表情は早田の胸を刺した。
◆
十分に飲み食いして居酒屋を出ると、昼間の北風は落ち着いてきていた。とは言っても空気はひんやりと冬の装いなので、寒いことには変わりない。
「いよいよ冬だね。って言っても志穂ちゃんとこはもっと寒いんだよね?」
コートの前を合わせながら聞くと、志穂は笑ってうなずいた。彼女の地元は雪が多くここよりもずっと寒い地域なのだ。
「うん。これくらいで寒いなんて言わないよ」
「さすが~」
ゆったりとした足取りで新宿駅までの道を歩く。彼女はいつも新宿から数駅のところに住む妹の家に泊まっている。早田とは路線が違うが新宿駅までは一緒だ。高層ビル群から出てくるサラリーマンの数は夜遅いこともあってまばらだ。広い歩道を二人でゆったりとした幅で歩くのは、ちょっと贅沢な気持ちになる。
「……ごめんね、うじうじして」
ぽつりと志穂が言った。何のことを指しているのか、察せないほど早田は鈍い男ではない。
「謝ることじゃないよ。志穂ちゃんの気持ちが一番。俺の言葉なんて聞き流しちゃって」
あっけらかんと言って見せれば、志穂は小さく笑った。そして「私って重いよね」と暗い声で呟く。
「自分でもいいかげん諦めたら良いって思うんだけど、どうしても忘れられないの。そのくせ会う勇気も持てないし……本当に自分が嫌になる」
そう言って志穂は自嘲気味に笑った。自虐的な笑顔に早田は「大丈夫」と請け合う。
何の確証もないし、早田自身がそう思うわけではなかったが、そう言いたかった。別にヒーローを気取りたいわけじゃない。彼女に強引に前を向かせられるほど、自分がまっとうな恋をしているわけでもないのだから。ただ、彼女自身が彼女を認めていないのなら、一人くらい味方がいないと切ないだろうと思っただけだ。
(いっそ俺が彼女の手を取ってみようか)
隣で所在なさげにしている彼女の右手へ一瞬視線を送る。
今までにそう思ったことは何度かあった。けれどそれを実行はせず、早田は志穂に気付かれないように口角を上げた。
自分の恋を終わらせるために、余計な傷のなめあいは必要ない。
「今年のクリスマスも世のカップルを呪う一日になりそうだね~」
早田が冗談めかして言うと、志穂は楽しそうに笑った。
一応『その手をとれば』伊藤編を受けての話として書きました。
なので、伊藤の新しい恋人は依子です。
ふと思いついた場面を書きました。
ヤマなし、オチなしですみません……