星の生まれた夜に
子供の頃はよく一人暮らしに憧れたものだが、実際に暮らしてみると好きな生活リズムで過ごせるという利点はあるものの発作的に人恋しくなることがある。息子や娘も親元を離れた挙句、定年を迎えこれからは第二の人生だと言った矢先、妻に先立たれた男は特に。
息子は息子の家で一緒に住めばいいと言ってくれはしたが、嫁から白い目で見られることは必至。そんなことに対して神経をすり減らす日々を送るよりはチェーンのコーヒーショップに出向き、安いコーヒーを片手に本を読んで時間を潰していた方がなんぼかマシ、といったところだ。
この日も馴染みのコーヒーショップで程良い人の喧騒にまみれながら、一冊の単行本を読み終えた。純文学的作品の余韻に浸りながら家路につく。家を出た時には出ていたお日様はとうにその身を地平の袂に埋めており、今は夜の太陽が金色の光を振り下ろしている。
そっと吹いた風が肌を撫でる。意外な冷たさに首を竦めつつ、神無月も半ばになればこれほどの寒さになるのだったかと時の流れの速さに感嘆する。
帰りにいつも通っている川の土手を歩いていると、川面へと続く緩やかな坂で一人、体育座りをしている女性の姿を認める。おや、と思ったのは夜中に女性が一人でいることに加えて、その女性が大人っぽくありながらどこか幼さを残した面持ちだったからだ。
声をかけようとして、その頬に一筋の光が光っているのを見て止めた。唇を噛み締めているのも見れば、女性の身に何かあったのだろうことは容易く想像はつく。余計なことを言って気を煩わせてはいけない。どだい、もはや醜態を晒すだけの老体にできることなど何もない。
最後の方は口元に苦笑を刻みながら思い、失った視線のやり場を空に求める。町から少し離れたここには、人々の日頃の鬱憤と汚濁を代弁するネオンの猥雑な光も届かない上、周囲には街灯も見当たらない。防犯上は危険極まりないのだろうが、緩々と流れる川面が月明かりを反射することも相乗して、夜空を眺めるには絶好の場所だった。
(星月夜 さざめく数多の 灯よ か細き光は 虚空に呑まれん)
考えて出た歌ではなく夜空を見て唐突に出た歌だったが、柄じゃないと自ら一蹴するといつの間にか止めていた足を再び動かし始めた。家に帰ったら、子供に電話しよう。その思いが唐突に湧き出した。何を話せばいいかは、かけてから決めればいい。
なぜかはわからないが、家へと向かう足取りがいつもより少しだけ軽い気がした。