閑話 セブンラビリンス
フィオンは気を失ったレイナを抱きかかえたまま、ねずみ色の人工的な地面に立っていた。
周囲には奇怪な形の建物が幾つも立ち並び、長い細長い円柱が一定の間隔で多数聳え立っている。目にするすべてがフィオンには未知のものだった。ディートも不思議そうに辺りの匂いを嗅いでいる。
(ショウタは自分の世界を作り上げたといっていた。とすればこれはショウタの世界か?)
フィオンがざっと見る限り、建物の作りの精巧さ多様さはアースガルズ大陸のどの建物よりも上であった。確かに貴族の屋敷としては小さいが、とても平民に住めるような建物ではない。一つ一つの建物の出来自体は王一流貴族の屋敷に匹敵する。
(だいたい、この滑らかな地面は?)
ねずみ色の大地は滑らかで石一つ見当たらず、まるでカーペットのようだ。こんな場所が存在してよいのか。それともこれは全てショウタの空想なのだろうか。
フィオンが物珍しさ全開で周囲を見渡していると、前方から不思議な音が近づいてくるのがわかった。
キュィ~~ン!
生まれて一度も聞いたこともない音を鳴らせ、フィオンの前方に黒塗りの巨大な細長い鉄の箱が止まる。フィオンは【雷切】の柄に手を掛けながら、レイナを地面にそっと下ろす。警戒しながら庇うようにレイナの前に移動する。ショウタの創造した世界だ。フィオンとレイナに危険を加えることは万が一にもあるまい。
だがショウタの意図せぬ不都合が起きる事は常に存在するのだ。ディートも同じようで、フィオンとレイナの前方に移動しグルルと唸り声を上げる。
バタンッ!
黒塗りの箱にあるドアらしきものが開き中から一人の執事が出て来る。仕立ての良い燕尾服に白手袋をした黒髪の美青年だった。彼の体格は長身でスラリとしており、見栄えの良い髭がその執事の服装と実に調和している。
おそらく『七つの迷宮』の機能の一つである《精霊生成》により生成された精霊であろう。
だが、本当にタダの精霊なのだろうか。その神々しい姿を見ているだけで跪きたくなる。王族のフィオンがだ。それ以上にディートの様子が変だ。
その執事を一目見てディートが僅かに震えているのがわかった。それは畏怖であろうか。今まで見たこともない反応なので判断のしようがない。ディートは神獣だ。いわば神に最も近しい存在といえる。そのディートをこれ程、狼狽えさせるとは――。
執事は恭しくフィオン達に右腕を胸に当てながら一礼をする。
「フィオン様、レイナ様、ディート様でございますね。私は執事長をしておりますテューポと申します。どうぞお見知りおきを」
優雅に一礼をするテューポ。少なくとも目の前の人物がフィオン達に危害を加えるような存在には見えない。改めて警戒心を解いていく。
「あんたはショウタが作り出した精霊なのか?」
今、フィオンが最も疑問に思っている事を聞く。360度どの角度から見ても精霊にはみえないからだ。
(レナルド! あんたなんちゅう物を作るんだ!)
フィオンは悲鳴にも似た悪態を発明王に吐き出す。
「はい。私はショウタ様に生み出された存在です。我が主の意思により皆さんの滞在中お世話をさせていただきます。どうぞ良しなに」
精霊かという問いには予想通り答えない。精霊ではないのだろう。嫌な想像しか浮かばないがもう考えない方が賢明かもしれない。ディートは尻尾を丸めて子犬の様になってしまっている。
(ディート……お前……それでも神獣か? もっと根性出せや!)
「あ、ああ。よろしく頼む」
「それでは屋敷までご案内いたします。どうぞ、お乗りください」
テューポは黒色のドアを開けて畏まる。乗れという事だろう。
箱の中に、乗り込むと中は煌びやかな装飾がなされた広い空間があった。部屋は少々薄暗いが、天井には青と白の光がまるで星々の様に点滅している。
アースガルズ大陸では再現不可能な豪華な刺繍の入ったソファーのようなものに腰を掛ける。フカフカで信じられない座り心地だった。
シュルルルッ グワゥ~~ン!
何かが動き出すような音がする。窓の景色が高速で後ろに過ぎ去っていく。おそらく馬車のような乗り物なのだろう。そのスピードも乗り心地も比べるのも烏滸がましいが……
執事長――テューポが慣れた手つきで冷たい飲み物をグラスにつぎ、前のテーブルに置く。一口含む。意識が飛びそうになった。幼少期の長い王族の暮らしで舌は十分肥えているはず。そのフィオンでもこれほど美味しいものは飲んだことはない。口の中に入るとジュワ~と弾け、形容しがたい甘味と酸味が口の中に広がる。
ディートもソファーの上に座って、目の前の器に入れられた飲み物を美味しそうに飲んでいる。よほど美味しいのだろう。尻尾が左右に揺れている。
レイナにも飲ませてやりたいと思い横に寝かされているレイナを見る。レイナは息が荒く苦しそうだ。額には大量の汗が滝の様に落ちている。
フィオンの知るハイビーストへの進化ではない。ハイビーストへの進化は活動低下状態にはなるが、数分で回復するし動けない程ではない。意識がなくなるなどあるはずない。少し心配になり頭を撫でてやる。頭を撫でているのがショウタとでも勘違いしたのだろう。寝言でショウタの名前を呼ぶのを聞き、苦笑しながらつがれた飲み物を飲みほした。
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黒色の箱が止まり、ドアが再び開けられる。
ドアから降りて再度絶句する。そこは巨大な庭園だった。獣王国の王宮の庭園の2倍程もあるだろう。色とりどりの花々が規則正しく咲いており、十分な手入れがされていることが窺われる。
庭園の正面には超巨大な建物。その建物はアースガルズ大陸の全ての富を結集させても実現不可能な絢爛豪華な装飾がなされている。
その光景は神話に出て来る空中庭園に存在する神の住まう城を思わせた。
これは本当に『七つの迷宮』の機能なのだろうか? 説明書にはこんなことは記載されていなかった。
レイナを抱きかかえたままテューポの後について行く。
屋敷の巨大な扉が開かれる。非現実的な美しい光景が目に飛び込んで来る。
明るい蒼い光が部屋を隅々まで照らしている。巨大なホールは天井が吹き抜けになっており、周囲には石像、宝石等様々な豪華装飾品が飾り付けられている。この装飾品一つで、1年は遊んで暮らせそうだ。
幾多の執事とメイドがフィオン達を迎えてくれる。
全員が下級精霊では到底有り得ない神々しさを放っている。ゴクッと唾を思わず飲み込む。ディートも完全に呑まれている。敵意の欠片も湧かないようだ。フィオンも今度ばかりはディートを責められなかった。彼らが本気になればフィオン達など一瞬で挽肉だろうから。
メイドの中でも一際美しく金色に光り輝く長い髪を持つ美女がフィオン達に恭しく頭を垂れる。彼女はスカートの丈が長い純白のメイド服を着ていた。華美で幻想的な刺繍と造形を有する彼女のメイド服は彼女の人では到底あり得ない美しさとも相まって神話上の女神を連想させる。
「フィオン様、ディート様、私はメイド長のマイリーキーと申します。どうぞよしなに」
このマイリーキーという女性もテューポ同様、恐ろしい程の威圧感を示している。顔が引き攣るのを止められない。
何とか無言で頷く。無礼なのはわかっているが許してほしい。この普通ではない状況でまともに反応を返せと言う方が無茶な話だ。
客間らしき場所に案内される。相変わらず広く豪華な作りだ。一々反応するのも馬鹿馬鹿しくなって来る。ソファーに座り出鱈目に美味いお茶菓子を口に放り込んでいると、赤髪の黒い眼鏡をかけた巨躯の男を紹介される。
黒色の衣服の上からでも判別可能な盛り上がった屈強な筋肉。野性味溢れる容姿に特徴的な鋭い犬歯。その佇まいと纏う覇気は兄グラディス以上の王者の風格がある。とても、一介の精霊に出せるものとは思えない。さらに言えば、腰に携えた黒色の武具からは【雷切】以上の圧を感じる。【神話級】以上なのは間違いないだろう。
ディートはこの赤髪の男が出現してからテューポとマイリーキーのとき以上に完全に畏縮しきってしまっている。
もしかしたら、獣王国の神――イーリオンと何か関係があるのかもしれない。
赤髪の青年は自身を『ベヒモス』と名乗り、フィオン達の警護を担当したいと申し出てきた。王の威圧感を醸し出す存在に警護されるなどフィオンとしても心底息がつまるし、ディートが発狂するだろう。第一、この怪物みたいな連中が跳梁跋扈するこの屋敷に侵入しうる賊がいるとも思えない。
やんわりと断るがショウタに顔見世できないとゴツイ顔を泣きそうに歪めながら懇願され仕方なく受け入れた。
ディートがフィオンに恨めしそうな視線を送って来たが、ガン無視した。
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フィオン達は一室に案内される。
ベヒモスは部屋の外のドアの前で警護をすることになった。ディートの怯える姿を見て気を利かせたのだろう。意外に気が利く柱らしい。ディートは心底ほっとしたように、溜息を器用にもついていた。
魔法か何かは分からないが部屋に入ると明かりが自動的に灯る。ランタンのようなものではないようだ。
トイレも異常だった。アースガルズ大陸のトイレはすべて土を掘ってそこに排泄物を垂れ流すという構造だ。
だがこのトイレは水で排泄物を洗い流す構造らしい。御叮嚀に説明書らしきものが壁に貼ってあった。フィオンは新しい物好きだ。その説明書を読んで研究することにする。
フィオンはベッドで眠っているレイナを見る。レイナは進化の峠は越したのか、苦悶の表情や脂汗等は消失していた。
ただ昏々と眠っており一向に起きる様子がない。不安が胸に渦巻くが、ショウタを信じる他ない。
レイナの頭を撫でながら、フィオンはショウタの事をもう一度考え始めた。




