第89話 配下と養子にした幼女の件につき話し合おう
「主様。御免なサイ」
メリュジーヌ死にそうな顔で翔太に謝罪して来た。目尻に大粒の涙を溜めている。翔太に睨まれた事がよほど応えたと見える。
ボンボン貴族共との一件のせいで、もうメリュジーヌの件などどうでもよくなっていた。反省していればそれでいいし、実際に翔太の仲間に危害を加えようとしたら殺す。それだけだからだ。メリュジーヌの傍に近づくと殴られるとでも思ったのか、ビクッと目を閉じる。
翔太はメリュジーヌの両肩に手を置き、唇を奪い、舌を彼女の口内へ差し入れる。舌と舌を絡み合わせ、愛撫を重ねる。
「っ!? ……ン」
メリュジーヌは大きく目を見開いていたあと、翔太の背中に手を回し積極的に口を吸い、舌を絡ませてくる。
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数分間そのまま互いに唇を奪い合った後で、唇をゆっくりと離す。メリュジーヌにこのような行為に及んだ性格な理由はわからない。ただ、メリュジーヌの落ち込む姿を見たらこうするのが一番良いように思ったのだ。
もっとも、実際にはスクルドの突飛な行為に著しく混乱し、それをより強い刺激で誤魔化したかっただけかもしれないが……。
「主……様ァ……」
顔を紅潮させ目を潤ませているメリュジーヌを無視して、『七つの迷宮』のゲートを通り、7階層へ移動する。
7階層のへのゲートの入口にはテューポが佇んでいた。ベヒモスとマイリーキーもいる。その普段とは比べものにならない程の緊張した表情から翔太に何か言いたい事があるのだろう。そしてそれはおそらく翔太にとって良くない事だ。
「「「主よ。お帰りなさいませ」」」
テューポ達は臣下の礼をとる。
「うん。出迎えありがとう」
この頃、翔太は本当に変だ。テューポ達の上に立つことに以前のような忌避感を覚えなくなってしまった。以前の翔太とは完璧に別者といえるかもしれない。
「僭越ながら、本日は主に進言させていただきたい儀がございます」
(やっぱりね。流石に僕から離反したいという事ではないと思いたいけど。もしそうなら、引き留める資格は僕にはないよ)
「何?」
「ルネ様の件でございます」
「ルネの件? どういうこと?」
翔太の声色が変化したのに敏感に反応しテューポ達に緊張が走る。
「ルネ様にお兄様の事を正確に知らせないでいただきたいのです」
「っ!? なぜ?」
「ルネ様のためにならないからでございます」
「ルネにはジャンの死について真実を知る権利があると思うけど?」
翔太は自然と表情さえも消していく、顔が憎悪に満ちる。憎悪を向ける対象は無論テューポ達ではない。その対象は――。
「確かに、ルネ様には真実を知る権利があるとは思いますし、普段ならそのようにすべきでしょう。ですが、真実を伝えるという事はあの地下室の出来事を思い出させることを意味します。そうすれば、九分九厘ルネ様の心は全て壊れてしまいます」
「心が全て壊れる? ルネの心は壊れかけているということ?」
その事実に翔太は絶望で体が氷のように冷たくなっていくのを感じる。
「はい。ルネ様はお兄様のジャン様が拷問を受けているのを現に見ていたようです。私の判断でルネ様の一部の記憶を封印、修正いたしました。ですが、どんな形であるにせよ主があの時の出来事を伝えれば」
テューポが施したルネの記憶の封印の鍵はジャンが拷問を受けたという事実。ジャンの死の原因は、どう取り繕っても拷問の末に殺されたという事だ。その事を伝えれば、その拷問室の出来事をルネが思い思い出す事を意味し、それはルネにとって破滅を意味する。
ルネにあの日の出来事の結末を伝えることはルネに憎まれる事を意味し、翔太の心を確かに引き裂くだろう。だが、それは愚かな翔太が許される唯一ともいえる救いでもあったのだ。翔太が背負う業は途方もなく大きいものらしい。壊れるとわかって、ルネに言う事などできるはずもない。
だが、この話だけなら、テューポだけで十分であり、ベヒモスとマイリーキーがいる必要はない。無駄な事を一切しないテューポの事だ。これにも意味があるのだろう。
「わかったよ。ルネには伝えない。それで、僕に他に用件があるんでしょ?」
「はい。近いうちにアイテールに巨大な教育機関を設置する予定です。ルネ様のお通いになる教育機関はそこでいかがと」
アイテールなら武装蜂起した平民達が済む国だ。ルネと同年代の子供達も沢山いるだろう。
しかし、問題もある。武装蜂起した平民達の中にルネとジャンを知るものがいるかもしれないと言うことだ。これは確率的にはかなり高い。それに、アイテールはグラシル直轄領から近い。ルネとジャンはグラシル直轄領の街民から可愛がられていた。ルネもグラシル直轄領の街民に会いたいだろう。ルネが会いに行きジャンの死を知ったら……。
「でもアイテールにはルネとジャンを知る者もいるかもしれないよ。それに、グラシル直轄領に近い。仮に、ルネがグラシル直轄に行ってジャンの死を知ったらどうするの?」
「主よ。それは問題ありません。私が書き換えたのはジャン様の死の原因のみ、ジャン様の死自体を否定したわけではないのです」
ルネにとってジャンはこの世でたった一人の大切な兄だ。 改めて考えれば、ジャンの死を伝えないで済むはずもない。仮にそんな事をすれば、後々大きな矛盾が生じる。
「じゃあ、ルネの記憶をどう修正したのさ?」
「ジャン様はグラシル貴族共の馬車に轢かれ、モーズリー男爵の屋敷のベッドでルネ様に手を握られて安らかに息を引き取った事に致しました」
「そう。ルネの様子は?」
「昨日まで食事のなされず、夜通し泣き明かされていらっしゃいましたが、今日は少しずつ口になされるように成られました」
食べ物を食べられるようになったのならもう大丈夫だ。それに、涙が出るという事は感情の起伏があると言う事。それはとても幸せな事だ。翔太もジュリアのおかげで、泣くことができた。泣いてどす黒いものを吐き出して、踏みとどまる事が出来た。怪物にならずに済んだ。
「ありがとう。テューポ」
翔太は心からの感謝の意を込めて頭を深く下げる。テューポはキョトンと鳩のような顔つきになるが、直ぐに慌て始めた。気のせいか、テューポも日が立つごとに独特の感情をみせる様になって来た。鉄仮面が剥がれ落ちて来ているのかもしれない。
「いえ、配下の者が主のためにするのは当たり前の事……ゴホンッ!
主はニュクスと、アイテールを治める御方。その主がルネ様を養子になされるなら、ルネ様は後々このニュクスとアイテールを背負って立つ御方でありましょう。ルネ様にはそれにふさわしい教養と礼儀、武術を身に着けていただきたく思います」
「マイリーキーさんとベヒモスさんにルネの教育を任せるの?」
マイリーキーとベヒモスが一歩進みでて頭を垂れる。
「私が教養と礼儀をベヒモスが闘いに必要なすべてを教えます」
「マイリーキーさんとベヒモスさん達なら安心だよ。お願いします」
マイリーキーは翔太の言葉に感激し、ベヒモスはただ頭を深く下げる。そして、再度、恭しく一礼し去っていった。
「ルネには今日会える?」
「ルネ様は今日もお休みになられていますが、お会いになりますか?」
ルネは7~8歳程であり、エミーと同じくらいの年齢だ。地球では小学校低学年にもなれば、午後21ではまだ起きていた。だが、ここはアースガルズ大陸だ。地球とは異なり、電気が未発達。加えて、ルネは平民の孤児であり、ランプも燃料代がかかり使っていたとは思えない。暗くなれば寝ていたと予測される。午後21時に起きているはずもない。
「いや、いいよ。もう21時だしね。確かに子供には遅い時間だろうさ。明日からは暗くなる前に必ず来るよ。
あと、4日後にビフレスト王国のエルバートさんがニュクスを訪問したいそうなんで、その受入れ体制をお願い。失礼のないようにね」
「承りました。趣向を凝らして御持て成しをさせていただきます」
テューポはかなりやる気だ。少しやり過ぎないか心配となる。別にやり過ぎてもマイナスになるわけではないから構いはしないのだが……。
「ありがとう。
そうだ。僕に《錬金術》の工房を作ってほしいんだ。出来れば《調理》の厨房も。お願いできる?」
「勿論でございます。主よ」
「ありがとう。でも別に急がなくてもいいよ。最後に、医学書と、法律の本が僕のスマホにダウンロードされてたよね。その写しってもらえる?」
「暫しのお待ちを!」
テューポはそう答えると姿を消した。医学書は後々その知識が役に立つかもしれないと思ったからであり、法学書はエルドベルグの改革に使えると思ったからだ。法学を学ぶのは貴族達に対する一種の報復である。
「お待たせいたしました。主よ。どうぞこれを!」
てっきり書物の束を渡されるのかと思ったが、渡されたのは白いタブレットだった。こんなものもあるのかと受け取りながらも呆れる翔太。
「ありがとう。これマジで助かるよ。じゃあ、僕はそろそろいく。明日もよろしくね」
「イエス・ユア・マジェスティ!」
右手を胸に当てるテューポに挨拶をして、ゲートをくぐりエルドベルグの宿屋キャメロンまで戻る。