第51話 翔太の後始末は面倒くせぇ(1)
再び不思議な夢の世界に強制的に引きずり込まれる。ショウという人格が目覚めてから毎日みる異常な夢だ。大分慣れて来た。この世界はもう一つの真実の世界。ifの世界。それだけのリアルさがこの世界にはある。
ショウに兄を見殺しにされた女と関わるようになってから、ショウは少しずつ自分を取り戻していく。女や子供のような弱きものを殺すことに躊躇いを覚える。それは弱くなったのかもしれないがショウには別段不快感はなかった。
そして今まで感情のままに殺してきた無抵抗な者達の怨めしい顔を夢で回想し飛び起きると言ったごく真っ当な反応をするようになる。死人の様な血の気の引いた顔を見ると、その度に兄を見殺しにされた女は決まってショウに身体を求めて来る。その甘い現実逃避はショウにとってこの世界に来てからの初めての幸福だったのかもしれない。
ショウの理性を食料にしていた憤怒と憎悪は大人しくなる事の方が多くなった。理由はもちろん、ショウが自分を取り戻して来た事もあるのだろう。だが、最も大きな理由は最強ともいわれた王達ではショウを苦戦させることは出来なくなっていたからだ。それでは理性の摩耗など置きようもない。
その日もある大都市の宿屋の食堂で飯を食べていた。いつからかショウを憎んでいる女はショウと同席で食事を取るようになっていた。別段、拒否する理由もないのでそのまましておいている。
当初、ショウを恨んでいる女がなぜショウと一緒にいたがるのかは全く理解できなかったが、肯定的なものではない事だけは確かだ。いつも女の目の中にはショウに対する狂わんばかりの憎しみがあったから。それはショウとキスしているときもショウに抱かれているときも、一緒に食事をとっているときも常にあった。当初、女の行動と意思の不一致に戸惑ったものだが、今は大方の予想はついている。そしてその復讐の方法は極上の成果を収めていることも。
下卑た笑いを浮かべた如何にもゴロツキとしか表現しようがない角を生やした化物と其の仲間の者達がショウ達を取り囲む。
この世界――冥界の住柱は2つのタイプに分かれる。
一つのタイプは人間種や魔物と一部の生殖能力を有する悪魔との混血児。
この人間種や魔物達は各世界から奴隷として連れてこられた者、この冥界に迷い込んだもの、生まれた世界にいれなくなって逃げてきた者達だ。この数は結構な数に上り、冥界の8割がこの者達だ。ショウを恨む目の前に座る女もこの悪魔との混血児だと思われる。
理由は簡単だ。ショウと女が出会ってからすでに100年近くは経っている。それにもかかわらず女は以前と同様の美しい美貌を保っているからだ。
2つ目のタイプは純粋な悪魔。この悪魔には通常の生殖能力のある人間種と同等のタイプと生殖能力の機能が著しく低いタイプがある。無論、生殖能力の低い方がより悪魔の本質に近く力も強い。冥界を統べる者達は殆どこのタイプだ。この生殖能力が低い悪魔は大抵、生殖行為自体に例外なく興味はない。ごくまれに、人間種と恋に落ちる変わり者の悪魔が子供を生み落すに過ぎない。この生まれた子供達は通常の繁殖能力を備えており、途轍もない年月がこの子供達を冥界の主要な構成要素したのである。
ゴロツキ共はショウを憎む女の全身を舐めまわすように凝視する。その女を見る視線が著しく不快だったが、別に害はないので放っておく。
ゴロツキはショウを無視して女に話かける。
「おい、女。俺達と一緒に来い。金は払ってやる」
女はゴロツキ共など相手にしないと思っていた。女はショウに今まで死なずについて来たくらいだ。冥界の王との戦闘で死なない程度に強い。この程度の奴ら等、瞬きをする間に挽肉と化すだろう。それに、女はショウ以外の者にこれまで抱かれた様子はない。この100年近く、一時も離れたときはないのだから間違いはない。迫ってくる男を半殺しにする光景はよく見る光景だった。だが、その日は――。
女が席をたち男達が女の肩を掴み、自分達の部屋に連れて行こうとする。自らの顔が歪みある感情を表しているのが自分でもわかる。それはショウが生まれて初めて覚えた醜い感情だった。そのみっともない感情を抑え食事に集中する。だが、手が震えて口にフォークを運べない。
女と男達が2階にあがりショウの視界から消える。自然と席を立ち上がり、女とゴロツキ共が消えた2階へと移動する。部屋は多数あり、どこにいるのかわからないので、手当たり次第部屋に入り中を捜索する。鍵をかかっている部屋は扉ごとぶち破った。一番の奥の部屋に鍵がかかっている扉ごと引き剥がし、部屋の中に入ると、そこにはベッドの上で仰向けに寝ている下着姿の女に覆いかぶさる男がいた。その光景を見たショウの理性は呆気なく吹っ飛んだ。憤怒と憎悪の塊化したショウは右手に有りっ丈の力を籠め男に近づくが……。
「た、たんま。たんま。話せばわかります」
覆いかぶさるゴロツキはベッドの隅に、逃げるように移動し、ガタガタと震え出す。面食らって、振り上げていた手を下すべきか思案していると、男が捲くし立てた。
「あ、姉さん。もうこれでいいですよね? 報酬分は働きましたよ」
ショウを憎んでいる女は軽く頷くと、ゴロツキ共は全員深くショウに会釈をして命からがら逃げて行った。そこで、謀られていた事がわかり、怒りと恥辱で腸が煮えくり返る。
豆粒ほどの冷静さがあれば、ゴロツキ共がショウに喧嘩を売る事などありえない事がわかったはずだ。つい先日、圧政を敷いていたこの都市の領主である伯爵を潰した。ショウは強者の出現率を増すため、できる限り目立つように戦う。だから、あの戦闘はこの都市のものの大半が見ていたはずだ。全く強いとは思えない黒髪の少年と腰までかかる色艶の良い黒髪の垂れ目気味の美しい女が伯爵を一方的に蹂躙したのだ。噂くらい聞いてはいただろう。それに、周囲にいた男達が隅でピクリとも動かないことに疑問くらい持つべきだった。
「お前は一体何をしたいんだ?」
射殺すような視線を女に向けると、女は満足そうに笑顔を浮かべ服を着始めた。初めてみた女の笑顔はショウの怒りを瞬時に鎮静化する。
このときすでにショウはどうしょうもなくこの女にいかれていたのだろう。ショウを絶望のどん底に突き落とそうとしている女を狂おしい程に――。
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瞼を開ける。そこはいつもの、キャメロンの2階ではなかった。やけに、後頭部に接触する部分が柔らかい。このアースガルズ大陸のベッドは板のように固い。頭からダイブすればたん瘤くらいではすまないだろう。その柔らかな感触が人間の膝だと知り思考が秩序を失う。
美しくも色っぽい女はショウが瞼を開けるのを見て、安堵でため息と一緒に瞳が閉じる。直後、ショウが言葉を失い、女の顔を注視している事に気付き、みるみる顔を真っ赤にし、膝をどけた。
ゴンッ!
ショウの後頭部が床にぶつかり盛大な音を上げる。まったく痛みはなかったが、驚きはする。
「テメエ、いきなり立つんじゃねぇよ。吃驚んじゃねぇか」
女は目を丸くするがすぐに、怒りの表情に変えた。
「助けてもらっといてその言いぐさは何?」
「助けただぁ?」
ショウは翔太の記憶の認識を開始する。
(ん? 記憶のほとんどが認識できねぇ。どういうことだ?
はっきりしているのはエルバートにグラシル暴動の事態を収拾する事を頼まれたこととチェスと共にエルドベルグに戻るところくらいか。その間の事は全く記憶を認識できねぇ。
そのグラシル暴動の収拾後、エルドベルグの冒険者ギルドへ行き、ヴァージルといちゃつきここに来る。
スキル《魔道具作成術》を第8級――深淵級まで上げ、《錬金術》に進化したところで、その負荷で目の前の女――カサンドラに解放されながらぶっ倒れたわけか。
ややこしい状況で倒れやがって。せめてヴァージルとの約束くらい遂げてから気絶しろよ。事後処理が途轍もなく面倒じゃねぇか)
ショウは起き上がり、カサンドラを凝視する。
「カサンドラ、ありがとうよ。感謝する」
カサンドラは顔を紅潮させ、目を背ける。事情を把握し、げんなりするショウ。
(此奴もか……一体あの昼行燈のどこがいいんだ? 彼奴、魅了スキルを自動発動してると言われても俺は驚かねぇぞ。
また俺がやり過ぎると、ヴァージルのように此奴も翔太の毒牙にかかる。それはあまりに不憫だ。翔太を真似て直ぐに退散するとしよう)
「別にたいした事はしてないよ」
「いえ、そんな事はありません。もう一度俺を言わせてください。ありがとうございます。
それと、床を僕の血で汚してしまってごめんなさい」
やっと通常の話に戻り、いつものような不機嫌な視線を向けて来るカサンドラ。というか普段よりも不機嫌そうだ。翔太の記憶を認識しているに過ぎないから確信までは持てないが……。
「別にいいさ。治ったんならとっとと、出てってよ!」
(翔太なら自分の肉片の処理をすると主張するだろう。変に翔太と異なる行動をとると、怪しまれる。翔太の記憶に従い行動しよう。なぜ俺がこんな阿呆なことを……情けねぇ)
「この僕の血で汚れた床、カサンドラさんにさせるわけには行きません。僕にさせてください」
頭を下げて頼むと、何を勘違いしたか真っ赤に頬を染めて視線を真横に向けながら捲くし立てる。
「いいといったはずだよ。怪我人はさっさと帰って寝な」
(此奴、これでも翔太を心配しているらしいな。外見はやたらエロイくせに、中身はてんで餓鬼じゃねぇか。なんちゅうアンバランスな女だ。個人的にはあまり近づきたくはない。さっさと、処理して帰るとしよう)
「心配してくれてありがとう。貴方はやはり優しい人です」
(ちっ、こうも反吐が出る事をよく言えるものだ。鳥肌が立つ。止め! 止め! もう翔太の真似は止めだ。性に合わねぇ)
「あ、あたしは優しくなんか……」
熟れたトマトのようになり呂律が回らなくなったカサンドラにうんざりしながら、話を進める。
「バケツとモップはどこですか? あと外の井戸の場所などを教えていただければありがたいです」
「バケツとモップは外の物置、井戸はその近く!」
ショウが急に桃色になりかけた話題を切ったせいか再び不機嫌になってしまったが、目的は果たせた。
一礼をして、外の物置からモップとバケツを取り出し、物置の脇にある井戸から水を汲み、工房へ戻ると、カサンドラはいなくなっていた。丁度良い。これ以上、あの女と関わるのは心臓に悪い。
カサンドラは感情表現が下手くそで口下手だ。カサンドラからショウの存在が翔太に漏れることはまずないだろう。
肉片は一時的にアイテムボックスへ入れた。水を付けてモップで磨くと元以上にピッカピカになる。血の付いたモップを外で洗い、モップとバケツを物置に戻して、1階の居間へ行くと、翔太の記憶通りカサンドラが椅子で寝ていた。毛布をかけてやり部屋を後にする。