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神の創りたもうた世界 改悪パッチ

作者: 丸屋嗣也

 設計ソフトの画面を閉じてメールボックスを覗き込む。すると、一時間前に見た時よりも新着メール数が千近く増えている。そんな状況に辟易としながら、俺は傍らに置かれたコーヒーをがぶ飲みした。

 戯れにメールボックスを開いてみる。すると、どれもこれもまるでハンコを押したように件名が「取材のご依頼」だった。差出人はどれも違う。ばっと見た感じでは大手新聞社やテレビ局の名前もある。だが、フリージャーナリストのものと思しきものや、外国からの依頼のようで英文で打たれているものもある。

 まったく、困るんだがな。

 このメールボックスは仕事にも用いているモノだ。これがパンクしてしまうと仕事に障る。

 とりあえず、マスコミ関係の依頼を一時間程度かけてごみ箱送りにして、仕事の依頼だけを拾い上げる。なかなか上々だ。誰もが名前を知っているような会社から、「当社の図面を引いてほしい」だの、「うちのこのパーツの設計をしてほしい」といった依頼が入っている。しかも、末尾に付された報酬額は破格だ。

 いいね。

 それらのメールにすべて返事をした。もちろん「諾」だ。断る理由などない。というより、フリーランスの設計士などという立ち位置の人間にとって、仕事を断るということは即死活問題につながる。そうして、反吐が出そうなほどにゴマすりを施したメールを返信し終えてから、俺は携帯電話を操って耳に宛がった。

『はい。杉本ですが』

 相変わらず疲れた声だ。これだから勤め人はいけない。

「おう、隼人か。俺だよ俺」

『それじゃあ昔流行った詐欺だろうが。――分かってる。何の用だ?』

「そう冷たくしなさんな。――お前に仕事をお願いしたくてな」

『仕事?』

「おう、ここんところ、マスコミ連中がメールを送ってくるんだよ。これ、明らかに営業妨害だよ。弁護士お得意の法律の牽強付会でどうにかならないか」

 明らかに、電話口の向こうにいる杉本は呆れているようだった。

『あのなあ、俺たち弁護士はあくまで法の運用を元にクライアントの権利を守るのが仕事で……。ああわかった、検討しよう。だが、お前、いつまであの件をコメントしないつもりなんだ』

 ああ? 俺は怒鳴った。

「んなもん、誰に命令されるもんでもないだろうが」

 まあそうだな、と杉本も同意した。

『お前の好きにすればいい話だ。もし記者会見しようっていうなら、うちの事務所が面倒を見るぜ? 自慢じゃないが、うちの事務所は記者会見の仕切りにも定評があってだな――』

「そういうことは、お前が事務所を持ってから言うことだな」

 けらけらと笑った。

 すると、むっとした様子で杉本は言葉を重ねた。

『まったくだ。OK。今度からお前には二度とその手の提案はしないことにしておく』

「そう怒るなって、俺とお前の仲だろう」

 高校の同級生。特段仲が良かったわけではないが、最近になって再会して、今では法務関係の顧問になってもらっている。フリーランスになるとそういう面倒事も負わなくてはならないのが面倒だ。

『――お前はいつもそれだ。まあとにかく、法務顧問として一応言っておく。いつまでも逃げ隠れしているから、マスコミどももあれこれ調べるんだ。それに、お前の仕事は逃げ隠れするような性質のもんでもないだろう』

「その通りだな。だが」俺は吐き捨てた。「だからって、俺が表に出る理由にはならないな」

『――また困ったことがあったら電話してくれ。メールの件は早速対応を取る。請求はあとで回すからな』

 杉本は電話を一方的に切った。

 ツーツー、という音を遠くに聞きながら通話を切った俺は、テレビの電源を入れた。俺が物心ついたころにはハイビジョンとかいう技術で額縁のような受像機を使っていたが、今はもう随分と様変わりしてしまった。まるで紙のような薄さの液晶を壁に張り付けるだけだ。

 画面には、俺の顔が大写しになっていた。どうやらニュースが始まったらしい。いや、最近ではニュースではなくて、「ニュースバラエティ」とか言うらしい。ニュースの視聴率さえもマスコミは気にするようになっているらしい。

 未だ記者会見を開こうとしない○○氏、という見出しのニュース。そして、どっかのFラン大学院の教授とやらが賢しらな顔をして、

『素晴らしいことをなさったのですから表に出てこられればいいのです』

と杉本と同じことを言った。

 冷蔵庫から缶ビールを取り出してブルタブを上げた。ぷしゅ、という音が某教授氏のご高説を一瞬だけかき消した。

「なんでお前らの言うことを聞かなくちゃならねえんだよ」

 俺はビールをあおった。

 三年ほど前、俺はある設計をした。それに俺は『ノーボーダー』と名前を付けた。

 このシステムの仕組みはさして難しいものではない。超光速粒子タキオンを用いて、電波などの伝達の際に生じるタイムラグを埋めるモノだ。

 ラジコンを考えると分かりやすい。地球の反対側にあるラジコンを動かそうとする。するとそのためにはそのラジコンを見守るためのカメラが必要になる。そのカメラから映し出された映像を操縦者が見てラジコンのコントローラーを動かすことになるわけだが、その際、電波の伝達・中継や処理の分だけタイムラグが生じてしまう。だが、もしここでタキオンを用いればどうなるか。未来から飛んでくるタキオンを拾うことで確度の高い情報が早い段階で飛んで来る。それを処理してやって現実とのラグをゼロにしてやれば、目の前で見ているかのようにラジコンを操ることが出来る、という寸法のものだ。ちなみに、タキオン自体は既に発見されて三十年は経っている。そのため、遠い未来から飛んで来るタキオンは確度が低いこと(量子力学の帰結だ)や、数秒程度未来から飛んで来るタキオンならばほぼ確度が百パーセントであることも証明済だ。ただ、そのタキオンによる情報伝達によりタイムラグをゼロにすることに俺の設計した『ノーボーダー』の凄味がある。確かこの設計は日本の大手システム会社に納入して破格の値で買い取ってくれたが、いずれにしてもかなりインパクトのある技術だったらしい。まずは技術系の雑誌に掲載され、やがては世界中の技術者から称賛される代物に、最後には世界中の人々から歓喜を以て迎えられる代物になったようだ。政治家などは「国民栄誉賞を」などと言っているらしい。

 馬鹿げている。

 何が悲しくて、お前らに褒められなくちゃならんのか。

 結局、金、金、金。金が全てだ。名声というのは人と人の間に生きる人間にしか必要のないものだ。毎日家に籠って新たな技術の設計図を引いている人間にとって、名声など文字通りクソの役にも立たない。トイレットペーパーすら金がないと買えないのは自明のことだ。

 そんなことより。

 俺はいそいそと支度を始めた。

 今日は遊びまくる予定だ。


 真夜中の六本木の高級クラブにシャンパンタワーが屹立している様を見て、人は二つの反応を見せる。一方は、『こんな退廃な遊びをするとはけしからん』、もう一方は『羨ましい』だ。そして俺は元から後者の人間だった。進学率が90%を超えた時期に大学を卒業してすぐ働き始めたという低学歴を絵に描いたような俺にとって、いつかこういう遊びをやってやるんだ、という一心でサラリーマンをやって、そのうちに独立したのだ。

 シャンパンがタワーに注がれる。すると、厚塗りをしたホステスたちが馬鹿みたいに黄色い悲鳴を上げる。ま、実際に馬鹿なんだろう。

 シャンパン十本を費やして満たされたタワー。暗い照明に照らされたそれは、かつてこの地上にあったとかいうバベルの塔もかくやのきらびやかさを誇っていた。とはいっても、バベルの塔、という言葉を知っているだけでそれが何なのかは知らないわけだが。

 そして、こんな量のシャンパンを一人で飲み切れるわけはない。近くのホステスに命じて、ここにいる客や店員全員に振舞うことにした。

 歓声がどっと上がる。

 だが、俺の心は何ら満たされることはなかった。

 お前らのためにやってるわけじゃない。

 あの『ノーボーダー』の開発によって、やってくる仕事やってくる仕事全て、桁が二桁変わった。家族も恋人も子供もない俺にとって、金の使いどころがない。最初は仕事場にも使っているあの家を買った。だがそれでも使いきれない。だから服にも金をかけた。だが使いきれるものではない。だから車にも金をかけてみた。それでも使いきれない。そうして、最近では若い頃にやってみたかったシャンパンタワーを毎日のようにやって過ごしている。

 だが、それでも使いきれない。

 笑っちまうぜ。

 シャンパンを後生大事そうにちびちびやる客たちのことをせせら笑いながら、女たちを侍らせてゲラゲラ笑っていると――。

「すごいですね、このご時世にシャンパンですか」

 話しかけて来る者があった。その声に向くと――。

 その男は黄色人種ではなかった。恐らくは黒人と白人のハーフだろう、褐色の肌をして天然パーマの短髪をしたその青年は、いかにも折り目正しい。こんな退廃の場だというのにダークスーツ姿で、ピンク色のネクタイにも少しの緩みもない。かつては勤勉と真面目の代名詞だった日本人だが、この青年こそ、往年の日本人の姿を体現しているような気がした。

 ひゅう。俺は口笛を鳴らした。

「へえ、サムライみたいな人だね」

 だが、ハーフの青年は眉一つ動かさなかった。

「まずはお礼をと思いまして」ハーフの青年は頭を下げた。「シャンパンを頂きありがとうございます」

 日本人よりもよっぽど日本語が流暢だ。ますますサムライ――。なんだか楽しくなってきた。

「礼なんていいよ。好きでやってるんだからな」

「しかし、このご時世にシャンパンとはすごいですね。今では異常気象でブドウ価格も高騰しているのに」

「へえ、そうなのかい」

「ご存じないのですか? 今、世界的に農作物が高騰しているではないですか」

「さあ? 知らねえな」

 というより、興味がない。これだけニュースソースが多チャンネル化している時代だ。噂によれば、地上波の総視聴率が5%を切っているという。きっと世間の人々はWEB番組などで自分の興味ある話題だけを集めて生活しているのだろう。もし世の中で起こっていることすべてを把握できる者がいるとすればサンジェルマン伯爵か神くらいのものだ――、そんな冗談を言うコメンテーターがいたが、元ネタが分からない俺は笑うことが出来なかった。

 すると、ハーフの青年はようやく不思議そうな顔をした。

「あなたは、――さんですよね」

「ああ、いかにもそうだが?」

「あなたに、お伺いしたいことがあるのです」

「へえ」

 周りの女どもが俺から離れた。元々強面だと言われることの多い顔だ。きっと今の俺は世にも恐ろしい顔をしているのだろう。

 しかし、それでも青年は怯む様子がなかった。

「申し遅れました。私はこういう者です」

 名刺を差し出してきた。それを片手で受け取った俺は読み上げた。

「へえ、ジョン・ジョイマン」

「はい。ジョンとでもお呼びください」

 嘘くさい名前だ、と俺は思った。日本でいえば、ジョン、なんていうのは太郎程度の名前だ。言うなれば、偽名臭い名前だということだ。

「ジョン、あんたの名刺、肝心なことが書かれてないぜ」

「は?」

「肩書さ。あんたの肩書が分からないことには、あんたとどう接していいかわからない」

 しばらく、俺のことを値踏みするような目をしていたジョンだったが、やがて意を決したかのように口を開いた。

「はい、私は米国の自由な報道人です」

「自由なほうどうにん?」

 日本語ではあまり使わない言葉だ。ようやく馬脚が出たか。

 そんな俺の反応に気づいたのだろう、ジョンはあたふたとし始めた。そして、頭につけていたカチューシャ状のものを少しいじり、またはめ直した。

「失礼しました」ジョンは頭を下げた。「フリーのジャーナリスト、ですね」

 そこでようやく得心した。ジョンは日本語を使えるわけではない。頭につけている翻訳装置で喋っているに過ぎない。なるほど、補正が強すぎて日本人からしても違和感のある翻訳になっていたということか。どうやらアメリカ製の翻訳機はあまり性能が良くないらしい。

「ジャーナリスト、かい」

「ええ、今、世界はあなたに注目しています。是非ともお話をお伺いしたいのです。――横に座ってもよろしいでしょうか」

「断る」

 俺は云った。

「なぜ?」

 ジョンの問いに、俺は応じた。

「決まってるだろ。俺の側に話をするインセンティブがない」

「そう言わずに。――実は、あなたの開発した『国境なし』が不正な用途に使用されている、という情報を追っていましてね」

「へえ?」

 俺は身を乗り出した。どうやらジョンの使う翻訳機はまだ調子が悪いらしい。固有名詞の『ノーボーダー』を直訳してしまっている。

「ご興味はありませんか?」

 実はまるでない。だが、このシャンパンタワーにも飽きてしまった。満たされない何かを満たすのに、このアメリカのフリージャーナリストを名乗るハーフの青年の話を宛がうのも悪くない――。そんな気もし始めた。もしかすると、既にシャンパンですっかり酔っぱらっているのかもしれなかった。

「いいだろう、聞いてやる」

 すると、ジョンはニコリと笑った。

「分かりました。では――」

 ジョンは店を替えましょう、と云った。

 俺もそれに応じた。


 ジョンが俺を招き入れたのは、街の片隅にある安い喫茶店だった。前世紀から開いているというオールドスタイルのその喫茶店は、俺たちのほかには客がいなかった。いるとすれば、今にもこくりこくりとして眠りに落ちてしまいそうな爺さんのマスターだけだった。

 そのマスターにアメリカンコーヒーを注文した。すぐにカップが二つ届いた。

「へえ」ジョンは目を見開いた。「おいしいですね、このコーヒーは。アメリカでは飲めませんよ」

「悪いが」俺は云った。「お前の世間話に付き合うつもりはないんだ」

「そうですね」

 悪びれもせずにコーヒーにしばし口をつけていたジョン。だが、しばらく唇の辺りでコーヒーを楽しみ終えるや、突然本題に入った。

「私は、主にアメリカ政府の不正を糾す報道を心掛けているのですが――。アメリカ軍がある計画を実行しているのです」

「ある計画?」

「まさに悪魔のような計画です。これを最初に聞いた時、思わず神に祈ったくらいです」

 いかにもキリスト教圏の言い回しだ。

 だが、こんなところで突っかかっていても始まらない。

「そう話を先延べにしなさんな。結論を早く云え」

 するとジョンは十字を切りながら、死刑宣告をする裁判官のような顔を浮かべた。

「――あなたは、人を殺している。しかも相当数です」

「は?」

 そんなことあるわけない。この通り柄は悪いが、表通りを歩けないようなことは何一つしていないつもりだ。

 が、ジョンは首を横に振った。

「いいえ、正確には、あなたの開発した『ノーボーダー』によってです」

「なんだと?」

「ときにあなたは、『ノーボーダー』がどこで使われているのか、ご存知ですか」

「知らん」

 というより、興味がまるでない。俺はあくまで『ノーボーダー』の設計をしただけで、その運用の権利はすべてクライアントの会社にある。その会社がどこに『ノーボーダー』を卸しているかなんて、一フリー設計士の知りうる話ではない。きっとこの技術は世界中の様々なところで使われていることだろう。その全てを追うことなんてまるで出来やしない。

 が、ジョンは手帳型の端末をフリックしながら続ける。

「あなたの設計の法的管理人であるA社にライセンスを支払ったB社が、日本にある機械部品製造会社のC社に依頼し部品としての形を作り、その後アメリカの機械卸の最大手のD社がそれを買い取ります。その後それをさるロボット製造会社が買い取るという流れがありましてね。このルートの一番端っこに、ネクタイピン社という会社があるのですが」

「そこが何か問題なのかい」

「アメリカ軍のダミー企業だという情報があるのですよ」

「へえ」

 ジョンは嘆かわしそうに頭を振った。

「そこから先のことは分かりませんが、あなたの『ノーボーダー』がアメリカ軍に納入された可能性が高い」

「ふうん。面白い話だ、だが」俺は身を乗り出した。「だからといって、俺を人殺し扱いとはひどい話だな。ロボットの部品の一部に『ノーボーダー』が使われてるんだろ? もしかしたらそれは災害救助用のロボットで、無線のラグをなくすために『ノーボーダー』を使っている可能性だってあるじゃないか」

 以外にも、ジョンは頷いた。

「あなたの言うとおりです。実は、ネクタイピン社に納入されているロボットは、自律型の介護用ロボットです。そのロボットに『ノーボーダー』が組み込まれているのは、中央管制と現場とのラグをゼロにするためでした」

「ほらみろ」

 だが、ジョンはその瞳の奥に、確信を宿らせていた。

「それが、これは私の友人のジャーナリストの証言なのですがね――」

 紛争地域の某国。ここでもアメリカ軍が展開している。とはいっても、生身の兵はほとんどいない。忌まわしき対テロ戦争の泥沼化によって徴兵制を復活せざるを得なかったアメリカ軍も、世論の反対を受けて結局徴兵をひっこめ、戦場に展開しているのは自律型ロボットばかりだ。

 しかし、ジャーナリストはそうもいかない。生身の体にカメラをぶら下げて戦場を駆けずり回るという前世紀のジャーナリストそのままだ。

 そして、ジョンの友人のジャーナリストも、戦場を生身で駆け廻っていた。

「そいつが言うんですよ。『ロボットの動きに、妙なエラーとか攻撃リズムのばらつきがある』って」

「エラー? ばらつき?」

「ええ、自律型のロボットならば、もっと効率よく弾丸をばらまくだろう、って言うんです。敵が突然来襲してきたときには、まるで驚いたかのように一瞬動きを止めて、その場でおたおたし始めたことさえある、って言ってました。――まるで、人間が操ってるようだ、と」

「何が、言いたい?」

「そして、私は私で、ある人物との接触に成功したのです」

「ある人物?」

「ええ、アメリカ国内・東海岸で表向きは内勤をしているという少佐です。しかし、彼は少佐でありながら部下がいません。少佐と言えば、百人規模の隊を率いる隊長格にも関わらず、です。そして、彼は何をしていたと思いますか? アメリカ東海岸で会社を興していたんです」

「分からないな」俺は云った。「その少佐の話と戦場に何の関係が」

 ジョンは指を一本立てた。

「その少佐が興した会社。それは、ゲームのデバッグを行なう会社でした。普通、デバッグはゲーム会社本体が行なうものですが、その会社は色々な会社からデバッグを請け負っていました。が、不思議なことに、この会社は途中から仕事の受注を大幅に減らします。それまでは一か月に十タイトルほど受けていたはずが、一か月に一タイトルも受けないことすらありました。それでもこの会社は続いていました」

「アメリカ軍のダミー会社ってことか。――だが、アメリカ軍がなんでゲームのデバッグなんか」

「その答えは、その少佐が言ってましたよ」

 そうしてジョンの口から飛び出したのは、大胆にして荒唐無稽、そして綿密なアメリカ軍の作戦だった。


 ジョンとの会談の数か月後、俺は自分の部屋にいた。

 相変わらずやってくる取材依頼の山に辟易としながら、俺はひたすらに企業から依頼された機械部品のCAD図面を引いている。忙しいんだよ俺は。そう呟きながら、やってくるメールを無視する。

「まったく馬鹿馬鹿しいったらないぜ」

 もう一生分稼いでいる。それでも図面を引いているのはなぜだろう。物欲なんてこの期に及んでありはしない。名声なんぞ要らない。じゃあ……そうだ、これはきっと暇つぶしだ。死ぬまでの間、長い間続く絶望的な暇。その暇を紛らわすための仕事。うん、それだ。

 だが、その甘い暇つぶしの時間にも終わりがやってくる。最後の線一本を書き終えるや、保存をして図面を閉じた。

 ふう。

 俺はテレビをつける。

 いつも見ている地上波ではない。ニュースサイト、しかも一般には『反権力に寄り過ぎていてエンターテイメントとして見る分には面白い』とネタにされている小さなWEBニュース局だ。

 連日、このニュース局ではあるニュースでもちきりになっている。

 それは――。

 いつぞや日本で逢ったジョンが、画面に大写しになっている。そして彼は、白目を剥き、口から泡を飛ばしながらカメラに向かって演説をしている。

『アメリカ政府は我々を欺いていたのだ』

 数か月前と同じことを彼は繰り返していた。

 あの時ジョンはこう云った。アメリカは、国民を国に居ながらにして戦争に動員していたのだ、と。

 その仕組みはこうだ。アメリカ軍はまず民間自律型介護用ロボットを購入し人間用の武装を取り付け、遠隔操作ロボットに作り替える。そして、そのロボットを戦地に運搬し、最前線に配備する。あくまで、関係者には『自律型のロボットである』と偽った上でだ。では、この遠隔操作ロボットを操作するのは誰か。

 アメリカ東海岸にある、アメリカ軍のダミー会社であるゲームデバッグ会社。その社員たちがやっているゲームと、戦闘用ロボットが直結されている。つまり、デバッグをやらされている社員たちは、ボタンを押すことで敵兵に向かって銃弾をばらまいている。

 この計画の全貌を知る人間は少ない。たとえば、民間ロボットを買い上げている軍人は『戦地用の救護ロボットに改造するため』としか知らされていない。また、そのロボットを軍事用に改造している技師たちにも、『のちに自律型ロボットに改造される』と説明されている。このロボットを運搬する者たちにはそもそも積み荷のことは知らされないし、現場に少数ながら居る将校やジャーナリストたちには自律型ロボットであると説明してある。そのロボットたちを実際に操っているデバッガーたちはそんな計画が背後にあることなど知らない。ジョンはそれを指して『情報のロンダリングが起こっている』と嘆息した。流れ作業の中で、その全体像を把握するのは難しい。自分の取り付けているビスが、箪笥のものなのか、それとも椅子のものなのか、それとも戦車のものなのかの区別がつかないようなものだ。何を作っているのかを知るのは、工場のラインの上に立ちすべてを制御している工場長やその取り巻きたちくらいのものだ。

 しかし、目を充血させて興奮気味に喋るジョンの顔を見るたびに心中に去来するのはある種のむかつきだった。腹の底から湧き上がる不快感をミネラルウォーターで洗い流す。だが、いつまで経っても消えることはない。

 奇しくも、三か月前に逢ったジョンはこう言っていた。

『この情報をリークしてくれた少佐が、こんなことを言っていたんですよ。「なぜ神はこのような世界をお創りになられたのだろう」と。私にはその気持ちがわかるような気がします』

 悪いが俺は無宗教なんだが、と釘を刺すと、ジョンは、新約聖書はご存知ですか、と聞いてきた。名前くらいしか知らない、と答えると、ジョンは続けた。

『新約聖書に、『姦淫の女』というエピソードがあります。姦淫を犯し律法により石打ち刑を言い渡された女を見たイエスが『罪を犯したことがない者だけが石を投げよ』と宣言した話です。誰も己の罪を自覚して、石を投げることが出来なかった』

 それがどうした?

『神は、我々が罪深い存在であることを最初から規定なさっている。他人を虐げることなしには生きていくことのできない存在として。きっとその少佐は、そんな現実に嫌気が差して私に告発してくれたのでしょう』

 そうかもしれない。

 介護用ロボットを改造して戦地に送り、そのロボットを操ることにより他人を殺す。ただこれだけの計画の中に数多くの人々が関わっている。そしてその中の一人に俺がいる。いや、もっと極端に言えば、この話における俺の役割は大きい。アメリカから遠い戦地までの遠隔操作。そのためには指示やフィードバックの際に生じるラグの解消が必要不可欠となる。つまり、俺の『ノーボーダー』なくして、この計画は成り立ちえない。俺の『ノーボーダー』が触媒となって、多くの人が人殺しに加担している。

 だが――。

 まるで実感がない。

 おそらく、俺の『ノーボーダー』によって何千人もの人間が死んでいるはずだ。だが、俺の心中にはほとんどといっていいほど良心の呵責はない。きっと、アメリカ本国でこのロボットを操っている人々が真相を知ったとしても、俺と同じような感想だろう。だって彼らがやっているのは、コントローラーのボタンを押すだけの作業だ。

 それ以上に。

 世界は近くなり過ぎた。毎日のように世界の動きが自分の脳めがけて押し寄せてくる。だが、その処理が追いついていない。実感を失った情報が駆け巡り、自分にとって身近なものだけが実態を持った事実として認識される。遠い異国で繰り広げられる戦争なんて、いくら情報が入ってきたところで何の処理も受け付けない。

 人間の脳のキャパシティよりも、飛び込んでくる情報のほうがはるかに多い。

 そして、遠い世界へは、人間性がこそげ落ちた人間の根源的な意志、たとえば悪意のようなものだけが飛んでいってしまうのではないか、そんなことを思った。

 と、その時だった。

 がしゃん、という大きな音が部屋に響き渡った。

 なんだ?

 音のほうに向く。そっちはベランダだ。地上五十階のベランダから音がする。

 生温かい風が俺の頬を撫でた。

 その風に誘われるままにベランダに向く。すると、床に散らばったガラスを踏み壊しながら、それがぬうと中に入ってきた。

 二メートルほどもあるそれは介護用ロボットだった。だが普段見るそれとは随分と趣が違う。ピンク色に着色されているのが通常だが、それは全体に緑色っぽく着色されている。そして、左肩には国籍を示すアメリカのマークにバツがつけられ、代わりに某国のマークが書き加えてあった。

 その某国は、現在アメリカの攻撃を受けている国だった。

 そのロボットはゆっくりとした足取りでこちらへやってくる。そして、やがて俺の前に立つや、手に持っていたアサルトライフルを思い切りぶっ放してきた。

 響く轟音。木が爆ぜボードが吹っ飛びガラスの割れる音も聞こえる。肉を裂き、骨を砕く弾丸の音が確かに聞こえる。そして、どんどん自分の血流の音が大きく聞こえてくる。

 痛みがより一層思考をクリアにする。

 アメリカ軍のロボットが、敵国に拿捕されたのだろう。再改造されてこの日本に送られてきた。恐らくは、アメリカと密接な同盟関係にある日本を攪乱するために。

 『ノーボーダー』は世界を狭くした。だからこそ俺はこの名前を付けた。

 だが、実際には違う。

 世界は狭くなった。だが、人の持ちうる想像の範囲は変わっていなかった。結局一人の人間が処理できる範囲というのはごくごく狭い。そこから外は自分とは関わり合いのない、まるでフィクションのように捉えどころのない世界が広がっている。だから、アメリカのデバッガーたちが遠い敵国の人々を殺し、俺がその片棒を担いだとしても何の痛痒もないのだ。

 そして、今、俺の目の前にいるロボットを操っている奴にも良心の呵責はないだろう。奴らからすれば、俺のリアルは遠いフィクションでしかない。

 神など信じていない。だが、もし、神なるものがいるのなら――。

「なんで神は、こんな世界を創ったんだろうな」

 次の瞬間、目の前が真っ暗になった。それはさながら、神が俺の目の前に現れて、ふわりとヴェールを被せたかのように優しく、そして温かだった。何も見えない、何も感じ取れない、そんな幸せを噛み締めながら、俺はゆっくりと目を閉じた。


念のため言っておきますが、これは「改悪パッチ」ですので、このテクストの内容は「あなたのSFコンテスト」の結果に反映させないようにお願いいたします。

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