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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

スイートホーム

作者: 黒駒臣


            *


 ある住宅地の一角に幽霊屋敷と噂される古い空き家があった。

 空き家の前を通った通行人が、夜な夜な垣根の隙間から半透明の老人が庭に立っているのを目撃するという。

 よくある友達の友達が見たというパターンが多かったが、噂は拡散され、大きく育っていく――


            **


「どっか、いい場所ないかな」

 エイジは首筋をぽりぽりと掻きながら浮かない表情でつぶやいた。手にはコンビニの袋を力なくぶら下げている。

「んなとこ、どこにもないよ」

 ババクンもコンビニ袋を指に引っ掛け、ふてくされた顔でエイジを振り返る。

「ねえねえ、さっきの見た? あの店員の顔。ああいうのを目むいて鼻むいて怒るっていうのかな」

 チャメは笑っていたが二人と同じくやはり元気はない。

「俺らみたいなんがたむろするところが流行るってこと知らねえんだよ、あのクソ店員。俺ら集客してやってるみたいなもんなのにさ」

 そう吐き捨てダンダはペットボトルのコーラをぐびぐびと飲み干し派手なげっぷをした。

 中学二年生のエイジたち四人組は小学校時代からの仲良しグループだった。

 放課後コンビニに立ち寄って駐車場の片隅でダベろうとしていたところを店員に見咎められ敷地から追い出されたところだ。

 四人は世間から見て普通の良い子ではない。だが、手の付けられないワルというのでもない。

 同じ学年に万引きを注意され店員を殴って逃げたワルがいるが、それに比べるとかわいい少年たちである。

「ああ、ほんと、どっかないかな。オレ達みんなで集まれて、大人たちにうるさく言われない秘密基地みたいな場所。そんなとこあったらさ、女子も誘ってあんなことやこんなこと。むふふ――」

「おいエイジ、お前バカか。そんな都合のいい場所どこにもねえし、俺たちが誘ってついてくる女子なんかよけいいるか」

 ダンダはエイジのにやけた顔に水を差した。

「まあ、そうだろうけど――夢を壊さないでくれよ」

「ねえねえ、エイジの夢ってそんなでいいの?」

「じゃあ、チャメの夢ってどんなだよ」

「えー。僕の夢? うーん。わからん」

「おれも女子と仲良くするっていうの夢だなあ――」

「ババクンも? 二人ともそれが夢って悲しすぎるよ」

 チャメが憐れむ。

「ははは、お前ら勝手に言っとけ。俺は彼女いるからな」

 三人は一瞬、羨望の眼差しでダンダを見た後「ウソつけっ!」と叫んで一緒にツッコミを入れた。

 それを笑ってかわしながらダンダが叫ぶ。

「もう、これからどこ行くよっ!」


            ***


 背が低く痩せた初老の男がいた。おまけに貧相な顔立ちで、勤めていた会社では貧乏神とあだ名されていた。

 その男が退職金でマイホームを手に入れた。

 何を作っていたのかいまだ把握していない部品工場で毎日油にまみれて働き、上司に嫌われ同僚や後輩たちに無視され続けても定年退職するまで働きぬいた。

 退職金は男にとって文字通り汗と涙の結晶であった。

 もちろん大した額ではない。だが、中古の小さい家を購入することはできた。

 男は自分がやっといっぱしの人間になれたと大満足した。


            **


 それぞれみんなの家にはいつも誰かしらいて、好き勝手に集まり騒げる場所はなかった。

 エイジの母親はイラストレーターで常に家にいた。世間一般の大人たちに比べると寛容だが、年甲斐もなく家中を少女趣味全開にしているので、むさくるしい中二男子が四人も自宅に集まることをよしとしなかった。娘が欲しかったのにと堂々とエイジの前で嘆き、息子にかわいい彼女ができるのを楽しみにしていたが、最近はエイジの顔を見るとため息をつくようになり、友人たちを家に招くと露骨に嫌な顔をした。

 ババクンの両親は学習塾を経営しており、みんなが集まると有無を言わせずまず勉強をさせるため、誰も近寄りたがらなかった。

 チャメの母親は専業主婦で一人息子を溺愛していた。四人が部屋に集まると喜んでお菓子や飲み物を用意してくれ、集まるのに一番最適な場所だったが、チャメが注意するまで部屋を出て行かず、やっと出て行っても何度も覗きに来ては四人の話に首を突っ込んでくるので、みんなうんざりしていた。特にダンダが猫なで声でチャメの名を呼ぶ彼女を嫌っていた。

 ダンダの家には母親がいなかった。だが、いつも酒癖の悪い酔っぱらい親父が大の字で寝ているので、みんなで集まるということができない。もとより長屋の狭い間取りにはダンダ専用の部屋などなかったが。

 よって四人の集まる場所はコンビニの駐車場ぐらいしかなかったのだ。こうるさい店員がいない時はたまることができたとしても安住の地というわけにはいかない。

 空き家か空き倉庫でもあれば。

 エイジはいつも考えていた。しかも管理の行き届いていない忍び込める場所。

 だが、自分たちに都合のいい所がそう簡単に見つかるとはとても思えなかった。


            ***


 男が相談もなく勝手に購入したマイホームは彼の妻にとって満足のいく『我が家』ではなかった。

 今は肥満して身をやつすこともなくなったが、見合い結婚した頃はまだ若さと多少の美を備えていた。そんな彼女は結婚から現在に至るまですべての意味で夫に満足したことがない。親戚に勧められたとはいえ、なぜ結婚してしまったのか後悔の連続で、惰性で離婚しなかっただけで夫に対して信頼も期待も持ち合わせてはいない。

 なので家を購入するなど露ほど思わず、それほどの退職金が出るとも考えていなかった。

 もし、事前にわかっていたならこんな条件の悪い買い物など止められたのに。

 夫が購入してきた中古物件は小さくて狭く日当たりが悪いうえ、真横には汚臭と害虫の発生するドブ川があった。

 生活の動線が全く考えられていない間取りで内装のリフォームも雑だった。

 誰も購入しないようなカス物件をこのクソ夫はつかまされたのだ。自分に相談していたのなら、こんなことにはならなかったのに。妻のただでさえ高い血圧が上がる。

 身の程知らずが。マイホームなんか夢のままでよかったんだ。金だけ持って帰ってきていたら慰謝料ふんだくってさっさと離婚したのに。

 怒りと不満が妻の身の内でどす黒く渦を巻いた。

 

            **


 昼休憩中、エイジは机に突っ伏して眠っていた。弁当を食べた後に来る眠気が気持ちよく、その時間は必ず昼寝をしていた。

「ねえねえ、エイジ。僕、きのういいこと聞いたんだ」

 突然、隣のクラスのチャメがエイジの教室に飛び込んできた。

「何? オレ、眠いんだけど」

「起きてよ。となりのK町に誰も管理していない空き家があるんだって」

 チャメは隣の席に座り、あたりを気にしながら小声で話す。

 教室にはスマホを見て話に興じる女子生徒数人とエイジと同じく机にもたれて眠る男子が三人いるだけで、チャメを気にしている者は誰もいない。

 エイジが背筋を伸ばした。

「ふーん。誰情報?」

「ママ――じゃなくて、母ちゃんだよ。その家、幽霊屋敷って噂あるんだって」

 いまさら言い換えてもマザコンキャラは変えられないよと、心の中でうそぶきながら、「幽霊屋敷? じゃあ、ダメじゃん」ともう一度机に突っ伏した。

「え? なに? エイジ怖いの?」

 含みのあるチャメの声にエイジは視線を上げる。

「べ、別に怖くないよ」

「ふうん。ま、信用しとく。

 で、僕、それきっと嘘だと思うんだ。僕らみたいなやつらが不法侵入しないように噂流してんだよ、きっと。

 だからさ、一度行ってみようよ」

「うーん――」

「ババクンは行くって。ダンダにはまだ言ってないんだけど。

 ねえ、怖いんならいいけどさ、怖くないなら行こうよ」

 エイジがゆっくりと上体を起こす。

「よし。行くだけ行ってみるか。ダンダはオレが誘うよ」


 放課後ダンダに話をし、二つ返事でOKをもらったエイジはいったん帰って鞄を置いてから後、みんなと待ち合わせしているいつものコンビニへ自転車で向かった。

 すでに待っていた三人と合流しすぐK町へと走り出す。

 赤い夕日が、自転車に乗る四人の影を長く伸ばしていた。


            ***


 みすぼらしくとも一国一城の主となった男は自分の値打ちが上がったと思い込み横柄になった。

 元より妻に対し頭が上がらない男だったのだ。傲岸不遜な態度などとってはならないことに、まるで気付いていなかった。


            **


 K町に着くころには夕日が沈み、空が濃い紫色に染まり始めていた。

「お前、塾さぼったのママにばれないか」

 エイジは先頭を走るチャメに訊いた。

「大丈夫。ママ――じゃねぇ――母ちゃんは塾に行ってるって信じてるし塾には休みますって電話したから。僕、どっちからも信用されてるからね。バレないよ」

 チャメはしたり顔でエイジを振り返った。

「へいへい。チャメちゃんいい子でちゅもんねー」

 そう言って笑うエイジを今度は並走するダンダが心配した。

「エイジは大丈夫か? こんな時間に家にいなかったら怒られるんじゃね?」

「へーきさ。オレんとこは放任主義だから。まあ娘だったらそうじゃなかったろうけど。

 ところでババクンはどうなの?」

 ダンダの事情はわかっているのであえて訊ねず、エイジは斜め前のババクンに訊いたが、

「黙って出てきたよ。きょうはふたりとも忙しいから、おれがいなくても気付かないんじゃないかな」

 と前を向いたまま素っ気なく答えた。

 ババクンはこういうこと訊かれるのなぜか嫌いだよなとエイジは思い出した。

 チャメの自転車がきゅっと鳴って止まる。

「あそこだよ」

 指さすほうには荒れ果てた垣根に囲まれた古い家があった。

「なんだ普通の家じゃん。幽霊屋敷っていうから蔦がびっしりの洋館かって思ってた」

「ほんとだ。マジふつー」

 エイジとダンダは自転車にまたがったまま家を眺めた。

「本当に人、住んでないのか?」

 ババクンの問いにチャメは大きく頷く。

 エイジが自転車をユーターンさせ、今度は先頭に立った。

「よし、もう少し暗くなるまでどっかに待機だ。ここにチャリ止めるわけにいかないからさ、置く場所探そう」

 そう言うと勢いよく漕ぎ出した。

 みんなが後に続く。


            ***


 居丈高に振る舞う夫への怒りがついに頂点に達した。

 ある夜、狭いリビングに置かれた粗末なソファの上で、「茶を入れろ」と夫がふんぞり返った。

 その一言でスイッチが入り、テーブルに載ったガラスの灰皿を手に取ると、新聞を広げて読んでいた夫の頭めがけて振り下ろした。

 安っぽいくせに重量だけは十分にある灰皿は、ソファセットと共に居間に置くのがステータスだと考えている夫自身の購入したものだった。


            **


「もういいかな」

 エイジが顔を上げた。

 近くにあるスーパーマーケットの駐輪場で待機することにした四人は携帯ゲームで時間を潰していた。

 きょうは偵察だけのつもりなので、菓子や飲み物を購入しなかった。もしあそこを秘密基地にするなら、これからはこの店を利用しようと四人で決めた。

 見かけない少年たちを不審に思ったのか、店員がガラス越しに視線を向けてくる。

 咎められない間に自転車をその場に幽霊屋敷へと急いだ。

 幽霊屋敷の横にある街路灯が夕闇に点灯し始め小さな羽虫を集めている。

 暗くなってきたもののそんな遅い時間でもないのに周囲の家々はひっそりとしていた。

 通行人もなく、人目のないのは安心だが、なぜだか落ち着かない。

 悪いことをしようとしているからかな。

 エイジはふっと笑った。

「何? 何笑ってんの?」

 チャメが普通のテンションで訊いてくる。

「しっ」

 エイジはあたりを窺い幽霊屋敷の安っぽい門の中にチャメを引っ張り込んで素早くしゃがみ込んだ。

 ダンダたちも続いて門の中に身を隠す。

「声がデカ過ぎ。お前バカか」

 声を潜めてダンダがチャメの頭を小突いた。

「ごめん、ごめん。てへっ」

「てへ、じゃないよ。ところでさ、門に鍵がかかってないってことは人の出入りが多いのかな。不動産屋とか」

 エイジが眉をひそめる。

「でもこんな時間帯に来ねぇだろ」

 そう言いながらダンダは腰をかがめたまま玄関のドアノブをそっと回した。さすがにドアはきちんと施錠されていた。

 ダンダはそのままの姿勢で垣根と家屋の間を通って庭のほうへ向かった。チャメが同じ姿勢で後ろに続き、ウエストポーチから小振りの懐中電灯を出してダンダに渡した。

 あまりの手回しの良さにエイジとババクンが顔を見合わせた。


            ***


 男の頭頂部は妻の一撃で陥没した。

 頭を押さえ呻いていた男は幾度も殴られ、やがて脳と脳漿が豆腐をぶちまけたように飛び散って血に塗れて息絶えた。

 死体は妻によってリビングの掃き出し窓から庭へと血の跡を付けながら引き摺り出された。


            **


 こじんまりした庭は雑草が蔓延り荒れ放題だった。

 垣根の所々が破損し穴が開いていたので通行人に見咎められないかとエイジは心配になった。だが、さっきと同じで道は人っ子一人通らず、隣近所の住人たちに見つかった気配もないのでひとまず安心した。

「なんだ、ほんとに普通の空き家だな。チャメが言ったとおり、近所のババアか不動産屋のおっさんが幽霊話を盛ってたんだな」

 ダンダが締められた掃き出し窓から中を覗き込みながら鼻で笑った。ここもきちんと施錠されていたが、

「はい、これ」

 チャメがウエストポーチからガムテープを取り出し、ダンダに差し出し、「ガラスに貼って割るとあんまり音がしないんだよ。テレビでやってた」としれっとした顔でいう。

「おいおい。お前が一番しつけのいい坊ちゃんなんだぞ。末恐ろしいな」

 ダンダはそう言いながら懐中電灯を咥えると、受け取ったガムテープをクレセント錠周囲のガラスに貼っていく。

 チャメは気にせず、再びポーチを漁って今度は小振りのハンマーを出してきた。 

 開いた口が塞がらないというような顔でダンダはガムテープと交代にハンマーを受け取り、テープで囲んだガラスを叩いた。

「こいつらマジで怖いんですけど」

 滑らかに作業する二人をエイジの隣で見つめながらババクンがつぶやいた。

 静かな庭にガラスの割れる音がした。だが、テープのおかげで隣近所に聞き咎められるほどではなかった。

 ダンダは尖ったガラスに注意しながら穴に手を突っ込み、クレセント錠を解いた。サッシをゆっくり開ける。きいぃと軋む音がしたが気になるほどではない。

 淀んだ空気がふわりと流れ、かびと埃と何か得体のしれないにおいがしていたが、興奮している四人は気にも留めなかった。


            ***


 妻がなぜ庭に夫の死体を放り出したのか。

 それは夫の人生において唯一自慢のマイホームから永遠に追放するという、殺してもなお満足できない夫に対する嫌がらせだった。

 だが、小柄とはいえ大の男を引き摺り出した妻の肥満体が悲鳴を上げていた。烈しい怒りと殺人行為、さらに死体を無理に引き摺ったことへの体の負担が起爆剤となって、高血圧症の妻が急性心筋梗塞を発症したのだ。

 しかも部屋に戻りサッシの錠をかけ、ガラス越しに惨めな夫の姿を見ながらほくそ笑んだ直後のことだった。

 妻は胸を押さえ苦しみ悶えて倒れ込んだ。

 子供もいない。親類もいない。新聞の購読もしていない。近所づきあいもない。

 誰ひとり姿の見えない夫婦を気にかける者はなく、訪ねてくる者もいなかった。

 よって、いつまでたってもこの家で起こったことは誰にも気付かれなかった。


            **


「お前さ、手慣れてない?」

 エイジは躊躇せずに作業を行う友人が知らない人間のような気がして少しだけ怖く感じた。

 ダンダは咥えていた懐中電灯を手に持つとエイジを横目に「俺もテレビで見たんだよ」と、靴を履いたままさっさと家に上がり込んだ。

 ババクンとチャメが後に続く。

 エイジも戸惑いを振り払い、家の中に入った。

 何か起こった場合に備えすぐ逃げられるよう、掃き出し窓は開けたままにしておいた。

 街灯のおかげで仄明るい部屋はリビングだとわかった。安っぽいソファセットやキャビネット、テレビがある。

「家具、置きっぱなし――」

 何もない空き家だと思っていたのでエイジは驚いた。

 ダンダは黙って、懐中電灯を照らしながらあちこち物色している。やっぱり手馴れてるよとエイジは思ったが、もう気にしないことにした。

 ソファの前には大きめのテレビ台が据えられていたが載っているテレビは十四インチの小さなもので、チャメが笑った。

「この大きさだったらここから見えにくいね」

 チャメの家にあるのは超大型テレビだ。映画を観るのもゲームするのもド迫力だった。

「ふん。おまえは大きいのに慣れ過ぎてんだよ。こんな狭い部屋ならちょうどいいのさ」

 ふんとダンダが鼻を鳴らす。

 ババクンがテレビ台の上を指でなぞった。ごっそりと埃が指先に溜まり、慌ててズボンで拭う。

 それを見たエイジはソファの上にも埃がたっぷり積もっていると考え「今度、なんか敷くもの持ってこなきゃな。直接座るの気持ち悪いし」と誰にともなくつぶやいた。

「あっ、僕持ってくる」

 チャメが手を上げる。

「じゃ、お前、全アイテム担当な」

 ダンダは笑いながらチャメの顔に光を当てた。

「もう、まぶしいよ」

 チャメが光の輪から顔を背ける。

「なあ、これなんだろ」

 ババクンの声にみなが振り向いた。

 ババクンはキャビネットの天板をじっと見つめている。

 ダンダが懐中電灯を向けて近づいた。

「なに、なに」

 チャメも好奇心旺盛に近寄る。

 エイジはダンダとチャメの間からババクンとキャビネットを交互に見た。

 

            ***


 真冬という季節も災いした。

 その年の冬は例年にない厳しい寒さで何度となく雪が降り、積雪記録を更新した。

 庭にある死体の腐敗は冷蔵庫保存しているかのように抑えられていた。

 一方、家の中では付けっぱなしのエアコン暖房によって妻の腐敗が進んだ。

 腐敗臭が外に漏れていたかどうか不明だが、隣人たちが感じていたのは夫婦宅の横を流れるドブ川の臭いだけだった。

 ようやく別の異臭に気付いたのは暖かい日が続いた翌日。

 不審に思った隣人が近隣の住人たちとともに訪れ、夫婦の死体を発見する。

 町内は大騒ぎになった。

  

           **


 天板全体に積もった埃の上を手形が無数に付いていた。

「手の跡じゃねえか」

 ダンダがそう言いながら、つまらなさそうにそっぽを向いた。

「うん。それはわかるんだけど、なんで付いてんのかなと思ってさ」

 本当に奇妙だと感じているババクンの口ぶりだった。

「そりゃ、管理人とか、不動産屋とか、いろいろ出入りするからだろ」

 ダンダはその場から離れ、再びあちこち物色をし始めた。

「そうだよ。これがネズミの足跡とか蛇の這った後だったら、ちょっと怖いけどね」

 チャメがふふふと笑う。

「キモイこというなよ」

 エイジはチャメを肘で突いた。

「ここに入った時、長い間人が入ってないんだなって空気感じなかったか?

 だけど、この指の跡、きれいなんだよね。その上に埃も積もってないし」

 ババクンは目線を上げたり下げたりして、手形を何度も確かめていた。

「あっ、ほんとだ」

「もう、キモイこと言うなって。怖いだろ」

「やっぱ、エイジは怖がり屋さんだ」

「ち、違うよっ」

 チャメとエイジが小突き合いしているとダンダがライトを当ててきた。

「お前ら、いつまでごちゃごちゃやってんだ」

「ダンダはどう思う?」

 エイジは天板を顎でしゃくる。

「ふん。ふたりともババクンに騙されてんだよ」

「ちょっ、おれ、ここ全然触ってないよ」

 ババクンが慌てて否定したが、ダンダはにやりと笑顔を浮かべるばかりで、エイジもチャメも白けた目をババクンに向けた。

「ほんとだって。信じてよ。そんないたずらなんてしない――ぷっ」

 ババクンが吹き出し「ったく、ダンダは騙せないよ。この二人なら完璧だったのにさ」

「ひっどお」

 チャメが頬を膨らませた。

 すでに物色を再開していたダンダが声を上げた。

「おいっ、これ見ろ」

 ライトがソファ横のカーペットを照らしている。映っているのは人型のどす黒い染みだった。乾いて褪せてはいたが気味の悪さは十分だった。

「うわぁ、キモ」

 チャメがエイジの後ろに隠れるように身を引いた。

「ここが幽霊屋敷っだってーのわかった気がするな。まあ、これもいたずらかもしんねえけど」

 ダンダがしゃがみ込んで、興味深げに染みをじっと見ている。

「なあ、なんか腐ってるような臭いがしないか?」

 エイジが微かに漂っていたカビや埃以外のにおいにやっと気付いた。


            ***


 男は自分の身に何が起こったのかまったくわからなかった。

 気付いたら庭に裸足で立っていた。

 中に入ろうとしたが吐き出し窓に鍵が掛かって締め出されていた。

 解錠してもらおうとガラス越しに妻を探したが目の届くところにいない。

 玄関のほうへ回ろうとしてが、どういうわけか庭から離れることができなかった。

「おーい」

 ガラス越しに妻を呼んでみる。窓の向こうに動きはない。

「おーい。開けてくれ」

「おーい」

 男は何度も呼びながら、どんどんと窓ガラスを打つ。

 だが、いくら待っても妻は来ない。

 男は呼び続けた。ずっと。ずっと。

 いつまでも男は家に入れない――


            **


「こんなん見たからそんな気がするだけだ」

 ダンダが笑った。

「ねえ、あれ」

 チャメが吐き出し窓を指さす。

 誰も閉めていないのにサッシが閉まっていた。だが、チャメの指しているのはそこではない。

 庭の中央に男が立っていた。 

 ダンダが素早く懐中電灯を消しが、もう不法侵入はばれているだろう。

 緊迫した空気がエイジの胸を締め付けた。心臓がどくどくと音を立て耳に届く。

 だが。

「あのおじさん、なんか変じゃな――」

 チャメが言い終わらないうちに男は瞬間移動して窓に飛び付きガラス越しに部屋の中を覗き込んだ。

「!」

 エイジは悲鳴を上げそうになりとっさに口を押さえた。

 チャメもババクンも同じように口を押えている。

 ガラスにへばり付く男の頭は割れていた。砕けた脳が血と混じり合った糸を引きながらこぼれ落ち、突出した眼球がぐりぐり動いて部屋の隅々を見回す。半開きの口からは泡状のよだれがとめどなく垂れていた。

 男にはエイジたちが見えていないようで、自分たちに焦点を合わせることはなかった。

 拳でガラスを叩き始め「おーい、開けてくれ。おーい、開けてくれ」と連呼し始めたが、エイジたちにではないようだ。

 窓はぴっちりと締まっていたが鍵が掛かっていない。もし男がそれに気付いたらと思うと気が気ではなかった。

 叫び声が「開けてくれ」から「開けろ」に変わった。

 目玉だけが上下左右に動き、相変わらず視線は定まっていない。

 中に入ってくることもなく、窓を叩き叫ぶ以外なにもしないので恐怖は薄れて来たが、近隣に聞き咎められる恐れが出て来た。

「おい、あのじじい、誰に開けろってんだ」

 ダンダが誰にともなく問う。

「おれたち、かな? 他に誰もいないし」

 ババクンが答える。

「これ――心霊現象か?」

「ま、そうだろうな」

 エイジの問いにダンダが笑い「とにかく黙らせないとヤベェな」

 血濡れの男も怖いが補導されるのも怖い。

 だが、近所の住人に気付かれた様子もパトカーのサイレンも聞こえない。

 ただこれだけなのかもしれない、とエイジは考えた。生前の行動を模しただけの心霊現象で隣近所に影響しないのだろうと。そう自論を語ると「あのじいさんよく閉め出されてたのかな」と笑った。

「テレビでホラー映画見てるみたいだね」

 チャメもほっと息を吐き「カメラ持ってくればよかったぁ」と心底残念そうに地団太を踏んだ。

「俺たちマジで心霊現象見てんだな」

 ダンダは不敵な笑みを浮かべると懐中電灯を点け男に向けた。光はガラスを通り抜け雑草だらけの庭に丸い形を落とす。その中に男の影はない。

「うわっ、やっぱ幽霊だ」

 ババクンがたいして怖がってるふうでもなくつぶやく。

 その時、宙を彷徨っていた男の視線が光をたどった。眼球がぐりっと動き、エイジたちに焦点を当てる。

「お前らは誰だ?」と男はいったん拳を止めたが「わしの家から出ていけっ」と叫んでさっきよりも強い力で窓を叩いた。

「やべっ」

 ダンダは慌てて懐中電灯を消したが、男の視線は四人から外れることはなかった。

「どうする?」

 エイジは皆の顔を見渡した。

「あのおじさん、なぜかここに入れないみたいだからさ、このままずっとここにいる?」

 チャメが怖いことを言い出す。

「やだよ。幽霊にずっと睨まれてるなんて」

 ババクンがすぐさま却下した。

 エイジも同感だ。

「いっせいに窓から飛び出して全速力で逃げようぜ」

 ダンダが一人ひとりの顔を見て提案する。

「いっせいは無理だよ。勢いで先制しても最後の一人はやっぱり出遅れる。捕まったらどうする?」

 エイジが首を振った。

「俺が最後になる。あんな幽霊怖くねえ。捕まったら蹴り入れて逃げる」

 ダンダが頼もしい笑顔を皆に向けた。幽霊に蹴りを入れられるかどうかわからなかったが、笑顔につられエイジたちは頷く。

「よし、わかった、オレが窓を開ける。せーので行くぞ」

 エイジが窓に駆け寄り「せーのっ」とサッシを引いた。

 だが、窓は固く閉まってびくとも動かない。後ろに続いていた三人がぶつかって重なり合い、「何やってんだっ」とダンダが声を荒げた。

「ま、窓が開かないんだっ」

 鍵を確認したがさっき見た通りクレセント錠は掛かっていない。

「なんでっ」叫ぶエイジの目の前に男が移動してきた。

 割れた頭と血塗れた顔を間近にしてガラスを隔てていてもエイジの脚は震えた。

「わしの家から出ていけぇぇ」

 血の泡を吹き飛ばしながら怒鳴り散らし男は窓枠に手をかけた。だが、男にも窓は開けられないようだ。

 再びガラスを叩き始めた男はダンダの割った穴に気付いた。すっと移動し穴に頭を突っ込み始める。

 拳大の穴から入れるはずがないと思ったが、隙間でも通り抜ける蛸のようにやわらかく変形した男の頭はにゅうっと少しずつ入ってきた。

 脳がこぼれガラスを伝い落ち、引っかかった眼球は神経がずるずる伸びてぶら下がった。

 エイジは動くことができず、すでに肩まで侵入してきた男をただ茫然と見つめていた。

「おいっ」

 ダンダの呼び掛けでエイジは自分を取り戻した。

 放心状態だったチャメもババクンも体をびくりと震わせ我に返ったようだ。

「こうなったら玄関から逃げようぜ」

 そう言うとダンダが急いでドアのほうに向かう。

 エイジたちも後に続いたが、開けたドアの向こうに何かが立っていた。

 今まで見たことなどないがどう見てもそれは死体だった。

 真っ黒に腐敗した顔や手足がガスでぱんぱんに膨らんでいる。さっきから微かに漂っていた腐臭はここから放たれていたのだ。

 崩れてはいるが髪型や染みだらけの衣服から辛うじて女だと判断できた。

 黒い体液を滴らせながら死体はよろよろとリビングの中に入ってきた。

「まだ生きてんのかぁ」

 女は叫び握りしめている分厚いガラスの灰皿を振り下ろした。

 先頭のダンダがとっさにそれをかわす。

 凶器はダンダの後ろにいたエイジの脳天に振り下ろされた。頭が陥没し、声を出す間もなくエイジは血を噴き出して倒れた。

「この家はお前のもんじゃないっ。出ていけぇぇ」

 女はダンダたちに向かって灰皿を振り回し始めた。

 それを右に左に軽くかわしながらダンダが注意を引く。その隙にチャメとババクンが倒れたエイジを引きずってリビングを出た。

 チャメは声を上げて泣き、ババクンは今にも気を失いそうに蒼ざめていた。それでも二人はエイジを持つ手を緩めなかった。リビングから玄関に向かって伸びる廊下をエイジを引きずって進む。床に太い血の線が描かれ、それを見てチャメがさらに大きな声で泣いた。

 ダンダが廊下に飛び出してくる。と同時に激しくドアを閉め全身で押さえこんだ。

 がんがんと激しく灰皿を打ち付ける音が中から響く。

 玄関に到達した二人は開錠してエイジを外に引きずり出した。


 それを見届けダンダがいっきに外へ走り出た。

 玄関ドアを閉める瞬間、リビングから灰皿を振り回す女が出て来た。しっかりと全身で押さえ灰皿を打つ激しい音と衝撃を覚悟したが、何分経っても何も起こらない。気配もなくドアを開けたい衝動にかられたが、もし開けたドアの前で女が灰皿を振りかざして待っていたらと思うと実行に移せなかった。

 さらに数分待った後、ダンダはそっと身体を離した。

 ドアの向こうは静かなままで、開くこともなかった。

「外まで、追い、かけて、こない、ね」

 倒れたエイジに寄り添うチャメが泣きじゃくりを上げながらドアを見上げた。

「ああ、きっと家の中だけの問題なんだろ」

 ダンダが吐き捨てるようにそう言って大きなため息をつく。

 大怪我をしたエイジをどうしたらいいのか。

 だが、呼吸が荒く意識を失ったままのエイジの頭部には何も異常がなかった。陥没もしていなければ出血もない。

 怪異が見せた幻だと少し安心したものの、名を呼びながら軽く頬を打ったり肩を揺すったりしてもエイジは目覚めなかった。

 チャメがまた泣き始める。

 とりあえずここから離れようと、ダンダとババクンがエイジを肩に担いで門を出た。

 近隣の家々は来た時と同じくひっそりと静かなままだった。何か起こっても我関せず――そう、最初からこの家の噂は真実だと示されていた。


 閉店間際のスーパーでは見慣れぬ少年たちが無断で置いていった自転車が問題になっていた。

 そこに戻って来た少年たちを険しい顔の店長が叱責しようとしたが、様子がおかしいことに気付き、さらに意識不明の少年を見て大騒ぎになった。

 すぐに救急車を呼び、警察に通報した。


           **


 あれからひと月が経った――

 エイジはずっと目を覚まさず、何度調べても原因不明の意識障害で入院したままだ。

 一人息子に何が起こったのかわからないエイジの両親は憔悴していた。

 ダンダ、チャメ、ババクンの三人は大人たちに何を訊かれても真相をしゃべることはなかった。

 そのためいじめや喧嘩による暴力があったのではないかと疑われたが、エイジに外傷がないのでそれ以上の追及はなかった。

 エイジの母親は四人が仲の良いグループだと承知しているのでダンダたちを責めることはなかったが、彼らが頑なに口を閉ざしていることに困り果てていた。


 その後。

 チャメは以前と打って変わってよくふさぎ込むようになり、常に何かに怯えていた。

 心配する母親と口もきかず、次第に学校を休みがちになり、やがて完全に部屋に引きこもった。

 登校拒否になって三日目、心配した父親が鍵のかかったドアを蹴破り中に入ると、チャメはロフトベッドの柵に紐をかけ首を吊って自死していた。遺書はなく死の理由はわからない。

 ババクンは誰とも口をきかない事を除き、学校を休むことなく普段通りの生活を送っていた。

 だが、チャメが自殺した二日後、突然言葉にならない叫び声を上げながら路上に飛び出し、大型トラックに撥ねられて死んだ。自ら死を選んだのか、事故なのかは不明である。

 ダンダは常にぼんやりとした顔で日々を過ごしていた。

 真相が知りたいエイジの両親が何度も訪れたがすべて無視し、チャメの自殺にもババクンの死にも何の反応もしなかった。

 彼の父親は息子の異常に無関心のまま毎日飲んだくれていたが、ある日包丁で腹をえぐられ殺されているのが発見された。

 その日を境にダンダの姿が見えなくなり、重要参考人として警察から行方を追われたが発見されることはなかった。

 しばらくして隣県の海に漂っているダンダの上着が押収された。だが、ただそれだけで生死は今だに不明である。


 彼らの身に一体何があったのか誰も知る術はなく、この先も永遠にわからないまま――

 に、思えた。


            **


 ダンダが行方不明になってから数カ月後、唯一生き残ったエイジが突然意識を取り戻し激しく泣き叫んで暴れ出した。彼の両親が病院に駆けつけた時はすでに鎮静剤を投与され興奮状態は収まっていた。

 二人は担当医と看護師長に立ち会ってもらい、怯えるエイジから真相を訊き出そうとした。ダンダたちの末路は隠したままにして。

 エイジの告白は到底信じられないものだった。

 夢か妄想か、警察に話せばきっと危険ドラッグを使用していたと思われるだろう。

 とにかく他の少年たちに申しわけないと思いつつもエイジの母は自分の息子が生き残ったことを喜んだ。

 だが翌日、事情聴取に来る刑事の到着を待たず、頭が割れるように痛いと訴えたエイジはそのまま絶命した。

 両親の落胆は大きく、担当医に原因の追究を頼んだが、息子の告白と同様、どう説明をつけていいものかわからない事象が増えただけだった。

 エイジの頭部は外傷もないのに頭蓋骨が陥没し、脳の一部が破壊されていたのである。

 病院に運び込まれた際、もちろん入院中にも検査は行われていた。だが意識障害以外何ら異常はなかった。にもかかわらず硬いもので殴打された損傷が内部だけに見られたのだ。

 医師たちはあまりの異常さにエイジの死因を病死とし、この件を伏せることにした。もちろんそれは両親の希望でもある。

 真相を知る一握りほどの病院関係者は累を恐れて決して口を開くことはなかったが、どこからどう漏れ出たのか、エイジたちの一件が幽霊屋敷の噂に加えられていった。

 そして年月が流れ――


            *


 誰も住んでいない荒れ果てた一軒の空き家。

 この家は幽霊屋敷と呼ばれ、いろいろな噂が流れていた。

 夜な夜な庭に立つ老人が閉め切られた窓を叩く――血に濡れたガラスの灰皿を持った女がリビングで仁王立ちしている――集う場所を探してこの家に入り込んだ少年たちが全員不審死を遂げた――酒を持ち込みどんちゃん騒ぎをした若者が互いを殺し合った――眠る場所を求めたホームレスが灰皿を振り回し、町の人を襲って怪我をさせた――

 新しい噂が生まれるとしばらくは誰も近寄らない。

 だが年月が経ち畏怖を忘れる頃、誰かまたここに来ては噂が一つ増え、幽霊屋敷は大きく育っていく。




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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませていただきました。 分量としては長めかと思いますが、テンポよく進むのであまり気にならず、最後まで一気に読めました。 特に前半の幽霊屋敷の由来となる夫婦のエピソードは簡潔でいてしっかり…
[一言] 王道な設定ながらも、細かく描かれた幽霊の背景と、若者達のスピード感がある展開にあっと言う間に読み終えました。やはりただの幽霊ではなく、幽霊に至る人間ドラマが作品の面白さと恐怖感を際立たせてい…
[良い点] 幽霊vs幽霊の構図って、とても珍しいですね。着眼点が変わってて面白いなぁ、とグッと引き付けられました。 そしてタイトルが素晴らしい! [気になる点] 時々、文章がブツ切りみたいになっちゃっ…
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