転生
「くっそ……体が重てえ……」
目を覚ました柿鐘は、自分が布団の上で倒れていることに気づいた。
掛布団はかかっていなく、体が冷えてる辺り長い間外に晒していたようである。
「……くっ」
一分後、ようやく体の自由が効くようになると上体を起こし周りを見てみた。
ほこり被った円卓テーブル、削れた壁、ひび割れた窓ガラス。
どうやら拘置所ではないようだ。そこにひとまず柿鐘は安堵する。
とは言えしかし、
「どこだよ……ここ」
不気味な白い空間から一転、廃屋同然の六畳一間の部屋にどうして自分はいるのか、柿鐘には理解できなかった。
あの謎の鎧の男を探そうにも、あんな非日常然としたやつがこんな日常的な空間にいるはずがないと諦めがついてしまう。
ともかく、起きなくては。
「……っ、体がうまく動かねえなあ。なんつーか今までずっとぶっ倒れてて筋肉が退化したような感覚だ。あと……声も馬鹿みてえにおかしい」
いがらっぽいっとかではなく、まるで変声期を逆行したような聞こえ具合だ。
果たして――自分はこんなにも声が高かっただろうか。
まあ自分の肉声なんて、風邪一つ引けばかなり変わるものだ。きっと生き返ったことの副作用で、体がなまっているのだろう。
……そう、生き返った。
転生。
「……はは、おいおいマジかよ、最高だ。意外とイエスって言ってみるもんなんだな。ざまあみろ」
リアルな畳の臭いと布団の肌触りから、これが夢でないのはよく判る。
緩慢に起き上がった柿鐘はほこりが舞う部屋の中、大きく伸びをした。
「かぁーっ、それにしても体がおめえ……いや、心臓のあたりが重いのか。視界もなんか、黒くて細い垂れ幕みたいなもんがかかってる気がするが……くそ、こいつも声と同じ副作用ってやつか?」
体のだるさはなくなってきているが、なんだか自分が自分ではないような感じだ。
せっかく生き返り、夢にまで見た娑婆に戻ることができたのに。このような違和感をはらんだ体では素直に喜べない。
……ひょっとして、体の他の部分にも異常があるのだろうか。
「……どっかに鏡とかねえのかよ」
周りを見渡してもそれらしきものは見当たらないので、柿鐘は玄関の方へ向かう。かつて彼が住んでいたアパートには、ユニットバスの一室に鏡が備えてあった。ここのような、座敷童も逃げ出しそうな廃屋アパートでも、そういった場所にあるはずだろう。
何故か重い体を動かして、柿鐘は探してみる。六畳の部屋を出るとすぐ廊下。右側には台所があり、その反対側には二つの扉――おそらくトイレと風呂場だろう。開けてみるとやはりそうで、古家独特の鼻をつく臭いに、柿鐘は不快感を覚えた。
しかし、肝心の鏡が台所にもトイレにも風呂場にもない。
そのまま廊下を進めばすぐ玄関に直行している。調べてない箇所はどこもない。
「あんま俺を焦らさせんなよな……ったく」
相変わらず調子の戻らない体で、柿鐘は倒れていた部屋へと踵を返した。
戻ってきたところで布団の上に立ちつくし天井を仰ぐ。「はあ」とため息。
「いったん外へ出るのも手なのかもしれんな……ああいや、駄目だ。俺は死刑になった犯罪者なんだわ。万一サツにでも見つかったら逮捕状なしで御用になっちまう。せめて顔を隠せる何かがあればいいが――――ん?」
と、その時。柿鐘はあるものが目に入り、間もなくピンとひらめいた。
彼が見つめる先には、昔懐かしのブラウン管テレビがある。
「あの画面を鏡に見立てれば他にどっかおかしいところがあるのか判るんじゃねえのか?」
幸い、外は快晴で太陽の斜光がひび割れた窓に刺さり、室内を明るくしてくれている。
我ながらナイスアイディア。
未だ視界は謎の垂れ幕で見えにくいが、ひとえにテレビを見つめ、すり足で近づいていく。
「ほんと、薬でやられた頭のくせに。悪知恵だけはよく回るもんだぜ」
手で画面のほこりを払いニヤリとひと笑い。そして、ずいっと顔を近づけてみた。
「……………………は?」
絶句。
テレビ画面の鏡には拍子抜けしたような少女の顔が映っていた。
「……………………っ!?」
まさかと思い、不意をつくが如く、ばっと後ろを振り返ってみる。
が、やはりと言うべきか、当たり前のように背後には誰もいない。
その代わり視界を遮っていた黒い垂れ幕が、何故かなくなった。
「は……あ……?」
一体何が起きているのか理解できない。いや、頭が理解しようとしない。
死刑判決が出た時以上の動揺を抱えて、柿鐘は再度テレビ画面を見つめてみた。
やはり、そこに映っているのは見たこともない少女。長い黒髪でださいプリントTシャツを着て動揺した顔を柿鐘に見せてい―――
「俺ぇえええええええええええええ!?」
高くなった声、視界の垂れ幕、胸のあたりの重し。
それらの謎を全て氷解してしまった柿鐘は撃たれたようにのけ反り、尻餅をついた。
体のどこかに異常があるレベルじゃない。
全てが全て、柿鐘法男という存在に異常をきたしていた。
そう。
柿鐘法男は確かにあの鎧の男の言葉通り、生き返ることができた。
しかし甦ったのは彼の意識だけ。
柿鐘法男という体は消失し、謎の少女へと成り代わっていたのだ。
「くっそ……くそ! クソ!! 糞!!!」
服の内側を覗き見て、続いて下半身を手の感触で確認する。
前者はあって――――後者はない。
「マジかよ……まだ俺やったことなかったんだぞ。それなのに、こんな様になっちまって……」
どれもこれも全部やつが悪い。
「おいクソ鎧! どうなってやがんだこの野郎!! なんだって俺がこんな仕打ちを受けなきゃなんねえんだよ、あ!? 趣味か、人の体女にすることがてめえの趣味か! 隠れてねえで出てこいやクソッタレ!!」
「うるせえぞクソアマ!!」
と、声が聞こえてきたと思ったら、直後壁を殴る音。隣の住人からの抗議だった。ボロアパートの部屋全体がびりびりと震え、呆気に取られた柿鐘には形容しがたい虚無感しか残らない。
「……っ……くそ。誰がアマだ」
長い髪をかきむしり、その場で胡坐をかく。
ともかく、とにもかくも、なってしまったものはしょうがない。
「落ち着け……これからどうするか考えるんだ。そうだ、いいことを考えようじゃねえか……へへ。あ、あの体がどっかいっちまったってことは、これで薬でやられた頭からおさらばできたってことだよな。そういや依存的にハイになりてえって思わねえし、殺し屋が来る幻覚も、もう二度と出てこないわけじゃねえか。こいつは大きな進歩だ。やっとまともな一人の野郎として生活でき……あ」
そうだ、もう自分は野郎ではない。
「………………」
底知れぬ喪失感。どうしようもない絶望感。
柿鐘は精神的にノックアウトし、大の字になって寝ころんだ。それでも、無駄に大きい胸の重しはなくならず、自分が立派な女であることを知らしめてくる。
考えれば考えるほどジリ貧。どうにもならないのなら、このままふて寝でもしてしまおうか。
もしかすると次に起きたときは、体も柿鐘法男として復活しているかもしれないし。
そう思って、柿鐘は頭の位置を変える。と、その目に、あるものが映った。
財布である。安っぽい黒皮の折り畳み財布。
柿鐘はおもむろに左手を伸ばして自分の方へ持ってきた。
開けて、中身を畳の上に出してみる。
千円札が四枚に、小銭が五百二十円。あとはカラオケの会員証にスーパーのクーポン券、底でくしゃくしゃになったレシートが見つかった。
そして、
「あん……こいつは」
長い間取り出してなかったのだろう。財布の皮に張り付いていた免許証を、柿鐘は見つけた。
AT限定普通免許。そしてそこに貼ってある顔写真は、髪こそ短いが確かにテレビの鏡で見た今の柿鐘の顔と同一人物だった。
名前もしっかり明記されている。
「袖振リリコ……二月七日生まれ。俺が死んだ日が二月四日だから、年が変わってなきゃ十八ってことか。はあ……十年以上年下の女子になっちまったのかよ」
しかしこれでようやく今の自分が何者であるのかは判った。落ちていた財布も、この袖振リリコという少女の免許証が入っていたことからして、頂戴しても誰も文句は言わないだろう。よしんば言うとしたら、本物の袖振リリコぐらいか。
「ん? 本物の袖振リリコ? てことは俺って偽物なのか。じゃあいずれここに本物の袖振リリコが帰ってきて、そうなると袖振リリコの顔をした俺は不法侵入者で、本物の袖振リリコの意識は……って、ああややこしいったらありゃしねえ!!」
「だからうるせえつってんだよこのアマ!!」
と、またぞろ隣の住人から壁ドンという名のクレーム。
「ああん!?」
この住人の攻撃に等しい非難に、とうとう柿鐘は歯ぎしりした。
動揺も失せ、持ち前である怒りの沸点の低さが戻ってきた柿鐘は、飛び起き、叩かれた側の壁へ直行。額を押しつけ言い放った。
「昼間っからこもりっぱなしのチンカス野郎が吠えてんじゃねえぞボケ!! どうせ生活保護不正受給しやがって毎晩毎晩役所の人間におびえてるんだろうが!!」
「だ……誰が不正受給だ! ぼ、僕は体が不自由でお前みたいなやつなんかに――」
「受給してるのは否定しないのか、そーかそーか!!」
木造建てのボロアパートは隣の動揺がよく伝わる。
――やべえ、なんか楽しくなってきた。
「今すぐ俺に詫びろ! そこで土下座しろ! さもないとてめえの不正受給をサツにチクってやるぜ。おい、どうするよ?」
「ふ……ふん! そんなこけおどしにこの僕が引っかかると」
「あーもしもしぃ、そこ警察署ですかぁ! ええそうですー私の隣人がぁーお国が汗水流して出してくれてる社会保障費を不正受給しているとかなんとか言ってましてえー。ええと場所はぁー」
「ひぃ……待って、待ってください!! ごめんなさい! 土下座して謝りますからどうか勘弁してください!!! どうぞ思う存分騒いでください! もう壁も叩きませんから!!」
「はっ、おせえっつーの。『至急駆けつけます』つって切っちまったぜ。よかったな、サイレンつきの白塗りベンツでお出迎えしてくれるってよ。とんずらすんなら今のうちだぜ」
「あああぁぁぁああああああああああ!!!!!!」
と、叫ぶや否や、隣の部屋が急に騒がしくなった。まるで工事でもやっているような乱痴気騒ぎでものの一分もしないうちにどこかのドアが開き、おっとり刀で階段を下りる音が聞こえてきた。
「……ぷっ、ぎゃはははははははははは!!!」
一人残された柿鐘は手を叩いて抱腹絶倒の大笑い。勿論警察なんかには知らせていない、この部屋には携帯電話はおろか黒電話すらない有様だし、こちとら金輪際警察とは関わりたくなかった。
「はあーあ、笑った笑った」
心なしか、人を騙したことでポジティブさを取り戻せた気がする。やっていることは外道極まりないけども、そんなもの今に始まったことじゃない。
「おし、俺も出かけるとすっか」
どうせこんなほこりまみれの部屋にいたって意味がない。
柿鐘はテレビの隣にあった小さな衣装箪笥からジーンズとレザーコートを取り出し着替えを済まし、円卓テーブルにおいてあった髪留めを取り、雑に後ろでを結った。
「そういや嘘の体でサツにチクってる時、『私』なんて言っちまってたな。ああ気持ちわりい」
体は変わってしまっても心は男のままだ。
体は袖振リリコでも柿鐘法男はしかと存在している。
一体自分がなんのために転生し、何をするべきなのか。
それが判るまで、この体は借りることにしておこう。
「あー、まずはここがどこなのか調べねえといけねえか。隣の馬鹿が日本語喋ってたから日本なのは確定してるんだが……ま、なんとかなるか」
そう呟きながら――リリコは玄関の扉を開けた。




