第四章 「星、堕(お)つる」 五話
数日の馬旅を終え、熱田の社に着いた磐城を、巫女の司は厳かに迎えた。
「ようこそおいでくださいました、皇子さま。……こちらでございます」
司は磐城を社の奥へと案内した。磐城は供人をその場へ残し、普段は禁則地となっている神府へと向かう。
扉の鍵を開けると、司は一人で薄暗い神府の中へ入っていった。……しばらくの後、彼女は一本の神剣を携えて、扉で待つ磐城のもとへと戻る。
「……神剣・天叢雲剣でございます」
司はうやうやしく磐城に神剣を捧げる。
磐城は、漆塗りの黒鞘に納められた天叢雲剣を受け取った。
軽く力を込め、平型の鞘を抜き払う。その中からは、蛇行型をした銀色の刀身が現れた。
「……確かに」
磐城は、刀身を確認しながら呟く。これが本物の天叢雲剣であると判別できるのは、恐らく今の世では磐城ただ一人であろう。
天孫の降臨と共に天降って以来、長い間三種の神器の一つとして神府に眠っていた天叢雲剣の封印を最初に解いたのは、「伊佐芹彦」--前世の磐城だった。
大王の御子であり、天孫の末裔であった伊佐芹彦は、この天津神剣を自らのものとし、その威容をもって吉備を平定した。
大和へ凱旋した伊佐芹彦は、その功をもって大王より印綬を授けられ、栄誉ある四道将軍の一人に任じられた。
西海の制覇を命じられた伊佐芹彦は、山陽道を辿りつつ、出雲へ入った。
その頃出雲国内では、大和に対する抗戦派の王・出雲振根と、恭順派の王・飯入根が対立していた。
出雲へ入った伊佐芹彦はまたしても謀略をもってそれらを相争わせ、両者疲弊したところを攻撃し、殲滅した。
--各地で勝利を治めた伊佐芹彦は、大和宮内でも将軍として確固とした地位を築き上げた。かつて何も持たない哀れな皇子だった彼の手には、多くのものが掴めるようになっていた。
--だが。
伊佐芹彦の耳からは、けして吉備津彦の最期の言葉が消えることはなかった。
『これで終わりではない』
--それは、どういう意味なのか。
伊佐芹彦は死の直前まで、繰り返し繰り返し吉備津彦の声と眼を思い出した。忘れたいのに、ほんの一瞬といえど忘れることができない。甦る声は、その度ごとに彼の身の内に深い恐怖を刻みこんだ。伊佐芹彦は、そんな自分を激しく嫌悪し続けた。
(……そして、生まれ変わってまで忘れられない)
「磐城」は、美しい顔を歪めて奥歯を噛み締めた。
七百年たって転生してみれば、昔滅ぼしたはずの吉備は見事に復興を果たし、大和に並ぶ強国となっている。
そして再び「大和の皇子」として宮殿に生まれた自分は、物心着いたときから「伊佐芹彦」としての記憶に縛られ、未だ吉備津彦の呪言に苦しめられている。--しかも、滑稽なことに、今世では吉備の血を引いているのだ。この自分が!!
古い記憶が強烈すぎるあまり、磐城は時折、自分がいったい誰なのかわからなくなることがあった。
「磐城」なのか、「伊佐芹彦」なのか--。
確かなのは、ただ一つ。自分が「大和の皇子」であり……全ての負の原因が「吉備」にあるということだ。
『--吉備のためです』
不意に、磐城の頭の中に、そう言い切った時の斐比伎の姿が浮かんできた。
あの、澄んだ声。あの迷いのない瞳--そう、彼女はよく似ているではないか。吉備の血を引いているわけでもないのに。あの、揺るがぬ自信を持っていた男に。
『よい友になれそうだ』
まだ伊佐芹彦を信じていた頃、吉備津彦は屈託なく笑ってそう言った。
……そうだ。「友」に、なりたかったのだ。なれるかも知れないと思った、ただ一人の男だった。
(見ているがいい、吉備津彦。今度こそ貴様の故郷を、二度と立ち上がれぬほどに殲滅してみせる)
磐城は刀身を鞘に納めながら誓った。恐らく、それが唯一、この自分があの呪いから解放される道なのだ。
「……では、確かにお預かりいたします」
司に告げると、磐城はその場を辞した。
伊佐芹彦の死後、天叢雲剣は長く伊勢の社に納められていた。
忍代別の大王の御代、伊勢の斎宮だった倭姫は、討伐を行なう甥・小碓命の為に封印を解き、彼に神剣を与えた。
小碓命は尾張の地で神剣を妻・美夜受姫に預けたが、彼女のもとへは戻らぬまま死亡した。
神剣はその後、熱田の社に納められ、姫の一族が代々祀ってきたのだった。
--そして、その封印を、今再び磐城が解いた。来たるべき、吉備との戦いのために。
供人のもとへ戻った磐城は、彼らの様子が尋常でないのに気がついた。
「……どうした? 何かあったのか?」
「た、大変でございます皇子! 今、宮殿より急使が参りまして……」
大伴は血相を変えて磐城に告げた。
「星川の皇子が大王を殺し奉り、大蔵を占拠したとのことです。しかも、援軍として、加夜王が船団を率いて海上をやってきたと……」
「--そうか。……ふ……ふふ……はははっ」
報告を聞くと、磐城は大声で笑い出した。
「み、皇子さま?」
傍らに立った大伴は呆然とする。
一体、この報告の何がおかしいのか--到底、笑っていられるような事態ではないだろう。--いや、それ以前に、磐城がこんなふうに人前で笑うのを見るのは、初めてのことだった。
「……まったく、思った通りに事が進んでくれる。丁度、宮殿内の吉備派の大掃除がしたかったところだ。ついでに加夜もついてくるとなれば、実に好都合」
楽しそうに言うと、磐城は自分の馬に飛び乗った。馬上から、まだ呆然としている部下達に呼びかける。
「さあ、大和へ戻るぞ! 急いでな!」
言うなり、磐城は馬を走らせる。
呆気にとられていた部下達は、慌ててそれぞれの馬へ乗ると、急いで先に行った皇子の後を追った。




