第三章 「吉備の反乱」 一話
既に何年も前に完成しており、自サイトなどに掲載している長編を、少しずつ分割しながら連載投稿しています。
前作「月傾く淡海」よりは、ややライトなテイスト(ラノベより)で、恋愛要素もあります。
全五章で、一章が約十話前後です。
一話の長さにはばらつきがあります。
一度アナログで作ったデータをデジタル変換した際に、一部改行に不具合が出た部分があります。
--史書「日本書紀」には、以下の如き伝承の記載がある。
雄略紀
大和の宮廷に官者しとて仕える弓削部虚空という者があった。あるとき、この虚空が吉備下道氏の王・前津屋のもとへ帰ってきた。
前津屋は、虚空を自らのもとに止め置き、長い間大和へ戻ることを許さなかった。そこで大王は、美濃の豪族である身毛君大夫という者を使わして虚空を呼び戻した。
戻ってきた虚空は、大王に対してこう申し上げた。
「……吉備下道の首長・前津屋王は、小さな女を大王側の者に、大きな女を自分側の者に見立てて競わせ、戦わせておりました。そして、小さな女が勝ったのを見ると、刀を抜いてこれを殺してしまいました。またさらに、毛を抜き羽根を切った小さな鶏を大王と呼び、鈴や金の蹴爪をつけさせた大きな鶏を自分に見立て、これらを戦わせました。そして小さな鶏が勝ったのを見ると、また刀を抜いてこれを殺しました」--
大和宮殿内、星川皇子の宮。
回廊に立ち尽くした星川は、欄干に手をおいたまま、ぼんやりと内庭を眺めていた。
……少し前、この庭で大立ち回りを演じた少女--斐比伎姫のことが思い出される。
『冗談じゃないわよっ』
間者に間違われた姫は、自分を取り囲んだ舎人達を睨みつけ、大声でそう怒鳴っていた。
あの局面で、あれだけ気強く振舞える姫が、この豊葦原に一体幾人いるだろう。普通の女人であれば、おびえて我を失い、泣き出してしまうのが関の山だ。
けれど、あの姫は違った。彼女は、己の誇りを踏みにじろうとするものに、決して屈することはなかった。
果敢にして、苛烈。--なんて激しくて、強い。
あれ程鮮やかな印象を残す姫に出逢ったのは初めてだった。星川は、その強さをうらやましく思い、そして……。
(いつまでも、忘れられない)
星川は自嘲気味に溜め息をついた。
水の巫である彼女が発した、鋭い雷。まるで、その雷撃で胸を打ち抜かれてしまったかのようだ。
--しかも、あの姫にあったのは、ただ苛烈さのみではない。
『ありがとうございます。皇子様』
別れ際に星川に向けられた笑顔の、愛らしさ。……忘れられず、心に残る。
あれから幾日が立ったのだろう。それ程長い間ではあるまい。
だが、星川の周囲は、彼が物思いに耽っている間にも刻々と変化しつつあった。
あの日、共に斐比伎姫に出会った兄は、もうこの宮にはいない。兄は、日継披露の宴を無事終えると共に、東宮へ移ってしまった。
(……そういえば、あの夜の宴に斐比伎姫の姿はなかった)
もう一度彼女に会えると、楽しみして臨んだ宴だった。言葉は交わせないかも知れないが、遠くから、その愛らしい姿だけでも目にすることができるかも知れない、と。
--だが、父の建加夜彦王は出席していたが、傍らにあるべき斐比伎姫の姿はなかった。
華やかな衣を纏った采女や、派手に着飾った姫達の中で、星川は必死に斐比伎の姿を探した。--しかし、最後まで彼女の姿を見つけることは出来なかった。
一体どうしたのか。急に病になったのか。それとも、あの後吉備の棟まで辿り着けず、事故にでもあったのか。
……星川の心は千々に乱れたが、斐比伎に関する情報は彼の耳には入ってこなかった。聞こえてきたのは、良くない知らせ--しかも、斐比伎姫とは関係のないことばかりだ。
(……いや)
星川は瞳を空に漂わせた。
内庭に植えられた紅梅白梅は、満開の頃を迎えていた。花々の醸し出す芳香が、宮内にまで漂ってくる。薄い青空の向こうには、なだらかな大和の山々が見えた。そこには、まだ何の色づきもないが--。
時はうつろい、弥生に入ろうとしている。もう一月もすれば、人々の待ち望む桜が舞い散るようになるだろう。
(その頃、この大和と吉備はどうなっているのか……。彼女が吉備の姫である以上、関わりのないことではない)
星川の瞳に影が落ちる。その時、背後から声がかかった。