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鳴神の娘  作者: かざみや
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第二章 「大和の皇子」 八話

--大和領内。

 大王の宮殿の奥深く。

 夕餉を終えた磐城の皇子は、父である大王に召され、酒の相手を承っていた。

「……先日の日継の宴でのそなたの振舞は、見事であった」

 杯を飲み干し、大王は息子に言った。

「日継として申し分ない。みなもそれを認めたであろう。わしも、これで安心だ」

 傍らに侍った采女が、空になった杯に酒を注ぐ。大王はそれを磐城に差し出した。

「……恐れ入ります、父上」

 丁寧に畏まり、磐城は杯を受けた。ゆっくりと酒を飲み干し、杯を床に置く。

 大王の私室での対面は、非公式なものだった。可能な限り人払いした室で、父と子は寛ぎながら対峙する。

「--残念でしたね、父上」

 不意に、磐城が微笑んで言った。

「何がだ? 息子よ」

「あなたの御子は、吉備系と葛城系しかいない。我が子に大王位を譲ろうと思えば、どちらかを選ぶしかないのですよ」

 父を見上げ、磐城は控え目に笑んだ。

「……ふ」

 大王は、軽く口元を緩める。手を挙げて合図すると、采女たちを下がらせた。

「そなたが『吉備の王子』であったならば、わしも今頃心安らかではなかっただろうよ」

 自ら酒を注ぎ、大王は杯を飲み干した。

「だがそなたは、星川とは違って、その心の最後のひとかけらまでも、『大和の皇子』だ。……違うか?」

「仰せの通りです。泊瀬の大王」

 磐城は恭しく父に頭を垂れた。

「この身に吉備の血が流れていることは、忌まわしい事実ではありますが--私は、自分を『大和の皇子』以外の何者とも思ったことはありませんよ」

「うむ。よく分かっておる。そなたは賢い皇子じゃ。よく、あの母の言に惑わされなんだ」

「私には初めから惑う必要などないのです」

 磐城は確固とした口調で言った。

「……むしろ、不思議に思っております。何故この私の母が、吉備の姫であったのかと」

「……うむ」

 酒を注ぐ手を止め、大王は眼前の息子を凝視した。憂愁を漂わせた磐城は、父王の眼から見ても、思わず見惚れるほど美しい。

 だが、謀略と殺戮に血濡られた大王家の陰惨な血を、誰よりも濃く受け継いだのが、この磐城である事--それを大王はよく解かっていた。

 武人らしい無骨な面差しの父と容姿こそまるで異なっていたが、大王は、三人の皇子達の中で、磐城を最も自分に近しく感じていた。

 磐城と語らっていると、大王はいつも自分の若かった頃を思い出す。彼は、決して簡単に今の大王位を手に入れたのではなかった。


 泊瀬の先代、穴穂の大王(第二十代安康天皇)は、彼の同母兄だった。

 この時代、皇位は兄から弟へと順番に譲られていくものであった。(ふさわしい兄弟のいない場合、その皇后や御子が大王となる場合もある。)

 しかし、穴穂の大王はその慣例を破り、優秀で廷臣達の信望篤かった従弟・市辺押磐皇子いちのべのおしはのみこに皇位を譲ろうとしていた。

 この頃、泊瀬は穴穂から数えて三番目の弟にあたるため、後継問題に直接絡む立場にはなかった。だが、それでも泊瀬は、この事態を黙って見逃してはいられなかった。

 皇位が一度市辺押磐皇子に渡ってしまえば、その後の後継者は彼の血筋から出ることになる。そんなことになれば、もう二度と泊瀬に機会は巡ってこない。

 泊瀬は独断で市辺押磐皇子の暗殺を計画し、実行した。皇子本人だけではなく、その御子も、弟も、彼らに仕える舎人までも全てを皆殺しにした。

 そうしてとりあえずの障害を取り除いたところで、宮中に思わぬ大事件が発生した。

 穴穂の大王が、皇后の連れ子である目弱王まよわおうによって、弑逆されてしまったのだ。

 宮は大混乱となったが、泊瀬にとってこれはまたとない好機だった。

 泊瀬にはまだ黒彦王と白彦王という二人の兄がいたが、臆病な彼らは反逆者・目弱王に対して兵を挙げようとしなかった。

 そこで泊瀬は「兄である大王の仇を討とうとしないのは、彼らもまた目弱王に与していた証拠である」と難癖をつけて、自ら挙兵し兄二人を討ち滅ぼした。

 事実上の官軍となった泊瀬は、目弱王をかくまい、その後ろ盾となった豪族・葛城氏に攻め入り、目弱王と葛城円大臣かつらぎのつぶらのおおみを滅ぼした挙げ句、葛城韓媛を奪い、葛城領の大半を召し上げた。

 --こうして数々の邪魔者を消していき、泊瀬は実力で皇位を奪い取った。泊瀬の坐す玉座には、彼に倒された者達の無数の血涙と怨嗟がしみ込んでいる。

 この重く陰惨な玉座を背負える者--それが、この眼前の長子を除いて他にあるだろうか?

(……いや、いない)

 杯を口に運びつつ、泊瀬の大王は確信した。

 呼び合う同種の血が知らせるのだ。おそらくこの美しい磐城は、泊瀬以上の昏い闇をその心のうちに抱えている。

 --だが、それゆえに。大王は、磐城を最も頼みに思っていたのだった。


「父上は、お若い頃数々のお策をもって葛城の勢力を削ぐことに成功なさいましたが……」

 不意に、磐城が言った。

「うむ」

 大王は、重々しくうなずいた。

 泊瀬の大王の皇位継承に絡む数々の事件の裏には、今一つの目的があった。

 それが、「葛城つぶし」である。

 大和の近在にあり、これまで長い間大王家の外戚として重鎮の地位にあり続けた葛城氏は、泊瀬が最も攻略したい氏族だった。

 市辺押磐皇子は葛城黒媛を母に持つ葛城系の皇子であったし、目弱王の変で滅ぼされたのも葛城円大臣である。一連の事件を通し、泊瀬は大王位を得ると共に、葛城氏の権力と領地を奪うことに成功したのだ。

「長い間大王家を押さえつけてきた葛城も、もはや物の数に入らぬ。次は……」

「……吉備」

 磐城は、正確に父の言を受け継いだ。

 杯を持ったまま、大王は目を光らせる。

「彼の国は、長年に渡る大和の仇敵--父上、日継としてお約束いたしましょう」

 父を見上げたまま、磐城は凄味のある笑みを浮かべた。

「七百年前、伊佐芹彦命が果たし切れなかった、吉備完全攻略--この磐城が、果たしてご覧にいれます」

「……うむ。頼りにしておる」

 大王は厳かに言った。

「--して、父上。お願いがあるのですが」

「なんじゃ?」

「日継として立つにともない、適妻むかいめとなるべきみめを定めたいと思います」

「うむ。そういえば、そなたは未だ妻問いをしておらなかったな。十九なれば、遅すぎるほどじゃ。誰ぞ、思い当たる姫がおるのか?」

「はい。--最もふさわしき姫が」

 磐城は、その麗しい双眸に怜悧な光を浮かべて言った。

「吉備加夜族の王、建加夜彦の娘……斐比伎姫を」

「吉備?」

 大王は怪訝そうに問い返した。

「そなたが大王となった暁には、皇后おおきさきとなる妃だぞ。……それに、吉備の姫を?」

「加夜王の姫なれば、相応ですよ」

「それはそうだが……あれ程吉備の血を厭うそなたが、更に吉備の妃を迎えるのか?」

「斐比伎姫は養女だそうです。吉備の血とは関係ありませんよ」

「そうかも知れぬが……名目上、吉備系の姫であることに変わりはあるまい」

 大王は困惑したように言った。どうにも、息子の真意がはかりかねる。

「ご安心を、父上」

 磐城は父に向かって微笑んだ。その清らかな笑顔だけを見ていると、彼には何の邪気もないかのように思える。

「私をお信じ下さい。全ては、大和の為です」

 言い置いて、磐城は自ら杯に酒を注ぎ--父王の前で、ゆっくりと飲み干した。

 




(第二章終わり 第三章へ続く)


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