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鳴神の娘  作者: かざみや
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第二章 「大和の皇子」 七話

「五十猛?」

 斐比伎は胡散くさげに問い返した。眼前の男を凝視する。

 男は長身で、よく日に焼けた褐色の肌をしていた。年の頃は、二十代の前半くらいに見える。顔立ちは整ってはいるが、どうも野性味が強い。強靱な体躯は、鍛え抜かれた兵士の様にも思えるが--彼が身に付けている衣は、真冬だというのにひどく軽装だった。おまけに、髪も短く切っている。

 王族ではあるまいが、族人なのか奴人なのか--男の外見からは、どうもはっきりとした身分や育ちが読み取れない。

「俺が嬢ちゃんを殴って気絶させ、ここまでさらってきたのさ」

「なんですってえ!?」

 あっさりと告白した五十猛を前に、斐比伎は一気に逆上した。

「なんってことしてくれるのよっ。痛かったじゃないの!!」

 斐比伎は突如立ち上がり、拳で五十猛の頭を殴った。

「痛ってえなあ、もう……」

 床板の上に胡座をかいたまま、五十猛はわざとらしく顔をしかめた。

「お返しよっ」

「乱暴だなあ。あんた、本当にお姫さまかよ」

「その「姫」をさらった男が図々しい! さあ言いなさい、ここは何処!?」

 怒気も荒く斐比伎は叫んだ。

「……それはまだ教えられねえなあ。そうだな、とある山中とだけ言っておこう」

「ふざけてんじゃないわよっ」

 斐比伎は叫び、数歩走って一気に小屋の扉を開けた。

「……っ」

 差し込んできた光の眩しさに、斐比伎は一瞬顔を背けた。鋭い光。清冽な朝の日差しだ。

「--ここは……」

 暫くして明かりに慣れた斐比伎は、そこに広がる光景を眼にして愕然となった。

 小屋の周囲を取り囲むのは、一面の木々。そこにあるのは、ただ立ち枯れた森だけだった。人はおろか、動物の気配すらない。

「な、言ったろ。だから山の中だって」

 立ちすくむ斐比伎を揶揄するように、五十猛は背後から声を掛けた。

「ここは……どこなの……。大和? それとも全然別の場所なの?」

 森を見据えたまま、斐比伎は言った。少なくとも、今までに自分が見たことのある場所ではない。

「さあて。何処だろうなあ」

 五十猛はふざけた調子で返す。

「いい加減にしなさいよ!」

 斐比伎はキッと振り返り、険のある眼で五十猛を睨み据えた。

「何が目的なの? 私を人質にして、吉備を脅す気? あいにくね。私の父様は、そんな卑怯な手には屈しないのよ!」

「……吉備なんかは関係ねえさ。今の所はな。俺が用があるのは、嬢ちゃん、あんた自身だ」

「--私?」

 五十猛を見つめたまま、斐比伎は怪訝そうに呟いた。

「そう。簡単なことさ。俺はな、嬢ちゃんにある社の扉を開けてもらいてーんだ。それはちょっと特殊な扉でな。嬢ちゃんにしか開けないんだ。……ほかの誰にもできない」

 五十猛は言う。表情はおどけていたが……その瞳は笑っていなかった。

「……私が、水の巫だから?」

 暫しの沈黙の後、斐比伎は注意深く聞いた。

 『かま』をかけてみた質問だった。

 この男が、斐比伎の本質をどこまで知っているのか……確かめておかなくてはならない。

「--まあ、それも、あるかな」

 五十猛は、はぐらかすように言った。どうやら彼も、ある程度は斐比伎の能力について知っているらしい。

「私がおとなしく、あなたの言うことに従うとでも思う?」

 斐比伎は挑むように言った。

「嬢ちゃん、あんたは俺の言うこと聞くしかねーのさ」

 五十猛は不敵に笑った。

「ここが何処だか知ってるのは、俺だけだ。もしあんたが雷の力を使って俺から逃れたとしても、あんたは一人じゃ山を降りられない。違うか?」

「うっ……」

 指摘された斐比伎は、悔しげに唇を噛んだ。

 確かに五十猛の言う通りだ。

 お姫さま育ちの斐比伎には、山歩きの経験などない。一人で脱出したところで、冬山で遭難してしまうのが関の山だろう。

「まあ、俺の願いを叶えてくれれば、後で無事に『父様』の所まで送り届けてやるよ。分かった?」

「ぐっ……」

 斐比伎は握った拳を震わせた。

 そうだ、今頃父は、どんなに心配しているだろう。

 結局、吉備の姫として日継の宴に出ることができなかった。

 父は体面を失わなかっただろうか。いや、あの父のことだ、きっと急病とか何とか言ってうまく取り繕ってくれただろう。

 そもそも、娘の行方不明という事態のなかで、父本人は宴に出席したのだろうか。

「ああ、どっちにせよ、とんでもないことになっちゃった……」

 斐比伎はしゃがみこんで頭を抱えた。

 しかも、こんな時にこんなことを悔やむのはどうかとも思うが。

(磐城の皇子さまにもう一度お目にかかる機会をなくしちゃったよ……)

 今度は、いつ会えるともわからない人なのに。もしかしたら、二度とは会えないかもしれないのに。

「なんでこんなことになるのよ……」

「過ぎたことをぐちゃぐちゃ言ったってはじまらねーだろ。前向きになれよ、お姫さま。

だから、俺の言う通りにするのが、一番の解決策なんだって」

「お前にそんなこと言われたくないわよっ」

 斐比伎は腹立たしげに叫んだ。

 つまり、彼の言う通りにしなければ、ここから自由になれないのだとしても--結局は、そうせざるを得ないのだとしても--それにしても、眼前で傲岸に笑うこの男が憎らしくてたまらない。

「--わかったわよ。私にできるっていうのなら、どんな扉でも開けてやるから、さっさ

とその社の所へ連れていきなさいよ!」

 半ばやけになって斐比伎は叫ぶ。だが、五十猛は意外な言葉を口にした。

「いや、今はまだ駄目だ」

「え!? 何故」

 斐比伎は驚いて言った。

「社には守人がいる。扉を開くには、その守人に認められなければならない。あんたは資格は持ってるが、まだ『育ち』が足りねーんでな」

「はあ?」

「……ちょっと待ってな」

 言い置くと、五十猛は小屋の奥に行き、二本の剣を抱えて戻ってきた。

「ほらよっ」

 五十猛は一本の剣を斐比伎に向かって放り投げた。一瞬面食らったものの、何とか斐比伎は剣を受け取る。

(重い……これ、鉄剣だわ)

 両手で抱えた剣をしげしげと見つめ、斐比伎は考えた。大和を始めとした豊葦原の国々が、今最も欲しがっている武器--それが、この「鉄剣」なのだ。

 これまでに普及している「銅剣」は、威力も耐久性も弱い。国々は、戦や政を優位にとりはかるため、こぞって先進の武器である「鉄剣」を求めていた。

 だが、需要の多さに比べ、供給地は限られている。鉄の取れる吉備や出雲が強国となったのは、この「鉄剣」を大量に押さえているからでもあった。

 鉄剣は貴重品である。そこらの奴人が、やすやすと手にできる品ではない。

(それを二本も持ってる。こいつ、一体……)

 ただ者ではなさそうだが、果たして--。

「嬢ちゃん。剣をとったことはあるかい?」

 考え込む斐比伎に、五十猛が声をかけた。

「あるわけないでしょ。兵士じゃあるまいし」

「話にならねえな。んじゃ、まずはそこからだ。……表へ出な、嬢ちゃん」

 五十猛は斐比伎の手を掴み、外へ向かって歩き出した。

「ちょ、ちょっと何するのよ!?」

「何するだあ? 決まってんだろ。--あんたを鍛えるのさ」

 そう言うと、五十猛はにかっと笑った。



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